皆さん、このサッカーボーイをご存知でしょうか?

ナリタトップロードやヒシミラクルなどの父親で、スピードの桁外れな豪脚で知られ一部のファンから絶大な人気を誇りましたが、脚が悪く思うような成績は出せなかった事が悔いが残ります。

勝つときは豪快負ける時は惨敗とヒヤヒヤさせてくれますがそれが彼の魅力でしょう



サッカーボーイは北海道の社台ファーム(現・社台コーポレーション白老ファーム)で生まれた。同期の中でもっとも小柄な仔馬だったが、牧場関係者が「こんな馬は見たことがない」と語るほど気性は激しかった。

また、後肢だけで立ち上がりながら歩くというクセがあった。そのため、通常は馬房の外で人が騎乗するものを、サッカーボーイに限っては馬房の中で人が騎乗して外に出さないといけないほどであった。なお毛色は栃栗毛



3歳(現2歳)

3歳になり、内山正博(現・岡田稲男厩舎調教助手)を鞍上に函館競馬場でデビューすると、のちに重賞を2勝するトウショウマリオを相手に9馬身差で勝利した。

新馬戦圧勝劇
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2戦目の函館3歳ステークスでは出遅れもあり4着に敗れたものの、3戦目のもみじ賞では10馬身差の大差で勝利。

もみじ賞楽勝
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さらには関西の3歳チャンピオン決定戦阪神3歳ステークスも8馬身差のレコードタイムで優勝した。

またしても楽勝するサッカーボーイ
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栗毛の馬体、派手な勝ちっぷりから「テンポイントの再来」、「テンポイント二世」とも呼ばれるようになり、その強烈な差し脚は「弾丸シュート」と形容された。

1987年のJRA賞最優秀3歳牡馬(旧称。現在のJRA賞最優秀2歳牡馬)に選出された。

4歳以降

しかし、サッカーボーイは自身の強力な脚力のために裂蹄を起こしやすいという欠点を抱えていた。

弥生賞で3着に敗れると、石を踏んでさらに蹄が悪化、蹄が感染症にかかる飛節炎を患い、予定していた皐月賞を回避した。

ここでサッカーボーイ陣営は日本ダービーに間に合わせるため飛節炎の治療を急ぎ、抗生物質を大量に使用、その影響からか体調が悪化した。

それでも陣営はダービーを目指すため調整し、内山に代わり鞍上に河内洋(現・調教師)を迎え、ダービートライアルのNHK杯に挑んだが4着、東京優駿(日本ダービー)でも単勝1番人気に推されたが、8枠22番の大外枠での出走であったことも要因となり、サクラチヨノオーの15着に惨敗した。

河内はこの惨敗についての原因を「(大外枠ではなく)距離の長さ」であると語っている。

春のクラシックは不本意な成績に終わったが、関係者の努力もありようやく調子が上向いてくる。

中日スポーツ賞4歳ステークスでは、勝ちパターンに持ち込んでいた皐月賞優勝馬でのちに天皇賞(秋)も制すヤエノムテキを並ぶ間もなく差し切り勝利した。

ヤエノムテキを交わし優勝
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次走の函館記念ではメリーナイス、シリウスシンボリの2頭の東京優駿(日本ダービー)優勝馬に加えて牝馬クラシック二冠馬のマックスビューティが出走していた。

このレースでサッカーボーイは直線でメリーナイスを差し切りそのまま一気に突き放し、5馬身差で1分57秒8という当時の日本レコードで優勝した。このレコードタイムは日本初の1分57秒台であり、現在も函館競馬場のコースレコードである。





日本レコードで圧勝するサッカーボーイ
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調教師の小野幸治は、秋に菊花賞を使うか天皇賞(秋)に使うか迷っていたが、捻挫を発症したことからどちらも回避している。

復帰戦は当初出走予定のなかったマイルチャンピオンシップが選ばれた。前走スワンステークスを勝って2番人気だったシンウインドを寄せ付けず、ここも4馬身差でGI2勝目を上げた。

展開にはまると強いサッカーボーイ
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次走は第33回有馬記念に出走。タマモクロスとオグリキャップの対決となったこのレースは、ゲートで暴れて鼻血を出すアクシデントがあったが、3位入線のスーパークリークが前年覇者のメジロデュレンへの進路妨害で失格(当時は降着制度がなかった)したこともあり繰り上がりの3着に善戦した。

翌年も現役を続行したサッカーボーイだったが、春初戦に予定していたマイラーズカップへの調整中に骨折。

秋にはトレセンに帰厩し、毎日王冠に登録したものの、再び脚部不安を発症。そのまま現役引退が発表され、結局古馬になってからは1走もできなかった。



種牡馬 産駒


サッカーボーイ自身は現役時代にマイルから中距離で活躍したが、血統はサンクタスからファイントップに遡る長距離血統で、ヒシミラクル、ナリタトップロード、キョウトシチー、アイポッパー、ゴーゴーゼットなど長距離馬を多数輩出し、中央競馬で1600メートルの重賞を勝ったのはブルーイレヴン1頭である。牝馬の代表産駒は秋華賞馬ティコティコタックがいる。また母の父としてもツルマルボーイ(安田記念)、チョウサン(毎日王冠)、メジロマイヤー(きさらぎ賞、小倉大賞典)、マイネルキッツ(天皇賞・春)を送り出し成功している。

2011年10月7日、繋養先の社台スタリオンステーションで蹄葉炎のため死亡した。馬齢26歳。