筆者の略歴 1 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2019年8月1日(1)

筆者の略歴 1

告白(こちらの記事)ついでに経歴も話した方が良いかも。

私は新生中学もまともには勉強していないのである。

卒業はしたが…。

たしか2年生の頃、郡で技術品の発表があり、学校で出品することになって私が選ばれた。

その出品物の制作のため、私は授業には出なくて良いと校長命令が出た。

それで出たくない科目には何も出なかった。

卒業の日、

「もう学校に行かなくて良い!」

と大喜びで、帰りの道路に卒業証書をまき散らした。

それから電気工事の職人になり、それでも小学生の時からの工作は夜にやっていた。

その頃、ラジオが流行り、毎晩の様に作っていた。

一台で千円がお礼の相場であった。

3日で給料分は稼げた。

分からないことは、ラジオ屋へ聞きに行っていた。

でも、本で調べた方が早いことが分かった。

本を買って勉強したが、やっぱり学校で勉強した方が早いのではないか、と思っていた。

その頃、戦後はじめての電気技術者の試験があった。

私は17歳であったが受験した。

周りの人は、

「試験は難しいぞ」

と脅しをかけた。

試験内容は電気工作物規定一冊と聞いていた。

辞書ぐらいの本であったが、私は丸暗記することにした。

全部を浪花節の歌にして。

父親はいつも浪花節をうなっていたので知っていた。

結果、中国地方、大学教授を含め7千人中、一番で合格した。

出題された問題を丸暗記したので当然であるが…。

それで電気工学には自信がついた。

配電会社の大先輩までが聞きに来る始末。


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