2丁目食堂トレドへようこそ!

2丁目食堂トレドへようこそ!

1972年創業以来「家で待つ母の気持ち、妻の心」をモットーにやってまいりました。加工品など一切使用せず、一から全て手作りでお出ししております。

どうぞごゆっくりとおくつろぎ下さい。

トレド/二丁目食堂/神楽坂/継ぎ足しカレー/猫/神楽坂弁当

 昨日までは(ほうずきいち)。狭い神楽坂の車道、通行止めにして屋台が連立されます。各店舗が参加します。トレドは参加したことありません。各店相当な売上があるみたい、活気みなぎっつています。訪れるお客さん出歩くのに困難状態です。

 トレドは一年で一番暇な時間。静かな閑静の湖で漂っています。湖面に小舟を浮かべて、流れる雲、葉桜の風、熊笹の風、雀の賑やかな鳴き声。神楽坂でこんな幸せの環境、ありがたいです。勘違いしないで、湖は自分の頭の中。

 顧客様はワン、ワンそしてまたワン。お一人様が続きます。昨日は自分より明らかなお年寄り、先輩が見えました。

 「気になっていたんだよ。この店、いつも混んでるんで、今日は誰もいないね?まだいいの、食べられるの?」

 継ぎ足しカレーをご注文です。ライス少なめ。でも、ライスの追加、お元気な方です。お年は96歳だと、驚きました。毎日、6キロ歩くそうです。散歩道にポルタの貫通道路があるそうです。

 「気になってね」

 「トレドは、赤いさくらんぼなんです。また熟した柿の実なんです。そうですみんな、木になっている。」

 次のお客さんだ見えるまで、昔の神楽坂の話で盛り上がりました。何しろ自分より16年も先輩なんです。少年時代、戦争を体験された方です。いろんな体験談。楽しかったです。

 今日から「神楽坂阿波おどり」が始まります。厳しい暑さのなか、皆様の頑張り、笑顔の波。トレドに多少の予約を頂いています。みんな元気に異常な天候状態を乗ろ超えましょう。

 (破船の乗組員撲殺、積み荷の略奪)バレたらむら全員の処刑は確実でした。でも証拠のコメ、ほそぼそと食いつなぐ少年の家族。病気になれば、神に祈るしかないのです。薬は野辺の草を煎じて飲むだけ。貴重なコメも彼らにとっては薬でした。

 そんな折、漂流船が湾入します。赤い布をまとった乗組はすべて死亡。米びつは空っぽ。「御船様」ではありません。でも指示役の判断で。貴重な布を破棄するのは・・・もったいない。死体がまとっていた赤い布を女たちに分け与えます。これガ村の破滅の序曲でした。女たは、子供の着物何枚取れるか、笑顔で受けとったのです。その船は、(ご先祖帰り)の船だったのです。疫病で死んだ人。感染防止のためまとめて海に返したものです。

 貧しい人たちの住む貧しい村。子どもたちに布の着物一つあげられない母心。子供の喜ぶ顔を思い描いた優しい母の心。悲劇が村を襲います。幼い子達を中心に、おんなたちが高温、多数の吹き出物、体中から膿が浮き出します。失明するものも。死ぬ人もいれば、顔中、体も引きつれが残る人もいます。村長も同じ病に。指示薬は責任を感じて自殺しました。病床の村長が指示を出します。

 「元気なものは、海に出よ。」 少したくましく成長した少年、釣り糸を持ちながら

 (弟は目がだめ、おっかあは顔が変わってしまった。)

 (でも少しは元気だ。おっとうとの約束。三年の間、俺が家族を守る。妹は随分前に死んだ、弟は目が見えない。)

 村長の家では、重症の老人を囲んで重大な決断が行われていたのです。

 夕刻、むらびとに集合命令が伝達されます。

 「皆の衆。流行病は収まったように見える。でも油断できない。この村にまだ病の元があるやもしれない。今度ぶり返せば、間違いなくこの村は全滅だ。ご先祖様が帰えられたとき、みんなを探してどんなに嘆き、苦しむことであろう。で、わしは思う.(野辺送り)を決行する。」

 村長はその場に崩れ落ちた。新しい指示薬が説明する。

 「みんなよく、聞いてくれ。流行り病にかかっているものも、治ったものも。明日早朝、野辺送りにする。村長とて例外ではない。元気なも、家の外に出るな。みんな早々に戻り、野辺送りの準備にかかってほしい。」

 未明、何組の松明の群れ、やがて一つの列につながって、山影に消えてった。何日かたって、船釣りをしていた少年の目に、山を駆け下りてくる父の姿が。約束を守れなかった自分。生き残った家族は自分一人。沖に舵を、逃げ出そうか、・・・でもいつしか舵は浜に向かっていた。

 この本で一番感銘を感じたのは、三年の年季が終える頃、少年の目から見た、母の夢見るような眼差し。たくましい男に抱かれた性の思い出がよぎった描写。もうすぐその時が。でも神様は残酷です。

 吉村は「零戦」「戦艦大和」など実録小説の雄です。中に過酷な日本の歴史の原風景を的にしたものも多数あります。自分の若い頃、吉村の著作本を求めて、神保町は馴染の街でした。「破船」の舞台はありません。悲惨な小さな漁港、山が迫り、岩礁の乱立する湾岸にへばりついて、生きていく人々。生きるために食べ物を確保、それも満足な量に届きません。原始的な漁。サンマの季節、小枝を束ね、縄でくくります。サンマの北上、海が黒く盛り上がります。海上に浮かぶ小枝の束に下、サンマの産卵を促すのです。ここでは、網は登場しません。小舟から、体を隠すようにして、指の間をすり抜けるサンマを捕まえるのです。

 主人公の少年。父親は3年の年季奉公で身売りされているのです。この寒村では食料が枯渇すること、身売りは日常です。なれない少年、初日の漁果は0でした。。母親は何も言わず、彼を迎い入れます。離れた家からは、サンマの煙が上っています。そんな彼の手にサンマが踊り込んだことがあります。その日は1匹のサンマ、弟妹母、自分の分4っにきって、みんな頭も骨もしゃぶりつきします。

 浜に大きな鍋、海水を汲んでまきをくべる。塩焼きです。このむらでは夜通しの作業です。少年は村長から依頼されます。浜に並べられた大鍋、塩ができます。女たちの共同作業、塩をを袋に詰めて。高場の村長の家に運びます。やまをいくつも超えて、女たちは隣の村に。ここは田畑があり、粟や野菜と交換するのです。干物にしたサンマも同様に。

 なぜ?夜中に塩焼きをするのでしょう。闇の中の海上の船からの浜の火の群れ、船乗りたちに安心を担保します。嵐に遭遇した難破寸前の船に取っては、救いの火に見えたのです。壊れかかった舵を浜辺に向けます。積荷を海に投げ入れ、船を軽くします。船は突き上げられ、そうです岩礁に激突したのです。船頭たちは荒海に投げられます。

 嵐が収まった次の日。寒村の住民たちの顔は興奮を抑えられません。村長の名で少年は小高い丘に登ります。見張りです。帆柱の船主の印、藩の船ではありません。積荷を満載した商人の船です。「お舟様」です。村中の人間浜に集結です。生き残った乗組員、残らず撲殺されます。何艘もの小舟、船に横付けされます。積み荷のコメは運び込まれました。味噌、醤油、漆器、着物、・・・それに船の木、何でも浜に。片斧、なた、縄で船は徐々に消えていきます。死にかけたセミに群がるアリの大群です。でもその蟻たち、疲れを知りません。嬉々とした動きに溢れたいます。村長の庭の集結された、コメなど各家庭に分配されます。少年の母は60キロの俵を七回我が家に運びました。「御船様」とは死んで海の彼方にいるご先祖様が、現世で苦しんでいる自分たちを助けるための御慈悲。毎日「どうか、御船様を遣わせてください」とご先祖にい願いしているのです。

 伊賀の里の近くから見た、紀伊半島の東側青い海の中多くの岩が点在しています。大きな船からは見えないのです。

 先週日曜日、朝から体が重い、微熱が消えませんでした。競馬新聞に興味がわかず。四レースの未勝利戦、菜々子さんのレースだけ電話投票。幸い?なことに日曜は天候不良でトレドはやや暇でした。家族が頑張ってくれ、自分は寝込んでしまいました。夜中に目がさめ、床下の清掃、そのままトレドで朝を迎えました。

 実は、週休二日のトレド。近場の温泉なら一泊旅行が十分可能です。加えて今月は自分の誕生月でかなりの割引があります。予約はすでに取ってありました。雨の鬼怒川、次の日も雨。体調はガタガタ。蜂窩織炎になりはじめのように、熱が出て、湯船から出られず、休み休み、ノロノロと手すりにつかまり、転ばないように・・・人生最悪の旅行でした。次の日12時まで東京に、そのまま病院に。幸い風邪との診断、解熱剤をもらい多少楽になりました。

 家族に迷惑をかけてしまい、特に息子は色々のプランがあったようで、申しわけありませんでした。でも文庫本1冊読み切りました。これだけが収穫でした。

 今朝、スポニチを見て驚きました。職場結婚です。自分は競馬新聞を買うと、藤田騎手を確認します。騎乗馬の調教タイム、それまでの上位の馬との着差、人気。彼女の騎乗馬、ほとんど人気がありません。中には10番人気より人気がない馬があります。先週の日曜日、10レース,アイのヒーバー号で2着。7番人気の大健闘、見事な騎乗でした。競馬に対する努力、研究、師匠からのアドバイス。少しでも上位を目指す姿勢。応援したくなります。

 先輩の女性騎手、ママさんもおられます。彼女の活躍応援します。

 ついに自分の誕生月に入りました。正直、80になってもトレドやってるとは想像していませんでした。毎週の競馬、ボケ防止に貢献してくれています。日々の肉体労働、筋肉の退化を抑えてくれます。お客さんの会話、口を滑らかにしてくれます。そばにいる戦友の家内と息子、自分の体調に気にかけてくれ、少しでもだるそうだと、3階で、休めと。みんなの心遣いありがたいです。

 体力、気力、の低下は隠しきれません。疲労がたまると、欠伸が止まりません。より多くの酸素を体が求めます。足に血液が降りて、そのまま上がってきません。そんなとき、外の椅子に座って、短い足を伸ばします。自分の周りに小鳥たちが集まります。ここは神楽坂で一番緑の多い場所です。多分新鮮な酸素が自分の体を包んでくれているのでしょう。

 「四にのチャンネル」の影響で未だに若い女性がトレドに見えます。山田さんはトルコライス。菊池さんはカツカレー。中丸さんはオムライスカレー。風磨さん、涼介さんのナポリタン何度も横取りします。なんだか無邪気で、ホッツこりします。自分では意識していなかったのですが、トレドのナポリタン、美味しいらしいのです。次に見えたお客さん、「もっと食べたかったから、また来ちゃった。ナポリタンお願いします。」

 53年前、トレドはスナックでした。脱サラして開業する方、多かった時代です。パスタはスパゲテーと言われていました。自分は蕎麦食いです。それももりそばだけです。タップリの熱湯で茹で、冷水で何度もすすぎ、つるつるとした喉越しを楽しむ。この下ごしらえ、意識せず、自然にスパゲテーに。茹で上がった麺を冷水で、何度も洗って、サラダオイルを絡めて冷蔵庫に。こうすると自分の意識の中で、防腐剤などが取り除かれると。

 シンプルなパスタにとって、肉、野菜は立派な調味料です。トレドのナポリタン、具たくさんです。

 そばを考えると、美味しいと名のあるそば店、名水の里と言われる水の美味しいところとに多いようです。豆腐が美味しいところ、これも水です。日本人はおいしい水に慣れ親しんできました。すごく贅沢のことです。再開発だけが優先される世の中に、一考を。

 6月24日午後、ポルタ神楽坂の総会が開催されました。出席者は理事長、彼は神楽坂2丁目元町会長。この地区400坪地主桝本、ちなみにトレドの地権は40坪。建築資金を提供した東京理科大学の管財課職員。彼らは13年間、同じ顔ぶれです。

 現場の声が管理組合には反映されません。テナントからの要望、疑問に対応してくれません。電気代、水道代が高すぎるとの苦情が、一地権者のトレドに寄せられた時期がありました。トレドで店舗会を開いたことがあります。すぐに理事会から中止の要望がありました。

 開店当時、トレドは神楽坂に看板がありません。わかりにくいとの電話がなり続けました。何度の何度も総会で苦情を、パメルを何枚も作成、トレドが神楽坂からわからないかを。出席した野村ビル管理の社員たち賛同してくれました。新宿区の地域振興課にも相談を重ねました。現地を見た職員は「管理組合に要求すれば、みんなが協力してくれますよ」理事会は馬耳東風。ポルタには桝本の大きなテナントがあります地下にサイゼリア。当初、サイゼリアが撤退したら。それが不安の種でした、24時間営業の店。広大な店舗。万が一のため、店舗を2分割にできるようになっていました。ある時、臨時総会が開かれ説明会を、桝本の説明によると

 「二店舗の電気メーターが作動し続け、サイゼリアから高すぎる。調べてくれ」と。開店当初からのミスが判明。地権者たちにサイゼリアの払いすぎの電気代の請求がありました。このとき自分は地下に通じる階段の両側は看板の設置のためにある。少しの竹、植栽の場所ではない。事実、隠れ電線が目視できます。もしかしたらトレドの看板を置く場所だったのでは。ちなみにサイゼリアの電気代7,8万円支払った覚えがあります。

 桝本の要望があったのでしょう。トレドに理事長(70年以上の幼馴染)がご来店。「看板を外す気はあるか」「ない」「じゃ、裁判にかけます」相手側は裁判提出書面の書面にやっきになります。事実を知らない地権者たちへの戸別訪問です。同じ階にいる地権者たち。彼らはみんな昔からの知り合いです。「トレドは悪いことをしている」そして私は被告人になりました。ただ不思議でしょうがないのは、理事や理事長が笑顔で挨拶してきたことがあります。裁判書類で上から目線、嘘の連続、こちら提言になんの返答もなく。侮辱の言葉を・・・客が来なければ夫婦でビラを、表にトレドを出したかったら、3坪の店しかできないよ。裁判資料に目を通さない裁判官。人生で一番無駄な時間と金を浪費しました。

 取り外した黄色い看板、いま貫通道路にくくりつけてお客様のご来店をお待ちしています。彼も家内と同じ戦友であり仲間です。ちなみに、野村さんは当方への理解と裁判への参加で業務がおろそかが理由で解任されました。

 さて「按分」訳が判りません。今何代目かの管理会社の説明によればメーターは個別に測量ています。それを按分して個々の電気、水道料金を徴収しているのです。個々のメーターがあって。数字が出ているのなら、わざわざ面倒臭い按分方式を固執すること、それが謎です。なにかこすいからくりがあるかもしれません。

 安倍首相が生きていたら、政治資金規正法など、屁の河童。表にも出なかったでしょう。派閥の議員たち、利幅の大きい(貧相なオードブル)パーテーを連発。税金は収めず、公表せず。「桜を見る会」の成功に気を良くして「紫陽花の花を見る会」「紅葉を愛でる会」「雪見の会」などを連発。国民無視の仲間内の「おべっか集団」が日本の中心で鎮座していたことでしょう。今政治が大きく流れを変えようとしています。統一教会との癒着。裏金疑惑.岸田内閣の支持率20%割れ。

 今。罪状「殺人」の山上氏はどんな気持ちで新聞やテレビをみているのでしょうか?彼がしたことが日本を大きく変えつつあるのは確かです。

 やっぱり、疲れが取れません。週休二日制にして2回目。一日目は一日、本を読んで、目が疲れると、目を閉じて・・・そのまま寝てしまいます。家内が喜んでくれたこと。朝ご飯はたけのご飯を作りました。

 2日目、朝から雨、1日中大雨。多めにカレーを仕込んで、晴耕雨読。すぐ目がつかれて、朝の3時に起きました。

 1894年、朝鮮半島で農民の蜂起が起こります。朝鮮政府は親方清にその鎮圧のため、軍隊の派遣を求めます。当時日本は朝鮮の利権を目論んでいました。そして、大陸への足がかりも、最後の植民地戦争です。これが日清戦争です。1995年清が降伏。下関条約で日本に台湾、遼東半島が割譲されました。その頃の台湾。清からは「夷島」と呼ばれ、化外(げかい)すなわち未開、野蛮の地とされ、何ら利用価値のない、日本に取れれても、むしろ苦労がなくなったという島でした。

 台湾の先住民は大別すると、平地族(平埔族)山地族(高砂族)がおります。植物の種のような形態の台湾島。中央に3000メトルをこす高山が連なっています。活火山も多く、温泉も多数です。山の急斜面に多くの河川。その川が絶えず氾濫します。地面はぬかるんで、耕作には不向きです。清の時代、大陸からの移民、役人は短期で島をさります。移民たちは生きるために匪賊となって、貧しい農民を襲います。水は硬水で飲料にはむきません。トイレも確保ができないため、不衛生です。コレラ、天然痘、チフスなどの疫病の島でした。当時の台湾での平均寿命は30歳だと言われています。

 日本は軍隊を中心に台湾経営に着手しました。あぜ道を道路に。下水道の整備。医療設備、教育の充実。大学、特に理科系の、電気技術者の育成。ある意味軍国主義に突入した大日本帝國に沿ったものであったかもしれませんが。台湾は急速に住みやすい島に変貌したのです。農業では、コメは適しません。バナナ、サトウキビに力を入れ、最近では南国フルーツのマンゴーなども美味しいです。

 狂気の軍事政権下。日本は島民に非道な行為をしたかもしれません。教育で台湾人の意識を高揚させたのも事実です。日本は敗戦しました。台湾は中国に。戦後の中国の内戦で共産党が支配者に。国民党は台湾に逃げ込みます。そこで独自の発展を遂げていたのです。今中国は「一つの中国」を掲げ台湾を吸収しようとしています 。香港の急激な共産化を目の辺りにすれば、とても同調できないものです。

 130年前、中国が不毛の島として忌み嫌った台湾。今半導体の分野では世界をリードしております。ある意味日本を助けてくれています。親日家が多い国、災害が起こればいの一番に救助の手を差し伸べてくれます。中国で台湾バナナの輸入を禁止されれば、日本が大量に買い付けます。

 中国の一部マスコミが報じています。

 「中国出身者が都知事になるかもしれないと」

 蓮舫氏は台湾出身です。共産圏の出はありません。

 6月2日(日曜)の3時半頃に来店させていただいたものです。傘ありがとうございました。

 貸していただいたおかげで、濡れずにすみました。

  また東京に来るので食べに行きます!!

 あリがとうございました。本当に美味しいトルコライスでした!!!(原文のまま)

 

 土曜、日曜は休憩なしの終日営業です。お客様も切れて、安田記念の発馬直前の時間です。

 「やっています?」「どうぞ、テレビ、競馬やっているけど、いいですか?」

 彼女は「トルコライス」をご注文。競馬が終わるまで待ってもらいました。四にのチャンネルを見て関西からみえたそうです。すごく楽しそうに時間をお過ごしでした。この日は5時頃から大雨の予想。雨が降っていないのに、傘を持っていくように勧めました。ちなみに安田記念、武豊騎手の頑張り、ありがとうございます。

 火曜日の午後、トレドのドアにビニール傘が立てかけてありました。彼女からの置き手紙がはみ出して。すごく幸せな気持ちになりました。このユーチューブを見てのご来店のお客様たち。日本中から、親子さん、同級生、など久々の逢瀬。トレドは幸せモードで溢れます。皆様、自分にも、幸せのおすそ分けありがとうございます。