質問「神様って冷たくないですか?」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2013年 9月

【質問】海南島のヨハネさんに質問です。

神様って冷たくないですか?

心から神様に祈っても祈っても、辛い事ばかりだし、冷たい仕打ちばかりだし…。

それでも信仰や祈りは続ける価値はありますか?

無神論者で人生成功して幸せな人っていますよね、人生の不公平さを見ると泣きたくなります。

心が折れそうですよ。

回答をお願いします。


【回答】海南島のヨハネです。

質問を感謝します。

回答が遅くなりました。

私の知人で幼い子供を死なせて、3日間泣き続けた人がいました。

後に彼は言いました。

「それでも神は私を愛している」

何でも許して呉れる伯父や叔母に比べて、本当の親は厳しいと思いませんか。

聖書にも、

「本当の親は子供を鞭打つ」

と書いてあります。

本当の親ならこんな冷酷な事をするであろうか…と思いつつも、普通は親を信頼して耐えている…。

私にも経験がありますが、子供が反抗期の頃、何かを私が許さないと、

「死んでやる!」

と家を出て行きました。

夕方には帰って来ましたが、その間、私は何もしないで、ただ子供の帰りを泣く思いで待っていました。

冷たいと思われる親も苦しんでいるのです。

鳥の生態を見ていると、巣立ちの時には何日間も餌を与えず、親は恐ろしく冷酷のようです。

しかし、それをしないと雛は巣立たないのだそうです。

あなたの言われるのとそっくりな事が聖書に書いてありましたよ。

「神を信じ無い人が富めるのを見て、『お前の神は何処にいるのか』と嘲られ…私の食物は涙であった。」

神との平和を得ていない人は、裁判前の犯人のようです。

友達に本心で話すと、

「呼び出しなど来ないよな…裁判など無いよな…」

と、盛んに慰めを得ようとする。

「死などは当分先で、自分には関係ない」

と安心を得ようとする。

人は死を恐れ、神を恐れる。

だから「神などは無い」と自分を慰める。

判決を下す神と仲直りすれば、裁判も死も恐ろしくは無くなります。

神様は人の死後も見ています。

だから冷酷とも思える仕打ちをする事があります。

でも試練は乗り越える為に存在するのです。

普通、2度目には楽なものです。

どんな事があろうと、

「神は私に最善をして下さる」

との信仰があれば、かなり耐えていけるでしょう。

そして試練を乗り越え勝利して下さい。

祈りは神との会話です(一方通行であっても)。

「我らを試みに遭わせず、悪より救いだし給え」

…と、祈りは続けて下さい。


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