2018年5月30日(水)

 

ビルボードライブ東京で、クリス・デイヴ(1stショー)。

 

主役のドラムセットは通常のバンドのようにセンター後方にあるわけではなく、ステージ向かって右位置に左側を向いてセットされている。それ、ほかのメンバー(ギターとベースと鍵盤。彼等はディアンジェロ&ザ・ヴァンガードでお馴染みの面々)を見ながら&呼吸を合わせながら叩くためであろう。僕の席は左側だったので、正面からクリスのプレイを観ることができてよかった。だって視覚的にも凄さが伝わってくるものであるがゆえ。

 

超・プログレッシブ。超・高次元セッション。クリスの叩きの速度と強弱に、すかさずギターやキーボードが合わせていく。こうきたら、こう返す。そのやりとりの妙。クリス先生が優秀な生徒たちに難しい問題を出して、その場で生徒たちが答えてみせるという、それがほぼ同時に行なわれていく感じ。スローなリズムの0.5秒後には超高速に移行したりするから普通じゃついてけないわけだが、それに瞬時に答えるギタリスト(アイザイア・シャーキー)たち。そのスリル。なんかもう、ずっと息をのみっぱなしでありました。ヴォーカルがそこそこユルくて、それでむしろホッとできる、みたいな普通と逆のあり方でしたね。アンコール含めて約1時間の短さだったけど、それで十分。すんごかった。

 

2017年5月28日(月)

 

渋谷クラブクアトロで、ヴィンテージ・トラブル。

 

土曜日のグリーンルームフェスに続いて、クアトロでの単独公演。グリーンルームの持ち時間が短かった分(というか短く感じられた分)、クアトロはたっぷりやってくれた。時間を計ったわけじゃないけど、これまでで一番長くやってくれたんじゃないだろうか。

 

VTは毎年春か夏に日本に来てくれてるが、2016年の日本ツアー(EXシアターほか)が4月、2017年のビルボードライブも4月、そして今年は5月と、この3年は続けて春公演。今年は桜の時期から少しずれたけど、その分、タイの歌はなく、ナリーのギターで聴かせる形で初っ端にやってくれました、「さくらさくら」。

 

そんなちょっとした部分から、けっこう大きな部分まで、今回の公演はこれまでのものからいろいろと変化が見られて新鮮に感じられるところが多かった。

 

1年前のビルボードライブ公演の段階で、既にいくつかの新味を加えてライブの内容を変えていこうとしているところは見てとれた。鍵盤奏者がサポートで加わったのもその公演からだったし、初めてタイがトロンボーンを吹いたのもその公演だった。そのときの感想として僕はブログに「VTの新章の始まりを感じられたのが何よりよかったところ」と書いたものだ。

 

1年前のあの公演を挿んでいるからそこまで驚きはしなかったけど、もし2016年の公演以来で今回の公演を観たとしたら、きっともっと驚いたことだろう。

 

前半、アップめの曲でひとしきり煽ったら、しばらくミディアムやスローが続き、後半でまた大盛り上がり。そういうざっくりした規則性が2016年までのVTのライブにはあったように思う。が、今回のクアトロ公演は、もっと構成が変化に富んでいて、予測のつかない展開になっていた。「え?  この曲の次にこの曲やるの?」みたいな場面がけっこうあったし、新曲もいくつか挿まれていたので、全体の流れがこれまでとはずいぶん変わったように感じられたのだ。それがまず自分には新鮮だったところ。

 

それからサポート鍵盤奏者のブライアンが去年に比べてすっかりバンドに馴染み、キーボードの音から入る曲もあったりするなど、彼が非常に重要な役割を担うようになっていた(彼のブッカーTっぽい鍵盤音で入る曲も確かあったな)。また、彼だけじゃなく、タイ以外のメンバー3人の演奏の個性も、今回のライブは曲のなかでより際立つ形になっていた(わけてもリックのベースの個性はこれまでで最もわかりやすく出ていた)。それぞれのソロなど単純に見せ場が増えたというのもあるけど、それだけでなく、見え方のバランスとしても全員が同等になっていたというか、ずっとタイひとりに観客の視線が集まる形じゃないようにもっていってるように思えたのだ。よって(見え方としての)バンド感がより強まった。その意味で、一度タイが引っ込んで、鍵盤含む4人だけでジャムっぽく演奏したアレが特によかったし、いろんな効果があったと思う。VTというバンドの音を聴く、音を知ることに集中でき、改めて「かっこいい音を出しやがるぜ」と唸らされたものだった。

 

新曲は何曲やったけ?  覚えてないが、印象として1stアルバムの頃とも2ndアルバムの頃ともちょっと違うというか、そこまでガツガツ攻めてく感じの曲群ではなく、いい意味でもう少し間を持たせたりメロディに変化をつけたりしてるように感じられた。50年代くらいのダンスナンバーっぽい曲が特によかったかな。まだパッと聴きで「これはすげぇ!」と震えるレベルのキラー曲は出てきてないけど、録音物になって聴いたらまた違う印象を受けるかもしれない。

 

そういういくつかの新曲のトーンにも表れてたし、旧曲のアレンジの変え方にも表れてたけど、ライブ全体としても以前のような“がむしゃら感”がやや薄まって、もう少し余裕を持たせつつ楽しませる感じに移り始めてるようにも感じた。それ、特にタイのステージ運びから感じたことで、もしかするとこの前出たばかりのソロ作の内的影響が表れているとこもあるのかも。いや、とはいえ別におとなしいライブになったとかそういうことではまったくなく、グリーンルームでもクアトロでもタイはいつもの通りダイブしてすいすいと客の上を泳いでいたわけですけどね。

 

まあとにかく今回のクアトロで、いまVTがどういう位置に立っているのかが見えた気がした。それ、端的に書くなら、次のステージに移る前の過渡期ということ。3枚目のフルアルバムでズバっと新しい答えを提示するまでにはまだけっこう時間がかかりそうな気はするけど、彼等は模索することも楽しんでいるように見えるし、生粋のライブバンドであるゆえライブを続けながら答えを見つけていくのだろう。これから(USやUKでの活動方向やレーベル環境なども含めて)どう変化していくのか、今回の2公演を観て僕は非常に楽しみになったし、このバンドの長い旅にずっとつきあいたいもんだと改めて思ったのでした。

 

(ひとつだけ苦言。今回グリーンルームもクアトロもタイのマイクのバランスがよくなかった。単純にもっとあげてほしかった。けっこうVTのライブってモニターの返りがよくなさそげだったりとか、そういうアレが多いのが気になる、ってか勿体ない。そのへんちゃんと調整できるスタッフがいるといいんだけどな)

 

 

 

2018年5月26日(土)

 

赤レンガ地区野外特設会場で、「Green Room Festival’18」。

 

天候に恵まれた土曜日で出演者もいいとあってか、フェスとして定着したことの表れか、とにかく人、人、人、人……。はっきり言って空間に対しての人の数が多すぎる。ゆとりがない。和める空間がない。ベンチはたいてい埋まっているし、人がいなくても荷物が置かれたまんまだし、芝生部分もかなりぎっしり。会場の外もタダで音だけ聴きにきたり、並んだショップを見にきたりの人で溢れていて、無料でライブが観れるRED BRICKというステージなど横から見てると通路だから移動しろという係員の指示がうっとおしくてしょうがない。

 

かつてこのフェスはこんなふうじゃなかった。もっとゆとりがあった。午後に着いてもベンチとかに座ってゴハン食べたりできていた。赤レンガ倉庫内のギャラリーステージだってあそこまで規制入場がえぐいことにはならなかった。いまとは別に橋を渡ったところにもステージがあって、そこでくつろぐこともできた。そりゃあ興行なんだから、ソールドアウトになってたくさん人が入るのは主宰側にとっちゃ万々歳だろうが、かつてはあった快適さがこんなにも失われるというのはどうなのだろうか。以前なら仮に出演者がそこそこであっても気持ちいいから遊びに行こうという気分になれたものだが、いまはもう僕はそうならない。なんとしても観たい出演者がいたから今年も1日だけ観に行ったが、そうじゃなければもういいかなという感じだ。そういう思いからもう行かなくなったという人も少なくないはず。このあたり、主催者側はどう考えているのか、訊いてみたいところではある。

 

ということで、僕は昼過ぎ頃(ネバヤンの終わり頃)に着いてジミー・クリフの終わりまで8時間くらい会場にいたが、その間ほとんど座らずにいた。まあライブは立って前のほうでちゃんと観たいほうだからいいんだが、それでもちょっとした合間の時間に座れる場所があんなになくなっているというのはどうなのかと思ったものだ。

 

さておき、観たのは以下の通り。

(数曲だけ遠巻きに)平井大→(少し観たもののおしくらまんじょう状態にめげてすぐに退散した)SOIL&“PIMP”SESSIONS→(前のほうでがっつりと)GLIM SPANKY→(数曲だけ遠巻きに)Nulbarich→(前のほうでがっつりと)EGO-WRAPPIN’→(前半数曲だけ)THE King ALL STARS→(ギャラリーステージに小袋成彬を観に行くも規制入場で入れず、戻って数曲)ハナレグミ→(後半4曲くらい)藤原さくら→(前のほうでがっつりと)ヴィンテージ・トラブル→(そこそこいい位置で)ジミー・クリフ。

 

武道館以来のGLIM SPANKY。(武道館はかなり遠い席だったものの)今回はサウンドチェック時から真ん中よりちょい左寄り(栗ちゃんより)の前から3列めあたりでがっつり集中して観た。ワイルドサイドも褒めろよも怒りをくれよもやらず、まあまあアップめの曲は確か「いざメキシコへ」ぐらいだったか。フェスで客をわっとのせて盛り上げたいならタイアップなどで広く知られたアップめの曲をぼんぼんやるのが手っ取り早いし、たいていのバンドはそうするものだが、そういう安易なやり方をGLIMは選ばない。土台がしっかり太くて、ある種のスケール感もあって、どっしりしたミディアム~スローを中心に組み立て、特に「フェスだから」という見せ方などはしない。手拍子やコールアンドレスポンスを求めたりもしない。が、楽曲自体の力と演奏力(バンド力)が前より目に見えて増しているから、客は退屈などせずに引き込まれる。ふてぶてしいというのではなく、これがこのバンドの自然体であり、こういうロックのライブがあってもいいという確信なのだ。これが彼らのやり方であり、自信であり、フェスだからといってそれを変える必要はないという意思なのだ。潮風に吹かれて聴く彼らのロック、それもまたよし。また至近距離で観れたこともあり、自分としてはいつもよりミュージシャンそれぞれの一音一音を深く聴くことができたのがよかった。そして「大人になったら」はやはり群を抜いてよかった。武道館公演についての感想でも書いたが、「大人になったら」が胸に響いたときのライブはいいライブだ。即ちここで観たGLIMのライブはやはりとてもよかったということだ。

 

EGO-WRAPPIN’。これまでフェスで何十回と観ているが、今回のライブは素晴らしすぎた。素晴らしすぎて僕は観ながら涙が出た。中納良恵の声帯炎によりこの数ヵ月の間にいくつかのライブをキャンセルせざるをえなくなったものだったが、これがそのよっちゃんの復帰ステージ。根っからのライブバンドであるからしていつもは余裕をもって進めるところだが、ここではいつものそれと違ってあからさまにパッションが溢れ出ていた。彼女の思いがそのまま動きと歌の熱になっていた。声そのものはまだ完全復調とは言い難いところもなきにしもあらずという感じではあったが、それを上回る形で思いと情熱が歌と動きになって放たれていて、だから僕は観ていて胸が熱くなったのだ。途中で「ご迷惑をおかけしました」と謝り、そして曲の途中で思わずといった感じで叫んだ「歌いたかったぁ!」という言葉。その言葉が全てだろう。だから毎度お馴染みの「くちばしにチェリー」も「GO ACTION」もなんだか特別なものに聴こえ、僕を含めみんながジャンプして聴いた。GLIMのあとに観た某バンドとは実にもって対照的にEGO-WRAPPIN’には熱があった。やっぱ熱だよ。熱が人をこんなにも感動させんだよ。そう思った。

 

それと同じ意味で、“オレたちのバンド”ヴィンテージ・トラブルも、言うまでもなく最高だった。前にグリーンルームで観たときのヴィンテージ・トラブルも最高で、それはなんならサマーソニックよりもグリーンルームのほうが彼らとの相性が良いと思えたくらいだったのだが、今回もやはりそう思った。因みに前回は一番ステージの大きなほう。今回は2番目に大きい「BLUE SKY」(海に向かって左のステージ)のほうだったわけだが、こっちはステージ上が無駄に広くなく、見ようによってはライブハウス的と言えなくもない作り(ミラーボールもちゃんとある)。それもあってかヘンに肩に力が入ることなく客との近さを感じながら彼らはライブをしているように見えた。それがよかった。また、いままでのライブのようなガムシャラな感じが今回はいい意味でなく、なんというかタイもいつもより落ち着きながら楽しんで歌っているように僕には感じられた(タイがスーツ姿じゃなかったこともその印象と無関係ではないかもしれない)。新アレンジでややテンポを落として演奏された曲もあったしな。まあ、とはいってもタイは大いに客を煽って、客の上を泳いだりもしていたわけだけど。明日のクアトロはどうだろう。以前とは少し違う新ステージに入ったように僕たちに感じさせるか否か。楽しみだ。

 

トリはジミー・クリフ。ジミー・クリフも何年か前にグリーンルームで観て以来だったけど、さすがにそのときに比べると動きがおじいちゃんぽくなってて(前回観たときは確かまだ腿あげてして歌ったりしてた)、高音の出も少しきつそうではあった。が、それでも声には艶があったし、こうしてまだ元気に歌っていてくれることがとても嬉しかった。それになんといってもヒット曲の多さよ。「ワイルド・ワールド」も「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」もわりと前半にやって湧かせてもまだまだそこから初期ヒットが次々に。「メニー・リバース・トゥ・クロス」に「ジョニー・トゥ・バッド」に「ザ・ハーダー・ゼイ・カム」に「ユー・キャン・ゲット・イット」に……。いやぁ、ヒット曲が多いって強いよなぁ。というわけで聴きたい曲はほぼ聴けた。とりわけやっぱり「メニー・リバース・トゥ・クロス」をナマで聴くとなると胸にくるものが大きいですわ。イントロの鍵盤のあの音からもうたまらんものがある。あと、そこそこ若いお客さんたちもジミー・クリフをみんな熱心に(楽しんで)聴いてたのがよかったな。こういう偉大な人の歌がちゃんと若い人にも聴かれ継がれていってるのはいいことだし嬉しいことです、本当に。

 

そんなわけで、なんだかんだ言いつつもライブ自体は大いに楽しみ……そして中華街のよく行くお店「山東」で餃子とビール、さらに紹興酒。帰りの電車は爆睡でした。

 

2018年5月25日(金)

 

代々木・Zher the ZOOで、リクオのシリーズ・イベント「HOBO CONNECTION 2018」。ゲストはウルフルケイスケとピーズの大木温之。

 

最高だった。ただただ最高だった。あんなにもロックンロールが幸福に鳴り響いていた空間はそうそうない。あんなにもロックンロールが人を元気づけて嬉しい気持ちにさせてよしオレも頑張ろうとそう思わせてくれる音楽なのだと実感させられたライブはそうそうない。

 

まずはリクオとHOBO HOUSE BANDが開幕に相応しい「僕らのパレード」で始めて4曲(そうだ、このライブも“僕らのパレード”なんだ)。続いて早くも最初のゲスト、ピーズのはるが登場。「サイナラ」に始まり「グライダー」やら「生きのばし」やらのピーズの名曲が、リクオ with HOBO HOUSE BANDの豊かな楽器音で艶やかに膨らみながら演奏されていく。骨しかない自分の曲に肉がついて演奏され、その上で歌えることが気持ちよくてしょうがないといった感じのはるは、めちゃめちゃご機嫌で嬉しそう。ずっとおかしなこと言って笑ってて、思わずといった感じで「ああ、楽しい」とつぶやいたりも。一旦バンドメンバーが引っ込んでリクオとはるのふたりだけでやった永ちゃんの初期ソロナンバー「バーボン人生」がよかった。ああいう曲を歌うはる、妙な色気があんだよなぁ。で、「もうすぐニコニコくんが出てくるから」とはる。

 

はるのコーナーが終わると、続いてニコニコくん=ウルフルケイスケの出番。けーやんは何曲も自分で歌って、気持ちのこもったギターをかっこよくバリバリ弾いて客にどやと言わんばかりにアピールしていた。その歌とギターのノリのよさに、楽屋に引っ込んだはずのはるは舞台袖からときどき少しだけ顔を出してけーやんのMCにいちいちちゃちゃ入れてて(笑)。因みにふたりはえらく仲良しな感じで、どうやら出会って30年なのだとか。

 

そしてリクオさんが「清志郎さんがなんである時期から夢って言葉をあんなに使うようになったのか当時はわからなかったけど、この歳になった今はよくわかる」というようなことを言い(それ、僕もまったくおんなじ。清志郎が夢って言葉を使うようになった頃、めっちゃ違和感があって嫌だなぁって感じてたんだけど、今はよくわかる)、そこからタイトルに夢という言葉が入った曲を3曲続けてけーやんとやったのだけど、これがどれも素晴らしかった。けーやんが、ラップじゃないけどそれくらいの言葉数で思いをリアルに放っていく曲がとりわけ突き刺さった。そのあとリクオさんが歌った「ブルーハーツが聴こえる」は前にもライブで聴いていいなと思ってたけど、昨日はなんか泣きそうになるくらい胸にきた。ブルハとRC。ロックンロール。バッテリーはビンビンだぜ、大人だろ勇気を出せよ。勇気を出せよ。勇気を出せよ。清志郎から引き継いでのリクオのその言葉が胸にズトンズドンと響いた。この曲があってからの、新曲「永遠のロックンロール」なんだなとも思った。

 

で、再びはるもステージに。そういえばバリバリ弾くけーやんに対して、はるが「今夜はスターだね」みたいなこと言ってたけど、そういうはるこそ一挙手一投足が観る者をくぎ付けにさせるもので、ある種の華とチャームがあって、この人こそ根っからのスターだなと僕は思った。

 

アンコールでは、けーやんの誕生日ということでサプライズ的にハッピバースデイトゥユーと歌われケーキが運ばれる。運んできたのは現ソウルフラワーのギター、高木克。で、リクオさんに促されてそのままギターでバンドに参加。リクオさんはけーやんの誕生日を祝いながら、新たな旅立ちにもおめでとう、と。けーやん、めちゃんこ嬉しそう。それにしてもけーやんは今、本当に生き生きしてて、自分のやりたいことを心から夢中になってやってるのだな。ウルフルズ脱退(一時ソロ専念)が発表されたときにツイッターには残念ですとか悲しいといった言葉がたくさん溢れてて、僕はいやそういうトーンじゃないだろ、祝福すべきトーンだろと思ったものだけど、昨夜のライブを観ながら、今まさにけーやんが本領発揮し出してキラキラ輝いてるってことがよーくわかった。ギタリストとしての個性と魅力とリアル感がビンビン伝わってきたのだった。

 

ティーンネイジャーの頃からずっとロックンロールの魔法にかかってる。飽きたことが一度もない。ここにいる全員、たぶんくたばるまでロックンロールをやり続けてる。というようなことを言ってアンコール2曲目にリクオさんはニューシングルの「永遠のロックンロール」を歌ったのだけど、それこそはこの夜のテーマに感じ取れた。本当にロックンロールは魔法なんだと僕は実感した。

 

アンコールの最後はRCの「いい事ばかりはありゃしない」を全員で。チャボのライブやらで今までいろんな人がこれを歌ったのを聴いてきたけど、この夜のはるの「新宿駅のベンチでうとうと~」部分が最高だった。はるほどリアルにこの曲を歌えた人はかつていなかったんじゃないかと思った。清志郎に続いてはるはこの歌をリアルに歌える人だと僕は思った。今でも吉祥寺あたりでゲロ吐いてそうなリアル。

 

そうそう、「永遠のロックンロール」を歌ったあとにリクオさんは清志郎の言葉を借りて「世界中の人に自慢したいよ」と叫んでたけど、僕はもちろん、この会場に居合わせた全員がきっとそう思ったに違いない。(いまこのとき、この場所にいられたことを。そしてロックンロールがずっと好きで今もこんなに好きってことを)世界中の人に自慢したいよ、と。まさに「永遠のロックンロールナイト in TOKYO」。幸せな夜でした。

 

 

2018年5月20日(日)

 

日比谷野外音楽堂で、Char。

 

雲ひとつないSHININ'DAY。暑くもなく寒くもない、まさに野音日和。「やっぱり野音はいいなぁ」とCharも言ってたけど、ホント、野音で観るCharは最高だ(これまで僕はいったい何度、野音でCharを観たことだろう。野音が似合うアーティスト・トップ3に入るね、Charは)。

 

Char、古田たかし、澤田浩史に、佐藤準が加わった4ピース。セトリ的には全キャリアからわりと満遍なくやったけど、かなり久々の「篭の鳥」など初期J.L&C曲がいくつかあったのが嬉しかった。「ニッポン Char,Char,Char」のあとには「石やんも降りてきてるな。そうか、だからこの天気なのか」みたいなこと言って笑ってたけど、石やんもジョニーもジムも、なんならムッシュも揃って降りてきてたんじゃないか的ないい空気感でした。一方、「Missing You」の演奏前には「会いたくても会えない人に」と言ってて、そうか、そんな思いもこめていまCharはこの曲を弾いてるんだな、なんて思ったりも。

 

で、緩むところまったくないまま次々に曲を演奏し、アンコール含めて2時間40分くらい。いつだってCharのライブの進め方は無駄なくスマートだ。が、残業時(=アンコール)、「ナチュラルバイブレーション」で大きく盛り上がったあとの「スモーキー」の入りで珍しく澤田がミスって途中でやめ。やり直すかと思いきや、そこで「アップルジュース」。気を取り直して「スモーキー」で締め。ってな流れもレアで面白かった。

 

声の調子もとってもよかったし、やっぱ野音のCharは最の高。10月にもまた野音でやるそうです。それにしても、しーたかさん、もうすぐ還暦とは驚きね。見えないねぇ。

 

2018年5月19日(土)

 

鍵盤の清野雄翔くんに誘ってもらって、二子玉川KIWAでママレイドラグ。

アルバム『GOODBYE』リリースライブ2。

 

素晴らしかった!  田中さんもゲストの高野寛さんもギター弾きまくり。高野さん、「こんなに弾くの久しぶりだからすごく楽しい」と言ってたけど、あんなにかっちょいいソロをたくさん聴くことができてラッキー。あと「夢の中で会えるでしょう」が聴けたのも嬉しかったな。やっぱ名曲。

 

田中さんと高野さんのトークも「へぇ~」ってなるようなところいろいろあって。確かにルーツ、ギタリストとしての矜持、身長に髪形まで共通点多し。田中さんが初めていいと思って敬意を抱いた日本のアーティストが高野さんだったという話も興味深かった。僕は田中さんに大昔(ソニーのアソシ時代)一度だけインタビューしたことあるけど、そのときはまったく笑わない人だったので、昨日楽しそうに高野さんと話して笑ったりしてるところを見て、印象がだいぶ変わりましたね。年齢重ねてだいぶオープンになったってことなんでしょう、きっと。

 

現在のママレイドラグはバンドも素晴らしく、高野さんも言ってたように一体感、あり。特にアンコールのブルーズ曲「Day And Night Blues」とか、田中さん・高野さんのエレクトリックギターの掛け合いに加えてメンバーそれぞれの見せ場も機能。とりわけ清野くんの鍵盤ソロがDr.kyOnなみに最高で。あと田中・高野・清野のトリオ編成になった際の彼のピアニカもすごいよかった。清野くん、ロマンチックなやつからブルーズから何から、ほんと引き出し広いなぁ。

 

因みに二子玉川KIWAは5月いっぱいで閉店(移転)するそうな。昨日久しぶりに行って、傾斜具合含めすごく見やすくていい会場だなぁと改めて思ってたところなのでちと残念。そういえば客席には伊藤銀次さんの姿もありました。

 

2018年5月17日(木)

 

Zepp Tokyoで、Superfly。

Official Fanclub“Superconnection”10th Anniversary Tour 2018「Super-duper!」。

 

一昨日に続いて昨日も観に行ってきた。一昨日は「うわぁ、この曲やるのか!」とか「この曲がこんなアレンジで歌われるのか!」とかいろいろ驚きつつ観たものだったが、2回目ともなればどんな曲が演奏されるかわかっている分、冷静に観れる……なんてことはなく、一昨日とは別の意味で驚いたり、グッときたり。それに個人的な感情なので説明はしないが、思わぬところで(つまり感動的なバラードとかそういうところじゃない部分で)妙にこみあげてくるものがあったりもした。去年の東京オペラシティで1曲目のあいこめを聴きながらどばどば涙が溢れ出てきたあの感じとはさすがに違うが、なんだろか。とにかく志帆ちゃんが今こんなに大きな声で気持ちよさそうに&幸せそうに歌ってる、ということが嬉しくてねぇ。

 

「いやもう絶好調ですやん」と一昨日観たあとツイートしたけど、昨夜はその上を行く絶好調ぶりだった。同じ会場で2daysある場合、1日目でその会場の(客の入った状態での)反響音とかをつかんだ上で2日目に活かす、修正すべき点は修正する……というのはまあどのアーティストでもやってる当たり前のことだろうけど、昔からSuperflyとそのスタッフはそこが本当に徹底されていて、1日目よりも2日目のほうがよくなかったというふうになることはまずない。もちろんライブはナマモノであるから何がどうなるかは誰にもわからないし、気持ちの入り方や集中の仕方だってその日によって違うのは当然だ、と、普通のアーティストのライブならそう思うところだが、Superflyの場合1日目より2日目のほうが気持ちの入り方や集中の仕方が落ちるなんてことは絶対にない。僕の記憶では本当にかつて一度としてなかった。だから観るなら1日目より2日目だとか、そんなことを言いたいわけではなく、じゃあ何が言いたいかというと、たった1日で修正すべき点は完全に修正して相当違うレベルにまでもっていけてしまう志帆ちゃんの歌唱においてのプロフェッショナル度合とか勘の良さはやっぱりとんでもなくすごいということだ。

 

帰りの電車で一昨日のツイートをいろいろ観てたら今回のライブの曲アレンジを担当しているトロンボーンの五十嵐さんが「回を重ねるごとにバンド、ホーンセクション、そして志帆ちゃんとのシンクロ率が天井知らずに上がっていく…。すでに僕の想像を超えています!」とツイートされていたけど、それもよくわかるというか、客席で一昨日と昨日を観てただけでもそのシンクロ率の上昇度合があんなにも感じられたのだから、そりゃあステージで一緒にやってる人にとっての実感は相当のものだろうし、このあともまさしく天井知らずに上がっていくのだろう。

 

いやホント、一昨日もツイートしたことだけど、あれほど大きくアレンジされてアクセントのつけ方が相当難しくなったであろう曲もそうと感じさせないスキルでラクラク乗りこなしていく志帆ちゃんはとんでもなくすごい。ということを一昨日にも増して昨夜また強く感じた。あの曲はもとのアレンジではあそこをこう伸ばしていたけど、いまのアレンジの場合はそこは伸ばさずピシっととめて、2番でこっちの部分をこう伸ばす……みたいなことを、手の先とかカラダとか首とかのちょっとした動かし方・表情のつけ方と合わせながらスルっとやってのけるのだ。それも決め事としてそうしてるようにはまったく感じさせず、そのときそのときの気分で自由にそうやっているように感じさせるのだからまたすごい(一昨日と昨日の2回聴いた限り、実際は自分のなかの決め事として忠実にそれをやっているところと、本能的にやっているところと両方あるようだった)。そして実際、一昨日よりも彼女のなかの遊び心が表に出て、バンドメンバーとの絡み方もより本能的というか、自由に面白がりながら歌で楽器音と会話しにいってるように感じられた。そりゃあメンバーもワクワクしながらプレイできるだろうし、たまらなく楽しいだろう。ああいうヴォーカリストと演奏できることがミュージシャンにとってどれだけ幸福なことか。

 

いやそれにしても、圧倒的な歌唱表現というのは、こんなにも聴いてて気持ちいいものかと改めて思う。それだけで本当に幸せになる。歌がすごいって、それ、ほかの何より一番すごいことなんじゃないかと、誤解を招きそうな言い方だけどあえてそう言いたくなる。歌で、声で、こんなに昂ったり、胸が熱くなったりする。それ、スキルと気持ちの両方あるからそうなるのだ。

 

前からそうだったけど、インタビューすると最近特に志帆ちゃんは歌い方についての話をとても楽しそうにする。今年に入ってからも「Bloom」が出ることが決まってから1時間半、「Fall」ができたタイミングでまた1時間話を聞いたんだが、この歌詞のこの部分をどんな調子で、どんなイメージで、どう解釈して、どう歌ったか、といったことを話すときにもっとも熱が入り、キラキラ目を輝かせていた。コンセプトがどうとか歌詞の意味がどうとかそういうことよりも、ヴォーカル録りのときのイメージの作り方とか表現の仕方とかを話しているときが一番楽しそうなのだ。けっこう僕もいろんなアーティストにインタビューしてるけど、こんなにも生き生きと嬉しそうに、こんなにもヴォーカル表現の仕方についての話を明確かつ明快にする人はほかにいない。こんなにも歌唱そのものの探求をし続けて、こうしたらこんな声が出たんですみたいな発見をこんなに嬉々として喋る人はほかにいない。だから僕もついついそれについてたくさん訊いてしまう。本当に根っからのシンガーであり、歌で、声で表現することが、何より好きなんだなと、そう思う。

 

繰り返すが、圧倒的な歌唱表現というのはこんなにも聴いてて気持ちいいものかと昨夜も思った。こと日本は、というかだいぶ前から世界的にもだけど、いまは歌唱表現力よりも前に作詞力、どれだけ歌えるかよりもどれだけ意味のあることを書けるかのほうがポピュラー音楽全般のなかで価値の高いこととされている風潮にある。歌(ヴォーカル)そのものがフニャフニャでも、奥深かったり文学的だったり時代を捉えていたりの歌詞をうたっていれば驚くほど高く評価されたりする。まあ、音楽のどこに価値をおくか、どこを好きになるかは人それぞれなのでとやかく言うことではないのだが、歌唱力よりも歌詞についてのところでアーティストのよしあしを評価・判断する人が評論家含めあまりに多くなりすぎていて、それってどうなのかという不満も正直僕にはある。じじいの戯言みたいに思われかねないけど、どんなに深かったり鋭かったりの歌詞をうたっていても肝心のヴォーカルがフニャフニャで弱っちいと僕の胸にはどうしても響かない。それはもう生理的と言っていいくらいにどうしようもなく響かない。

 

そんなことを鑑みつつ思うのは、Superflyの歌唱表現の豊かさ、広さ、説得力は、もっともっと高く評価されなきゃおかしいということだ。まあ前から歌が上手いとは普通に言われているけど、そのレベルがどれほどほかとは違うのか、どれほど群を抜いてるのか、単にパワフルとかそういうことじゃないということをちゃんとわかっている人、そこをちゃんと書いたり言ったりする人が世の中的にはこれでもまだ全然少ないんじゃないかというもどかしさに似た気持ちが僕のなかにはどうやらあるし、今回2公演を観て改めてそのことを思った。

 

何年か前に同業の友人と話していたときのこと。その友人が「でもSuperflyはロックじゃないからなぁ」と言った。いちおう友人なのでムキにはならずとりあえず流しといたが、「だから何?  それがどうした?」と心のなかでは当然思った。ロックだからとかロックじゃないからとか、んなこたぁ本当にどうでもいい。ロックじゃ表現しきれないものを彼女が表現していることにはその男は気づけてない。でも案外世の中のそこそこ多数の人もその友人とそう遠くない価値基準をもっているのかもなとそのときちょっと思ったりもした。

 

いかん、話がとりとめもなくなってきた。まあ結局何が言いたいかというと、今回のZepp Tokyo2公演を観て、僕は改めて「やっぱ志帆ちゃんはすごいなぁ」と強く思ったってことと、これからもっとその「すごいなぁ」をちゃんと伝わる言葉にして書いていくのだと心に決めたってこと。以上!

 

 

2018年5月16日(水)

 

Zepp TokyoでSuperflyのオフィシャルファンクラブ10th Anniversary Tour「Super-duper!」。

 

去年の東京オペラシティ公演はさすがに1曲目から涙が溢れ出た感動的なものだったが、昨夜はひたすら楽しく(志帆ちゃんの楽しそうな様子が嬉しく)、そして改めて桁外れの歌唱表現力に唸らされたものだった。ツアーは続くので詳細は書けないが、とりあえず帰りにバーミアンでビール飲みながらしたツイートがこれ。

 

「Superfly、Super-duper!at Zepp東京。いやもう絶好調ですやん。声の出力ハンパない。大きくアレンジされてアクセントの付け方が相当難しくなったであろう曲もそうとは感じさせないスキルでシンコペ取り入れつつラクラク乗りこなしていくのとか本当にすごい。ライブ休む前よりすごくなってる!」

 

「Zepp東京ってそこそこ大きなハコだと思ってたけど、今夜はなんかちっちゃなライブハウス感あった。そのくらい志帆ちゃんが近さを感じさせる表現の仕方をしながらもスタジアムに響きそうな出力の歌を聴かせていたってこと。」

 

今夜も楽しみです。

 

2018年5月13日(日)

 

先頃初めて取材した山森大輔さんのライブを下北沢ERAにて。

 

ROCK'A'TRENCHのメンバー5人中3人がバンド活動休止後初めて一緒に演奏し、ホーン隊も加わって、音に厚みあり。エレクトロ方向にふりきった新作『銀のピストル』をこのところよく聴いてた自分の耳には、ガツンとくるバンドサウンドがむしろ新鮮だった。

 

↓こちら、担当したCDジャーナルのインタビュー。
http://www.cdjournal.com/…/cdjp…/yamamori-daisuke/1000001389

 

2018年5月12日(土)

 

日本武道館で、GLIM SPANKY。

 

武道館で「大人になったら」を聴いたらどんな気持ちになるだろう……。と、僕がそんなことを考え始めたのはいつ頃からだったか。3年前か。4年前か。もっと前(デビュー前)にもそんなことを考えたことがあっただろうか。いや、ハッキリそれをイメージしたのは初めてのキネマ倶楽部公演あたりだから、やはり3年前か(その公演終了後に実際ユニバーサルの人とそういう話をしたことを覚えている)。

 

「大人になったら」に激しく胸を揺さぶられるとき。それはいいライブだ。「大人になったら」がツルッと普通に聴こえるとき。それはまあまあのライブだ。「大人になったら」がどう聴こえたかは、僕にとってGLIMのライブの(心の動かされ度合の)測定基準でもある。

 

今までのGLIMのどのライブで「大人になったら」が強く心に響いたかは、けっこう今でもちゃんと思い出せる。あのライブでの「大人になったら」はとんでもなくよかった。カラダが震えた。そういうときの松尾レミの声の出し方だったり髪の振り乱し方だったり亀本寛貴のギターの鳴り音だったりはわりとしっかり記憶に残っている。今夜、22曲目に演奏された「大人になったら」は、やっぱり格別だった。武道館に響いた「大人になったら」。僕はそれをたぶん数年先にも思い出せるだろう。

 

GLIM SPANKYの武道館。基本的にはいつもライブハウスでやってるライブをそのまま武道館にもってきたというようなものだった。違うのは、光(照明)のあて方がいつも以上に考えぬかれていたこと。多くの曲で背景にサイケデリックな映像が映し出されていたこと(説明的な映像ではなかったのがよかった)。あとは曲数が多かったこと(アンコール含めて全25曲)と、珍しくMCの時間が長めだったことと、ふたりだけのアコースティック曲が1曲あったことくらい。それ以外に特別な演出も特別な美術やセットもなかったし、MCも前もって決めてきた感じじゃなかったし、多くのバンドが武道館でやるように広いステージを端から端まで走ったりとかステージの端っこに行って横側の1階席の人たちにアピールするといったこともしなかった。バンドはほぼ全編、ステージ中央にかたまってだいたい定位置で演奏した(それだけにときどき松尾または亀本が前のほうに出て弾く際のエモーションが特別に感じられた)。

 

武道館だからといって特別なことはしていない。にもかかわらず、やっぱりそれは特別なライブだった。

 

「MIDNIGHT CIRCUS」の映像が歌と最高に合っていた、とか、「闇に目を凝らせば」の出だしの歌のみの部分にグっとつかまれた、とか。「NEXT ONE」のど頭のギターが恐ろしくかっこよくて、やっぱリフだよな、リフが印象的な曲がGLIMには多いよなと思ったこととか。「さよなら僕の町」の亀本のアコースティックの弾きっぷりはブルーズっぽくてよいなと思ったこととか。個人的によかった場面はいろいろある。いろいろあるが、とりわけ僕的には本編最後の「大人になったら」のひとつ前……21曲目に、相当久しぶりに「サンライズジャーニー」が聴けたことがなんといっても嬉しかった。

 

「サンライズジャーニー」はGLIMのなかで特に大好きな曲のひとつなのだが、しばらくライブで演奏されていなかった。それを武道館の本編ラス曲の前にもってきたことの意味を強く感じた。「ずっとバスを待っていた 時代が常に変わり続けてた 詰め込まれていく人を眺めては きっと僕らの乗る車じゃない」。詰め込まれていく人というのは、先に来たバスにさっさと乗っていった人たち……つまり先にメジャー契約してデビューしていったバンドたちのことだと、かつて松尾は取材で話していたけど、ふたりは何台か見送ったあと、乗るべきバスに乗って、それで今夜武道館まで来た。でも、ふたりは今夜何度も話していたけど、ここが、ここからがスタートだと感じているわけで、だから「鞄に荷物詰め込んで 背負ってきたけれど 軽くしていこう これからはでこぼこ道だから」ともう一度いまこの段階で歌っておきたかったんじゃないか。そんなふうに思いながら僕は聴いた。「きっと僕らの思い込みじゃない」のところを下北ガレージで聴いて号泣していたサラリーマンらしき人の話を松尾はあとでしていたけど、それがまさに今夜のこれに繋がっている。だから、今夜ここで歌いたかった。それはたぶん、僕の思い込みじゃないだろう。

 

そういう意味では、その「サンライズジャーニー」、続く「大人になったら」、そしてアンコールの(上京する際の気持ちを表現した)「さらなら僕の町」、それからこれも久々に演奏された(「次の曲もやりたかったんだ」と松尾は確かに言った)“立ち止まらずに ひたすら進めよ”“私たちは いま輝きの中”と歌われる「リアル鬼ごっこ」、この4曲に武道館というひとつの節目の公演をやるにあたっての松尾と亀本の思いがとりわけ強く込められていたように思う。それもたぶん、僕の思い込みじゃないだろう。

 

ところで、心に響いた良いMCの多くはいろんなサイトのライブレポートで紹介されるだろうから書かないけど、個人的にニヤリとさせられた松尾の言葉がふたつ。亀本が物販について説明したその流れで、松尾「私は物販について話すバンドが嫌いなんだけど…。買いたければ買うだろうし、欲しくなければ買わないだろうし、それでいいと思ってて…」。よう言うた。僕もライブで長々と物販について説明するバンドやユニットが嫌いというか、いらん時間だなぁといつも思ってます。それと、「メジャーになってヘンになっていってるバンド、いっぱい知ってるけど、私たちはならないから」。これもよう言うた。僕もたくさん知ってるし、そうならないGLIMだから観続けてるわけです。あと、「怒りをくれよ」で珍しく歌詞がぶっとび、そのあとの「武道館には魔物がいるというけど、いましたね」というのもナイスでした(笑)

 

そうそう、「リアル鬼ごっこ」で終わったワンマンも以前にあってそれもよかったけど、今回はそのあとさらに「Gypsy」がきてロックンロール表現でズバーンと終わった感じも最高だったな。「わかってないのは君たちだけ」と一番で歌ったその部分を、2番で松尾は「わかっているのは君たちだけ」と歌った。最高だった。まさにここと、「サンライズジャーニー」の終盤の松尾のあの「イエー」の声。それが今夜、僕が一番グッときたところだった。