蓮舫議員の出身地 台湾についての考察 | 2丁目食堂トレドへようこそ!

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 1894年、朝鮮半島で農民の蜂起が起こります。朝鮮政府は親方清にその鎮圧のため、軍隊の派遣を求めます。当時日本は朝鮮の利権を目論んでいました。そして、大陸への足がかりも、最後の植民地戦争です。これが日清戦争です。1995年清が降伏。下関条約で日本に台湾、遼東半島が割譲されました。その頃の台湾。清からは「夷島」と呼ばれ、化外(げかい)すなわち未開、野蛮の地とされ、何ら利用価値のない、日本に取れれても、むしろ苦労がなくなったという島でした。

 台湾の先住民は大別すると、平地族(平埔族)山地族(高砂族)がおります。植物の種のような形態の台湾島。中央に3000メトルをこす高山が連なっています。活火山も多く、温泉も多数です。山の急斜面に多くの河川。その川が絶えず氾濫します。地面はぬかるんで、耕作には不向きです。清の時代、大陸からの移民、役人は短期で島をさります。移民たちは生きるために匪賊となって、貧しい農民を襲います。水は硬水で飲料にはむきません。トイレも確保ができないため、不衛生です。コレラ、天然痘、チフスなどの疫病の島でした。当時の台湾での平均寿命は30歳だと言われています。

 日本は軍隊を中心に台湾経営に着手しました。あぜ道を道路に。下水道の整備。医療設備、教育の充実。大学、特に理科系の、電気技術者の育成。ある意味軍国主義に突入した大日本帝國に沿ったものであったかもしれませんが。台湾は急速に住みやすい島に変貌したのです。農業では、コメは適しません。バナナ、サトウキビに力を入れ、最近では南国フルーツのマンゴーなども美味しいです。

 狂気の軍事政権下。日本は島民に非道な行為をしたかもしれません。教育で台湾人の意識を高揚させたのも事実です。日本は敗戦しました。台湾は中国に。戦後の中国の内戦で共産党が支配者に。国民党は台湾に逃げ込みます。そこで独自の発展を遂げていたのです。今中国は「一つの中国」を掲げ台湾を吸収しようとしています 。香港の急激な共産化を目の辺りにすれば、とても同調できないものです。

 130年前、中国が不毛の島として忌み嫌った台湾。今半導体の分野では世界をリードしております。ある意味日本を助けてくれています。親日家が多い国、災害が起こればいの一番に救助の手を差し伸べてくれます。中国で台湾バナナの輸入を禁止されれば、日本が大量に買い付けます。

 中国の一部マスコミが報じています。

 「中国出身者が都知事になるかもしれないと」

 蓮舫氏は台湾出身です。共産圏の出はありません。