10月7日の日曜日、旦那の同僚D氏の結婚式に参列した。私は韓国で今までに3カップルの結婚式に参列したことがあるのだが、式場はいずれもカトリック教会、一般の結婚式場、農協の結婚式場と3カップル3様であった。4カップル目の今回は初ののホテルでの挙式であり、しかも、場所はあのチョンダムドン(ソウルの高級住宅地で高級ブティックやレストランが集まっており、芸能人もよく出没するエリア)というではないか!チョンダムドンにあるホテルでの挙式なんて、絶対お金持ちに違いない!と思ったいたら、D氏のお父様は会社の社長さんとのこと。やっぱりね。


挙式はお昼の12時に開始された。


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ざっと数えたところ、参列客はナント総勢約500人!さすが社長の息子。私も旦那もこんなにも参列客の多い結婚式は初めてである。両サイドに大型スクリーンも設置されていた。ちなみに神田うのは777人だったらしい。

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ケーキカットの瞬間!このケーキが挙式後に配られるかと思ったが、ケーキはおろか、食後のデザートもなかった…。これだけ盛大のお式なのに、デザートが出なかったのには正直びっくりした。


挙式後は食事タイム。食事を楽しんでいる間に、家族・友人との写真撮影があったり、新婦がブーケを投げたり、新郎新婦が各テーブルに挨拶に来たりした。

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おめでたい席でこんなことを言っては大変失礼だと思うが、とっても残念なお味であった。場所からして、規模からして、十分期待できるお食事だと思っていたのだが。滅多なことでは食べ残すことのない私でさえ…。

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そして、やはりここは韓国!キムチは洋食にも欠かせない。どうやらお式の前からキムチがテーブルに乗っていたらしく(私はテーブルの上をよく見なかった)、挙式中ずーっとキムチの臭いが…。てっきり隣のおじさんが式に来る前にキムチを食べてきたのだと思っていたのだが、犯人はテーブルの上のキムチであったことが挙式後に判明した。キムチなんて、後から食事と一緒に出せばいいのに…。そう思うのは、外国人である私たちだけなのであろうか?正直言って、一番美味しかったのはロールパンであった。


あと、残念だったのは、新郎新婦だけシャンペンで乾杯したもの、参列客にはシャンペンもワインも出なかったことだ。まあ、今まで韓国で出席した結婚式でワインやシャンペンが出たことは一度もないのだが。やはり日本の結婚式と比べてはならないということだ。


私たちがホテルを後にしたのは、何と午後1時半であった。


挙式について厳しい指摘をしてしまったもの、新郎であるD氏と新婦のDさんの新しい門出をお祝いできたことはとっても嬉しかった。噂に聞いていた通り、Dさんはとてもきれいな方であった。ちなみに、お二人の出会いは大学で、DさんはD氏の後輩らしい。お二人とも英文科を卒業しており、現在も国際的な仕事をしているので参列者の中にも外国人の顔がちらほら見えた。


でも、何よりも驚いたのはD氏のお母様の美貌と若さ!!「本当に、あなたのお母さんなの!?お姉さんじゃなくて!?」と聞きたくなるほどお美しく、お若かった。


D氏、Dさん、この度はご結婚本当におめでとうございます!お二人で力を合わせて温かい明るい家庭を築いていって下さいね。

いつまでもお幸せにラブラブ

今日もちょっと手抜きで写真日記!(それも家族写真です。どうか悪しからず…。)2日目-9月23日は、海岸道路をドライブしながら、ゆっくりと海を眺めることにした。


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<宿泊したペンションの外観。山の中にあるためかやたらとハエが多かったが、ローシーズンのためか1泊5万ウォン(‐^▽^‐)>


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<テアン郡最南端にあるヨンモク港①>


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<ヨンモク港②>



kaffeの写真日記
<ヨンモク港③>


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<ある(名前を覚えてない…)海水浴場①>


kaffeの写真日記
<ある海水浴場②>

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<ある海水浴場③>


2日間の走行距離は約700kmであった。自然の中を沢山歩いて、いっぱい美味しい空気を吸って、神聖なる土地を巡り、また神秘的な体験もし、海で癒され、山でパワーをもらった有意義な小旅行であった。


<ソサン&テアン旅行 終わり>

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<百済の微笑でよく知られる6世紀末から7世紀初めに製作されたと推定されるソサン磨崖三尊仏像。岩壁を少し掘り下げて仏像を彫り、その前に機で小屋を建てている。足場のあまり良くない山登りが結構きつかった。国宝 第84号>


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<次に訪れたのは、開心寺。ここは開心寺の総門であり、入山口である。>


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<総門からお寺の本堂まで2,30分ほど山を登る。妊婦にはかなりハードだった…。この写真はまだ入山口付近>

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<境内にある蓮池>


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<解脱門>


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<本堂である大雄殿。開心寺は654年に創建したと伝えられており、忠清南道4大寺のうちのひとつでもある。この大雄殿の基壇だけが百済時代のものらしい。国宝 代143号>


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<ソサン市の海美面にある邑城で、海美邑城という。海美は1414年から1654年まで軍事の中心地であった。この城は倭寇を阻む目的に建てられ、1421年い完成されたものと見られる。また、1866年には、カトリック信者千人余りが処刑された場所でもある。>


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<元来の姿を留めている鎮南楼にて>


この日は、ここを最後の観光場所とし、この後、ソサン市から2時間ほど車を走らせ、テアン郡にある2つの海水浴場へ行き、海を眺めた。お腹も空いてきたし、すっかり暗くなってしまったので、宿を探すことにする。花地海水浴場付近にあり、しかも山の中にあるペンションをその日の宿とした。


<続く…>

最初に訪れた観光地は、ソサン市にあるボウォンサ(普願寺)跡。百済時代に創建された寺と推定されている。千人あまりの僧侶が住んでいたという塔碑に刻まれた記録からして、当時としては非常に大きなお寺であったようだ。また、石槽や石碑、石塔などは国宝に指定されている。


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<手前にあるのは、寺の前に立て、仏や菩薩の威厳と高徳を示し、邪悪なものを追い払うための旗竿を支えるために立てた石造物だそうだ。国宝103号>


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<旗竿の石造物を通り過ぎると、とっても水の澄んだ小川があった。>


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<小川を渡りきったところから後ろを振り返って撮った風景>


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<これは高麗時代の石塔。国宝104号>



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<大自然の中にある普願寺跡>


旅は続く…

9月23日、24日とレンタカーを借りて、チュンチョンナムド(忠清南道)に位置するソサン(瑞山)市とテアン(泰安)郡へ旅行に行ってきた。旅先は旦那が決めたのだが、その理由は、うちから車で2,3時間の所に位置してるので、車で移動してもそんなに疲れないだろうとのことと、自然の中に行きたいからとのことだった。ソサン市には百済時代の遺跡や寺が点在しており、テアン郡は西海に面した多くの漁港と海水浴場がある。


23日朝、宿も決めない、行き当たりばったりの旅がスタートした。まず初めに、高速道路サービスエリアに寄り、少々休憩。今日は韓国の一般的な高速道路サービスエリアをご紹介!あまり日本と変わりないが。


t1 <サービスエリア全景>
t2 <おやつコーナー・サンドウィッチ、スルメ、カワハギ、人形焼チックのもの、串刺しの練り物、ホットドックなどが売られている>
pa2 <食堂>
pa1 <コンビニ>
pa3 <外にある休憩場&遊び場>


旅は続く…

昨日は、まず朝から母とインサドンをブラブラと散策。それから、チョゲサというお寺に行き、お参りをしてきた。お昼は、ミョンドンにある百済サムゲタンという老舗のサムゲタン屋さんで頂いた。何とうちの母、訪韓回数はもう十数回にのぼるのに(記憶力低下でカウント不可能…)今まで一度もサムゲタンを食べたことがなかったのだ。最近、ある番組で金子貴俊が3500円のサムゲタンを紹介しているのを見て、初めて食べてみたいと思ったそうだ。金子効果である。私も以前そうだったのだが、薬膳臭そうというのと、グロテスクという先入観がどうしても食べる気を起こさせなかったのだそうだ。実は、私がサムゲタンを初めて食べたのも、約2年くらい前のことだと思う。


母の感想は、「想像と全然違かった。美味しかった!」とのことである。(そう!ここ毎日、動物性タンパク質を摂取している私たちである。)


お昼ご飯を食べてからミョンドンをブラブラし、ロッテデパートに行った。ヤングプラザに入っている無印良品で私の足のサイズに合うバレーシューズを発見!私はバカの大足なので、日本や韓国では、私のサイズの合った靴を見つけることは難しいのだ。普通の靴では、25.5cm、スニーカーだと26.5cm(メンズサイズ)なので…。このバレーシューズはぴったりフィット!これは買うしかない!!ということで、またもや母に買ってもらった。おまけに靴下4足も合わせて。その靴下も26cm~28cmというデカさ。旦那と私の足のサイズはほぼ一緒なので、靴下なんか纏め買いしておいて、自分で好きなのを選んで履くといった感じだ。でも、旦那がなぜか嫌がるので、共用は絶対しないが。


それから、ロッテデパートの地下のフードコートでお茶をし、帰宅した。帰宅してから、夜ご飯の支度をし、ヨガに行き、シャワーを浴び、夕食を食べ、片付けなんかをしていたら、あっという間に11時になってしまった。


○ ○ ○


今年も旦那が会社からチュソクのギフトセットを頂いてきた。


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まず、韓国食品開発研究院というところで作っている<高級コチュジャン1kg伝統容器入り>である。ちょうどコチュジャンが切れるところだったので、ありがたい。特にうちが買えるような値段のものではないので、尚更嬉しい。何と1kgで4千円もするコチュジャンなのだ!!お味が楽しみである。それと、何と言っても気に入ったのがこの陶器の甕である。コチュジャンがなくなっちゃっても甕は実用としてもインテリアとしても使えるしね。


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そして、お次は去年よりも一回り大きくなったアモーレ(韓国の化粧品会社)の詰め合わせセット!これもとてもありがたいのだが、なかなか使い切れなくて去年のが残っているくらいで…。なかなか使い切れない石鹸や歯磨き粉は友人におすそ分けしたもの、まだシャンプーも使いきれてない。歯磨き粉が8つって…。うちの旦那は歯磨き粉はコルゲート、ヘアシャンプーはアトピー肌専用の低刺激シャンプー、ボディーソープもアトピー肌専用のもの(それも日本のもの。日本に帰ったときにまとめ買いしたり、親に送ってもらったり、韓国でも手に入るものだったら少々高くても韓国で買っている)しか使わない人なので、歯磨き粉にしたって、シャンプー&リンスにしたって、ボディーシャンプーにしたって、すべて私が消費するしかないのである。それに、ヘアシャンプーにしたってボディーシャンプーにしたって、その手のものは普通のシャンプーの3倍のお値段するのよねぇ。でも、旦那よ、シャンプーは許すから、歯磨き粉くらいは韓国のを使ってくれ。


ぜひうちにくれっという方!韓国に遊びにいらした際には、仰って下さい。おすそ分けします。

昨日の午後、母がリュックサックひとつという超身軽な格好で韓国へやってきた。
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<母の荷物これだけ>


1週間滞在する予定だが、娘のうちに泊まるので寝巻きや化粧品は私のを使えばいいし、洋服だって洗えばよい。寒かったら私のカーディガンを着ればいいので、最低限の着替えさえを持ってくれば済む。


母は現在、10月にある手術を控えており、重い荷物を持ってはならない体なのだが、それでも自分の荷物を減らし、赤ちゃんのおくるみや、赤ちゃん用新しいタオル数枚、お菓子、インスタントスープ、私が頼んでおいたブックカバーなどなど、リュックサックに詰めて持ってきてくれた。


預けた手荷物がないため、出口から4番目に出てきた母。開口一番、「お母さん、目茶目茶早かったでしょう!お母さんね、…………」母のおしゃべりは寝るまで続く…。


今日は、うちの近所でブラブラすることにした。前々から欲しかったオーブンを母に買ってもらった!!うれし~(‐^▽^‐)これで、トーストも食べられるし(今まで生のパンしか食べられなかった)、自分でパンも焼けるし、料理の幅も広がる。ついでにブレンダーも買ってくれるとのことだったが、あまり買ってもらうのも申し訳ないので、遠慮しておいた。


もう既にカーディガンも一枚買ってもらっちゃったし、今夜もカルビを食べに行くらしい。やっぱりスポンサーがいると違う。


一緒に住むと喧嘩が絶えない母と私だけれど、やっぱり誰よりも一番私を心配してくれているのは母。そして、心の支えになってくれているのも母。頼りになるのも母である。母、そして父のお陰で今の私がいるのだ。親がいなかったらと思うと、とても恐ろしくなる。近かったら親の有り難味にもっと鈍感になっていた私だろうが、遠く離れているからこそよく分かる。病気の体を引きずって、韓国に住んでいる娘にわざわざ会いに来てくれるだけでも、本当にありがたいことなんだなぁとしみじみ感じている。

今日の午前中、日本に住む友人と2時間くらいネット電話で話した。


彼女はこう言った。「こんなにあなたのことを真剣に心配してくれるお友達がいるなんて、あなたは本当に幸せ者だね」と…。本当にそう思う。皆、ありがとう!!


☆ ☆ ☆


夫婦胎教教室があった土曜日の午前中、定期健診があった。


先生「元気に動いてる?」


私「ええ、とっても元気です。」


先生「頭も下に下がったね。」{前回の検診では逆子だった。)


私「ええ、そのようです。」


先生「いい鼻の形をしているね。どっち似かな?」


私「立体写真を撮影した時は、パパ似のようでしたが…。鼻は特に。」(立体写真を撮影してくれたのは他の先生)


先生「そうかぁ?でも、この子は恥ずかしがり屋のようだね。頑固なのかな?なかなか顔を見せてくれないね。」


私「そうなんですよ!!立体写真を撮った時も、顔を撮影するのに30分もかかったんです。その先生も同じことを仰ってました。」


先生「う~ん、でも、どうやらママ似のような気がするけどな。」


私(えっっ…、顔はパパ似であって欲しいのだけど…)


先生「この子は女の子のような手足をしているね。これはどっち似かな?」


私(ということは私かな?手足は私に似た方がいいだろうけど。)


先生「お肉食べてる?」


私「ええ。たくさんではないですが…。うーん、あまり食べるほうではないかも。」


先生「胎児の大きさも週数にあっているし、心音も羊水量も異常なしだね。全て順調だけど、どうやらタンパク質がやや不足してるようだね。もう少しお肉の摂取量を増やしてみてね。」


牛乳も毎日飲んでるし、卵は1日1個、豆腐はほぼ毎日食べているが、お肉からのタンパク質もやっぱり必要なのね…。

先週、妊娠8ヶ月と2週目の私はこんな感じ。
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9月22日土曜日の午後、我が病院にて行われた『夫婦胎教教室』に夫婦で参加した。講師は、韓国のTV局KBS、SBS、MBCの教育番組やバラエティー番組などに多々出演している胎教研究所の所長さんであった。参加費は夫婦合わせて約1250円。


まず入り口で講師から赤ちゃんの胎名(愛称)を聞かれた。「えぇーっと、胎名は…」、私は言うのが恥ずかしかった。というのは、私たちの赤ちゃんの胎名は『メットゥギ』というのである。日本語では昆虫の『バッタ』である。まだ性別が分からない時に旦那が勝手につけてしまったのだ。当時、絶対に女の子だと思っていた私は、そんな胎名やめてくれ!と抗議したのだが、それにもかかわらず、旦那はずーっとそう呼び続けていたため、男の子と分かってからは私も自然とメットゥギと呼ぶようになってしまった。なぜ旦那がメットゥギと命名したのかはっきりと覚えてはないが、多分『メットゥギ』という韓国語の音が面白いからという理由だけだったように思う。


旦那が付ける名札に『メットゥギ』と書き込みながら講師は「今までに何万というママやパパに会ってきたけれど、メットゥギという胎名は初めて聞くわ」と言った。かなりインパクトが強かったらしく、セミナー中も講師の口から何度も『メットゥギ アッパ(バッタ パパ)、メットゥギ オンマ(バッタ ママ)』という言葉が出た。


はじめに講師は、「胎教とは幼稚なものなんです!愛とは幼稚なものなんです!胎教とは赤ちゃんの目線で行わねばならないのです」言った。


「さて、最初に皆さんで皆さんを祝福しましょう。赤ちゃんを身ごもったということは本当に本当に幸せなことなんです。ご近所さんに『おめでとう』と祝福の言葉を掛けましょう!」早速、私たちは「こんにちは。この度はおめでとうございます」と恥ずかしそうにお互いに挨拶しあった。


「では、パパママ一緒に手を上に上げて、手のひらをキラキラ(キラキラ星を歌うときのように)と動かして~」と言った。まるで、大人が幼稚園に入れられてしまったように感じられ、大の大人10カップルはどん引きした。でも、やっぱり皆さん大人。笑いながら、皆手を上にあげて、キラキラと動かし始めた。


「パパの右手は、永遠に赤ちゃんのための手。パパの左手は、永遠にママのための手なんです。右手で赤ちゃんをあやし、喜ばせ、幸せにし、左手で永遠にママをぐっと支え、愛していくのです。では次は、パパが赤ちゃんに挨拶する番です。左手をママの腰に回して、右手をお腹の前でキラキラさせながら、さぁ、愛する赤ちゃんに挨拶をしましょう!」


そこで講師は歌い出した。「パパはメットゥギを愛しているよ~、パパはメットゥギを愛しているよ~音譜 さぁ、皆さん一緒に我が子の胎名を呼びながら、愛していると伝えて下さい!!」


旦那は顔を真っ赤にさせ、テレながらも、私の腰に左腕を回し、右手を私のお腹の前でキラキラさせながら、「パパはメットゥギを愛しているよ、パパはメットゥギに会えて嬉しいよ、ありがとう」と歌っていた。


セミナーの内容は、<胎教とは?父子胎教、妻に対する夫の役割、夫・父親の重要性、陣痛緩和マッサージ・ストレッチング、妊娠中の夜の夫婦生活について、分娩の流れ、分娩瞑想、愛の電話機作り、妻へ愛のメッセージ>であり、どれも為になる貴重なお話であった。


講師は、「今回、この夫婦胎教に参加して下さった夫婦はとても素晴らしい夫婦なのです。旦那さんが参加したということは、それだけ奥さんとお子さんを愛しているからなのです。というのは、奥さんが妊娠しても、まだ理解度が低い、非協力的な旦那さんが多いのが韓国の現状だからです。奥さんは旦那さんと一緒に参加したくても、旦那さんが嫌がるケースが多いのです。今日、旦那さんがお休みに時間を割いてわざわざ参加したということは、一緒に子育てを頑張っていこうという心の現われなのです。皆さんは本当に幸せですね」と言った。実際、出産準備教室の時間にこのセミナーの参加者を募集した時、ママさんが25人くらいいて申し込んだのは私を含めて4、5人しかいなかった。


やはり途中におやつタイムもあったりして、和気藹々とした楽しいセミナーであった。


<愛の電話機>とは、お腹の赤ちゃんに話しかける時に使う電話機のことで、また、赤ちゃんが大きくなってからも糸電話として遊べるものである。それを、セミナー中に夫婦一緒にキッチン用品とホースとリボンを使って作ったのだ。

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これが、愛の電話機である。左のメッセージはママからメットゥギへ、右のメッセージというか幼稚な絵はパパからメットゥギへである。私はもちろん日本語で、旦那はデンマーク語で書いていたので、この時になって講師から、「えっ、あなたたちって外国人だったの?」と驚かれた。


最後に、この電話機を使っての夫から妻へのメッセージタイムが設けられた。旦那は、「メットゥギを身ごもってくれて本当にありがとう。これから先も僕たちには色んなことが待ち受けているだろうけれど、一緒に頑張ろうね。愛してるよ」と照れくさそうに言った。とっても嬉しくて、涙がこぼれそうになった。

韓国では、22日から今日までの5日間チュソク連休(お盆連休)です。イベントに参加したり、旅行に行ったり、お客さんが来たりしていて、お返事、更新が遅れてしまいました。すみませんでした。


まず、コメント下さったelsさん、てじりんさん、そして、メールをくれたN(ches)さん、Sちゃん、Tちゃん、本当にありがとうございました。そして、心配して下さった皆様、ありがとうございました。


◇ ◇ ◇


<序章>


Sちゃんからのメールにはこう書いてあった。


『kaffeちゃんは、強すぎるんやわ。これは、精神面でのことやけど、P(旦那)がどうもがいたって、kaffeちゃんを痛めつけたって、kaffeちゃんが勝ちやねん。kaffeちゃん、胸にナイフさされてたって、涼しい顔して、Pを見る、ような感覚…』


Sちゃんからの鋭い指摘に、凄く驚いた。まさに、そうだったのだ。


旦那が今までに何度も私に向かって言った言葉は、「お前は氷のような女だ」「お前はヒットラーか」「お前はアイスクイーンか」「お前にはどうしたって太刀打ちできない」「お前は時に凄く冷酷だ」「お前と話していると壁と話してる気分になる」などである。つまり、Sちゃんの指摘通り、私は時にあまりにも冷酷で強すぎたのである。


昨晩、旦那にSちゃんのメールの内容を話したところ、旦那は絶句していた。図星だったようだ。


☆ ☆ ☆


<本題>


5人の方のコメント・メールを読んで、ハッとさせられることが多々あった。皆さんの言葉一つ一つをゆっくりと噛み締めながら、何度も何度も読んでみた。頂いた言葉全てが私にとって必要な助言であり、心に留めておくべき言葉であると思った。


今回、思い切ってブログに書くことによって、自分の中で幾分心の整理ができたし、書きながら自分に言い聞かせることもできた。書き終えた時にはとても前向きになれた。そして、皆さんからのコメント・メールを読みながら、不可解、不明瞭だった部分が一気にクリアになったことは驚きであったし、やはり、第三者の客観的な視点から見るとこうもハッキリと分かるものなんだと改めて感心させられた。何よりも、ありがたい助言を頂いたことは私にとって、私たちにとって大きな収穫であった。


この数日間で、私たちの関係にも変化があった。まず、旦那が落ち着いてきたし、明るくなった。食事に言いがかりをつけることもなくなった。たまに冗談半分でお前のせいで太るだとか言うこともあるが、私もまともに取り合わず、笑って受け流すようにしている。(食事の件に関しては、ヨガの先生から旦那への助言が大きく作用したと思われる。ヨガの先生に話したところ、後日、ヨガの先生が旦那にうまく話をしてくれたのだ。)


そして、「日本に帰れ」「一人になりたい」と言わなくなり、私たちの将来(家、居住する国、仕事、子育て、夫婦関係についてなど)に対する前向きな話が多くなった。


やはり旦那は、強度のストレスを抱えていたようだ。だから、異常なほどまでに神経過敏になってしまっていたし、家に帰ってくれば、唯一自分の見方だと思っていた私からまでもお小言を聞かされる始末で、旦那はホッと一息つける場がなくなってしまい、精神的に参ってしまっていたのだと思う。


だからこそ、一人になりたかったのだろう。


思い起こせば、私もデンマークに住んでいた頃、今の旦那と同じようだった。デンマーク社会に馴染めない自分に腹立たしくもあり、情けなくもあり、自分がまるで赤ちゃんのように感じ、二十数年間築き上げてきたものが全ておじゃんになってしまったように感じ、自信がなくなり、とにかく私は毎日が辛く、苦しんでいた。私が幸せじゃないから、ヒステリックになり、旦那に八つ当たりした。旦那も苦しんでいる私を見て苦しみ、そして、どうしていいか分からない旦那も私に当たった。結果、夫婦喧嘩が絶えず、何から何まで悪い方悪い方へと動き、全てが悪循環であった。家庭は戦場のようであった。終いには、旦那の顔を見るのも嫌になり、仕事場や学校からの帰りなど家に近づくと気が重くなり、心臓がバクバクした。最悪だった数ヶ月間の間に離婚話も何度も出たが、私たちはまず別居という道を選択し、2005年の3月、私は日本に帰ったのであった。そして、約6ヶ月の別居を経て韓国で新生活をスタートさせた。


デンマーク時代は私が今の旦那のようであった。私はそれをすっかり忘れていたが、elsさんとてじりんさんのコメントによって気付かされた。その苦しかった当時、私は旦那に何を望んでいたか。それは、私に対する理解と私を包み込んでくれるような大きな愛だった。旦那は確かに私の味方ではあったが、真の味方ではなかった。デンマーク社会に馴染めない私にどこか否定的であったし、私の神経を逆なでするようなことを多々した。でも、旦那なりに一生懸命努力してくれていたのは分かっていた。旦那は当時大学生であり、平日は大学に通い、週末は朝から晩まで肉体労働をし、生活を支えてくれた。だが、学業と仕事と家庭の3つを両立させることに、肉体的にも精神的にも限界があったのだ。だから、旦那も十分苦しんだ。私も十分苦しんだ。どちらも一生懸命生活していた。どちらも夫婦仲良く幸せに暮らしていこうと努力していた。でも、そう思えば思うほど、お互いに傷つけあってしまっている自分たちがいた。どちらが悪いのではない。お互い様であったのだ。生活に疲れきってしまった私たちは、自分の気持ちばかり優先してしまって、労わり合う心、理解と愛情を少しずつ失っていたのだ。


この数日間で私たち夫婦の関係に変化があったと述べたが、まず私は自分の態度を改めることにした。


1.言わなくてもいい小言を言わない。

2.旦那の意見に理解を示し、バカにしない。(もちろん、自分の主張もしっかりと述べるが)

3.オーバーなくらい、愛情表現をする。

4.旦那に感謝をし、真心を尽くす。

5.カッとなった時は、まず心を落ち着かせてから言葉を選んで話す。

6.小さなことでイライラしないようにする。

7.毎日一回は旦那をぎゅっと抱きしめる。

8.上のことを心に刻んで、習慣付ける。


上記のことは、本来改めるべき私の短所や苦手なことである。今まで私は何度も離婚の危機に直面し、旦那との話し合いを儲け、反省してきながらも、私の短所や苦手なことを見てみぬ振りをしてきた。面倒くさいことから逃げてきた。そして何よりも、私は何も間違ってはいない、私だって一生懸命やれるだけやっているんだ、私が変わる必要はないと思っていた節があった。


しかし、今回、私は気付かされた。これではいつまで経っても平行線のままである。今、精神的にゆとりがある私が自分自身をしっかりと見つめ直し、短所を改善すべきだと。これは、私たち夫婦関係においてはもちろんのこと、私自身にとっても絶対的にプラスになるであろうと。


すると、日に日に旦那が前向きになり、将来のことに対しても意欲的になり、明るくなっていったではないか。私を必要としてくれているのも強く感じられるようになった。一昨日も大喧嘩をしたのだが、最後まで「日本に帰れ」とは言わなかった。そして、以前のように私を労わってくれ、優しくなった。時々、憎まれ口もたたくが顔は笑っている。


いまだに旦那は私を信じらないでいるのかも知れないが、今は旦那に訊ねる気がしない。それよりも旦那の言動や態度が変わっただけで私はとっても嬉しいし満足している。もちろん、この状態を永遠に継続していくことが大事なのだが。


昨日、我が家を訪れたご夫婦がこう仰った。


「植物だって、『かわいいね、きれいだね、きれいな花を咲かせてね』などと、話しかけながら水をあげたり、ホコリを拭いてあげると、途端にイキイキとしてくるんだよね。それと同じく、夫婦関係、親子関係においても、相手に惜しみない愛情を注ぐってことが一番大事なんだと思うよ。」


そう、幸せな家庭を築いていくにはお互いの努力が必要なのである。


実は、今回このような状況に追い込まれて、心から心配して下さった皆さんに不謹慎だと思われるかも知れないが、正直言って若干、この状況を私自身楽しんでいたところがある。前回のブログに書いたように、混乱し、悩み、私なりに苦しんではいたのは事実である。だが、もう一方で、自分自身への挑戦というか、私がどうやってこの状況を乗り越えられるか、私がこの機会にいかに成長できるか、何を学べるかを冷静且つ好奇心に溢れた目で見ていた私もいたのだ。旦那に「日本に帰れ」といくら言われても、『どうしよう、帰るべきかな』と思う私と、『そんなこと言われたって、そう簡単には帰りませんよ。私たちの関係が良くなるよう、私は頑張りますから』と、ほくそ笑む私がいた。


今回、このように問題を提起してくれた旦那に感謝しているし、何よりも、私を温かく見守り、勇気付け、助言し、私に気付かせてくれた方々に感謝している。そして、私を自宅に迎えてもいいとまで言ってくれたお友達、本当に本当にありがとう。