ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行記1 | 女郎蜘蛛のトルコ駐在生活@イスタンブル
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ラマダン明けの連休に、ボスニア・ヘルツェゴビナに行ってきました。

 

 

 

休暇に何しようかなと思っていた頃に、オットの先輩ご夫婦が旧ユーゴの某国に行くと聞き、

 

「えっ!?あの辺っていま旅行できるの?!…だったらッ!ボスニアの、サラエヴォにずっと行ってみたかったんだけど!

 

と叫んだチュー私。

 

 

 

 

オットも興味アリとのことで(トルコ人は基本的にボスニアにシンパシーある)、調べてみると…

 

ボスニア・ヘルツェゴビナは今コロナがかなり収束しているそうで、規制はほとんど無く🙆、レストランも店も夜23時まで営業ホテル、観光客はPCRの陰性証明書を出せば入国後の隔離期間ナシ!グッとのことおねがい

 

飛行機✈️は、インスタンブルから毎日2便運航。

しかもフライト時間は1時間20分って近ッ!ポーントルコの東端いくより近いゾ!

 

 

 

ずっと憧れていたボスニア・ヘルツェゴヴィナがこんなに身近だったとは…ラブラブ

 

憧れていた理由は、

 

🌟海外のあちこちで仕事した知人が「サラエヴォほど多様な宗教・文化が共存している街は世界に他にない!」と絶賛していたこと。

 

🌟オスマン帝国時代の古い街並み🕌が、まるでタイムスリップしたかのようにそのまま残っているらしいこと、ヨーロッパで最もオスマン帝国支配下の影響🌙が今に残っているということ。トルコ以外の地域のオスマン帝国の影響にめっちゃ興味ある!

 

🌟テレビ番組などで目にしたモスタルの風景の美しさ✨(記事一番上の写真)に魅了されたこと。

 

 

 

…などでした。実際はどうなんでしょう⁉️

 

1週間後、私たちは首都サラエヴォ行きの機上の人✈️となりました。

 

 

 

ちなみに、サラエヴォという名称は、オスマン帝国時代🌙に、渓谷に立つ宮殿から見た平野の景色から、「宮殿の平原」を意味する "サライ・オヴァス Saray Ovası"と呼ばれていたことからきています。

 

(オスマン帝国時代のこの街の正式名称は、ボシュナク人の宮殿を意味するボスナ・サライBosna-Saray でしたが、現代トルコ語ではなぜか順番がひっくり返ってうーんSaraybosnaといいます)

 

 

さてさて、飛行機がサラエヴォ上空を降下🛬しはじめると…

首都の上空を飛んでいるハズなのに、なぜか眼下は一面緑の山肌が続く…。

 

 

 

「あれれ?この先に都市が出てくるのか?んん?まさか山に不時着とかしないよね滝汗

 

と思っていたら、山の中に拓けた空港に着陸。

 

空港をとりかこむ緑の山々には、赤い屋根がかわいい山小屋風の家が点々と建っていて、なんともメルヘンチック〜。

 

 

 

タラップから徒歩で移動した空港は、建物も驚くほど小さくて‼️

 

飛行機も我々の一台しか停まってないし、入り口から1mくらいの所にイキナリ入国審査ブースがあって💦、その背後に即、1個だけのバゲージクレームが回っているという…どっかの僻地の小都市(ウイグル自治区のホータンとか、インドのジョードプルとか!)の空港を思い出す規模感でしたポーン

 

…で、でもここ、首都の空港ですよねぇ???びっくり

 

 

 

ホテルへ向かう車からの景色も、ぐるりと取り囲んだ緑の山の中に、まるでトルコの地方の村🏔のような、レンガ作りの壁赤い瓦屋根の家がポツポツと並んでいてるのが続きます。

 

 

 

緑が多くて素晴らしく美しいんですが、一国の首都として、もっと都市っぽいのをイメージしてたので意外でした。

 

泊まったスイスホテルの周辺だけ、いくつか高層ビル🌃があったけど、背後にはやはり山が迫っているので、

 

 

 

窓からの景色は、やっぱり緑が目に眩しい山と、赤い屋根のおうち🏡の並ぶ、牧歌的な風景。

 

とにかく美しくて心癒される風景で、窓辺に置かれたソファベンチに寝転んで外を眺めるの最高でした。

 

 

 

でも、もちろん、牧歌的なだけではありません。

ボスニアとかサラエヴォって聞くと、内戦ってイメージが強い人も多いですよね💦

 

よく見ると、街のほとんどの建物にユーゴスラビア紛争の時の銃弾や砲弾の跡銃爆弾が生々しく残っていましたガーン

 

あえて残すことであの悲劇を決して繰り返さない!という強い意志を感じました

 

 

自然あり歴史ありなこの街に、1週間お世話になりました💕

 

しばらく旅行記におつきあい下さい🙏