最近、NHKでムック的番組「世界サブカルチャー史」は米国(+フランス)・欧州・日本と3期に渡って、1960~2000年代を年代ごとの歴史背景とサブカルを専門家と映像で分析解説する番組で、サブカルというポップな切口と数多くあるムックや専門書籍よりも分かりやすい内容で、久しぶりのNHK当たり連続特集物です。

 画期的だった半面、世界の戦後サブカル文化が動き始めたのは1950年代-人々が瓦礫からの復興に立ち上がり、短期間で今の世界の基盤を築いた時期でしたので、この年代を外して戦後を語ると中途半端なモノになってしまいます―実際、私が見た米国(+フランス)・日本は付け加え程度に語られていました。

 NHKには、戦前・戦中を軸にした「映像の世紀」もありますが、これもサブカルを多く扱っていますが、広範囲すぎてばらけた感覚が強く感じられます―もしかして、NHKも1950年代も含めて、もう一度細かくまとめたのを製作成されているかもしれませんが、自分なりにNHKが取り上げなかった日米サブカル史を簡単にまとめてみます。

 

■1960年代:日本アニメ―初カラー長編映画「白蛇伝」と初テレビアニメ「鉄腕アトム」の米国進出

 東映が日本動画社と合併し東映動画として「白蛇伝」を、手塚治虫も独自に虫プロから「鉄腕アトム」を、製作してどちらも渡米しましたが、「鉄腕アトム」が高い評価(それに合わせて、様々な批評)を受けました―これが、手塚さんと東映動画の関係が微妙になったというわけではなく、日本での人気で東映動画スタッフが嫉妬した物のそれがテレビアニメに入るきっかけになったので―結果として、本当の意味で「鉄腕アトム」が海外進出した国産テレビアニメでも第1号という称号を受ける事になりました。

 ここから第1次日本アニメブームが始まりましたが、1980年代まではキャラ名どころが場面を変更・挿入されたりと、オリジナル性が薄められて視聴者も全く日本とは知らなかったようですが、これまで見ていたものとは違うなと思っていたそうです―丁度その頃に、フルアクションだった米国も日本のように動きが単純化していたのも相まって、複雑なストーリーと人物描写で評判になりました。

 

■1980年代:任天堂米国テレビゲーム業界と、日本企業の米国進出

 ここに至って、東映動画が自作のテレビアニメを米国を席巻するようになり、それに合わせて日本アニメもアメコミ業界に進出してきました―それに合わせたように任天堂が米国入りします。

 その頃、米国でも大変なビデオゲームブームでしたが《質よりも量》という大量消費文化だったので、出せば売れるというずさんさでビデオゲーム業界が傾ていた所に、任天堂は高品質で少数売り出しで立ち直しました―これは、後々岩田 任天堂社長死去に米国でも大変ショックを受けたという報道されるほどに、今でも信頼されている現役で米国で活躍する数少ない日系企業です。

 実は、この任天堂進出が後の日本エンタメブームの礎となりました。

 この時期に、大手米国企業が日本企業と合併したために貿易摩擦が発生しましたが、《日本叩き》は当時から不満層のガス抜きと言われ、欧米側が日本式を取り入れていたのでどっこいどっこいと言えます―上記に挙げた「世界サブカルチャー史:日本編」で、ある欧米人男性専門家が若かったのが表面的報道(日本企業が金に任せて買い占める)で評価していましたが、一部はそうかもしれませんが結果的にハリウッドなどエンタメ業界の底上げに大いに貢献した点は、評価すべきものですしそれを触れないのは欧米人的目線というべき所です。

 

■1990年代:世界での日本アニメの、本格的進出の兆し―ポケモンアニメのメガヒット

 ここで日本の漫画アニメ映画にも陰りが見えましたが、米国の方がまだ1980年代の祭り感覚のままにいたために、衰退しつつありました―ここで、20世紀日本アニメ史上最大の話題作エヴァンゲリオンと、ポケモンアニメがデビューし、青少年と児童アニメ両業界の雄として後々日本アニメの海外進出の牽引となりました。

 

■ 2000年代:日本アニメ漫画の世界進出-世界市場への意識拡大

 上記のエヴァとポケモンはどちらも20世紀末にデビューだったので、その勢いは21世紀に更に強くなり、それによって日本エンタメ業界は前世紀よりも世界を意識するようになり、海外との共同制作が多くなされるようになりましたが、それによって日本の独特なセンスが海外とかち合わないと判明。

 当時は日本が海外に歩み寄るべきという考えが主流でしたが、共同制作を持ちかけるのが多い欧米から逆に歩み寄る―日本独自で行うべきという世界姿勢が示されました―実際、ポケモンも歩み過ぎでおかしくなった事があります。

 この頃から、ディズニーもアジアに目を向けるようになりました。 

 

■2010年代:米韓との競争-初の世界市場との競争

 2000年代になって、日本の大衆文化を入れなかった韓国も受け入れるようになり、それと共に自国のを強化するために政府が一丸として、文化政策を行ったのがここで花開いて韓流ブームを巻き起こしましたが、またまた時刻では売れなかったドラマが日本で人気になったり、ゲームやアニメが日本のマネと判明して翻刻で批判されたりと、道半ばでしたが、すでに日本を超える世界シュアを持っていたので日本も慌てる事に。

 

■2020年代:日本らしく―日本という個性を新たに見直す

 現在は、これまでの経験を踏まえ―世界も《日本は日本の魅力がある》と認め、日本もそれにこたえられるようになり、また日本独自の作家性の高い作品が毎年沢山発表され、逆に日本的な描写がなされるようになりました―ポケモンも世界を意識したものと時代物を両方扱い、強く独自性を打ち出しています。

 蓋を上げれば、欧米こそがまた東洋趣味(オリエンタリズム)を惹かれている事も分かり、《みんな違ってみんないい》という言葉通りだったという、近代で見受けられた認識が再認識される事になりました。

 

 私が見てきたものなのでひどく穴の開いたものですが、欧米を中心にしたグローバルエンタメ市場で渦中だったのは日本だった気がします―もちろん、フランスを初めとするEU・中国韓国などのアジア圏もありましたが、必ず上がるのはやはり日本だったような気がします。

 今でも、低迷こそしてはいますが日本作品を抜いては語れないのが、エンタメ業界です―一番ふるっている韓国も日本あっての事だと思います。

 今後どうなるかはわかりませんが、こうした日本の立ち位置は変わらないと思います。

 今後は、違う意味で様々な国と手に取って活躍してほしい―日本エンタメ業界…というよりも、世界での活動情報の露出度合いが少ない気がしますけど。