皆様、ご無沙汰しております。コメント下さった皆様、ありがとうございました!


☆ ☆ ☆


4月20日に帰国する予定を24日に変更し、更にフライト当日の24日の早朝に再度予定を変更し、結局5月5日に韓国に帰ってきた。23日の夜、5月1日から5日まで旦那の会社が連休であることを知った。旦那の日本-韓国の往復チケットを買い、更に私と息子の韓国行きの片道チケットを買い、持っていた帰国便の航空券をキャンセルしたのは、24日の午前中のことであった。これもフライトが夜だったから可能だったことだ。ゴールデンウィークの真っ只中、チケットを取るのは無理かと思ったが、どうにか取れた。ただし、旦那はJALで私たちはKALだったけれど。超ドキドキのハラハラもので、すべての手続きが完了した時は脱力して体が震えていた。


韓国に帰ってきてから、ちょっとウツっぽい。日本での一ヶ月間があまりにも楽し過ぎた。充実し過ぎていた。韓国に帰ってきて、まだ4日だが早くも日本に帰りたくなってしまった。日本が恋しい。日本の友人が恋しい。日本の家族が恋しい…。


今回、日本に帰ってみて、やはり子供を育てるには韓国よりも日本の方がいいのではないかと強く思うようになった。環境にしても、教育にしても。そして、何よりも私自身が日本に住みたくなってしまった。多分、私たち夫婦だけだったならば、日本に住みたいとは思わなかったかもしれない。でも、子供ができて考えが変わった。


考えると胃が痛くなるほどなのだが、まず言葉の問題がある。私は息子に日本語で話しかけ、旦那はデンマーク語、そして、夫婦は韓国語と、日々3ヶ国語が飛び交っている。海外暮らしが長かった私の日本語はもはや変である。今回、1ヶ月間日本にいて少しは良くなったが、また韓国に帰ってきて変になってきている。私は息子にきれいな日本語、正しい日本語を話したいのだが、間違えるたびに「ああ…」と自己嫌悪に陥り、胃が痛くなる。息子にとっても、3ヶ国語が飛び交う家庭なんて良くないのではないかと思ってしまう。旦那は私に家ではデンマーク語を話せというのだが、そうしたら私は日本語、韓国語、デンマーク語の3ヶ国語を話すことになる。それって、息子が混乱するのではないかと思うし、私のほぼ忘れかけた中途半端なデンマーク語ならば話さない方がマシだと思うので拒否している。


次の問題はまず韓国にママさん友達がいないこと。ママさん友達同士で乳母車をひきながら、歓談している姿を見ると羨ましくてしょうがない。かといって、「仲間に入れてちょうだい」とは言えない私…。


更に、韓国には日本人の友達がいない。正確にはいるのだが、一人は地方に住んでいるし多忙な方なのでまず会えない。もう一人は今年7月に日本に帰国してしまうし、妻子持ちの50代の男性なので会うにしても2,3ヶ月に1回の割合でしか会わない。つまり韓国にいると日本語を話す機会がないのである。韓国の友人と会う時はすべて韓国語だし。今までは韓国に日本人の女友達がいないことに何も感じなかったが、子供ができてから、無性に日本人の女友達や日本人のママさん友達が欲しくなってしまった。今まで考えたこともなかったが、ソウルの日本人会にでも入ろうかと思っている。日本に帰りたい、それが無理なら、取り合えず日本人の女友達が欲しい…。


日本できれいになった息子の肌が、韓国に戻ってくるなり肌が真っ赤になってしまった。相当痒いみたいで、朝胸元に数箇所の掻き傷があり、肌着に血がついていた。やっぱり韓国の空気は汚いのだ。空気がまずいし、黄砂もまっていて、窓を開けておくと床に黄色い砂が積もっている。


ああ、寂しい。なぜこんなに寂しいのか分からない。何がこんなに寂しいのか分からない。昨日はあまりに寂しくなって夕食をとりながら泣いてしまった。愛する旦那も息子もいるのに、どうしてこんなに寂しく感じるのだろうか。やっぱり私はいまだ親離れできてない人間なんだろう。愚問ながらも旦那に聞いてみた。「あなたは寂しくないの?」と。旦那は両親をすでに亡くしている。旦那は「そんなこと考えてられないし、寂しくなんかないよ」と言った。なんて彼は強い人なんだろうと改めて思った。

日本に帰ってまいりました~~~!!!きゃぁぁぁ~~~~チョキ


桜が満開の日本、暖かい日本、花粉が飛びまくっている日本に興奮気味のkaffeです。ふふふふふ。


そうそう、コメントくださった皆様、お返事が遅くなってすみませんでした。


今、おんぶ紐で息子をおんぶしながら書いています。最近、大活躍のおんぶ紐です。


☆ ☆ ☆


私たちは4月2日に日本に帰ってきたわけだが、何とその日に旦那もドイツに出張に向かったのであった。私たちのフライトは朝だったので、当日は朝の5時半に起床。しかし、前夜!?いや当日、旦那は仕事が忙しくて、帰宅したのが午前0時過ぎ。それから、私は旦那の仕事を手伝う羽目に。一日中、育児と出発前の大掃除&片付け、私達の出発準備と旦那の出張準備に追われ、疲労困憊だったのに。普通、妻が夫の会社の仕事なんか手伝わないよね!?(今までにも旦那よりも韓国語のライティングに強いからという理由で、稟議書や起案書を書いたり、プレゼン資料を翻訳したりした私。)旅行前にそれもこんな夜中に信じられない!と怒りが沸いたが、私のために韓国企業に就職してくれたわけだし、頼りにされるだけマシなのかなと思って、眠い目をこすりながらPCに向い、開発依頼書と社内メールを作成した。結局、寝たのが午前2時半、3時間しか眠れなかった。そんなわけで、朝から私たちはヘトヘト。


早朝、旦那も自分の荷物を担ぎ、一緒にタクシーでキンポ空港に向かった。私たちのチェックインを終えてから、旦那はまた荷物を担いで、タクシーで会社へと向かった。会社で会社の荷物をパッキングしてから、今度はインチョン空港へ向ったようだ。


今回、初フライトだった息子。フライト中に大泣きしないかと心配していたが、そんな心配をよそにちょっとぐずっただけでいい子であった。離着陸にはおっぱいを飲ませ、気圧の変化により耳が痛くなるのを防いだ。離陸時のおっぱいで眠った息子。乳児用ゆりかごに寝させて少しすると、食事が運ばれてきた。お陰で私はゆっくりと機内食を食べることができた。食事を終え、私がフォークを置いたところで息子がぱちりと目を覚ました。すごいタイミングである。その後はずーっと起きていたのだが、着陸態勢に入る前の10分間くらい立って抱っこしただけで、後は座っていられたので想像していたよりもずっと楽だった。私がトイレに立った時は機内乗務員さんに息子を見ていてもらったり、離陸前や着陸後にはあやしてもらったり、機内乗務員さんには良くして頂いた。


<離陸前に座席でパチリカメラ

<ゆりかごでねんねぐぅぐぅ

<おっきしました。自分の手に夢中>


息子をおぶり、スーツケースとカバンを担いで、電車を乗り継ぎ実家まで帰る勇気はなかったので、父に会社を休んで羽田空港まで車で迎えに来てもらった。やっぱり車最高!実家まで電車だと2時間はかかるのだが、高速道路が空いていたため1時間ちょいで着いてしまった。帰りもまた平日なので、申し訳ないが父に会社を休んでもらい、空港まで送ってもらうつもりである。


<チャイルドシートも初体験!寝起きでボォ~ッとしています。>


先日、父に「悪いんだけど空港の送り迎えしてもらえるかな?平日だから、やっぱり会社休めないよね?」と聞いた時、「大丈夫、大丈夫!お前のためなら、会社なんか休んで送り迎えしますよっっ!!いくらでも車出しますよ。」と明るく答えてくれて父。多少お酒が入っていたようだ。あまりに明るく答えてくれたので、『そんな会社休んでええの!?』と一瞬躊躇ったが、父の娘を想う気持ちに感動してしまった私であった。まぁ、お父さん、有給いっぱい余っているからね。でも、ありがとう。


そんなわけで出発前からヘトヘトだった私だったが、思ったより楽に実家に到着したのであった。

23日日曜日、NHK BS1で放送していた『マンホールで大人になった』-再訪・厳寒のモンゴル(後編)を見た。この番組のことは見る前から知っていた。先週の昼間に日本の友人とボイスチャットをしていた時に、友人が「今NHKで、貧困のためマンホールで暮らす人たちの番組をやっているよ。モンゴルだって。kaffeちゃんも見てごらん」と話していたからだ。 しかし、うちではNHK BS1とBS2しか見られないし、何よりも友人とのチャットの方を優先したいと思ったため、テレビはつけなかった。


知っていたが、見たのは偶然だった。日曜日の夜、その時すでに息子が寝ていたため、旦那が一人でヘッドフォンをつけテレビで映画を観ていた。映画が終わってから、旦那はしばらくそのままテレビを見ていたようだ。私が興味がありそうな番組だと思ったらしく、私に見るよう促した。旦那は日本語はできないが、NHKのドキュメンタリー物が好きでよく見ているのだが、それが偶々友人が話していた番組だったのだ。


番組の内容は、『1998年社会主義崩壊後のモンゴルで貧困のため、マンホールで暮らす子どもたちがいた。彼らのその後を2004年に追ったドキュメンタリーシリーズ第二弾』(NHK HPより引用)であり、番組では1998年当時13歳だった女の子、オユナと男の子ボルトの6年後を追っていた。


2004年当時、21歳になったボルトは建設会社の現場で働いていた。それも、正社員として。13歳で家族と別れ、マンホール暮らしだった少年が職につくのは並大抵のことではなかった。ボルトは言っていた、「とにかく働きたかったんだ」と。少年だった彼は、建設現場に何度も何度も通いこみ、「職をくれ」と懇願していたそうだ。彼の真剣な姿に、現場監督が「ならば、日雇いとしてやってみろ」と言ってくれたそうだ。ボルトは一生懸命働いた。その真面目さが買われ、正社員になることができた。稼いだお金で木材などを買い、自分で自分の家を建て、田舎から母親と妹を呼び寄せた。今では、彼が家族一家を養っている。10畳ほどの小さな家だが、家族一緒に暮らせること、普通の暮らしができること、収入があることがとても幸せだと話していた。彼は努力して努力して今の幸せを手に入れた。彼の逞しさに感動した。


一方、21歳になったオユナはいまだマンホールで暮らしていた。13歳当時のオユナは、一緒にマンホール生活を送っていた母親と喧嘩別れし、仲間たちと別のマンホールで暮らしていた。彼女は仲間のリーダーだった。食物は、ホテルやレストランなどのゴミ捨て場をあさったり、病院の入院病棟の下で「何か食べ物を下さい」と叫んで、得たりしていた。得た食物は仲間で平等に分け合うのがルールであった。日本人の私からしたら、とても食べられたものではなかった。


その後、オユナは16歳で結婚し、一女を得た。しかし、マンホールで育った彼女は普通の暮らしには馴染めず、夫の家を飛び出してしまった。そして、離婚。4歳になる娘にはもう一年も会っていないという。今はあれほど嫌っていた母親と一緒にマンホールで暮らしている彼女には新しくできた彼がいた。彼は貧しいながらも家族と一緒に家で暮らしていた。幸せそうに見えたオユナだったが、実は彼から暴力を振るわれていたのだった。彼女が言っていた言葉が心に残っている。「髪の毛はボサボサだけど、獣じゃないよ。私だって人間だよ」「母さん、どうして私たちは普通の暮らしができないの?一生マンホールでしか暮らせないの?」「娘が母親である私の顔を覚えてないんだ」「娘をマンホールに連れてきたけど、子育てをどうやってすればいいか分からなかった。」「友人が助けてくれたけれど、どうやっておっぱいをあげればいいのかも分からなかった。」「娘があまりにも小さくて。落っことしそうになっちゃって泣いちゃった。」


オユナは病院で娘を出産したが、すぐに娘を連れマンホールに帰ってきた。そして、1ヶ月の間一人でマンホールで娘を育てた。しかし、夫の両親がやってきて、オユナから娘を奪っていった。夫の家族は酪農業を営み、割合裕福な暮らしをしている。孫がマンホールで育つなんてことは耐えられなかったのだろう。それから4年、今でもマンホールの中には泥だらけになったぬいぐるみがひとつ転がっていた。


2004年、マンホール人口が増加し続けているモンゴル。政府は対策として、多くのマンホールをふさいでしまった。マンホールを奪われたホームレスの人々は数少ないマンホールを奪い合っている。そこで登場した一家がとても衝撃的だった。「赤子を連れた一家がマンホールを探しにやってきた」というナレーションが流れ、赤子を抱いた老人が映し出された。カメラが引くと、老人の後ろに老婆もいた。私はてっきり、おじいさんとおばあさんと孫だと思った。しかし、赤子の父親と母親が出てこない。どうしてだろうと思っていたら、その老人が父親であり、老婆が母親だったのだ。赤子は2歳だというから、年寄りに見えた2人は年をとっていたにしても30代後半~40代前半であろう。しかし、どう見ても60過ぎにしか見えないのである。


その一家だが、夫が9年前に職を失ってから(確か)マンホール暮らしなんだという。ということは、その2歳の息子はマンホールの中で授かり、マンホールの中で生まれ、マンホールの中で育ったのだ。私は今までにその手(貧困の中で生まれ育っている子供たち)のドキュメンタリー番組をいくつも見てきたが、母親になる前までの私は可哀想だなと単に哀れむだけで、深く考えたことはなかった。


私は母親になった。もし、母親になっていなかったら、この番組を見てもここまで心痛くなかっただろうし、感情移入しなかっただろうし、ましてやブログに書こうなどとも思っていなかっただろう。妊娠・出産も経験した。だからこそ、子供を授かった母親がどんなに自分の体調、お腹の中の赤ちゃんのことに神経質になるかを知っている。どんなに些細なことでも、考え出すと心配で心配でしょうがなくなる。妊娠初期にお酒を飲んじゃった、大丈夫だろうか?サプリメントを飲んでも大丈夫だろうか?素手で強力な洗剤を触ってしまった、カビキラーを誤って吸い込んでしまった、食器用洗剤も自然なものに変えたほうがいいのだろうか?本当に考え出すときりがなかった。


出産後も、抵抗力の弱い新生児が風邪をひいてはならないと赤ちゃんに触れる時は必ず手洗いをし、消毒をした。室温、湿度、私の食事、つまり、おっぱいの量と質、肌着の枚数、布団の枚数に神経を使った。ちょっとでもゼーゼーしていると風邪なんじゃないかと心配し、鼻がつまっては風邪なんじゃないかと心配した。湿疹ができれば、アトピー性皮膚炎じゃないかとインターネットで調べまくった。


母親になる前の私でも、マンホールの中で子供を育てることが、いかに不便なことであるかくらい簡単に想像がついていただろう。しかし、母親になった今、マンホールで子供を育てることを想像しただけでも恐ろしくなる。おっぱいを与えなければならない母親だって満足に栄養もとれない、不衛生、着替えもない、オムツもない、お尻ふきもない、布団もない、タオルもない、ティッシュもない、石鹸もない、食べ物もない、病院にも行けない、水も満足に使えない、暖房もない、何もないのだ…。


両親と共にマンホールで暮らしていたその2歳の男の子は終始、笑いもせず、泣きもせず、話もせず、無表情であった。髪はボサボサ、着ている物も垢で真っ黒。結局、その日の夜はマンホールを見つけられず、アパートの住人が寝静まるまでアパートの外で父親と母親が交互に息子を抱き、息子を冷やさないようにしていた。外はマイナスである。アパートの住人が寝静まった頃、一家は階段の踊り場を寝床にした。外よりはマシかもしれないが、踊り場だって厳しい寒さである。踊り場について、抱っこされていた息子が立った。ズボンは落ち、お尻が丸出しになっていた。父親がコートを脱ぎ、息子をコートで包み、父親と母親で息子を包むようにして、3人で抱き合って暖をとりながら寝ていた。その子が寝ながら母親のおっぱいを吸っている姿を見ていたら、何だかとてもいたたまれない気持ちになった。恐らく、その子の食事はいまだおっぱいだけなのではないだろうか?母親だって、ろくに食べてないだろう。おっぱいはちゃんと出るのだろうか?出たって、出は悪いだろうし、質だってよくないだろう。もう一度言う。カメラが回っている間、その子は笑いもせず、泣きもせず、一言も言葉を発しなかった。家族は着の身着のまま、何も持っていなかった。


マンホール人口が増えるとともに、捨て子の数が急増しているそうだ。自分一人が生きていくのだって精一杯なのに、ましてや子供を育てるなんて考えられないのであろう。マンホールに捨てられた赤ちゃんを保護している施設には大勢の親なし子が生活していた。施設の担当医が言っていたが、マンホールで生まれた子供は、母親のお腹の中にいる時に十分な栄養を得られなかったために、体が弱いのだそうだ。施設には、暖かい寝床もあり、3度の食事もでるし、お風呂もあるし、医者だっているし、教育だって受けられる。でも、親はいない。


一方、前出の2歳の男の子は両親はいるが、住む所もないし、基本的な生活は送れていない。子供たちにとって、一体どちらが幸せなのだろうか?


その衝撃的な番組を見た後、私はショックでなかなか眠れなかった。もう数日経つというのに、ふとした時にその2歳の男の子がボサボサの頭を無表情で掻きむしりながら、お尻を丸出しにしている姿、無心で母親のおっぱいを吸っている姿が頭に浮かぶ。思い出すだけで、胸が締め付けられるような気持ちになると同時に、そんな過酷な状況、環境の中で生きてきた男の子の生命力の強さにも驚かされている。どうか今でも無事でいて欲しいと願わずにはいられない。


そして、今日の午後10時10分からBS1で『10年後のマンホールチルドレン』が放送される。

今日は小児科に髄膜炎の予防接種に行ってきた。注射を打った後、疲れたのか、だるくなったのか5時間もお昼寝をしていた。普段は長くても1時間くらいしかお昼寝をしないのに。


○ ○ ○


日曜日にパーマをかけた。美容院に行ったのは実に8ヶ月ぶり。出産前からずーっとパーマをかけたかったのだが、出産後は自分の髪型に構っている暇もなく、授乳間隔も空かなかったのでナカナカ行けなかった。4ヶ月を過ぎた頃から、昼間の授乳間隔も3時間くらい空くようになったので、息子を旦那に任せ行ってきた。


私の担当の美容師さんは20代の男性。今まで私が担当してもらった美容師の中(韓国で)で一番上手である。私は日本でもそうなのだが、どう切って欲しいか、どうパーマをかけて欲しいか、イマイチ説明が上手にできない。その下手な説明をちゃんと理解してくれて、イメージ通りにしてくれた美容師は今までで韓国では彼しかいなかった。今回で彼にお願いするのは3回目である。彼にお願いする理由、それは腕の良さもあるが、何といっても彼は私の好みのタイプなのであるラブラブふふふふふ。それに、私の好きな黒のプラスチックフレームのメガネをかけているし(これ重要!)スタイルもいいし、カッコいいんですよ。ほほほほほ。それと、彼は毎回、頭皮と髪の毛のチェックもしてくれるし、それがまたズバリ当たっているのだ。


今回も、

「普段は髪の毛を一つに結んでいますね?」 「はい、正解!」

「髪を乾かす時に、ドライヤーを使ってませんね?」 「はい、その通り!」

「最近、抜け毛が酷いでしょう?」 「はい、そうです。」

「それも、シャンプーの時にゴッソリ抜けるでしょう!」 「まさに、そう!!」(やばいくらい抜けますぜ)

「普段、エッセンスやトリートメントを使用してませんね?」 「はい、バレテマスカ…」


全部、正解である。「はい、そうです!」と私が元気よく答える度に、困った顔をする彼。


そして、今回指摘されたのが、『育毛シャンプーを使用すること』!!抜け毛が最も激しいのは、出産後3,4ヶ月だそうだ。私は髪の毛が多い方だが(すんごく多い)、前頭部の抜け毛が激しいとのこと。(実は自分でも気にしていたのだが)出産後の抜け毛だからとバカにしてはいけないそうだ。早速、育毛シャンプーを使って、毎日マッサージした方がいいと言われてしまった。それと、ちゃんとエッセンスなどを塗ってヘアケアをすることと。



釜山でパーマをかけた時は、緩すぎてすぐにパーマがとれてしまったので、今回はキツめにかけて下さいとお願いした。望み通りのキツめの仕上がりに満足。(デジタルパーマとか言うパーマをかけた。)髪の毛をすいてもらったので、頭も軽くなったし、何よりも髪の毛をササッとまとめられてとっても楽。


ああ、気付いてはいたけれど前頭部が薄くなっていると指摘されるとはなぁ~、結構ショック。でも、育毛頑張ろう!

ちょうど4ヶ月と2週間の今日、息子がついに寝返りに成功した合格やったー!!クラッカー



<今朝、寝返り前の!?体慣らしをしていた息子。ふと見ると枕が頭の上に。枕に敷いたタオルもハンカチもお布団もグチャグチャ。ちょっとマヌケな姿で笑えるにひひ


<さて、今日も寝返りに挑戦!>

<おっ、あともう少しだ!頑張れ~!!>

<最後の力を振り絞って、よいしょっ!>

<ついに、寝返りに成功!やったね、おめでとう!!


<よく頑張ったね。記念撮影するよ!はい、チーズカメラ本人も満足気です。>

先週の金曜日、21日は私の誕生日だった。


34歳になった。34歳かぁ…。高校時代がつい此間のような気がするのに、それからもう約17年も経っているなんて信じられない。0歳からの17年と17歳からの17年って、時の流れの速度がまったく違かったなと、今更ながら思う。


その日は一日中忙しかった。朝は旦那のお弁当作りから始まって、午前中は家事と育児に終われ、午後3時からは息子をヨガの先生に預け、歯医者に行った。歯医者が終わってからは、ヨガセンターで先生とお喋り。先生と別れてから、息子と一緒に近所のデパートへ行き、旦那のお財布と私のウェストポーチを購入。一旦家に帰り、息子におっぱいをあげ、オムツを替えてから、タクシーでレストランへと向かった。


<レストランへ到着!最近の息子のマイブームは舌を出すことニコニコ

<旦那から歯医者通いしている私への誕生日プレゼント…。しかも、ダイソーで買ったらしい。歯を大切にねって、ありがとう…。>


<前菜にフライドチキンのサラダ、飲み物はアルコール1%くらいのワインエイド(右のグラス)ワインお誕生日の日くらいは少し飲んでもいいよね。>


ちなみにこのレストランでは、ワインエイドを一杯注文したら、もう一杯おまけ、生ビールは何杯でもおかわり自由ビール!(旦那は生ビールを注文)いかにも韓国ならではのサービスといった感じだが、韓国ではこの手のレストランの料理ってとってもお高いのである。大体、日本のファミレスの3~4倍くらいのお値段するのだ。だから、飲み物くらいサービス良くなきゃね。ちなみに、このレストランと提携している携帯電話やクレジットカードなどを持っていると10~20%割引になる。

<私が注文したのはビーフとチキンのファヒータ音譜

<旦那が注文したのは牛ヒレステーキナイフとフォーク

<息子は指しゃぶりに夢中クマ


息子が湿疹になってから、乳製品、卵、小麦粉、お菓子、脂っこいものを一切口にしなかった私。お肉も控え目にしていた。一日3杯はカフェオレを飲まなければ震え出すほど(なんてね)カフェオレ中毒で、一日に一食はパンを食べなければならないほどパンを愛しているこの私がそれらを断つなんて、自分でも本当に良くやったと思う。これは愛する我が子のためだからできることであり、愛する旦那のためでも…やっぱりできないと思う。ましてや、自分のためだったら絶対にできないと思う。卵が含まれる食品も料理も、パンの他にも小麦粉でできているうどん、パスタ、お好み焼きもすいとんも、乳製品のヨーグルトもチーズも、大好きなケーキやドーナツはおろか、旦那がドイツで買ってきたチョコレートやショートブレッドも一切禁食していた。


しかし!自分の誕生日にケーキもコーヒーもパンもお肉もダメだなんて、ちょっと悲しすぎる。一週間だけ集中的に医者から処方されたステロイドを含むローションを塗り、その後はステロイドに頼らずホームケアで頑張ってきた。努力の甲斐あってか、息子の湿疹は大分きれいになったのだ。最近、湿疹の原因が食物だという確信もないままに禁食を続けなけれならないのだろうかと、途方に暮れかけていた私は、この日一時的に禁食を解いてみた。これで湿疹がぶり返さなければ、息子は食物アレルギーではないってことだしね。


最初は私と旦那の膝の上で大人しくしていた息子だが、食事も中盤に入った頃ぐずり始めた。旦那が息子を抱き、寝かしつけに外に出て行ったがナカナカ帰ってこない。20、30分経った頃、旦那が困った顔をして戻ってきて、「ダメだ。泣き止まないし、ぜんぜん寝ようとしない。お前がおっぱいあげるか、オムツ取り替えてきて」と言った。私はレストランに隣接している大型スーパーマーケット内の授乳室に行った。20分くらいしてから、レストランに戻ると、旦那は食事を終えていた。授乳室では泣き止んだ息子だが、レストランに戻ってきてからまた泣き出したので、私は急いで残りの食事を平らげ、レストランを後にした。


行きはタクシーだったが、帰りは旦那と一緒だったため徒歩30分くらいの道のりを歩いて帰ってきた。やっぱり赤ちゃんは外が大好きだ。息子は旦那に抱っこされ、ぐっすり眠っていたので、うちから歩いて1分弱!!のカフェでお茶をすることにした。でも、中に入るとまた起きちゃうかもしれないので、外で。

<お腹がいっぱいだったので、カフェオレとケーキは2人で分け合いましたケーキ


<息子を抱きしめる旦那うり坊


カフェで話に花が咲き、帰宅したのは11時。あまりに遅い時間だったので、息子のお風呂はお休みすることにした。長時間の外出でちょっと疲れたけれど、楽しい幸せな一日であった。


その後、心配していた息子の湿疹はぶり返さず。私はカフェオレとパンをまた少しずつ再開したのであった。


PS お誕生日を祝ってくれたお友達、本当にどうもありがとう!!

中学生の頃、メガネを掛けたいばかりに、わざと視力を落とすような行動をとっていた私。そう、私はメガネフェチ。メガネを愛してやまない。周りの友人は「ダテメガネだっていいじゃん」と言っていたが、メガネフェチにとってダテメガネは邪道。(って私だけかな?)高校~20代半ばまではコンタクトレンズも使用していたのだが、ソフトレンズ1週間着けっぱなしなど荒い使い方をしていたら、ハードレンズさえも受け付けないドライアイになってしまった。それからは、ほぼメガネだけで生活をしている。使い捨てコンタクトも持っているが、出番は年に1、2回だけである。


今までに買ったメガネの数は…数え切れない。優に20は超えているだろう。フレームの色は、黒から茶、シルバー、ゴールド、透明、水色、黄緑、深緑、青、紫、赤、ピンクなど様々。フレームの種類も、大方がプラスチックフレームだが、ノーフレーム、ハーフリム(上半分がメタルで、下半分は釣り糸などで止めてあるもの)、メタルフレームも持っている。前は洋服に合わせてメガネもとっかえひっかえ変えていたが、最近では殆ど家で過ごしているため、付け心地の良い黒のメタルフレームのものばかりしていた。


思い起こせば去年の夏、私は一大決心をした。もう当分の間(2、3年は)、メガネは買わないと。


しかし、その決心は早くも先日崩れてしまったのであった。「メガネを買わないと決心したのはいつのことやら」と、半ば呆れながらも、旦那はメガネ選びに付き合ってくれた。近所のメガネ屋を数軒はしごし、結局旦那が選んでくれたメガネを買った。


それが、この↓メガネ。フレームはプラスチックフレームで、色は光沢を抑えたグレー!レンズ込みのお値段ナント4千円で~す。(ここ数年、4千円以上のメガネは買えない買わない私。)


そうそう、忘れていた。オッパとオンニから4つ目のプレゼント、ベビー用バスローブとスリッパのセットも頂いたのであった。



おそろいのスリッパがとってもキュート!!早く着せたいなぁ~音譜

<<10日 月曜日>>


午後からMが遊びに来たので、一緒に息子を連れ病院に行ってきた。(前回の日記参照)


<<12日 水曜日>>


オッパとオンニとサンウが遊びに来た。オッパ一家とは出産後、初の再会。サンウは10月に会った時よりもずっと大きくなっていた。もうすぐ3歳の誕生日を迎えるサンウの手が、息子の手と比べると、まるで大人の手のように大きく感じられるのが何とも不思議だった。


<オッパが我が息子を抱っこしたため、嫉妬してご機嫌ななめのサンウ…(ノ_-。)>

<出産後も相変わらずスタイルのいいオンニ。手足が長くて羨ましい!!>


そして、こんなにも沢山プレゼントを頂いてしまった。


<プレゼント① 布でできたトレーニングトイクマ

<プレゼント② サンウが読んだ本本

<プレゼント③ 12ヶ月から18ヶ月までのサンウのお下がりのベビー服!すべて上下セットである。>


いや、本当にありがたい。ベビー服や本はお下がりで十分。赤ちゃんのものって、買うとなると結構お値段が張るので、とっても助かる。面白いのは、国によってベビー服も異なること。日本では、ボディースーツ、ロンパース、ショートオール、カバーオールなどが主流のようだが、韓国では上下が分かれているパジャマタイプが主流なのだ。


<<14日 金曜日>>


息子の4ヶ月検診に行ってきた。小さく生まれたので、5.9kg/62cmと相変わらず体は小さいがどこも異常なし。湿疹が気になるが、病気もせず元気に育ってくれていることだけでもありがたい。


<<15日 土曜日>>


10時半からヨガに参加。ヨガを少し早めに切り上げて、歯医者へ。詰めてあったところが取れてしまい、更に虫歯が深いところまでできていたので、神経を抜くことに。今回は神経治療の2回目。


夕方からヨガの先生の新居にお邪魔する。先生の家を訪問するのは今回が初めて。先生と先生のボーイフレンドに遊んでもらう息子。暫し、ママはおしゃべりとテレビに夢中。夕食には2人の美味しい手料理を頂いた。すでに夫婦のようなとってもお似合いのカップル。帰り道、旦那と「何だかうちらよりも夫婦みたいだよね」と話したのであった。






<<16日 日曜日>>


今日は天気が良かったのだが、黄砂注意報が出たため息子は外出禁止。私は右手首のガングリオンが痛み、抱っこもするのも辛いため、韓医院で鍼を打ってきた。夜は、旦那と久々の映画鑑賞。(もちろん自宅でだが)今日本で公開中の映画『Enchanted(邦題:魔法にかけられて)』を観た。


<<17日 月曜日>>


朝一で、保健所に息子の予防接種に行ってきた。今回は3種混合とポリオの2回目である。ポリオは痛くないようで一瞬声をあげただけだったが、3種混合の方は痛かったようでギャーと泣き出した。すぐに泣き止んだのだが。保健所での予防接種は午前中だけしかやっていないので、11時ごろになると混みだす。それを知っていたので、私たちはタクシーに乗って朝一で出かけたのだが、予想通り待たずにあっという間に終了した。


午後、Mが遊びに来た。いつもそうなのだが、今回も食べ物(今回はリンゴ、プチトマト、パン、カボチャのお粥)を山のように買って来てくれた。でも、残念ながら私はパン禁食中。目の前にあるパンの誘惑と戦っていた私の姿を見ていたMは、途中でお餅も買ってきてくれたニコニコ 


Mもヨガの先生もオンニ、オッパも翻訳のパートナーHさんとKさんご夫婦も、皆うちに来ると少しでも私が体を休められるようにと、息子の面倒を見てくれたり、家事を手伝ってくれる。私たちって本当に皆に助けられて、支えられて生きているんだなと思った。そして、私は今まで子供持ちの友人の家に遊びに行っても、友人を手伝うどころか、むしろ大人同士の会話に夢中になっていたではないかと、今更ながら深く反省したのであった。

3月に入ってから、息子の体中に湿疹ができてしまった。





生後1ヶ月ごろから顔にニキビのようなものは常にできていたのだが、それが突然体中に広がってしまった。今でも顔にできているのは主にニキビのようなものなのだが、体にできているのは鳥肌が赤くなったような小さな赤い発疹である。旦那と相談して、取り合えず一週間はホームケアを頑張って様子を見ることにした。今まで使っていたローションもアトピー用のクリームに変えた。授乳後は口の周りをアベンヌのウォータースプレーでキレイに拭い、肌がカサカサしている所にはこまめにクリームをつけた。


また、乳児湿疹は母乳に含まれるタンパク質によっても出るというので、今までの食事も見直してみた。体中に発疹が出た時、私は母乳の質を悪くすると言われているチョコレートとヨーグルトとスナック菓子を沢山食べていた。また、それまで一日一食はパンを食べていた。もしかしたら食物アレルギーかもしれないので、取り合えず3大アレルゲンでもある小麦粉や乳製品、卵は控え目にすることにした。


しかし、一週間経っても湿疹は一向に良くならないので、月曜日に病院へ行って来た。医者の話によると、まだアトピー皮膚炎かどうかの判断は難しいが、今の段階では少し酷い乳児湿疹だろうとのこと。汗が発疹の原因にもなるので、とにかく肌を清潔に保ち、乾燥させないように保湿剤で保湿し、部屋の湿度にも気をつけなさいと言われた。毎日、ちゃんと石鹸でキレイに洗って、ローションを塗って、空気清浄機と加湿器をフル回転させているし、また、湿度は高すぎても低すぎても良くないのでちゃんと温度・湿度計まで買って調節している。私自身がハウスダストアレルギーなので掃除も毎日しているというのに…どうしてだろう?


病院では、ステロイドが1%入った保湿ローションを処方された。調べてみたら、ステロイド剤の中では一番弱いものであったが、乳児にステロイドを使うのは少々怖い気もする。でも、長期間の使用をさけ、医者と薬剤師に言われた通りにきちんと使えば大丈夫だろう。まずは一週間塗って、様子を見るつもりだ。(実際、顔の湿疹は大分良くなった。)


医者の話によると、乳児湿疹が酷くなるとアトピーになるそうだ。私も赤ちゃんの頃、軽いアトピーだった。小学校2年生の頃には、アレルギー性鼻炎が酷く、1年間体質改善の治療を受けた。旦那もアレルギー体質だし、今でも時々全身に貨幣状の湿疹ができる。(旦那の場合は汗が湿疹の原因だと思われる。)両親がアトピーだったし、アレルギー体質でもあるので、息子も十分にアレルギー体質やアトピーになる可能性を備えている。とにかく、今からきちんとケアしてアトピーが発症するのを防がねばならない。