吉村昭の「破船」を読みました。 | 2丁目食堂トレドへようこそ!

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 吉村は「零戦」「戦艦大和」など実録小説の雄です。中に過酷な日本の歴史の原風景を的にしたものも多数あります。自分の若い頃、吉村の著作本を求めて、神保町は馴染の街でした。「破船」の舞台はありません。悲惨な小さな漁港、山が迫り、岩礁の乱立する湾岸にへばりついて、生きていく人々。生きるために食べ物を確保、それも満足な量に届きません。原始的な漁。サンマの季節、小枝を束ね、縄でくくります。サンマの北上、海が黒く盛り上がります。海上に浮かぶ小枝の束に下、サンマの産卵を促すのです。ここでは、網は登場しません。小舟から、体を隠すようにして、指の間をすり抜けるサンマを捕まえるのです。

 主人公の少年。父親は3年の年季奉公で身売りされているのです。この寒村では食料が枯渇すること、身売りは日常です。なれない少年、初日の漁果は0でした。。母親は何も言わず、彼を迎い入れます。離れた家からは、サンマの煙が上っています。そんな彼の手にサンマが踊り込んだことがあります。その日は1匹のサンマ、弟妹母、自分の分4っにきって、みんな頭も骨もしゃぶりつきします。

 浜に大きな鍋、海水を汲んでまきをくべる。塩焼きです。このむらでは夜通しの作業です。少年は村長から依頼されます。浜に並べられた大鍋、塩ができます。女たちの共同作業、塩をを袋に詰めて。高場の村長の家に運びます。やまをいくつも超えて、女たちは隣の村に。ここは田畑があり、粟や野菜と交換するのです。干物にしたサンマも同様に。

 なぜ?夜中に塩焼きをするのでしょう。闇の中の海上の船からの浜の火の群れ、船乗りたちに安心を担保します。嵐に遭遇した難破寸前の船に取っては、救いの火に見えたのです。壊れかかった舵を浜辺に向けます。積荷を海に投げ入れ、船を軽くします。船は突き上げられ、そうです岩礁に激突したのです。船頭たちは荒海に投げられます。

 嵐が収まった次の日。寒村の住民たちの顔は興奮を抑えられません。村長の名で少年は小高い丘に登ります。見張りです。帆柱の船主の印、藩の船ではありません。積荷を満載した商人の船です。「お舟様」です。村中の人間浜に集結です。生き残った乗組員、残らず撲殺されます。何艘もの小舟、船に横付けされます。積み荷のコメは運び込まれました。味噌、醤油、漆器、着物、・・・それに船の木、何でも浜に。片斧、なた、縄で船は徐々に消えていきます。死にかけたセミに群がるアリの大群です。でもその蟻たち、疲れを知りません。嬉々とした動きに溢れたいます。村長の庭の集結された、コメなど各家庭に分配されます。少年の母は60キロの俵を七回我が家に運びました。「御船様」とは死んで海の彼方にいるご先祖様が、現世で苦しんでいる自分たちを助けるための御慈悲。毎日「どうか、御船様を遣わせてください」とご先祖にい願いしているのです。

 伊賀の里の近くから見た、紀伊半島の東側青い海の中多くの岩が点在しています。大きな船からは見えないのです。