私をフランスアニメの幻想的な世界に引き込んでくれた「ファンタスティック・プラネット」のルネ・ラルー監督ですが、YouTube視聴で私の目からは残念と感じた2作をどう再構築(リメイク)するか、ルネ・ラルー監督は失礼ですが分析させていただきます💦

 

①長編2作目「時の支配者」

《〇粗筋

 ある開拓星で、巨大蜂に襲われた幼い少年とその父親-父親は倒れて、息子を助けるために救命信号を送る。

 それをキャッチした、亡命王族を輸送する仕事をしていた宇宙飛行士は、父親の通信機で救命を待つ少年を励ましながら発信先の星を目指すが、未開拓星で肉食知的生物に捕らわれた人々の救助や亡命王族らのいざこざに巻き込まれながらも、少年が待つ星手前まで来ると時空嵐に巻き込まれてしまう。

 救助された所で、救命信号を受けてから丁度100年経った時間にいると知らされる―それを聞かされた宇宙飛行士は愕然としていると、同行していた老人がいた星の住民で不思議な力を持つ小さな宇宙生物から、実は同行していたこの老人こそが助けるはずの少年だったと知らされる―それを知った時には、老人は時空嵐で重症になり、意識を取り戻さずそのまま亡くなる。

 残酷な事実を目の前に落ち込む宇宙飛行士に、彼に好意を持っていた亡命王族の王女が寄り添って、彼と共に果て無き宇宙へ向かう…》

 ルネ・ラルー監督お気に入り―戦後仏SF作家ステファン・ウルの7作目「ペルディードの孤児」をアニメ映画化した物ですが、原作をかなり翻案した上に話のギミック・超光速移動(「光より早く移動すると時間が逆行する」という、アインシュタインの相対性理論)がよくわからなかった所がありました。

 

 ルネ・ラルー監督の制作時での変更に関しては、YouTube視聴時には宮崎監督的物を受け止めていましたが、後々NHK「世界サブカルチャー史特別版フランス編」でフランスが芸術映画製作促進政策について説明があったので、そこからリアルな相対性理論を用いるステファン・ウルの「ペルディードの孤児」は余りにリアルなSF物だったので、わざわざ幻想的設定を盛り込んだのでは?、と考えに及びました。

 ですが、資金難により他国の製作所と共同制作する際に、当時最先端だったCG(コンピューターグラフィック)投入やメビウス(キャラデザ)参加などで出費がかかり、思い描いた出来栄えに至らなかったと、YouTubeにあったルネ・ラルー監督死去後のドキュメンタリー番組で語られていました。

 後一つ思ったのは、ルネ・ラルー監督などフランスの映画業界はリアルなSFは苦手なのかと感じてしまいました―実際、最近のフランスSFで有名な俳優・監督のを見ましたが、それも結構昔のでアメコミと混ざった変わったもので、それも全体的に不燃焼感が強かったです。

 

 以上踏まえて、再構築(リメイク)案を考えてみました―

1、サンライズかシンエイに共同制作依頼

 原作である「ペルディードの孤児」には、【圧制する銀河帝国の反抗分子】という存在が描かれています―まさにサンライズ的で、サンライズならばガンダムの世界観を持った一風変わった作品になるかもしれませんね…こう書いたら本当にやりそう…でも見てみたいw

 ドラえもんで知られるシンエイも、ディズニー「スティッチ」日本版第3期も担当した―SFにも定評がある製作所です―シンエイと手塚プロが共同制作すれば、サンライズに近いかなりハードなものができるかもしれません。

Ⅱ、円谷か東宝に依頼

 「ペルディードの孤児」はどちらかというと―日本が得意とする特撮実写物に合うと思います。

原作のリアルな世界観・設定が幻想的な描写とガチあってしまい、見る側に不必要に違和感を与えてしまっていたように感じられました。

 一時、日本独自の特撮が製作されなくなったとささやかれていましたが、NHK15分枠ドラマ「藤子・F・不二夫短編」群は映画レベルの映像と演出で、目を引く出来栄え。←原作の完成度が異常にあるというのもありますが…

ルネ・ラルー監督も12作あるステファン・ウル作品をテレビ用に製作しようとした経緯があるので、それで打診してみてはどうでしょうか?日本は、監督とは短期間とはいえアニメ映画祭などで交流していましたから、そのつながりでフランスSF物をNHKが実写ドラマ化していくというのもいいかもしれませんね。

 

②最終短編「ワン・フォはどう助けられたか」

《〇粗筋

 王政時代の中国-ある老画家、中国皇帝が彼が描く人々の暮らしに幼い頃から憧れていたが、ある日、現実を見て絵の幻想が崩れ去ってしまい、そんな思いをさせた画家を逆恨み(?)をして、彼の首をはねようとする―だが、画家は皇帝に紙と筆を求めて、皇帝の目の前で湖の絵を描くとそれが実体化し、弟子がこぐ小船に乗って絵の中に消えて行ってしまう》

これも、日本でも多く翻訳本がある仏女流作家によって書かれた―仏人の東洋趣味的内容ですが、ルネ・ラルー監督は元々監督デビュー前に精神病院での芸術ワークショップで患者に中国美術も教えていた経歴を持っています。

 そういう経歴を持っていますので、かなり中国芸術的世界観にはなっていますが、欧米的オリエンタリズム趣味と自作の様々な風景・人物・デザインをまぜこぜにしたので、中途半端な感じが強く感じてしまいました。

 そうするならば、徹底的にルネ・ラルーワールドにしてしまえば、誰も文句付けられないほどのオリエンタリズムな世界となりました―ですが、こういった西洋人からの目線で描かれる東洋文芸を、どう立体化するかは難しいという好例ともいえる作品ともあります。

 ちなみに、この作品の原作は東洋で書かれた文芸から作家が想像豊かには物語にした短編の一本です。

 

 これは、ルネ・ラルー監督が胸にためていた思いを吐き出したような作品なので、ルネ・ラルー監督本人でなければ再構築できない代物で、ご本人もきっとしたくないと思われますーでも、極めて微妙でもったいない気もします。

 是非とも、フランスのアニメ専門学校でルネ・ラルー監督の作調をみっちり学んで、学生さんたちが極めてルネ・ラルーワールド的物に再構築してほしい希望があります…