「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」9回目!月刊『みすず』4月号が刊行されました | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

月刊『みすず』4月号が刊行されました!

 

「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」

という連載をさせていただいています。

 

隔月連載で、

第1回が2020年8月号

第2回が2020年10月号

第3回が2020年12月号

第4回が2021年4月号

第5回が2021年6月号

第6回が2021年8月号

第7回が2021年10月号

第8回が2021年12月号

そして第9回が掲載された2022年4月号が刊行されました!

 
今回は、
「身体で読む文学」
というタイトルです。
カフカの『変身』を身体から読んでみました。
 

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今回の「原文」「英訳」「邦訳」

 

連載中でスローリーリーディングした箇所の

「原文」「英訳」「邦訳」です。

英訳は最も普及している David Wyllie 訳(2002年)、

邦訳は青空文庫の原田義人訳(1960年)です。

(私の新訳は連載のほうに掲載してあります)

 

※長いので、別にして、このブログのひとつ前のブログに載せました。そちらをご覧いただけますと幸いです。

 

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『変身』の翻訳で解釈が分かれる箇所について、

今回の連載の校正をしてくださっている

岡上容士(おかのうえ・ひろし)さんが、

文章を書いてくださっています。

 

今回は第9回の分です。

 

なお、鍵屋と医者のくだりについては、

私はここにあげられている3種の解釈とは、

また別の解釈をしましたが、
それは「みすず」の連載をご覧いただけましたら幸いです。
 

 

「変身」において

翻訳の解釈が分かれている箇所

(連載の第9回で取り扱われている範囲で)

 

岡上容士(おかのうえ・ひろし)

 

※詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。

 

※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、頭木さんを通じてご連絡いただけましたら幸いです。

 

※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。

 

※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。

 

※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。

 

※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。

 

○Warum ging denn die Schwester nicht zu den anderen? Sie war wohl erst jetzt aus dem Bett aufgestanden und hatte noch gar nicht angefangen sich anzuziehen. Und warum weinte sie denn? Weil er nicht aufstand und den Prokuristen nicht hereinließ, weil er in Gefahr war, den Posten zu verlieren, und weil dann der Chef die Eltern mit den alten Forderungen wieder verfolgen würde? Das waren doch vorläufig wohl unnötige Sorgen.

なぜ妹はほかの連中のところへいかないのだろう。きっと今やっとベッドから出たばかりで、まだ服を着始めていなかったのだろう。それに、いったいなぜ泣くのだろう。おれが起きず、支配人を部屋へ入れないからか。おれが地位を失う危険があり、そうなると店主が古い借金のことをもち出して、またもや両親を追求するからだろうか。しかし、そんなことは今のところは不必要な心配というものだ。

ここの文章は、動詞が過去形になっているにもかかわらず、現在形のように訳しています。これはなぜかと言いますと、この文が「体験話法」になっているからです。体験話法に関しては、次の題名の頭木さんのブログで詳しく記してありますので、ご興味がおありでしたらご覧下さい。なお、これからあとは、体験話法が出てきても、そのことを指摘するだけにとどめます。

「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」6回目!月刊『みすず』8月号が刊行されました

 

最後のDas waren doch vorläufig wohl unnötige Sorgen. に関して、少し検討してみます。

邦訳では、このdochを「しかし」と訳している訳が多いのですが、訳していない訳もあります。いくつかの辞書では、dochが単独で「しかし」という意味になる場合には、必ず文頭にくるという趣旨の説明をしていますし、ここでは単に意味を強める用法ではないかと私は思います。もっとも、語順などの規則は絶対に守られるというわけではありませんし、ここでは「しかし」と入れた方が前の文と意味的につながりやすくはなりますが。

また、wohlについては訳出していない邦訳が多いのですが、このように文中に置かれますと、「たぶん...だろう」という意味になります。このように訳している訳もありますし、私もやはりこの意味ではないかと思います。

とは言え、上記の2点とも私の考えのように訳している邦訳となりますと、実はほとんどないのですが、野村廣之訳は「そんな事どもは、とりあえず不要な心配であるだろう」としています。

その一方で英訳では、私の考えのように訳している訳はかなり多くあります。もっとも、certainlyやsurelyはここでのwohlよりはだいぶ強い意味になりますが、原文ではdochで強められていますから、合わせてこのように訳したとも考えられますね。Joachim Neugroschel訳は両方の語のニュアンスをうまく出して訳していると、私は思います。

Surely these were things one didn’t need to worry about for the present.(Willa & Edwin Muir訳)

For the time being, certainly, her worries were unnecessary.(Stanley Corngold訳)

Worries of that kind were surely quite superfluous for the present.(J. A. Underwood訳)

For the time being, those were most likely pointless worries.(Neugroschel訳)

Surely, those were unnecessary worries at present.(Karen Reppin訳)

These were surely unnecessary worries at the moment.(Donna Freed訳)

Those were probably unnecessary worries right now.(Ian Johnston訳)

There was surely no need to worry about such things for the time being.(Richard Stokes訳)

Surely those anxieties were still premature at this stage.(Michael Hofmann訳)

Surely for the time being these were unnecessary worries.(Joyce Crick訳)

Those were certainly unnecessary concerns for the present time.(Charles Daudert 訳)

Those were probably unnecessary worries fot the moment.(C. Wade Naney訳)

ともあれ、私の考え方に基づいて、原田義人(よしと)訳を生かす形で試訳してみますと、「そんなことは今のところは不必要な心配というもんだろうよ」という感じになりますね。しかしながら、dochの解釈にしてもwohlの解釈にしても微妙なニュアンスの問題ですから、原田訳のような訳が誤訳とまでは言えないと思います。

 

○Noch war Gregor hier und dachte nicht im geringsten daran, seine Familie zu verlassen. Augenblicklich lag er wohl da auf dem Teppich, und niemand, der seinen Zustand gekannt hätte, hätte im Ernst von ihm verlangt, daß er den Prokuristen hereinlasse. Aber wegen dieser kleinen Unhöflichkeit, für die sich ja später leicht eine passende Ausrede finden würde, konnte Gregor doch nicht gut sofort weggeschickt werden. 

まだグレゴールはここにいて、自分の家族を見捨てようなどとは、ほんの少しだって考えてはいないのだ。今のところ絨毯(じゅうたん)の上にのうのうと寝ているし、彼の状態を知った者ならばだれだって本気で支配人を部屋に入れろなどと要求するはずはないのだ。だが、あとになれば適当な口実がたやすく見つかるはずのこんなちょっとした無礼なふるまいのために、グレゴールがすぐに店から追い払われるなどということはありえない。

ここの文章は前項のすぐ続きですが、やはり体験話法になっています。ただ、原田訳では、前には主語を「おれ」と訳していましたが、ここでは「グレゴール」とか「彼」と訳していますね。動詞の過去形は、前に引き続いて現在形のように訳していますが。

 

これは、解釈の違いとはちょっと異なりますが、わかりにくい事柄ですのでここで取り上げておきます。

konnte Gregor doch nicht gut sofort weggeschickt werden のdochは「まさか...なんて」というニュアンスの意味と思われますが、gutはどのような意味なのでしょうか。ここでは、なくても意味は十分通りますね。

このgutを諸訳がどう扱っているかと言いますと、邦訳では、川崎芳隆訳が「即刻馘首(「馘首」の2字を合わせて「くび」)をいいわたす、とてもができない相談だよ」とかなり意味を強めて訳しており、野村訳が「自分を簡単に即刻首にするなんてできるはずもなかった」としている以外には、このgutを明確に訳出しているとおぼしき訳はありません。英訳では次のものが、このgutを訳出していると思われます(英訳に関しては、Aber wegen dieser kleinen Unhöflichkeitも含めて示します)。

But just because of this slight discourtesy, ... , Gregor could not simply be dismissed.(Corngold訳)

But Gregor wouldn’t be casually dismissed right way because of this small discourtesy, ...(Johnston訳)

... ; but he could not very well be dismissed on the spot for this trivial lack of courtesy, ...(John R. Williams訳)

But because of this small discourtesy, ... , Gregor could not well be fired immediately.(Naney訳)

But Gregor could not very well be let go for this minor impoliteness.(Philipp Strazny訳)

それで、このgutの説明はなかなか難しく、実は意味も特定しにくいのですが、強意のニュアンスで挿入されるgutです。意味は文脈によって微妙に変わってきますから、すべてこのように訳したらよいというわけではありませんが、ここでのカフカの原文の場合でしいて言いますと、「...であるのは当然だ」というくらいの感じになるでしょうか。文のリズムを整えるために挿入されるという見解もあり、それも正しいと思いますが、どのようなリズムかと問われますと、私はネイティブ並みの語感は持っていませんので説明ができません。ご存知の方がおられましたら、ご教示いただければ幸いです。

というわけで、十分な説明ができませんが、このgutが使われた文例と思われるものを少しだけあげておきます。

es kann gut sein, daß er sich getäuscht hat  彼の思い違いだった可能性が多分にある (『郁文堂 独和辞典』)

Das ist nicht gut möglich. そんなことはまずありえない. (『フロイデ独和辞典』白水社)

Ich kann doch nicht gut in diesem Kleid ins Theater gehen. まさかこの服を着て芝居を見に行くわけにはいかない (『独和中辞典』研究社)

ただ、いずれの辞書もこれらの文例を、gutの「容易に、楽に」といった語義の箇所に載せています。専門的に見ますとこのような語義から派生したのかもしれませんが、私にはそこのところはわかりません。ですが、これらの文例の邦訳を見てもおわかりのように、このような語義とはかなり違っていると思います。

結論的には、川崎訳が――「とてもが」という表現がちょっと気にならないこともありませんが――このgutの感じを一番よく出しているのではないかと、私は思います。

 

実際のドイツの文学作品などから、このgutが使われた文例を挙げられればなお良いのですが、今のところ私には思いつきません。これもご存知の方がおられましたら、ご教示いただければと思います。

ただ、次の例だけが手元にありますので、あげておきます。日本語の原文やその口語訳を含めますと少し長くなりますが、たまにはほかの文章を皆さんとご一緒に見てみるのも良いかなと思いました。これは杉田玄白(げんぱく)の『蘭学事始(らんがくことはじめ)』のある箇所を、Stefan Wundt(シュテファン・ヴント)氏が独訳したものです。

Man sagt, ein Tropfen Wasser in einem großen Teich wird sich auf der ganzen Oberfläche ausbreiten, und das mag auch gut sein. Am Anfang waren wir nur drei, Ryotaku Maeno, Junan Nakagawa und ich, die zusammenkamen, um unsere Studien zu planen. Nun, nachdem fünfzig Jahre vergangen sind, hat diese Wissenschaft jeden Winkel in unserem Land erreicht, und jedes Jahr erscheinen neue Übersetzungen. Dies ist genauso, wenn ein Hund wegen irgendetwas bellt, nur um von 10 000 Hunden, die wegen nichts bellen, nachgeahmt zu werden. (Stefan Wundt・河内〔かわうち〕信弘『小説「蘭学事始」』朝日出版社。本書は基本的には菊池寛の『蘭学事始』の独訳なのですが、Nachwort〔あとがき〕で解説が行われており、その中に杉田玄白の文章の独訳もわずかながら出ています)

一滴の油これを広き池水(ちすい)の内に点ずれば散つて満池(まんち)に及ぶとや。さあるが如(ごと)く、その初め、前野良沢(りょうたく)、中川淳庵(じゅんあん)、翁(おう)と三人申し合はせ、かりそめに思ひつきしこと、五十年に近き年月(としつき)を経て、この学海内(かいだい)に及び、そこかしこと四方に流布(るふ)し、年毎(としごと)に訳説の書も出(い)づるやうに聞けり。これは一犬(いっけん)実(じつ)を吠(ほ)ゆれば万犬(ばんけん)虚(きょ)を吠ゆるの類(たぐい)にて、... (杉田玄白〔緒方富雄・校註〕『蘭学事始』岩波クラシックス28。ただしルビは、付している箇所を岡上の判断で一部変更)

一滴の油、これを広い池の水に落とせば、やがて広がって池全体におよぶという。そのように、蘭学のはじめは前野良沢、中川淳庵と私の三人が申し合わせて、かりそめに思いついたことであった。それが五十年近く歳月を経ると、国内全体におよび、そこかしこと四方に広まって、毎年、オランダ語の訳書が出るようになったと聞いている。これは「一匹の犬が吠えれば、万犬が吠える」という譬(たと)えと同じで、... (酒井シヅ訳『すらすら読める蘭学事始』講談社)

もっともこの独訳は、特に最初の方は原文からずいぶん離れて自由に訳しており、「油」をWasserと訳していますし、und das mag auch gut sein. も原文とはずいぶん意味が違っていますね。

まあそれはともかくとしまして、このund das mag auch gut sein. を、(原文のことは考えずに)そのまま逐語訳しますと、「そしてそれは実際のところ当然、そうなのでしょうね」という感じになります。このgutは、auchともども、das mag sein(そうかもしれません)の意味を強めており、「良い」といった意味にはなりませんね。

 

○Und Gregor schien es, daß es viel vernünftiger wäre, ihn jetzt in Ruhe zu lassen, statt ihn mit Weinen und Zureden zu stören. Aber es war eben die Ungewißheit, welche die anderen bedrängte und ihr Benehmen entschuldigte.

そして、泣いたり説得しようとしたりして支配人の気を悪くさせるよりは、今は彼をそっとしておくほうがずっと賢明なやりかただ、というようにグレゴールには思われた。だが、ほかの人びとを当惑させ、彼らのふるまいがむりもないと思わせたのは、まさにこのグレゴールの決心のつかない態度だった。(原田訳)

そしてグレーゴルには、泣いたりすかしたりして彼の心をみだすより、このままそっとしておいてくれる方がよっぽど気がきいた処置に思えるのだった。しかし、ほかの人たちを苦しめているのは、本当のことがどうしてもつかめない点であって、いちがいに彼らの態度を責めるわけにもいかないのだった。(高安国世訳)

だからグレゴールに言わせれば、今は泣いたり説得したりしてくるのはやめて、そっとしておいてくれたら、たぶんその方がずっと賢(かしこ)い。だが、なにしろ状況が雲をつかむようだから、他のみんなはストレスが溜(た)まっているのだ。ああいう言動をしてしまうのも仕方ない。(川島隆訳。「状況が雲をつかむよう」や、「ストレスが溜まっている」はお上手な訳と思います)

ここの文章も前項のすぐ続きですが、体験話法ではなくなっています。

 

この最後の文のdie Ungewißheitですが、高安訳や川島訳のように、ほかの人たちに状況がはっきりしていないという感じにしている訳と、原田訳のように、彼の態度が優柔不断だという感じにしている訳とがあります(邦訳ではこちらの感じで訳しているものもかなり多いのですが、英訳では2つだけです)。また、単に「不確実」という感じにしていて、どちらとも解せる訳もあります。

私としましては、彼の態度が優柔不断だということを言いたいのでしたら、もっと別の表現(たとえばseine Unentschlossenheitなど)をするのではないかとも考えられますので、状況がはっきりしていないという解釈を採りたいですが、彼の態度が優柔不断だという解釈でも誤訳とまでは言えないと思います。

 

○»... Der Chef deutete mir zwar heute früh eine mögliche Erklärung für Ihre Versäumnis an – sie betraf das Ihnen seit kurzem anvertraute Inkasso –, aber ich legte wahrhaftig fast mein Ehrenwort dafür ein, daß diese Erklärung nicht zutreffen könne. Nun aber sehe ich hier Ihren unbegreiflichen Starrsinn und verliere ganz und gar jede Lust, mich auch nur im geringsten für Sie einzusetzen. Und Ihre Stellung ist durchaus nicht die festeste. Ich hatte ursprünglich die Absicht, Ihnen das alles unter vier Augen zu sagen, aber da Sie mich hier nutzlos meine Zeit versäumen lassen, weiß ich nicht, warum es nicht auch Ihre Herren Eltern erfahren sollen. Ihre Leistungen in der letzten Zeit waren also sehr unbefriedigend; es ist zwar nicht die Jahreszeit, um besondere Geschäfte zu machen, das erkennen wir an; aber eine Jahreszeit, um keine Geschäfte zu machen, gibt es überhaupt nicht, Herr Samsa, darf es nicht geben.«

「... 社長はけさ、君の欠勤の理由はあれだろうとほのめかして聞かせてくれはしたが――つまり最近君にまかせた回収金のことだ――、私はこの説明が当っているはずはない、とほんとうにほとんど誓(ちか)いを立てんばかりにして取りなしておいた。ところが、こうやって君の理解しがたい頑固さを見せつけられては、ほんの少しでも君の味方をする気にはまったくなれないよ。それに、君の地位はけっしてそれほど安定したものじゃない。ほんとうは君にこうしたことを二人きりでいうつもりだったが、君がこうやって無益に私に手間取らせるんだから、ご両親にも聞かれていけないとは思われなくなった。つまり君の最近の成績はひどく不満足なものだった。今はかくべつ商売がうまくいく季節ではない、ということはわれわれもみとめる。しかし、全然商売ができんなんていう季節はあるものではないよ。ザムザ君、そんなものはあるはずがないよ」

 

①aber ich legte wahrhaftig fast mein Ehrenwort dafür ein, daß diese Erklärung nicht zutreffen könne. はちょっと難しいですが、意味がいろいろに解釈できるような箇所ではありませんね。

ただ、一部の邦訳と英訳では、原文に入っているfastを重視して、「...ということを、私はほとんど誓おうとしたんだよ」という感じで訳しており、この行動を未遂とみなしています。

ですが、このfastはここの全文にではなくて直後のmein Ehrenwortのみにかかっているのであって、この行動全体が未遂であったわけではないと、私は思います。未遂であったのでしたら、このように恩着せがましく言うのはやや不自然ですから。

②最後の方に出てくるein Geschäft machenは「商売をする」のほかに「もうける」という意味もあり(この意味ではein gutes Geschäft machenという形で出ている辞書が多いですが、gut[es] は絶対に必要ではありません)、ここでは「特別に[多く]もうける」ということではないかなと、私は思いました。Geschäfteと複数形になっているのは、もうけることが1回だけではないことを言っているものと思われます。あるいは、「強意複数」と言って、複数形でその名詞の意味が単に強められることもありますから、それに近い用法なのかもしれませんが、英語には間違いなくこの用法はあるものの、ドイツ語にもこの用法があるという記述は、私が調べたかぎりでは見つかりませんでした。

「商売をする」と解しても間違いとは言えないと思いますが、「特別な商売をする」というのがどのような商売なのかもう一つはっきりしません。あるいはそう考えてのことなのでしょうか、「特別な成績を上げる」という感じで訳している邦訳もかなりありますが、Geschäftのもとの意味からはちょっとずれてくるようにも思われます。

Geschäfte を「もうけ」と解して訳している邦訳を、ここの部分だけ、以下にあげておきます。

そりゃあ、かきいれのシーズンでないことはわれわれも認めるがね、しかし、あがったりのシーズンなんて、およそこの商売にはありっこないんだ。ザムザ君、あってはならないのだよ」(山下肇〔はじめ〕訳。また、山下肇・萬里〔ばんり〕訳も、これと大体同じ訳文になっています)

特別のもうけをあげられる季節(シーズン)じゃないことはたしかだ、それは認めよう。けれども、まったくもうけがあがらないなんて季節はありえない、ザムザ君、そんなものはあってはならんのだよ」(三原弟平〔おとひら〕訳)

確かに特に売上げを伸ばすことのできる季節ではない。それは分かっているよ。でも、特に売上げを伸ばすことのできる季節など、そもそも存在しないではないか。ねえザムザ君、そんな季節など存在してはならないだろう」。(野村訳)

今は格別に売り上げが好調な時期ではない、それは分かっている。だが一般的に言って、まったく売り上げのない時期というものはない。ザムザ君、それはあってはならないのだ。」(田中一郎訳)

このほかに、中井正文訳、立川(たつかわ)洋三訳、池内紀(おさむ)訳、多和田葉子訳は、aber以下は「しかし、まったく商売にならない季節なんて全然ない」という感じで訳していますが、um besondere Geschäfte zu machen の Geschäfte は明らかに「もうけ」と解して訳しています。

もっとも英訳の方では、「もうけ」という感じで訳しているものは少なく、ほとんどがbusinessを使っています。businessを使っていないのは、um besondere Geschäfte zu machenの訳のみをあげておきますと、for making exceptional sales(M. A. Roberts訳)、for the best results(Hofmann訳)、for sales(Naney訳)、to make grand bargains(Mary Fox訳)くらいです。

 

○»Aber Herr Prokurist«, rief Gregor außer sich und vergaß in der Aufregung alles andere, »ich mache ja sofort, augenblicklich auf. Ein leichtes Unwohlsein, ein Schwindelanfall, haben mich verhindert aufzustehen. Ich liege noch jetzt im Bett. Jetzt bin ich aber schon wieder ganz frisch. Eben steige ich aus dem Bett. Nur einen kleinen Augenblick Geduld! Es geht noch nicht so gut, wie ich dachte. Es ist mir aber schon wohl. Wie das nur einen Menschen so überfallen kann! Noch gestern abend war mir ganz gut, meine Eltern wissen es ja, oder besser, schon gestern abend hatte ich eine kleine Vorahnung. Man hätte es mir ansehen müssen. Warum habe ich es nur im Geschäft nicht gemeldet! Aber man denkt eben immer, daß man die Krankheit ohne Zuhausebleiben überstehen wird. ...

「でも、支配人さん」と、グレゴールはわれを忘れて叫び、興奮のあまりほかのすべては忘れてしまった。「すぐ、今すぐ開けますよ。ちょっと身体の工合(ぐあい)が悪いんです。目まいがしたんです。それで起きることができませんでした。今もまだベッドに寝ているんです。でも、もうすっかりさっぱりしました。今、ベッドから降りるところです。ちょっとご辛抱下さい! まだ思ったほど調子がよくありません。でも、もうなおりました。病気というものはなんて急に人間を襲ってくるものでしょう! ゆうべはまだまったく調子がよかったんです。両親がよく知っています。でも、もっと正確にいうと、ゆうべすでにちょっとした予感があったんです。人が見れば、きっと私のそんな様子に気がついたはずです。なぜ店に知らせておかなかったんでしょう! でも、病気なんて家で寝なくたってなおるだろう、といつでも思っているものですから。...

 

①Man hätte es mir ansehen müssen. のManですが、両親を含むグレーゴルの周囲の人たちのことを言っているのでしょうか。あるいは、会社の人たちだけのことを言っているのでしょうか。このあたりの状況から考えますと、前者ではないかと私は思いますが、断定はできません。

邦訳では、主語に該当する部分だけをあげますと、原田訳のような「人が見れば」のほか、「ほかから見れば」「はた目にも(または、はた目でも)」「周りの人は」などとしています。また、主語を明示せずに訳しているものもあります。これらの訳の中には、両親(だけ)が主語のように受け取れるものと、そうでないものとがあります。ですが、このすぐ前にmeine Elternとありますから、両親のことだけを言っているのでしたら Sie hättenとなるはずで、唐突にManに変わるのは不自然であり、両親だけのことを言っているのではないと、私は思います。

英訳では、主語をone、people、someone、they、youとしていたり、全体を次のように訳していたりします。

I must have showed(または、shown) some sign of it.(Muir訳、Malcolm Pasley訳、Reppin訳)

It must have been obvious to anyone else.(Neugroschel訳)

It must have shown on my face.(Stokes訳)

It probably showed in my appearance somewhere.(Hofmann訳)

It must have been noticeable.(Daudert訳)

Surely it was noticeable to anyone looking at me.(Susan Bernofsky訳)

It is highly plausible that it was easy to observe.(Fox訳)

②Warum habe ich es nur im Geschäft nicht gemeldet! ですが、昨晩であれ、早朝であれ、家から会社に電話で連絡するということなのかなと最初は思いましたが、そう解しますとim Geschäfteが引っかかります。im Geschäfteは「会社の中で」というのが基本的な意味ですから、彼はこのときに会社にいたことになります。家から会社に連絡をするのでしたら、an das Geschäfte、auf das Geschäfte、zum Geschäfteなどのように、「...へ」という意味を表わす前置詞が使われなければおかしいと思います。ただ、ドイツ語の前置詞の使い分けはそれほど厳密ではなく、絶対的な規則があるわけではありませんから、この場合にどれが一番適切なのかは、私には判断できません。

ドイツ語の会話に堪能な知人にも尋ねてみましたが、「このような意味のことを言いたいのであれば、そのように前置詞を使うよりも、Warum habe ich das Geschäft von zu Hause aus nicht angerufen! などのように言うと思う」とのことでした。

それで、この場合に考えられる状況としましては、昨晩には、両親のいる家に帰る前に、残業か何かで会社に遅くまでいたということになるのかもしれませんが、断定はできません。

それで、ここの訳をどうするかも難しいのですが、邦訳では「ぼくはどうして会社に知らせておかなかったのでしょうか!」という感じにしているものが多く、これですと、会社にいて申し出るとも、家から連絡するとも、どちらにでもとれますね。ですが、このとおり原文自体ももう一つ明確ではありませんので、このような訳でも構わないのではないかなと思います。

ただし、「ぼくはどうして会社に届けて(または、届け出て)おかなかったのでしょうか!」という感じの訳もいくつかあり、これですと会社にいたような感じになりますね。多和田訳は「どうして病欠届けを出しておかなかったんだろう」としており、会社にいたことがいっそうはっきりしているのではないかと思います。

もっとも、家からまた、会社に届けを出しに行くという状況もありえないことはないかもしれませんが、病気なのでしたら電話をするのが普通でしょうし、そこまで考えなくてもよいのではないかと思います。

以上、前置詞のことも、状況のことも、明確に言い切れなくて申し訳ありませんが、ご意見がおありの方がおられましたら、お寄せいただければと思います。

ちなみに、ここは英訳者たちもかなり迷ったのではないかと推測され、im Geschäfteをat the officeやin the firmとして、そのままの感じで訳している訳も多い一方で、to the firmやto the officeとして、前置詞をtoに変えてしまっている訳もかなりあります。「知らせる」という意味の動詞は、reportが非常に多いですが、let ... knowや、mentionや、send(目的語はword)も使われています。

また、次の英訳は、officeやfirmに前置詞を付けた形を使わずに訳しています。

I don’t know why I didn’t let you know at work!(David Wyllie訳)

Why on earth didn’t I let the office know?(Stokes訳)

Why did I not think to inform work!(Hofmann訳)

Why didn’t I tell the office!(Will Aaltonen訳)

Why I didn’t inform you at work, I don’ t know!(Naney訳)

Why didn’t I notify the office!(Katja Pelzer訳)

And why didn’t I notify the firm about it!(Fox訳)

Why only did I not call the store!(Strazny訳)

これらの訳のうちで、Wyllie訳とNaney訳は、「会社にいた」という感じが強いですね。逆にStrazny訳は、はっきりと「電話をかける」を意味するcallを使って訳しています。

③Aber man denkt eben immer, daß man die Krankheit ohne Zuhausebleiben überstehen wird. の主語もmanになっていますね。manはichと同義になることもありますから、そのように訳しても構いませんし、そう訳している邦訳も多いのですが、「自分も含めた一般の人々」という感じで訳すこともありますね。どちらにするかは、読者のお好みということになろうかと思います。ご参考までに、後者の感じで訳している邦訳をあげておきます。

でも、われわれ、いつだって、家で休まなくたって、病気ぐらいなんだとおもってるもんで。(山下肇訳)

でも、そんなときいつもすぐ思い出すのは、病気なんか家でなおすもんじゃないって言われていることです。(高安訳)

だけど、わたしたちときたら、いつも常日ごろからして、病気なんてものは、自宅(うち)で寝てなくても治るものだと信じてますからね。(川崎訳)

でも病気なんて、家で寝なくたって治せるもんだ、って思いますからね。(丘沢静也(しずや)訳)

でも、別に家で寝ていなくても、病気なんてすぐ治るって思っちゃうんですよね。(真鍋宏史訳)

たとえ病気になっても、仕事を休まないで治せるだろうって思ってしまうものなんですね。(多和田訳)

でもたいていの人間は、家で休まなくても体調不良はなんとかなると考えるのではないでしょうか。(田中訳)

ただ、家でおとなしくしていなくても病気は治せるって思いがちなんですよね。(川島訳)

英訳では主語はいろいろで、原文に一番忠実なone(これも「私」を意味することがありますね)のほかに、people、we、youもありますが、Iとしているものはありません。

 

○Und während Gregor dies alles hastig ausstieß und kaum wußte, was er sprach, hatte er sich leicht, wohl infolge der im Bett bereits erlangten Übung, dem Kasten genähert und versuchte nun, an ihm sich aufzurichten. Er wollte tatsächlich die Tür aufmachen, tatsächlich sich sehen lassen und mit dem Prokuristen sprechen; er war begierig zu erfahren, was die anderen, die jetzt so nach ihm verlangten, bei seinem Anblick sagen würden. Würden sie erschrecken, dann hatte Gregor keine Verantwortung mehr und konnte ruhig sein. Würden sie aber alles ruhig hinnehmen, dann hatte auch er keinen Grund sich aufzuregen, und konnte, wenn er sich beeilte, um acht Uhr tatsächlich auf dem Bahnhof sein.

そして、グレゴールはこうしたことを急いでしゃべりまくり、自分が何をいっているのかほとんどわからなかったが、きっとベッドですでに習いおぼえた練習のおかげだろうか、たやすくたんすへ近づいて、それにすがって起き上がろうとした。ほんとうにドアを開け、ほんとうに姿を見せて、支配人と話そうと思ったのだった。今こんなに自分に会いたがっている人たちが、自分を見てなんというか、彼はそれを知りたくてたまらなかった。もし彼らがびっくりしたならば、もうグレゴールには責任がないわけで、落ちついていることができる。ところで、もしみんなが平気でいるならば、彼としても興奮する理由はないし、急げば八時にはほんとうに駅へいけるはずだ。(原田訳)

自分でも何を言っているのかよくわからぬまま、こうしたすべてを一気にまくしたてているうちに、ベッドですでに会得(えとく)した習練のたまものなのか、グレゴールはいつしか戸棚に近づいており、今や、その戸棚につかまって、立ちあがろうとしていた。彼は実際にドアを開き、わが身をさらして、部長と話をするつもりだった。今こんなにも彼に会いたがっているみんなが、この姿を目にして何と言うか、知りたくてたまらなかった。みんなが肝(きも)をつぶすとしても、それはもはやグレゴールの責任ではないので、冷静にしていればよい。しかしみんながすべて冷静に受け入れるようなら、彼としてもやきもきする理由がなくなって、急げば本当に、八時に駅に着くこともできようというものだ。(山下肇・萬里訳)

Würden sie erschrecken, から最後までは、体験話法になっています。

 

①wohl infolge der im Bett bereits erlangten Übung, は、邦訳ではいろいろに訳されていますが、逐語訳的に言いますと「たぶんベッドの中で既にされていた練習のために」という感じで訳しているものが多いです。

ですがこれは、誤訳とまでは言えませんが、あまり正確な訳とも言えないと私は思います。erlangenは「獲得する」という意味であり、単に何かを「する」という意味はありません。Übungもここでは「練習」と言うよりも、「技術」「スキル」という意味であると思います。ですから正確には、これも逐語訳的に言いますと、「たぶんベッドの中で既に獲得されていたスキルのために」となると思います。もっともこの訳ですと、物語の雰囲気にはあまり合いませんから、それなりの工夫が必要になりますが。

邦訳や英訳では、上記の山下肇・萬里訳のほかに、次の訳がここの意味を正確に表現していると思います。

ベッドですでに会得した習練のたまものだろうか、...(山下肇訳)

ベッドで習得済みの体術のおかげか、...(川島訳)

probably because of the skill he had acqired while lying in bed―...(Eugene Jolas訳)

英訳では、Übung をpracticeと訳しているものがほとんどですが、practiceには「練習」という意味も「熟練」といった意味もありますから、ここの場合にどちらの意味に解しているのかは必ずしも明確ではありません。

ですが、動詞にacqireやgetを使っている次の訳は、私と同じように解していると思います。ついでながら、ここにあげた英訳だけでも、wohl infolge の訳し方にはいろいろなパターンがあることがわかり、興味深いですね。

probably as a result of the practice he had already gotten in bed, ...(Corngold訳)

no doubt as a result of the practice already acqired in bed, ...(Underwood訳)

perhaps owing to the practice he had already acqired in bed, ...(Pasley訳)

as a result of the practice he had already acqired in bed ...(Reppin訳)

as a consequence perhaps of the practice he had acqired in bed, ...(Stokes訳)

no doubt thanks to the practice he had already acqired while still in bed, ...(Bernofsky訳)

②Würden sie erschrecken, は、接続詞のwenn が省略された構文で、Wenn sie erschrecken würdenと同じ意味になりますね(このような構文とwennが使われた構文は、全く同じ意味ではなくて、表現の強さが異なっているという見解もあるようですが、ここでは深入りせずにおきます)。wennは普通は「もし...ならば」という意味であり、「たとえ...としても」という意味になる場合には、wennの前にauchが置かれるか、文中にauchが入れられることが多いのですが、auchは絶対に必要ではありません。邦訳の中には、「...ならば」という感じにしているものも案外多いですが、ここでは「...としても」とした方が日本語としては自然ですから、こうした方がよいと私は思います。ちなみに、近年の邦訳はほとんどすべて、「...としても」としています。

もっとも、英訳では、Jolas訳が Would they grow frightened?(この続きは、Gregor was no longer responsible; so he could remain still.)と疑問文で表現している以外は、すべてifのみで訳しており、even ifなどとしているものはありません。

なお、この次のWürden sie aber alles ruhig hinnehmen, の方は、「もし...ならば」という意味と考えてよろしいと思います。

 

○»Haben Sie auch nur ein Wort verstanden?« fragte der Prokurist die Eltern, »er macht sich doch wohl nicht einen Narren aus uns?« »Um Gottes willen«, rief die Mutter schon unter Weinen, »er ist vielleicht schwerkrank, und wir quälen ihn. Grete! Grete!« schrie sie dann. »Mutter?« rief die Schwester von der anderen Seite. Sie verständigten sich durch Gregors Zimmer. »Du mußt augenblicklich zum Arzt. Gregor ist krank. Rasch um den Arzt. Hast du Gregor jetzt reden hören?« »Das war eine Tierstimme«, sagte der Prokurist, auffallend leise gegenüber dem Schreien der Mutter. »Anna! Anna!« rief der Vater durch das Vorzimmer in die Küche und klatschte in die Hände, »sofort einen Schlosser holen!« Und schon liefen die zwei Mädchen mit rauschenden Röcken durch das Vorzimmer – wie hatte sich die Schwester denn so schnell angezogen? – und rissen die Wohnungstüre auf.

「息子さんのいわれることが一ことでもわかりましたか」と、支配人は両親にたずねた。「われわれをばかにしているんじゃないでしょうね?」

「とんでもないことです」と、母親はもう泣きながら叫んだ。「あの子はきっと大病なんです。それなのにわたしたちはあの子を苦しめたりして。グレーテ! グレーテ!」と、母親は大声でいった。

「なあに?」と、妹が別な側から叫んだ。両方はグレゴールの部屋越しに言葉を交わしていたのだ。

「すぐお医者様のところへいっておくれ。グレゴールが病気なんだよ。グレゴールが今しゃべったのを聞いたかい?」

「ありゃあ、まるでけものの声だった」と、支配人がいったが、その言葉は母親の叫び声に比べると目立って低かった。

「アンナ! アンナ!」と、父親は玄関の間(ま)越しに台所へ向って叫び、手をたたいた。「すぐ鍵屋を呼んできてくれ!」

すぐさま、二人の娘はスカートの音を立てながら玄関の間をかけ抜けていった――いったい妹はどうやってあんなに早く服を着たのだろう――。そして、玄関のドアをさっと開けた。

 

①»Mutter?«をどう訳すかは案外難しいですね。原文に忠実にということでしたら、文字通り「お母さん?」、”Mother?” となります。これでも勿論よいのですが、これだけですとどのような気持ちで言ったのかがわかりませんから、私はちょっと物足りません。

邦訳では、文字通りの訳のほかには、(?の有無や、「なあに」「なに」「なによ」「何」――これらを使っている訳が一番多いです――とか、「どうしたの」「どうなすったの」などの微妙な表記の違いはありますが、大きくまとめますと)「なあに、お母さん?」「お母さん、なあに?」「なあに?」「お母さん、どうしたの?」「どうしたの?」「はい、お母さん?」「お母さん、呼んで?」があります。

それで私の考えを述べますと、このような状況で母親の大声を聞いたとしますと、「どうしたの?」と反応するのが一番自然であると思います。会話に堪能な前記の知人にも尋ねてみましたが、やはりこのような意味だと思うとのことでした。

ですが、「なあに」などでも間違いではないと思います。けれども、「はい」につきましては、このような状況で「はい」とはあまり言わないと思いますし、こう言いたいのでしたらやはり、 »Ja, Mutter?« と書くのではないかと思います。「お母さん、呼んで?」は、状況によっては大いにありうると思いますが、ここでは大声で叫んでいるのですから、ちょっと合いにくいかなと思います。

英訳は比較的単純で、ほとんどがMother? のみですが、Yes Mother?、Yes, Mother?、Yes, mother? としているものが少しだけあります。それから、英語に問題が多いので、『変身』の英訳リストには入れていないのですが、What do you want mother?(What do you want, Mother? などとした方がよいと思いますが)と訳している英訳も1つだけあり、これは「どうしたの?」に近い解釈をしていますね。

②Rasch um den Arzt. のumは、「...を求めて」という意味でしょうね。ですので、原文に一番忠実に訳しますと、(「...を求めて」は日本語として不自然ですから)「早くお医者さんを」などのようになりますし、そのような感じで訳している訳もありますが、原田訳のように言葉を足しても構わないと思います。

また、英訳の中には、Go(または RunかRush) for the doctor. と訳しているものがあります。forには「...の方に向かって」という意味のほかに、「...を求めて」という意味もありますから、ここでのumのニュアンスも出ており、上手な訳だなと思いました。

③das Vorzimmerの訳は、グレーゴルの家の間取りによるでしょうね。Vorzimmerには「控えの間」という意味もありますし、この意味しか載せていない辞書もありますが、この場合はそうではないようで、玄関を上がった所の空間を意味しているのではないかと思われます。

私は専門家ではありませんから、グレーゴルの家の間取りに関しては専門家の川島先生のご見解に委ねます。同先生の『100分de名著 カフカ「変身」』のp.31には「カフカ家(あるいはザムザ家?)の間取り」、角川文庫版の翻訳書である『変身』のp.167には「ザムザ家の間取り例」として、見取り図があります。また、三原先生の『カフカ「変身」注釈』のp.43には「カフカ家の平面図」があり、川島先生はこの図を参考になさっています。das Vorzimmerに該当する所のこれらの本での訳は、順に「玄関部屋」「玄関ホール」「玄関間」となっています。

邦訳ではおおむね、(これも微妙な表記の違いはありますが、大きくまとめますと)「控えの間」か「玄関の間」のいずれかになっています。訳としましてはやはり、「玄関の間」が無難でしょうか。「玄関ホール」でも勿論構いませんが、日本語で「ホール」と言いますと、かなり広い空間をイメージしますね。あるいは大胆に、(廊下の続きとみなして)「廊下」と訳してしまうこともできるかもしれません。

英訳では、the hall、the hallway、the entrance hallのほか、the anteroom、the foyer、the parlor、the vestibuleもあります。

 

○Gregor war aber viel ruhiger geworden. Man verstand zwar also seine Worte nicht mehr, trotzdem sie ihm genug klar, klarer als früher, vorgekommen waren, vielleicht infolge der Gewöhnung des Ohres. Aber immerhin glaubte man nun schon daran, daß es mit ihm nicht ganz in Ordnung war, und war bereit, ihm zu helfen. 

だが、グレゴールはずっと平静になっていた。それでは、人びとはもう彼が何をいっているのかわからなかったのだ。自分の言葉ははっきりと、さっきよりもはっきりとしているように思えたのだが、おそらくそれは耳が慣れたためなのだろう。それにしても、ともかく今はもう、彼の様子が普通でないということはみんなも信じており、彼を助けるつもりでいるのだ。

 

daß es mit ihm nicht ganz in Ordnung war, は nicht ganz で部分否定になっており、「完全に...というわけではない」という意味になります。ですが、ここで言われている彼の状況は、ほかの人たちから見ればかなりおかしく、本当は ganz はなくても構わないとさえも思われますが、彼の視点から見ますとこう言いたいでしょうね。

邦訳では、高橋義孝訳が「彼の様子がどうやらただごとではない」としていて、その感じを少し出しており(これは上手だなと思いました)、浅井健二郎訳が「彼の状態がまったく正常であるわけではない」と忠実に訳している以外には、ganz を訳出している訳はありません。中井訳は「グレゴールの現在の状態がまったく普通ではない」としていますが、これはむしろ否定を強調した日本語になっていて、適切ではないと思います。

英訳では、6つの訳が not quite としており、Johnston訳が that things were not all right with him として部分否定の形にしている以外では、ganz を訳出している訳はありません。

ここに関しては、単に nicht だけのように訳しても、大きな誤解を招いたりするわけではありませんし、どの箇所も原文に忠実に訳さなくては絶対にいけないとも言えませんので、誤訳とまでは言えないでしょう。

 

ところで、実はこれを含む文とその前の文を体験話法として訳している邦訳もあり、上に記した点(「ここで言われている状況は、 ...こう言いたいでしょうね」)などもこれらの訳者がここを体験話法と判断した基準になったのかもしれません。とは言いましても、これらの訳はこの nicht ganz を明確に訳出しているわけではないのですが。

私はここをあえて体験話法とは考えなくてもよいのではないかと思いますが、ご参考までに、体験話法として訳している訳をあげておきます。体験話法と判断したともそうでないとも読める訳もいくつかありますが、明確に体験話法として訳している訳だけに限っておきます。

それじゃあやっぱりもうおれの言うことはわからないのだな。自分では結構はっきりと、いつもよりはっきりと、きこえたつもりなんだが、きっと耳の馴(な)れのせいだろう。だが、何(いず)れにしろ、今はもう、おれの様子がただごとでないとみんな思いこんでいるんだ。それでおれを助けにかかっている。(山下肇訳)

してみると、おれのことばは、やはりひとさまにはわからないんだな。自分としてはまことにはっきり、いつもよりももっとはっきり聞こえたつもりなんだがね。たぶん慣れたせいだろう、耳のほうが。ともかく、みんなはおれが普通じゃないと気づいたらしい。だから助けてやろうとしているようだ。(川崎訳)

もうこちらの言葉がわからない。自分には十分はっきりしており、さきほどよりも、もっとはっきりしていると思えるのだが、たぶん、耳が慣れたせいだ。いずれにしてもこちらがふつうではないとは思っていて、助けようとしている。(池内訳)

他の人たちは自分の言葉をもはや理解できないようだ。自分自身には十分はっきり聞き取れる。前よりもずっとはっきりしているように思える。たぶん耳が慣れてきたからだろう。しかし、それはともかく、自分の状態が普通ではないということは分かってもらえたはずだ。だからこそ、自分を助けようとしてくれている。(野村訳)

 

○Die Zuversicht und Sicherheit, mit welchen die ersten Anordnungen getroffen worden waren, taten ihm wohl. Er fühlte sich wieder einbezogen in den menschlichen Kreis und erhoffte von beiden, vom Arzt und vom Schlosser, ohne sie eigentlich genau zu scheiden, großartige und überraschende Leistungen. 

最初の処置がとられたときの確信と冷静さとが、彼の気持をよくした。彼はまた人間の仲間に入れられたと感じ、医師と鍵屋とをきちんと区別することなしに、この両者からすばらしく驚くべき成果を期待した。

 

und erhoffte 以下は、文字通りには原田訳の「医師と鍵屋とをきちんと区別することなしに、...」のような意味にしか解せませんが、具体的にはどのようなイメージなのでしょうか。

実はここに関しては、私が把握しているだけでも3つの解釈があります。邦訳も英訳も、そのまま直訳しているものが多いのですが、直訳をせずにこれらの解釈を示したようになっている訳もありますので、そのような訳だけを以下にあげておきます(und erhoffte以下のみをあげます)。

(a)「この区別は職業の区別のことを言っていて、(本来職業に貴賎〔きせん〕はないが、この当時は上に見られていた)医者であれ、(下に見られていた)鍵屋であれ、どんな仕事をしている人でもいいから自分を助けてほしいと思っていた」という解釈があります。次の訳はこのイメージに近いですね。

医者と錠前屋から、両者のどちらでもいいのだが、驚くほどすばらしい成果を期待した。(山下肇・萬里訳)

(b)「虫になってしまったから、医者にも鍵屋にも、具体的に何かを期待することは難しく、漠然とした期待しかできなかった」という解釈もあります。次の2つの訳はこのイメージに近いですね。

医者と錠前職人については、どちらが何をするのかはっきりしないまま、とにかく二人が素晴らしい業績をあげて驚かせてくれればいいと思った。(多和田訳)

医者や合鍵屋によって──実際は彼らが何をするかをはっきりと区別せずに――立派で驚くような成果が上がることを期待した。(田中訳)

(c)医者と鍵屋を1人の人間としてイメージする解釈もあります。次の5つの訳は、明らかにこの解釈に基づいていますね。

両者つまり医者と錠前屋とから、ぼんやりこのふたつのものをひとつに考えながら、大がかりで驚異的な成果を期待した。(高橋訳)

彼としては、医者と錠前師の両方をひとからげにして、大いなるおどろくべき成果を託したのであった。(片岡啓治訳)

医者と錠前屋をひとまとめにして、めざましい、びっくりするような働きぶりを期待した。(池内訳)

... , and was already hoping for great things from both the doctor and the locksmith, who in his eyes were virtually one and the same person. (Christopher Moncrieff訳)

... and expected a miracle from both the doctor and the locksmith, who were now inseparable to him. (Fox訳)

私は、(b)と(c)の説を頭から否定するつもりはないのですが、(b)に対しては、虫になっているとは言っても、医者や鍵屋にどんなことができるのかは、ある程度わかるのではないかなと思えたり、(c)に対しては、このような意味で言いたいのであれば、もっと別の表現をするのではないかなと思えたりもします。ですから、どちらかと言いますと(a)かなと思いますが、断定はできません。

なお、これらの3つ以外の解釈がおありの方がおられましたら、お教え下さいましたらと思います。

 

○Um für die sich nähernden entscheidenden Besprechungen eine möglichst klare Stimme zu bekommen, hustete er ein wenig ab, allerdings bemüht, dies ganz gedämpft zu tun, da möglicherweise auch schon dieses Geräusch anders als menschlicher Husten klang, was er selbst zu entscheiden sich nicht mehr getraute.

さし迫っている決定的な話合いのためにできるだけはっきりした声を準備しておこうと思って、少し咳払(せきばら)いしたが、とはいえすっかり音を抑えてやるように努力はした。おそらくこの物音も人間の咳払いとはちがったふうに響くだろうと思われたからだった。彼自身、それを判断できるという自信はもうなくなっていた。

 

このwas er selbst zu entscheiden sich nicht mehr getrauteのwasは、直前のda möglicherweise auch schon dieses Geräusch anders als menschlicher Husten klangの内容を受けていますが、もっと前までの内容を受けていると解釈している訳もあります。

たぶん、その咳声(せきごえ)も人間のそれとは違ってひびくような気がしたから、できるだけ音を和らげるつもりで骨折ってみたのだが、さて、自分でそれを判定する自信はなかった。(中井訳)

むろん、それも、こうした音でさえ、うっかりすると、人間の咳ばらいとはちがって響きかねないから、つとめてあいまいにぼやかしてと心がけてのことだ。彼自身もこういう判定を敢(あ)えてするだけの自信はなかった。(山下肇訳)…この訳は was がどちらを受けているともとれますね。

彼は軽く咳を、それも、こうした物音でさえ人間の咳ばらいとは違って聞こえかねないから、できるだけ音を出さないように心がけて咳をしたが、彼自身にとってはもはや、そんなことはどうでもよいことだった。(山下肇・萬里訳)

英訳では、このwas er selbst zu entscheiden sich nicht mehr getraute 自体を訳していないものが2つと、was がどちらを受けているとも解せるものが5つある以外は、すべて直前の da ... を受けていると解しています。

私としましては、このような用法のwasは、まとまった文意をそっくりそのまま受けるのが普通ですので、直前のda möglicherweise auch schon dieses Geräusch anders als menschlicher Husten klang(möglicherweiseという、推量の意味を表わす副詞が使われており、断定はしていませんね)の内容を受けていて、それを判定することができないと言っていると解するのが妥当ではないかと思います。

「軽く咳払いをした」ことが正しかったかどうかを「判定する」とか、中井訳のように「(...しようと)骨折って」それがうまくいったかどうかを「判定する」などとつなげることには、ちょっと無理があるように思いますが、このような解釈でも筋が通らないわけではありませんので、誤訳とまでは言えないかなとも思います。

 

○ところで最後に、「おまけ」的になりますが、もう1つだけ。前項の原文のうちのUm für die sich nähernden entscheidenden Besprechungen eine möglichst klare Stimme zu bekommenは、ちょっと訳しにくいですが、解釈が分かれるような箇所ではありませんね。原田訳のような訳でよいと思いますし、邦訳ではそれほど大きな違いはありません。ですが英訳では、訳し方にけっこういろいろなバリエーションがあって面白いと、私は思いました。この部分だけ一覧にしてみましたので、ご興味がおありの方はご覧下さい。

To clear his throat for the decisive conversation which he would have to hold soon, ... (A. L. Lloyd訳)

In order that his voice should be distinct enough for the decisive discussion about to take place, ... (Jolas訳)

To make his voice as clear as possible for the decisive conversation that was now imminent ...(本によっては ... for the crucial consultations that were soon to take place ...)(Muir訳)

In order to make his voice as clear as possible for the crucial discussions that were approaching, ... (Corngold訳)

In order to make his voice as clear as possible for the coming decisive discussion ... (Underwood訳)

In order to make his voice as clear as possible for the crucial discussions that were now imminent ... (Pasley訳)

Trying to make his voice as audible as he could for the crucial discussions about to take place, ... (Neugroschel訳) 

In order to make his voice as clear as possible for the crucial discussions that were now imminent, ... (Reppin訳)

In order to have the clearest voice possible for the decisive conversations to come, ... (Freed訳)

In order to restore his voice to its maximum clarity for the imminent decisive discussions, ... (Stanley Appelbaum訳)

In order to get as clear a voice as possible for the critical conversation which was imminent, ... (Johnston訳)

Whatever was said next would be crucial, so, in order to make his voice as clear as possible, ... (Wyllie訳)

In order to make his voice as clear as possible for the crucial discussions that were imminent, ... (Stokes訳)

In order to get as clear a voice as possible for the decisive discussion to come, ... (Roberts訳)

In order to strengthen his voice for the decisive conversations that surely lay ahead, ... (Hofmann訳) 

To clear his throat for the decisive conversation he would soon have to have, ... (Aaltonen訳)

For his voice to be as intelligible as possible for the coming consultations, ... (Crick訳)

In order to have the clearest voice possible for the impending critical discussions, ... (Daudert訳)

In order to make his voice as clear as possible fot the crucial discussions to come, ... (Williams訳)

In order to have the clearest possible voice for the approaching encounter, ... (Naney訳)

So as to have as intelligible a voice as possible for the crucial discussions that lay ahead, ... (Bernofsky訳)

So in order to clear this throat for the decisive meeting that was fast approaching, ... (Moncrieff訳)

In order for his voice to become as clear as possible for the imminent crucial consultations, ... (Pelzer訳)

To give his speech clarity before an impending conversation, ... (Fox訳)

In order to fully clear his voice for the upcoming decisive discussions, ... (Strazny訳)

 

 

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