元々ベルモントステークスを走る馬は少ない、距離が合わない理由が殆どであったが今回スピードキングも参戦し回避する馬が相継ぎ5頭立てになりスピードキングにとってもやり易いレースとなった。更に前日の雨が降り馬場が硬くなり、日本の芝と変わらぬ走りが出来る様になり天を味方につけたのだ。小回りの無い広い競馬場でスピードを遺憾無く発揮出来るキングには最適なコースであったのだ。

30万のファンはスピードキングの走りに期待を込めており、スピードキングの登場と共に大声援が送られる。

ファンの殆どが知っていた、この黒い馬が親子を狼から救った事、日本で脱走した事件、最強ヴォーグに勝った事、そして、日本から来た馬がぶっちぎりでケンタッキーダービーを勝ち、全てを含め好きになる素材しか見つからない、競馬場に入りきれずにモニターで観賞する人も数万いたのだった。競馬に関心の無い人までスピードキングの走りにテレビにかじり付いていたのだった。

また、日本でも例外ではなく、日曜日の朝5時前から視聴率が40%を越えスピードキングへの期待や人気が伺えた。


田崎放牧

前のレースが印象に残り過ぎて、沙織に対する期待と不安が交錯していた、家族、スタッフ、近所の人達は固唾を飲んで緊張気味にテレビに釘付けになっていた。


ベルモントパーク競馬場

このレースに強敵ヴォーグは居なかった。距離を不安視した陣営が回避したのである。その為スピードキングに敵う馬が存在しなくなっていて、ファンの関心はどれだけぶっちぎるのか?それだけだったのだ。

大声援を受け各馬がゲートに入りベルが鳴り響く、好スタートをスピードキングは最初の出足で2馬身のリードを取るメインストレートを通ると、観客ファンの大声援が響き渡り、スピードキング以外の馬はたじろぎペースダウンしてしまう❗スピードキングは逆に力に変え馬なりで1コーナーに入る頃には6馬身の差が出来ていた。

更にバックストレッチに向かった時に10馬身以上引き離し独走体勢を確立していく、これには観客もどよめきを隠せない1000mを1分で通過し、更に加速していくのだ。他馬はそのスピードについて行けず、馬なりに任せて走りスピードキングの失速を狙い自分なりの走りを徹底していたが、第3コーナーにスピードキングが差し掛かると20馬身差があり流石に他馬も慌て仕掛け始めた、だが、スピードキングはまた、1段階加速させると最後の直線に入った所で2番手との差が25馬身以上の差があった。

沙織は強く追うとそれに反応しスピードキングの脚が交錯し初めて桁外れな末脚を魅せる。

観客は拍手し初め、雷轟のような怒濤の歓声に見送られ気がつけば他馬は遥か後方で必死に鞭を打ち追っていたが、スピードキングは大楽勝する。

タイムは2分23秒5は世界レコード、70年ぶりにセクレタリアトのレコードを塗り替え、前レースの汚名返上し2着から40馬身というとてつもない大記録を作り上げた。

日本からやって来たファンがキングコールすると、他のアメリカの観客達もそのコールに合わせ、キングコールが場内を埋め尽くすファンのコールがこだました❗

スピードキングはそのコールに応えお辞儀をして、声援に応え中にはスピードキングのお辞儀をする行動に笑う者も見受けられた。

アメリカの実況者が興奮し過ぎ倒れるというハプニングも見られる。

沙織は尚道と紀美代と抱擁すると、陣営全員で口取りを行った。

尚道は沙織の頭を撫で「良くやってくれた。最高な乗り方だった❗」と沙織を褒め称えたのだ。

康之もスピードキングを撫で大好きなリンゴをご褒美にあげたのだった。



田崎放牧

田崎放牧に万歳コールが起こり100リットルはあろう酒を振る舞い皆でそれを乾杯していた。

そして、全員が2日酔いならぬ3日酔いしてしまうのだった。


当日の夜記者会見が行われ、スピードキングのレースパフォーマンスと狼から救った美談の話を記者達は集中的に取り上げたのだ。

まず世界レコードを打ち立てた走りについて訊かれる。セクレタリアトを意識してレコードを打ち立てたのか?

尚道は淡々と説明した。まず、2400mを走れる馬がスピードキングしか居なかった事、そして、ペースを乱されない様に逃げに徹した事を話し、記者達は頷き納得しているようだった❗

そして、狼の事件だが康之に質問される。あの時どうして、あの場にスピードキングが居たのか?という質問だった。流石に康之はスピードキングが脱走しましたなど言う訳にも言えなかった。

康之は「よ、夜は放牧させていました。しかし、スピードキングは親子の悲鳴が聞こえたのだと思います。自分で閂を開け、助けに行ったと思われます。」と言い訳したが、取材陣はohとどよめき、期待した答えだったようだ。

スーパーマンならぬスーパーホースを絶讚する。次走についても訊かれたが、帰郷後、放牧する予定と話した。

「自分で門を開けられる天才ホース」

「狼の魔の手から救いだしたスーパーホース」

「セクレタリアトの実現不可能と云われたレコードタイムの更新」

「惜しまれる日本の英雄 凱旋帰国」

夕刊と翌日の朝刊はスピードキング一色となり、アメリカ全土のスーパーホースとなりつつあった。

日本へ帰国後、予想通りマスコミの取材が殺到する。紀美代が前日からアメリカの取材でシポニチの独占的なスピードキングの記事が書かれ、それに遅れを取るまいと、取材攻勢が激化していたのだった。

スピードキングはそのまま田崎放牧に直行した為難を逃れていたが、尚道達メンバーは取材陣に捕まり空港で取材を受ける。

ファン達も集まり、歴史的な大勝利にファンも取材陣営も興奮気味だった。

尚道は取材を受け殆どアメリカで話した事を告げると全員が空港で解散し、後日に集まる事を話しをすると尚道も帰宅の途に就く


尚道達が帰国して2日後、尚道の自宅に訪問者が二人訪れる。彼らはJRAの広報の人達でスピードキングに日本ダービーに出走して貰えないか?と相談をしに来ていた。

尚道「スピードキングは北海道に放牧に出したばかりです」

広報「そこを何とかなりませんかね」

尚道「スピードキングの体調が気になります。今はゆっくりさせたいと」

広報は溜息をつき、申し訳無さそうな態度は見てとれた

広報「じ……実は………ちょっとお耳を」

広報は尚道の側に近付くと耳打ちする

尚道「何ですって❗本当ですかそれは❗」

広報「はい、スピードキングの枠は特別入れて置きます。出走手当ても此方で保証致しますので何卒宜しくお願いします。」

尚道「分かりました。スピードキングを日本ダービーに出しましょう❗」

広報「おお、ありがとうございます。私達も肩の荷が下りました。」

広報の二人は嬉しそうに尚道の家を後にしたのだった。

尚道は康之と田崎放牧に連絡を取り、スピードキングのダービー出走に向けまた慌ただしい動きを見せ始める。


続く