2丁目食堂トレドへようこそ!

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1972年創業以来「家で待つ母の気持ち、妻の心」をモットーにやってまいりました。加工品など一切使用せず、一から全て手作りでお出ししております。

どうぞごゆっくりとおくつろぎ下さい。

トレド/二丁目食堂/神楽坂/継ぎ足しカレー/猫/神楽坂弁当

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 何故か、自分は暁星小学校に入学しました。普段は着物の父が背広姿。着物姿の母。に手をつながれて、歩いて10分ほどの暁星につきました。確か記憶によると、入学試験jはなく、面接だけだったような気がします。三人の先生?の前に自分。後ろに両親。いくつかの質問の後、何か動物を飼っているのか質問されました。猫、クチボソ、金魚、自分は笑顔で答えました。

 「では、動物と人間の違いを答えてください」…自分は飼い猫タマとシロを頭に浮かべて

 「動物は毛だらけです。人間には頭にしか毛がありません。」先生がニヤリとしました。慌てた自分は

 「違います。人間は大人になったら、オチンチンの周りに毛が生えてきます。」後ろの両親のざわめきが・・・

 「では、同じとこらは?」すっかり、リラックスした自分は

 「動物にも人間にも、男にはオチンチンがあります。女にはありません。」

 帰り道、母は握った手を、振り払ってもはなしてくれませんでした。父はブツブツ言いながら、後ろから何度も頭をたたいたものです。でも、無事入学できました。

 同級生に、磯部勉くんと波野君がいました。単なる友達。適当な会話、休み時間にじゃれあったり。

 磯部勉くんは群を抜いた「美少年」。神父様、先生方、生徒たちみんな男だけの学校です。彼の美しさは人をひきつけます。授業中、先生方はよく彼を指したものです。色男はつらいものです。その彼が俳優になっていたのです。名わき役です。悪役が定番でした。朝「暴れん坊将軍」で時々現れます。大きな目をギョロリ。存在感をたっぷり出して、そして最後に成敗されてしまいます.大河ドラマにも、いかつい武将で。声優としても活躍されています。

 波野君、人間国宝の中村吉右衛門です。彼は穏やかな音楽を愛する背の高い子供でした。実は、小学6年の時まで、彼が松本幸四郎の子で、兄が市川染五郎だと知りませんでした。暁星は金持ちでも、政治家でも、とりわけの有名人でも、子どもたちの間では意識しない校風です。自分も普通に遊んだり、勉強を教えあったり、友達でした。六年生になった時の、彼からの年賀状。中村万之助と書いてありました。すごく嫌な感じを受けたのです。自分なりに彼に文句を言った記憶があります。久しぶりに手にしたその頃のアルバム。学芸会の集合写真。主役の薄幸の少女の波野君。後ろでハンチングをかぶった乗客Aの自分。劇は「タイタニック」と同じ内容だったと思いんす。セリフは「なんてこった、虎の子のボートが!!」だけでした。彼のものを食べる演技が一番です。本当に味があります。

 同級生にインプラントの大家、鎌田克之君がいます。月一勉強会の帰り、若手医師たちとトレドで楽しい時間を過ごされます。歌がうまく、中曽根美紀の曲も書いた多彩な才能の持ち主です。彼も元気です。職業からか子供の頃のひ弱なイメージはありません。大きな指に、たくましい腕。トレドで「ありがとうございました。」の後での固い握手。まるで力比べのよう、毎回お互いの健康が続くようにと確かめるような。 74歳、「昔は遠くなりにけり」ではなく昔は今なのです。


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 正月、みんな金がなくても正月が来ます。ガキたちはオニューを着て初詣。近くの若宮様か靖国神社か縁結びの東京大神宮か記憶にありません。柵に手をかけて賽銭箱を覗きました。白い布の上にお金がいっぱい。お札も混じっていました。すごい混雑。みんながお金を投げ入れるのです。後ろから母に抱えられて柵の前を離れました.頭をこつん、たたかれました。たたき売りで買ったバナナを抱えて帰る道すがら、「大きくなったら、神様になる」と心に刻みつけたのです。

 お年玉で凧と糸と糸巻きを、太郎ちゃんが一緒でした。

 「丈夫にしなきゅちゃ、このままでは、すぐ破れちゃうよ。」

 新聞紙を細く切って、破れそうな部分に糊付け。長いしっぽをつけ、みんながいる大学の空き地へ。ガキたちはタコ糸を握りながら、「おそいよ、たておちゃん」、凧は天高く上がりました。 

 雪が降りました。何日も。神楽坂は雪だらけ、車は一台もありません。小さな庭・・・のちにトレドになる場所です。にカマクラを作りました。父がどてらに襟巻を巻き付け、大きなシャベルで、どんどん雪を積み上げます。僕も道から雪を運びます。大きな雪の山ができました。ガキたちがやってきました。みんなで板やシャベルで雪をたたいて固めます。シャベルでくりぬきます。穴が大きくなります。ガキたちが中へ、内側から雪を固めます。家にいた父が「たてお、できたか?」ガキたちが「うん、おじさん、けっさくができたよ」母が茣蓙を抱えて、「たてお、七輪もっておいで」ボクは飛ぶように家にはいりました。父がくれたお駄賃でラムネを買って、みんなで乾杯しました。

 ガキたちは雪の坂道は大好きです。大人にとっては迷惑な大雪。ソリつくりに挑戦です。役目を終えた門松。今度は太郎ちゃんのお父さん(洗濯屋さん)、とびの頭が知恵を出してくれます。鉈で4枚に竹をさきます。切り口にカンナをかけます。藁でたき火をします。竹の3分の1ぐらいのとこらをあぶるのです。湯気が上がります。手で少しづつ曲げていきます。4枚同じ角度でそりが入ります。もしかしたら、「そり」の語源はこれかもしれません。これを台をつけた木箱の底に打ち付けるのです。そしてまんべんなくろうそくのろうをすり込むのです。完成です。ガキたちはジャンケンで競うようにそりに乗りました。下の交差点、簡単に通過。大人たちも驚いていました。みんなでスキーを作ろうと、長いを竹を集めて、のこぎりで切って準備万端。・・・雪は消えていました、


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 子供の世界では1歳年上なだけでも、逆らえません。まして4,5歳上だと、体力、知力なにをとっても雲の上の人です。戦争が終わって、平和になった。でも仕事がない、金がない、食いものがない、そんな状況が何年も続いていたのです。家の前には黒塗り木製ゴミ箱が置いてありました。でも、中はカスカス。破れた衣服はつぎはぎを当て、ボロボロになった布は雑巾に、木くずは風呂焚き用に。そう我が家も長い間木造のふろおけでした。トイレは汲み取り式、お尻を副神は、新聞紙.。もくひろい(吸殻を2またの竹でつついて拾い、たばこの葉の部分を集める)やクズやさんもたくさんいました。ゴミ箱のなかや街に落ちている紙、鉄くずなどをお金に換える商売です。

 ぼくらガキたちもよく屑鉄拾いをしました。瓦礫が方々に残っていた時代です。さびた釘、針金、鉄の棒・・・アカと呼ばれる銅線のきれっぱし。重かったけれど、お金を受け取った時の感動、儲けたお金を握りしめて、駄菓子屋に繰り込んだ時の、高鳴る気持ち。仲間たちと高笑いをしながら食べただj菓子の味。思い出しても、思わず顔がほころびます。

 家不足、安普請の木造家屋の建設が急ピッチで始まったころです。現場には、かんなくず、木の破片、未使用の5寸釘が落ちていることもありました。家の近くに都電が走っています。わかりますか?これで手裏剣を作るのです。釘の頭をトンカチでたたいて平らにします。都電の線路の上に縦に何本も並べて、都電が通過するのを待ちます。見つかれば当然きつく叱られます。堀にへばりつくように目だけを光らせます。都電が釘をはねのけながら通りすぎていきます。塹壕から兵が飛び出すように平らに伸びた釘に駆け寄るのです。持ち帰って、砥石で丁寧に研いで、マイ手裏剣の誕生です。

 なにもない時代、ガキたちは創意工夫に、空腹と戦いながら、子供は子供ながら生きていたんだな・・・


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 今の「ポルタ神楽坂」がある一帯は桝本所有の借地でした。400坪、40坪の区画が10。作家の父は泉鏡花、夏目漱石など何人もの著名な文筆家と縁のあるこの地に引っ越してきました。ボクが5歳の時です。神楽坂はまだまだ穏やかな、こじんまりした商店街。漬物屋、牛乳屋、洋服屋、あんみつ屋…小さいお店が坂に面して点在していたころです。家は2階建て、銭湯に通じる道、熱海湯通りに面していました。広大な物理大学(今の東京理科大学)は目の前です。戦争の傷跡が残る校舎。裸電球のもと白衣を着た学生たちが研究に励んでいました。

 子供たちは、なんのわだかまりもなく友達なります。1歳年上の、たろうちゃん、じろうちゃん、ひでお君、(彼の父は近衛兵だったので、君付けでした)、かれらがガキ大将。その上に,年がもっと上のてらだ君。てらだ君は今思うと小柄だった。あきかんにコンクリートを流し込んで作ったバーベルで筋骨たくんましい肉体を持った少年だった。相撲でも腕相撲でも彼に勝てる子はいなかった。焼け残った土蔵に家族で住んでいた。 さんさんごごガキたちが集まります。家にいても何もない時代です。親にこき使われのです。少人数だと、大学のビルの残骸にゴザ、古毛布などで秘密基地を、そこに本、トンカチ、シャベル、ナイフ、板切れなどを持ち込んでおもちゃ作り。刀、十手。投げ縄、ピストル・・・

 大学は外堀通りに面しています。都電が走っていました。堀の向こう側は中央線。この堀でガキたちは、てらだ君の指揮のもと魚を捕りに行きました。一番堀の奥に水門があります。大きな竹籠の3か所の縄をかけ、それに長い縄を、4メートルぐらい(水門の水面に届く長さより長く)を結びます。魚屋さんから大きな魚の頭を、それを竹籠の中央に結び付けます。縄がソロリと下ろされます。水面に籠が浮いたままです。引揚げて、ガキたちが重し探し、ようやく籠が沈んでいきました。水面に魚の油が漂います。みんなでしりとりをして時間を待ちます。「よし」てらだ君が縄を引き上げます。ゆっくりと、水面に泥が立ち込め,、竹籠、魚の頭が見えてきました。ガキたちの視線の中に、銀色のうろこの群れが飛び込んできました。「ワ!!タイリョだ」たくさんのクチボソ、エビ、それに小鮒、タナゴも入っていました。ガキたちは重くなったバケツをてらだ君の玄関に運ぶびました。ボクはクチボソとタナゴをもらって、走って家に帰ったのを覚えいぇおます。火鉢に水を張り魚たちの家を作りました。

 慌てててらだ君の家に行くと、七輪に火がくべられ、きれいな井戸水を張った大きなタライには、あふれるばかりの魚が泳いでいました。てらだ君がメリケン粉を水で溶きます。「誰か、食べらえそうな草、取ってこい」「うん」一番年下のボクが立ち上がります。籠を受け取り、走り出します。柔らかそうな草、かごに山盛り。笊ですくわれたクチボソとエビ、それに草。メリケン粉の中に投入。鍋の中は、黒ずんだ油が湯気を立てています。食べきれないくらいのかき揚げ。しょうゆを垂らして、手づかみで食べたものです。生臭かったけれど、楽しい思い出。


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 74歳になりました。父は満州奉天(瀋陽市)で「東亜出版」を経営していました。昭和19年7月自分は生まれました。太平洋の戦場では日本軍は後退に次ぐ後退。玉砕が繰り返されて時です。満州は関東軍が健在で、比較的平穏な時代でした。戦時下人間が書物に飢えてた。そんな状況下、出す本出す本よくう売れたようです。

 昭和20年8月、ソ連が「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄して満洲に侵略してきました。15日の終戦を超えてもソ連軍は進攻の手を潤めませんでした。略奪、暴行、殺戮、放火。日本軍と言う守ってくれる傘がない日本人。女たちは髪を坊主にして、顔になべ底のすすを塗り、胸をさらしで抑え、男物のぼろをまとい・・・でも狂気のソ連兵にはどれほどの効果があったのでしょう。「カン、カン、ガン」けたたましくバケツを叩く音が。助けを呼ぶ日本人の抵抗です。けたたましい叫びの後で静寂.。両手に何個もの腕時計を、首には戦利品の衣服を巻き付けたソ連兵が自動小銃を手に闊歩する街。

 自分たち家族は、東亜出版の社員の家に点々とかくまわれて難を避けられたと聞きました。日本人がすべて満人、中国人にたいして虐待していた。と言う事実はないのです。父が話したことがあります。奉天の小学校の校庭に成年男子集合の命令がソ連軍から出されたと.。行かないと家族に危害がと考えた父は現地に。校門の入り口には戦車、機関銃にへばりついた兵。トラックが何台も、自動小銃を抱えたソ連兵。招集された民間人たちが整列されます。銃の柵の中、トラックの中に押し込まれていきます。父は意識してトラックの最後部に行くように努めたそうです。発進します。近くにいた若い人たちに小声で、「次の曲がり角で飛び降りる。一緒に」4,5人が飛び降り。銃弾が飛ぶ中、細い路地に駆け込んだそうです。全員無事でした。 

 満洲からの引揚げは一番過酷だったと聞いています。そんなか1歳の自分を抱えて、広大な大地を、内地への連絡地「ロコ島」へ。そこでの待機。中国人の人買い集団からわが身を守ってくれた両親。そのことだけで、感謝、感謝の気持ちで生きております。 

 神楽坂に来てからの父は、さまざまな事業のかたわら著作業に励んでいました。夫婦仲がこじれだしたのは自分が中学高校のころだったと思います。月に4日ほど父が帰ってきます。逢えば必ず口げんか。たまに手を出すことのもありました。いつか親父を殺す。そのことばかりを考えていました。神保町から神楽坂まで4キロの鉄アレーを買ってきました。父に負けない体力。腕たせ伏せ、懸垂毎日100回。万年床で執筆中の父の後頭部に4Kのアレーの落下。それは危惧に終わりました。間もなく両親は協議離婚しました。


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 弟が急死しました。孤独死でした。自分とは多少の軋轢があって3年ほど連絡を取っていませんでした。

 何度もの電話のやり取り、弟がマンションの人々と親密な関係であったこと、彼は彼で幸せな余生を満喫したであろうことを知り、ほっとして心が和みました。仲良く過ごした思い出も多々あります。日曜日から現地に入り動けるだけ動くつもりです。

 冥福をお祈りします。

 何日かかるかわかりません。当分トレドは休ませていただきます。ご了承のほどお願いいたします。


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 トレドの最強のアルバイトだったれいなさんが結婚します。彼女は店を再開店した平成23年から5年間トレドを支えてくれました。才色兼備、それにスポーツ万能、。ボーイッシュなたたずまい、優先順位を把握して、自分が何を望んでいるかを、瞬時に理解してサポートしてくれたものです。

 66歳からの「新生トレド」どうにかここまでやってこれました。また「継ぎ足しカレー」の特許申請にも多大な協力をしてくれました。

 れいなさん お二人で トントントンと世の中を泳ぎ切ってください。とんとん拍子に行かないときもあるかもしれません。そんなときもトントントンと乗り切ってください。お幸せに。


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 今25号が沖縄に上陸しています。そのあと九州、中国、関西、そして日本海に面した地方に。何故か、週末に日本を襲いなす。毎回同じルートを通るのです。直接、直撃された人々は、またか、とあきらめ顔です。24号が1週間前に来たばかりです。インフラの整備もままならず、田畑の被害、飛ばされた屋根、避難所生活。

 北海道の大地震。日本中の大雨洪水、それに伴う土砂崩れ。すべての人が被害者です。台風の被害が直接及ばない都市圏にも目に見えない不況に襲われているのです。宴会の予約取り消し。金曜日も大雨の中家路に。野菜、流通食品の高騰。派遣の期限切れによる解雇。また障害者の雇用数の改ざんなど…これは「働き方改革」を掲げた安倍さんに気にいられようとした、オベッカ役人気質の産物です。第三次安倍内閣誕生。国民は正直諦めムード。国民の方を向いて!!

 安倍さん!!トランプ大統領のご機嫌取りはそろそろやめにしてください。笑顔で握手の裏側で、大量の武器輸入の約束。国民無視もいい加減にして下し。ドイツ、イタリアに遅れましたが、「地位協定の破棄」の実現を早急に。

 民意が国政に反映しない日本。でも日本人は努力を惜しまない、踏まれても、すぐた立上がる「麦みたいな」国民です。

安倍さん、国民に甘えないでください。

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