2018年5月17日(木)

 

Zepp Tokyoで、Superfly。

Official Fanclub“Superconnection”10th Anniversary Tour 2018「Super-duper!」。

 

一昨日に続いて昨日も観に行ってきた。一昨日は「うわぁ、この曲やるのか!」とか「この曲がこんなアレンジで歌われるのか!」とかいろいろ驚きつつ観たものだったが、2回目ともなればどんな曲が演奏されるかわかっている分、冷静に観れる……なんてことはなく、一昨日とは別の意味で驚いたり、グッときたり。それに個人的な感情なので説明はしないが、思わぬところで(つまり感動的なバラードとかそういうところじゃない部分で)妙にこみあげてくるものがあったりもした。去年の東京オペラシティで1曲目のあいこめを聴きながらどばどば涙が溢れ出てきたあの感じとはさすがに違うが、なんだろか。とにかく志帆ちゃんが今こんなに大きな声で気持ちよさそうに&幸せそうに歌ってる、ということが嬉しくてねぇ。

 

「いやもう絶好調ですやん」と一昨日観たあとツイートしたけど、昨夜はその上を行く絶好調ぶりだった。同じ会場で2daysある場合、1日目でその会場の(客の入った状態での)反響音とかをつかんだ上で2日目に活かす、修正すべき点は修正する……というのはまあどのアーティストでもやってる当たり前のことだろうけど、昔からSuperflyとそのスタッフはそこが本当に徹底されていて、1日目よりも2日目のほうがよくなかったというふうになることはまずない。もちろんライブはナマモノであるから何がどうなるかは誰にもわからないし、気持ちの入り方や集中の仕方だってその日によって違うのは当然だ、と、普通のアーティストのライブならそう思うところだが、Superflyの場合1日目より2日目のほうが気持ちの入り方や集中の仕方が落ちるなんてことは絶対にない。僕の記憶では本当にかつて一度としてなかった。だから観るなら1日目より2日目だとか、そんなことを言いたいわけではなく、じゃあ何が言いたいかというと、たった1日で修正すべき点は完全に修正して相当違うレベルにまでもっていけてしまう志帆ちゃんの歌唱においてのプロフェッショナル度合とか勘の良さはやっぱりとんでもなくすごいということだ。

 

帰りの電車で一昨日のツイートをいろいろ観てたら今回のライブの曲アレンジを担当しているトロンボーンの五十嵐さんが「回を重ねるごとにバンド、ホーンセクション、そして志帆ちゃんとのシンクロ率が天井知らずに上がっていく…。すでに僕の想像を超えています!」とツイートされていたけど、それもよくわかるというか、客席で一昨日と昨日を観てただけでもそのシンクロ率の上昇度合があんなにも感じられたのだから、そりゃあステージで一緒にやってる人にとっての実感は相当のものだろうし、このあともまさしく天井知らずに上がっていくのだろう。

 

いやホント、一昨日もツイートしたことだけど、あれほど大きくアレンジされてアクセントのつけ方が相当難しくなったであろう曲もそうと感じさせないスキルでラクラク乗りこなしていく志帆ちゃんはとんでもなくすごい。ということを一昨日にも増して昨夜また強く感じた。あの曲はもとのアレンジではあそこをこう伸ばしていたけど、いまのアレンジの場合はそこは伸ばさずピシっととめて、2番でこっちの部分をこう伸ばす……みたいなことを、手の先とかカラダとか首とかのちょっとした動かし方・表情のつけ方と合わせながらスルっとやってのけるのだ。それも決め事としてそうしてるようにはまったく感じさせず、そのときそのときの気分で自由にそうやっているように感じさせるのだからまたすごい(一昨日と昨日の2回聴いた限り、実際は自分のなかの決め事として忠実にそれをやっているところと、本能的にやっているところと両方あるようだった)。そして実際、一昨日よりも彼女のなかの遊び心が表に出て、バンドメンバーとの絡み方もより本能的というか、自由に面白がりながら歌で楽器音と会話しにいってるように感じられた。そりゃあメンバーもワクワクしながらプレイできるだろうし、たまらなく楽しいだろう。ああいうヴォーカリストと演奏できることがミュージシャンにとってどれだけ幸福なことか。

 

いやそれにしても、圧倒的な歌唱表現というのは、こんなにも聴いてて気持ちいいものかと改めて思う。それだけで本当に幸せになる。歌がすごいって、それ、ほかの何より一番すごいことなんじゃないかと、誤解を招きそうな言い方だけどあえてそう言いたくなる。歌で、声で、こんなに昂ったり、胸が熱くなったりする。それ、スキルと気持ちの両方あるからそうなるのだ。

 

前からそうだったけど、インタビューすると最近特に志帆ちゃんは歌い方についての話をとても楽しそうにする。今年に入ってからも「Bloom」が出ることが決まってから1時間半、「Fall」ができたタイミングでまた1時間話を聞いたんだが、この歌詞のこの部分をどんな調子で、どんなイメージで、どう解釈して、どう歌ったか、といったことを話すときにもっとも熱が入り、キラキラ目を輝かせていた。コンセプトがどうとか歌詞の意味がどうとかそういうことよりも、ヴォーカル録りのときのイメージの作り方とか表現の仕方とかを話しているときが一番楽しそうなのだ。けっこう僕もいろんなアーティストにインタビューしてるけど、こんなにも生き生きと嬉しそうに、こんなにもヴォーカル表現の仕方についての話を明確かつ明快にする人はほかにいない。こんなにも歌唱そのものの探求をし続けて、こうしたらこんな声が出たんですみたいな発見をこんなに嬉々として喋る人はほかにいない。だから僕もついついそれについてたくさん訊いてしまう。本当に根っからのシンガーであり、歌で、声で表現することが、何より好きなんだなと、そう思う。

 

繰り返すが、圧倒的な歌唱表現というのはこんなにも聴いてて気持ちいいものかと昨夜も思った。こと日本は、というかだいぶ前から世界的にもだけど、いまは歌唱表現力よりも前に作詞力、どれだけ歌えるかよりもどれだけ意味のあることを書けるかのほうがポピュラー音楽全般のなかで価値の高いこととされている風潮にある。歌(ヴォーカル)そのものがフニャフニャでも、奥深かったり文学的だったり時代を捉えていたりの歌詞をうたっていれば驚くほど高く評価されたりする。まあ、音楽のどこに価値をおくか、どこを好きになるかは人それぞれなのでとやかく言うことではないのだが、歌唱力よりも歌詞についてのところでアーティストのよしあしを評価・判断する人が評論家含めあまりに多くなりすぎていて、それってどうなのかという不満も正直僕にはある。じじいの戯言みたいに思われかねないけど、どんなに深かったり鋭かったりの歌詞をうたっていても肝心のヴォーカルがフニャフニャで弱っちいと僕の胸にはどうしても響かない。それはもう生理的と言っていいくらいにどうしようもなく響かない。

 

そんなことを鑑みつつ思うのは、Superflyの歌唱表現の豊かさ、広さ、説得力は、もっともっと高く評価されなきゃおかしいということだ。まあ前から歌が上手いとは普通に言われているけど、そのレベルがどれほどほかとは違うのか、どれほど群を抜いてるのか、単にパワフルとかそういうことじゃないということをちゃんとわかっている人、そこをちゃんと書いたり言ったりする人が世の中的にはこれでもまだ全然少ないんじゃないかというもどかしさに似た気持ちが僕のなかにはどうやらあるし、今回2公演を観て改めてそのことを思った。

 

何年か前に同業の友人と話していたときのこと。その友人が「でもSuperflyはロックじゃないからなぁ」と言った。いちおう友人なのでムキにはならずとりあえず流しといたが、「だから何?  それがどうした?」と心のなかでは当然思った。ロックだからとかロックじゃないからとか、んなこたぁ本当にどうでもいい。ロックじゃ表現しきれないものを彼女が表現していることにはその男は気づけてない。でも案外世の中のそこそこ多数の人もその友人とそう遠くない価値基準をもっているのかもなとそのときちょっと思ったりもした。

 

いかん、話がとりとめもなくなってきた。まあ結局何が言いたいかというと、今回のZepp Tokyo2公演を観て、僕は改めて「やっぱ志帆ちゃんはすごいなぁ」と強く思ったってことと、これからもっとその「すごいなぁ」をちゃんと伝わる言葉にして書いていくのだと心に決めたってこと。以上!