先週末、旦那が2泊3日で中国にワークショップという名の社員旅行に行ってきた。
このご時世に、海外へ社員旅行とは大したものである。

まあ、そんなことはさておき、旦那の留守中に韓国人の友人Mが泊まりに来てくれた。

息子が寝静まった後、Mと私は酒盛りをした。
といっても、Mはあまり酒を飲まないので私ばかりが飲んでいたのだが。

M:マッコリ コップ1杯、ビール 半缶
私:マッコリ コップ2杯、ビール 6缶

断乳した途端これだから。

結局、朝の5時まで酒盛りをしていたのだが、その時に2人で盛り上がったのが
韓国映画『愛を逃す』のワンシーン。

Mがこの映画を観たことがあり、「このシーンとBGMがめちゃくちゃいいんだよ」と
ワンシーンの動画(下にあります!)をストーリーラインとともに紹介してくれたのだ。

『愛を逃す(사랑을 놓치다)』(2006年)
出演:ソル・ギョング、ソン・ユナ、イ・ギウ

kaffeの日記 in 韓国

昔からソル・ギョングという俳優が好きだった私。彼は過去に『ペパーミントキャンディー』
『シルミド』『公共の敵』『オアシス』『力道山』などの映画に出演する実力&
個性派俳優である。彼のようなタイプの俳優は韓国芸能界にはいない(と思う)。

私たちは、イ・ミョンバク大統領の経済政策について意見しあいながら、飽きずに
その動画を10回以上もリピートして見続けたのであった…あせる

BGMと映像とシチュエーションがまたうまくマッチしているんだよな。
田舎の初夏の夕方のにおいが映像から漂ってくる。
お互い好きなのに、いつもすれ違ってばかりの2人…。

kaffeの日記 in 韓国
<ソル・ギョングとソン・ユナ>

「かぁ~DASH!、20代の頃には分からなかった、これぞ大人の恋愛だよねぇー」と、
ビールを片手にスルメをかじりながら見ていた30代も半ばの女2人であった。

まるで全てを知っているかのようにそんなことを言いつつも、まだそのワンシーンしか
見ていなかった私。昨日、ついにこの映画を見たのだが、とてもよかった。
まさに私たち世代にオススメの映画である。

でも、個人的に主人公ソン・ユナに片思いしている寡黙なイ・ギウ(現在、TVで
放送しているドラマ『スターの恋人』<主演:チェ・ジウ、ユ・ジテ>にも出演している)
もよかったなドキドキ

kaffeの日記 in 韓国
<ソン・ユナとイ・ギウ>

それでは、ずいぶん引っ張りましたが『愛を逃す』、オススメのワンシーンをどうぞ!

日曜日で息子も14ヶ月になった。


昨日の朝、突然息子が、


「いない、いない、ばぁ~」と言いながら、いないいないばぁーをした。ビックリしたえっ


最近では、


ブタの絵を指でさしては、「ェウフ、ェウフ」とブタの鳴き声(デンマーク語)を言う。


立ち上がるときには、「たっち」と言う。


私が「痛い!」と言うと、心配そうな顔で私を見る。


「ママ、ここぶつけちゃって痛いからフーして」と言うと、フーしてくれる。


「ごめんなさいと謝って」と言うと、片手を額に当てペコンとお辞儀をする。

(その姿、まるで落語家のようである。一体、どこで何を見て学んだのか?)


洗濯物をとりこんでいると、一緒にとりこんでくれる。


ティッシュや布巾があると拭き掃除の真似をする。


コップで私にお茶を飲ませてくれて、私が飲むとなぜか息子が「ごくん」と言う。


「ねんねしよう」というと、「グーグー」とイビキの音真似をする。

(私たちがイビキをかいている姿を見て学んだのか!?)


どんどん理解力も知恵もついていっているのが目に見えて分かる。

赤ちゃんの吸収力ってスゴイな。

1月1日に旦那の提案でインチョンにあるウォルミドに行ってきた。ウォルミドは家から車で約1時間くらいのところにある海浜公園である。昔は、島だったため月尾島というが、今では埋め立てられ陸続きとなっている。


kaffeの日記 in 韓国

<ウォルミドに到着。寒さで目が開かない!?>

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<ゲームに興味のない私が唯一好きなゲーム、それはレーシングゲーム車

ゲーセンに行くと必ずやるのだ!>

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<一人で歩く!と私の手を振り払おうとする息子。この時はまだ息子の手袋を

買ってなかったので私ので代用。一人で歩くようになるとやっぱり必要なのねと、

後日購入したがこの私の手袋の方がしっかりフィットして、いい感じ。>

kaffeの日記 in 韓国

<ほかの子が乗っているのを見て、乗りたがったので乗せてみた。

動いたら喜ぶかなとお金を入れたが、動き出した途端にこの表情。怖くて凍っているガーン

そして、ウェーンしょぼんあせる結局、1000ウォンは無駄になってしまった。>

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<午後4時ごろに食べたお昼!?あわび入り海鮮うどん!!美味しかった~グッド!

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<80年代風の”海が一望できる”カフェにて。眺めはよかったもの、

出てきたものも80年代風だった。>

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<元旦の日没。>

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<すっかり日は沈み、寒さも増してきたのでそろそろ家路へ。>

【1月1日】


22:00  最後の授乳をする。

       私は、「ママのおっぱい、もうあまり出なくなっちゃったんだ。ママのおっぱい、

       痛くなっちゃったし、お前ももう大きくなったもんね。今日でおっぱいとバイバイしよう。

       これが最後のおっぱいだよ。いっぱいいっぱい飲んでね!」と言った。

       息子は、待ってましたかというように、おっぱいにかぶりついた。


       息子はお腹いっぱいになったらしく、おっぱいから口を外し、

       「オンマ~、オンマ~、オンマ~、パ~プ~、オンマ~、オンマ~…」と

       いつになく可愛い声で(親バカです)言っていた。それは、まるで歌を

       歌ってるかのようだった。


       私は、寂しさと今までの色々な思い出がこみ上げてきて、思わず涙が溢れた。

       息子はオンマ~と数十回言ってから、コテンと眠りに入った。


【1月2日】


02:10  息子が目を覚ます。

       おっぱいが恋しいらしく、抱っこしてもおんぶしても大きな声で泣き叫ぶ。


03:30  置いては泣くを7回ほど繰り返し、やっと眠りにつく。


08:30  泣きながら起床。しばらく泣いた後でバナナをあげると機嫌がよくなった。


クラッカー初の6時間連続睡眠達成クラッカーイェーイチョキ


午後から銀行に行く。銀行で用を済ませた後、近所のお餅屋さんでシッケを6Lも購入。(シッケとは甘酒の冷たいバージョンみたいな韓国の飲み物である。韓国では昔からシッケを飲むとお乳が出なくなると言われており、断乳の際にシッケを飲むのが常識となっている。)


その後、デパートに行く予定だったが、あまりにおっぱいが張って痛いので家に帰ることにする。悪寒、頭痛、吐き気、だるさが襲う。まるで風邪のひき始めの症状のようだ。


家に帰るなり、右のおっぱいだけを搾乳。あまり絞りすぎるとまた母乳を作ってしまうので、痛みが和らぐ程度にやめておいた。その後も痛みと悪寒に耐えられず、2回ほど搾乳。


悪寒がし体がだるくて仕方ないので、息子を旦那に任せ、しばし休む。


22:20  寝かしつけスタート。(確か、抱っこして、おんぶして…もう忘れている。)


23:00  息子、寝る。


【1月3日】


03:15  目を覚ます。泣き叫ぶも昨日よりはまし。


04:00  やはり置いては泣くを数回繰り返し、眠りにつく。


08:30  起床。ぐずっているのでバナナをあげる。


右のおっぱいだけパンパンに張っている。まるでグレープフルーツをくっつけたような感じだ。岩のようなガチガチのおっぱいに、乳腺がシコリとなってゴツゴツと出っ張っている。これ、一体何物だ!?左のおっぱいは元々あまり出なかったせいか、張りは少ない。大きさも右の方が2倍くらい大きい。ああ、おっぱいがビッコになってしまった…、悲しい。


あまりに痛さに搾乳。


午前中、息子を旦那に任せ寝る。


痛みはMAXになり、悪寒、だるさ、吐き気、食欲不振、頭痛も悪化する。自分の腕がおっぱいにかすっただけで激痛が走り、息子を抱っこするのも辛い。旦那が休みで本当によかった。


それでも搾乳をし、昨日行けなかったデパートに行く。帰ってきてからも軽く搾乳する。


22:20  寝かしつけスタート。3人でベットの上でごろごろ。


23:00  私が日本昔話を読んであげている途中、息子は眠りにつく。


祝日 クラッカー抱っこ、おんぶなしの寝かしつけに成功クラッカー


【1月4日】


明け方  何度も寝返りを打った末に泣き出すも、息子を抱き寄せて背中をトントン

      叩いてあげると再び寝入る。奇跡だ~~~~ロケット


09:00  起床。バナナなしでオッケー!


11時から予約していた美容室でヘアカット(私)。その後、イルサン新都市に向かう。MBC放送局を見学後、カフェで遅いランチをとり、湖公園でお散歩をした。


おっぱいは相変わらず痛いし、張っているもの、昨日よりも落ち着いてきた。


夜、断乳を始めて3日経ったので、おっぱいがふにゃふにゃになるまで思いっきり搾乳。シコリと痛みが取れてすっきり!500ccは出たと思う。


【その後】


◆ 寝かしつけ方法: ①昔話の読み聞かせ

              ②童謡を歌う


◆ 夜中に目を覚ましたら: ①抱き寄せて背中をトントン

                  ②仰向けに寝た私の胸に息子をうつ伏せに寝かせ背中をトントン


◆ お昼寝の際の寝かしつけ方法: ①息子をおんぶして家事をする

                       ②抱っこして背中をトントン                      

                       ③ドライブ(旦那がいる時のみ)


● おっぱいの状態: 断乳3日目の夜に搾乳してから、少し張るものの痛みはほぼなくなる。

              5日目の夜に、少しシコリができたのでマッサージをし、軽く搾乳する。

              4日、6日目は搾乳なし。現在に至る。


● 今後のおっぱいケア: 断乳後10日目、1ヵ月後に再び搾乳予定。


【断乳後記】


<息子>


■ 卒乳したもの、おっぱいに若干未練はあるようで、眠くなるとおっぱいを

  指で指したり、触ったりする。

  

■ 息子の一人遊びの時間が若干増え、ぐずりが減ったように思う。

  

■ 昼寝時の眠りも深くなったようだ。


■ おっぱいという精神安定剤を卒業し、むしろ精神的に安定したようだ。


■ 卒乳をし、ちょっと逞しく、お兄ちゃんぽくなった。


<私>


■ 息子の夜泣きよりも、辛かったのが私のおっぱい。

   最初の3日間は、痛くて、寒くて、気持ち悪くて、食欲不振になった。

   (今、その時の反動で夜中の2時だというのにベビースター食べてるけど。)


■ 私には、シッケはあまり効果がなかったと思われる。美味しかったが。


■ 夢のナイトライフ、酒ライフ、到来!!!ヤッホーアップ


<総合>


断乳前の息子の状態から最初の3日間はかなり苦労するだろうと想像していたが、意外にあっさりとあきらめてくれて、とても助かった。想像していたよりもずっと楽に終えることができた。1月下旬まで授乳を頑張ろうと思っていたが、断乳を早く決断して本当によかった。


でも、おっぱいって本当に本当にすごいなって思う。おっぱいを通じて、母体の神秘を身をもって感じることができたし、授乳というあったかい親子のスキンシップができた。おっぱい、本当にありがとう!そして、今までお疲れ様でしたニコニコ

断乳を決心したのは、2009年1月1日のことだった。


息子ももうすぐ14ヶ月。10ヶ月に入ったくらいから、もうそろそろおっぱいをやめようかと思っていたが、なかなか決心がつかず、今までずるずるとあげ続けていた。理由は、寝かしつけに便利だったからと、おっぱい大好きの息子に卒乳させるのは母としても寂しかったから。


でも、1歳を過ぎたくらいから、夜間の授乳が頻繁になった。もともと夜間の授乳間隔の短かった息子、よく寝てくれてもせいぜい4時間であった。5時間寝てくれたことなんて、1年で2,3回くらいしかなかった。それが、2ヶ月前から、寝ても最長3時間、午前6時くらいからは30分~1時間間隔での授乳となり、結局私が疲れ果ててしまったわけである。夜間の授乳回数だけでも約8回、これじゃ寝た気がしないのも当たり前である。


この約14ヶ月間、寝不足の慢性疲労気味であった。もういい加減ゆっくり寝たい!!!と思ったのが断乳に至った一番の理由である。それと、思いっきりお酒が飲みたい!と思ったのが次の理由にひひその他にも、母乳の出が悪くなった、1歳を過ぎると母乳は精神安定剤にしかならないと聞いた、もっと食事から栄養をとってほしいからなどの理由もあるが。


断乳すると最初の3日~1週間は、母子共にとてもハードだという。でも、その辛い時期を乗り越えれば~ラ ラ ラ ラ ラ~音譜そう、寝つきもよくなり、夜間にしょっちゅう目を覚ますことはなくなるという。つまり、夜型の私にとってはバラ色の時間が待っているというのである。これで邪魔されることなく、自分の時間が持てるぞ~!寝れるぞ~!と、ルンルンな気持ちで断乳を決心した私であった。


それは、1月1日午後2時頃、インチョン市にあるウォルミド(月見島)に向かう車中車でのことであった。


<実践編に続く>

皆様、新年明けましておめでとうございます。


kaffeの日記 in 韓国

昨年は色々とお世話になりました!

お友達のみんなにも、いつも愛読してくださっている皆様にも本当に助けられ、

人との出会い、人と人とのつながりの大切さを特に実感した一年だったと思います。

どうもありがとうございました。


2009年も何卒よろしくお願いします。お互いいい一年にしていきましょう!!


                                            kaffe

さて、私から旦那へのクリスマスプレゼントは、破水前日に自分で撮った臨月写真から生後約3週間(旦那がデンマークから韓国に戻ってきた日くらいまで)の写真を編集したフォトブックだった。


で、旦那から私へのプレゼントは…ダウン

















kaffeの日記 in 韓国


はぁぁぁぁぁぁ~?また歯ブラシィ~はてなマークしかも、誕生日の時よりも1本増えて4本入りだしっっ!!


ちなみに、これ↓が誕生日にもらったもの。
kaffeの日記 in 韓国


これって、もしかして…ウケ狙い?狙ってます??


「笑いを飛び越えて、結構ショックだわ…」と言いながら、包みをゴソゴソしていたら!


おっ、これはっっキラキラ

kaffeの日記 in 韓国

うぉう目 私が前から行きたがっていたエステの会員証ではないか!!


しかも、顔・全身フルコースの1回券付き~~~ラブラブ!


ありがとー、超うれし~ラブラブ


…。


っはっっひらめき電球でも、旦那よ。いつから、そんなに羽振りがよくなったのだ?


我が家の大蔵省である私の知るところでは、うちにはそんな余裕がないはず。嬉しいけど、来月の請求額がちょっと恐ろしいのであった。

私が子供の頃は、クリスマスの日の朝に目を覚ますと、サンタさんからのプレゼントが枕元に置いてあった。


デンマークでは、クリスマスイブのディナーの後に、みんなでクリスマスツリーの下に置いてあるプレゼントをオープンしていた。パーティーのメンバーはいつも、義理の親、義理の姉、私たち、旦那の従兄弟夫婦であり、みな大人だった。


だから、今まで私は”そのこと”に何の疑問も抱かなかった。


さて、昨日のイブの夜。


食事をすませた私たちはプレゼントをオープンすることにした。


まず旦那が、


「S(息子)。今日、Sがママとレストランに行っている時に(昼間、レストランでママ友とクリスマスパーティーを開いていた。)、サンタさんがパパを訪ねてきたんだ。大きな包みを持ってね。『何のご用ですか?』と聞いたら、サンタさんが『さっき、Sにプレゼントを届けに行ったんだけど、お家に誰もいなくてね。だから、パパさん、私の代わりにSにこのプレゼントを渡して下さい』っていうから、預かってきたんだ。はい、これはサンタさんからのプレゼント!」


といって、息子にプレゼントを渡した。


私は、『旦那め、上手いこと喋りおるな』と関心していた。


てっきり私は、プレゼントは前に買っておいた機関車トーマスの模型ダウンだと思っていた…。


kaffeの日記 in 韓国


が、これはクリスマスカレンダー上のプレゼントらしい。


で、なんと旦那はサンタさんからのプレゼントを他に買っていたのだ。

kaffeの日記 in 韓国

サンタさんからのプレゼント① <木の電車>

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サンタさんからのプレゼント② <懐かしの”チョロQ”>


こんな幼い子に買いすぎじゃないか?と思ったが、旦那が気を悪くするかと黙っておいた。


突然、疑問に思った私は質問した。


私 「日本ではクリスマスイブの夜にサンタさんが来て、枕元にプレゼントを

   置いてってくれるじゃない。で、25日の朝、目覚めたらプレゼントがあったー!って

   感じなんだけど、そういえば、デンマークってイブの夜にプレゼントを開けるでしょう?

   サンタさんっていつ来るの?」


旦那 「お前バカじゃないか?サンタクロースは23日の夜に来るんだぞ。

    だから、24日の夜にプレゼントを開けるんじゃないか。お前一体何年

    デンマークに住んでいたんだ?そんなことも知らなかったのか?」


私 「えぇぇー、違うよ。サンタさんはイブの夜に来るんだよ。だって、日本では皆

   そうだもん。あっ、そうか、フィンランドに住むサンタさんはまず近いデンマークに

   行ってから、日本に来るんだ。だから、日が違うんだ。」


旦那 「はっ?サンタクロースがフィンランドに住んでるだと?サンタは北極に住んでいるんだぞ。

    そんなことも知らなかったのか?」


私 「ちょっと待って。この絵本にも『サンタクロースにとって一年で一番重要な日は

   クリスマスイブだ』って書いてあるじゃない?」


旦那 「だってそれはフランスの本だろう。俺が言っているのはデンマークでの話だ。」


私 「あー、そういうこと!でも、サンタが北極に住んでるなんて、いつどこで誰に聞いたの?」


旦那 「昔、絵本で読んだ。サンタが北極に住んでるのは常識だろう。」


私 「そうなのかぁ~?」


それで、私は早速調べてみた。


グリーンランド <★1>に住む長老サンタクロースの補佐をする目的で、グリーンランド国際サンタクロース協会 が1957年に設立された。グリーンランド国際サンタクロース協会が認定する公認サンタクロースは現在世界に180人。クリスマスに自宅ですごすことができない子どもたちのため、クリスマスより一足早く福祉施設 や小児病棟などを訪問する。


毎年7月、デンマークコペンハーゲン で世界サンタクロース会議が開かれている。公認サンタクロースは、自宅からサンタクロースの衣裳で参加することが義務づけられている。 毎年1月クリスマス が終わって10日後に公認サンタクロースがノルウェー に集結、サンタリンピック(サンタクロース冬季五輪)が開かれている。


また、グリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロースの存在が日本国内でも知られるようになってからは、フィンランド からやってくるサンタクロースもフィンランド政府公認サンタクロース、フィンランドラップランド州 知事公認サンタクロース、フィンランド商工会議所認定公認サンタクロース、等と名乗っている。』


以上、『ウィキペディア』より一部抜粋。


    <★1> 結構知らない人が多いのだが、グリーンランドはデンマーク領である。

          国家元首はデンマーク国女王だが、旦那の故郷であるフェロー諸島と

          同じく自治政府がおかれている。(私も旦那と知り合うまで知らなかった。)


早速、上記のことを旦那に話してみた。


旦那 「うん、知っているよ。」


私 「じゃあ、何で北極なの?」


旦那 「俺がそう信じてるだけ。」


私 「あっ、そういうわけ…。」(拍子抜け)


で、もう少し詳しく調べてみたところ、


● 『1886年 、トーマス・ナストは聖ニコラウス の姿を参考にして、サンタクロースが

   北極 で暮らしている姿を詳細に描いた。 』 <『ウィキペディア』より抜粋>


● 『北極では食料が不足し、トナカイに餌をあげられなくなったため、サンタクロースは

   フィンランドのラップランドに引越しをした。』<『1925年のフィンランドの新聞記事より』>


旦那の言っていることも間違っていないわけである。サンタクロースの故郷でよく知られているラップランドだが、そこもギリギリ北極圏内だそうだ。グリーンランドも北極圏だし…。


というわけで、正解は北極圏でしたビックリマークチャンチャンにひひ

21日は旦那の30歳の誕生日であった。


皆さんは覚えていらっしゃるだろうか?3月の私の誕生日の日のことを。


その日は外食したのだが、べネガンスというファミレスでの食事。

そして、旦那からのプレゼントはダイソーで買った200円相当の歯ブラシだった。


話を21日に戻して。


朝、旦那が「今日はホテルで食事がしたい!」と言い出し、昼、自分でカンナムにあるグランド・インターコンチネンタル・ホテル内にある(Kさん、うちもグランドの方でした!)『テーブル34』というフレンチレストランに予約を入れていた。おい、自分プロデュースかい!?


やはり高級レストランではゆっくりと寛ぎながら食事がしたい、と旦那。私たちは予約を入れた午後6時に直前に息子に寝てもらおうと作戦を練り実行した。


レストランに入る前、旦那が言った。


「頼みがある。今日は絶対に『高い』だの、『高いからやめる』だの言わずに、食べたいものを食べたいだけ、飲みたいものを飲みたいだけ頼んでくれ。もう予算は4万円と考えているから、お金のことは一切気にせず、食事を楽しんでほしい」と。


よ、4万円!?と驚いたが(私の時は1万円だったのに!?)、まぁ、デンマークでは30歳の誕生日を盛大に祝うことだし、旦那がそこまで言うのだからと、値段は見ずに胃に正直に注文した。


メインデッシュを私は牛ヒレステーキ、旦那はカモ肉のステーキにした。その他、オニオンスープ、シーザーサラダ、デザートにアップルタルトとアイスクリームを頼んだ。助手席に座る私は、またまた授乳中にも関わらず、シャンパンとレッドワインワインを頂いた。


やはり全てのお料理が美味であった。それはもう、久々に舌鼓を打ちましたよ。韓国のレストランではよくある”なんちゃってフレンチ(韓国風フレンチ)”ではなく、本格的なフレンチであった。あー、美味しかった。もう一回食べたい。


息子は途中で起きてしまったもの、頑張ってパパとママの晩餐に付き合ってくれた。ありがとさん!


久々に旦那も私もちょいドレスアップして素敵な一時を過ごせた夜だった夜の街


そうそう、私からのプレゼントはTHE NORTH FACEのバックパックであった。

先日、両親にメールで息子の写真を数枚送った。


その日の晩、父から電話が来た。


「お父さん、早速この写真(↓)を携帯の待ち受けにしたんだ音譜


kaffeの日記 in 韓国

<ポーズ決めてます。手にはお気に入りのバイキンマンマラカスが。>


「それで、お母さんの待ち受けにはこの写真(↓)にしてあげたんだニコニコ」と父。


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<お友達の1歳のお誕生日パーティーにて>

コンピューター関係の仕事をしている父だが、家では携帯にもPCにも興味のなかった父。

いつの間にそんなワザ!?を身に着けていたんだ?と、改めて孫のパワーを見せつけられた一件であった。