韓国では、22日から今日までの5日間チュソク連休(お盆連休)です。イベントに参加したり、旅行に行ったり、お客さんが来たりしていて、お返事、更新が遅れてしまいました。すみませんでした。


まず、コメント下さったelsさん、てじりんさん、そして、メールをくれたN(ches)さん、Sちゃん、Tちゃん、本当にありがとうございました。そして、心配して下さった皆様、ありがとうございました。


◇ ◇ ◇


<序章>


Sちゃんからのメールにはこう書いてあった。


『kaffeちゃんは、強すぎるんやわ。これは、精神面でのことやけど、P(旦那)がどうもがいたって、kaffeちゃんを痛めつけたって、kaffeちゃんが勝ちやねん。kaffeちゃん、胸にナイフさされてたって、涼しい顔して、Pを見る、ような感覚…』


Sちゃんからの鋭い指摘に、凄く驚いた。まさに、そうだったのだ。


旦那が今までに何度も私に向かって言った言葉は、「お前は氷のような女だ」「お前はヒットラーか」「お前はアイスクイーンか」「お前にはどうしたって太刀打ちできない」「お前は時に凄く冷酷だ」「お前と話していると壁と話してる気分になる」などである。つまり、Sちゃんの指摘通り、私は時にあまりにも冷酷で強すぎたのである。


昨晩、旦那にSちゃんのメールの内容を話したところ、旦那は絶句していた。図星だったようだ。


☆ ☆ ☆


<本題>


5人の方のコメント・メールを読んで、ハッとさせられることが多々あった。皆さんの言葉一つ一つをゆっくりと噛み締めながら、何度も何度も読んでみた。頂いた言葉全てが私にとって必要な助言であり、心に留めておくべき言葉であると思った。


今回、思い切ってブログに書くことによって、自分の中で幾分心の整理ができたし、書きながら自分に言い聞かせることもできた。書き終えた時にはとても前向きになれた。そして、皆さんからのコメント・メールを読みながら、不可解、不明瞭だった部分が一気にクリアになったことは驚きであったし、やはり、第三者の客観的な視点から見るとこうもハッキリと分かるものなんだと改めて感心させられた。何よりも、ありがたい助言を頂いたことは私にとって、私たちにとって大きな収穫であった。


この数日間で、私たちの関係にも変化があった。まず、旦那が落ち着いてきたし、明るくなった。食事に言いがかりをつけることもなくなった。たまに冗談半分でお前のせいで太るだとか言うこともあるが、私もまともに取り合わず、笑って受け流すようにしている。(食事の件に関しては、ヨガの先生から旦那への助言が大きく作用したと思われる。ヨガの先生に話したところ、後日、ヨガの先生が旦那にうまく話をしてくれたのだ。)


そして、「日本に帰れ」「一人になりたい」と言わなくなり、私たちの将来(家、居住する国、仕事、子育て、夫婦関係についてなど)に対する前向きな話が多くなった。


やはり旦那は、強度のストレスを抱えていたようだ。だから、異常なほどまでに神経過敏になってしまっていたし、家に帰ってくれば、唯一自分の見方だと思っていた私からまでもお小言を聞かされる始末で、旦那はホッと一息つける場がなくなってしまい、精神的に参ってしまっていたのだと思う。


だからこそ、一人になりたかったのだろう。


思い起こせば、私もデンマークに住んでいた頃、今の旦那と同じようだった。デンマーク社会に馴染めない自分に腹立たしくもあり、情けなくもあり、自分がまるで赤ちゃんのように感じ、二十数年間築き上げてきたものが全ておじゃんになってしまったように感じ、自信がなくなり、とにかく私は毎日が辛く、苦しんでいた。私が幸せじゃないから、ヒステリックになり、旦那に八つ当たりした。旦那も苦しんでいる私を見て苦しみ、そして、どうしていいか分からない旦那も私に当たった。結果、夫婦喧嘩が絶えず、何から何まで悪い方悪い方へと動き、全てが悪循環であった。家庭は戦場のようであった。終いには、旦那の顔を見るのも嫌になり、仕事場や学校からの帰りなど家に近づくと気が重くなり、心臓がバクバクした。最悪だった数ヶ月間の間に離婚話も何度も出たが、私たちはまず別居という道を選択し、2005年の3月、私は日本に帰ったのであった。そして、約6ヶ月の別居を経て韓国で新生活をスタートさせた。


デンマーク時代は私が今の旦那のようであった。私はそれをすっかり忘れていたが、elsさんとてじりんさんのコメントによって気付かされた。その苦しかった当時、私は旦那に何を望んでいたか。それは、私に対する理解と私を包み込んでくれるような大きな愛だった。旦那は確かに私の味方ではあったが、真の味方ではなかった。デンマーク社会に馴染めない私にどこか否定的であったし、私の神経を逆なでするようなことを多々した。でも、旦那なりに一生懸命努力してくれていたのは分かっていた。旦那は当時大学生であり、平日は大学に通い、週末は朝から晩まで肉体労働をし、生活を支えてくれた。だが、学業と仕事と家庭の3つを両立させることに、肉体的にも精神的にも限界があったのだ。だから、旦那も十分苦しんだ。私も十分苦しんだ。どちらも一生懸命生活していた。どちらも夫婦仲良く幸せに暮らしていこうと努力していた。でも、そう思えば思うほど、お互いに傷つけあってしまっている自分たちがいた。どちらが悪いのではない。お互い様であったのだ。生活に疲れきってしまった私たちは、自分の気持ちばかり優先してしまって、労わり合う心、理解と愛情を少しずつ失っていたのだ。


この数日間で私たち夫婦の関係に変化があったと述べたが、まず私は自分の態度を改めることにした。


1.言わなくてもいい小言を言わない。

2.旦那の意見に理解を示し、バカにしない。(もちろん、自分の主張もしっかりと述べるが)

3.オーバーなくらい、愛情表現をする。

4.旦那に感謝をし、真心を尽くす。

5.カッとなった時は、まず心を落ち着かせてから言葉を選んで話す。

6.小さなことでイライラしないようにする。

7.毎日一回は旦那をぎゅっと抱きしめる。

8.上のことを心に刻んで、習慣付ける。


上記のことは、本来改めるべき私の短所や苦手なことである。今まで私は何度も離婚の危機に直面し、旦那との話し合いを儲け、反省してきながらも、私の短所や苦手なことを見てみぬ振りをしてきた。面倒くさいことから逃げてきた。そして何よりも、私は何も間違ってはいない、私だって一生懸命やれるだけやっているんだ、私が変わる必要はないと思っていた節があった。


しかし、今回、私は気付かされた。これではいつまで経っても平行線のままである。今、精神的にゆとりがある私が自分自身をしっかりと見つめ直し、短所を改善すべきだと。これは、私たち夫婦関係においてはもちろんのこと、私自身にとっても絶対的にプラスになるであろうと。


すると、日に日に旦那が前向きになり、将来のことに対しても意欲的になり、明るくなっていったではないか。私を必要としてくれているのも強く感じられるようになった。一昨日も大喧嘩をしたのだが、最後まで「日本に帰れ」とは言わなかった。そして、以前のように私を労わってくれ、優しくなった。時々、憎まれ口もたたくが顔は笑っている。


いまだに旦那は私を信じらないでいるのかも知れないが、今は旦那に訊ねる気がしない。それよりも旦那の言動や態度が変わっただけで私はとっても嬉しいし満足している。もちろん、この状態を永遠に継続していくことが大事なのだが。


昨日、我が家を訪れたご夫婦がこう仰った。


「植物だって、『かわいいね、きれいだね、きれいな花を咲かせてね』などと、話しかけながら水をあげたり、ホコリを拭いてあげると、途端にイキイキとしてくるんだよね。それと同じく、夫婦関係、親子関係においても、相手に惜しみない愛情を注ぐってことが一番大事なんだと思うよ。」


そう、幸せな家庭を築いていくにはお互いの努力が必要なのである。


実は、今回このような状況に追い込まれて、心から心配して下さった皆さんに不謹慎だと思われるかも知れないが、正直言って若干、この状況を私自身楽しんでいたところがある。前回のブログに書いたように、混乱し、悩み、私なりに苦しんではいたのは事実である。だが、もう一方で、自分自身への挑戦というか、私がどうやってこの状況を乗り越えられるか、私がこの機会にいかに成長できるか、何を学べるかを冷静且つ好奇心に溢れた目で見ていた私もいたのだ。旦那に「日本に帰れ」といくら言われても、『どうしよう、帰るべきかな』と思う私と、『そんなこと言われたって、そう簡単には帰りませんよ。私たちの関係が良くなるよう、私は頑張りますから』と、ほくそ笑む私がいた。


今回、このように問題を提起してくれた旦那に感謝しているし、何よりも、私を温かく見守り、勇気付け、助言し、私に気付かせてくれた方々に感謝している。そして、私を自宅に迎えてもいいとまで言ってくれたお友達、本当に本当にありがとう。