外交の基本目的は、友好親善であるとか、外国に愛されることだと論ずる有識者が多いわが国である。
好かれれば、それはそれで結構だが、それが目的か、となると話は別である。他国が欲しいと言えば、技術でも領土でも何でもやるなら、その国には好かれよう。勿論、そんなことを目的とする国は、どこにもない。

キッシンジャーいわく、外交の究極的目標は、国の安全保障確保にありと。また、当時ハト派とも言われた三木首相でさえも、その施政方針演説(昭和51年1月)で、国の安全の両輪は、外交と国防であるとの趣旨を述べた。世界の常識だと思う。
それは、国益の確保であり、究極的には安全保障の確保である。また、国益とは、政府の利益だけでなく、国民の利益であり、国民の生命、財産、生活、独立を守り、それを侵すものを断固として排除するということであろう。それは、当然日本企業の円滑な海外活動を支援することも含まれる。
従って、政権が変わっても、その基本路線は、不変であるべきである。今、その基本がおろそかにされている。

だからといって、究極目標追求のみが外交ではなく、友好親善を旗印にすべきではないとも思わない。むしろ友好親善は目的ではなく、有効な手段の一つになり得るからだ。勿論互恵の利を伴うものでなければならないので、そこが要注意である。
昔の話で恐縮だが、第一次石油ショックの時、中東産油国は、その友好を活用した。友好国にのみ石油を供給するとしたのである。
その対価は、武器であった。武器禁輸国の日本は、大変苦労した。武器禁輸の日本事情を説明しても、同じような事情にあるドイツもスイスも武器輸出してくれますよとくる。最終的には友好国扱いにしてもらったが、友好を逆手にとられたわけである。
また、昭和天皇陛下の御大喪礼の際、殆どの国は、威儀を正して大統領か首相が参列したが、日中平和友好条約のある中国は、外相を派遣した。まだ本物の友達ではなかったということだろうか。この辺が、平和友好といっても、体制の異なる国とのお付き合いの難しいところなのであろう。

ましてや世界中どこでも隣国同士の関係処理は容易ではない。しかも、国益保護の姿勢が最も問われるところでもある。更にそこに自国民や自国企業が多数いれば対応は一層複雑である。
抽象的な平和友好ではなく、個々の懸案を具体的に、相互関連を持たせ、かつトップダウン指向で交渉し、同時にもっと国民と友邦国の支持を取り付け、ユーチューブや世界的メディアを活用した智略を工夫すべきではないか。