大野純司のブログ -57ページ目

リリウオカラニ女王の祈り

ハワイの結婚式でよく歌われる曲の中にクイーンズ・プレヤーと言う賛美歌があります。これは、リリウオカラニ女王が1895322日に作曲したもので、ホノルルのダウンタウンにあるイオラニ宮殿に自宅監禁されていたときの作品です。通常、結婚式で歌うときは1番か12番のみですが、4番まである歌詞全部を訳してみましょう。

あなたのいつくしみ深き哀れみは天のように高い

そしてあなたの真理は完全

私は監禁され、悲しみの中に生きている

あなたは私の光、あなたの栄光は私の支え

悪意を持って人の罪を見ないでください

人を赦し、清めてください

ああ主よ、あなたの翼の下で私たちを守ってください

平安が、今からとこしえまで、私たちのものとなりますように

米国は、ハワイ王国を非合法的に崩壊させたのですが、その過程で自宅監禁された女王は、それでもなお、このアメリカ人がもたらしたキリスト教の神を信じ、彼らの罪を赦してくださいとの祈りをこめて、この歌を歌っています。これには、どのような歴史的背景があったのでしょうか。

ハワイは、紀元400年頃から人が住むようになったと言われています。ハワイに残る言い伝えによると、ハワイ人を含むポリネシア人の先祖は中近東で、言語学的にも文化的にも、その足跡を東南アジア、インド、中近東へと辿ることができます。例えば、聖書にノアの箱舟の話がありますが、ハワイ語ではヌウです。神の名前はイオあるいはイアで、これは旧約聖書が書かれているヘブライ語のヤーに由来し、同じく中近東から来た少数民族で、政府から迫害を受けているミャンマーのカレン族の神、イワなども同じです。

しかし、紀元1200年頃、食人や人身供養などで知られるポリネシア系の宗教が島々を征服し、今のハワイからは想像もできない恐怖の列島となりました。特にひどかったのが宗教的タブーです。タブーと言う英語は、トンガ語から来ており、ハワイ語ではカプーです。些細なことでも、タブーを破ったものは、ヘイアウ(ハワイの礼拝の場所)で殺されたのです。今、ハワイのパワースポットに人気がありますが、ガイドブックに、悪いパワースポットもあるから気をつけるようにと書いてあるのは、このような人身供養が行われていたヘイアウを避けるようにと言うことなのです。

ところが、このタブー制度が崩壊すると言うことをある人が預言し、1819年、カメハメハ大王が亡くなって後、その奥さんとカメハメハ2世が、タブーを破りました。この制度が崩壊する前に、それから逃れるためにアメリカの捕鯨船に助けを求めてニュー・イングランド地方に住み着いたオプカハイアと言うハワイ人がいました。彼はエール大学に入学し、今で言う博士号を取り、祖国の民をタブーから救うために宣教師を送るように働きかけたのですが、腸チフスで亡くなりました。しかし、彼の伝記が有名になり、多くの人の心が動かされて、タブーが崩壊してから20日後に、宣教師たちが、命を賭けてこの野蛮な民族の布教のために、3万キロの船旅に出たのです。半年後にハワイに着いたときに彼らを待っていたのは、蛮民ではなく、タブーを廃止し、宗教的に真空状態の中にあったハワイ人たちだったのです。

ところで、先ほどの預言者ですが、彼は、本当の神が黒い箱に入ってハワイに戻って来るが、その神は私たちに分からない言葉を話すと預言しました。また、元タブー制度の祭司長であったヘヴァヘヴァは、ハワイ島のコナにある岩を指差して、本当の神はこの岩に来ると、カメハメハ2世に預言しました。宣教師たちは、コナのこの岩に船をつけ、当時貴重品であった聖書を黒い箱に入れて持ってきたのです。この岩は、コナのプリマスロック(メイフラワー号に乗って米国に移住した入植者が船を着けた岩)と呼ばれ、コナのキング・カメハメハ・ホテルの近くにあります。

こうして、19世紀の中ごろまでに、ハワイ人の96%がクリスチャンになったと言われています。当時、ハワイ島のヒロには、世界一大きな教会があり、ヒロの人口が千人ほどであったにもかかわらず、1万人の人が集っていました。

貧しい生活を自ら選んだ初代の宣教師たちとは裏腹に、その子孫や実業家たちは、政治家と組んでリリウオカラニ女王を監禁してハワイ王朝を絶ち、ハワイを米国に併合しました。アメリカ人からこのような仕打ちを受けたにもかかわらず、彼女の信仰は揺るぎませんでした。アロハ・オエと言う有名な曲がありますが、あれもリリウオカラニ女王が作曲したものです。日本では、ハワイの民謡だと思っている人が多いようですが、これも実は賛美歌なのです。

あとがき

宣教師たちも、いくつかの大きな間違いを犯しました。一つは、聖書の神とイオの神が同じだと言うハワイ人の考えを否定したことです。キリスト教は西洋に伝わったと言う歴史しか知らなかった彼らは、太古の昔から、聖書の神がハワイに伝わっていたということなど、想像もできなかったのでしょう。

もう一つは、ハワイの文化を異教の文化だと言って全面的に否定したことです。確かに、ハワイの文化には、タブーのような悪い要素が多くあったのですが、この二つの過ちのゆえに、キリスト教は外国の宗教だと言う印象を与え、ハワイが米国に強制的に併合された後、ハワイ人のほとんどはキリスト教から離れて行きました。実際、私がハワイに移住した20年前には、教会でフラダンスをするなどと言うことはほとんどありませんでした。

しかし、最近これらの過ちは正されつつあります。ハワイの宗教史の研究が進むにつれて、特にハワイ人の多い教会は、イオが聖書の神であることを再発見しています。また、最近は、大きな教会でフラダンスのチームのない教会など珍しいほどになりました。ハワイのクリスチャン人口は、また増えつつあります。女王の祈りは聞かれたのです。

バレンタイン・イブ

 バレンタインデーの前日は、排水管が詰まったり、家にアリの大群が侵入してきたり、おまけに犬のプナが、原因は分からないのですが、急に歩けなくなって、動物病院に入院したりして、散々な一日でした。翌日、幸い居候のケニーが排水管を直してくれ、プナも一晩の入院で帰ってきたのですが(入院費$700)、バレンタインデーは、ぐったり疲れてしまいました。次男がバレンタインだからと言って買って来てくれた大きなフランスパンのサンドイッチをみんなで食べて、前日プナ騒ぎであまり寝てなかったので、早く床に就きました。

 ベッドに入って、家内に、私たちの最初のバレンタインのことを覚えているかどうか、聞いてみました。36年前のことです。住んでいた大学寮の近くの高級なフレンチ・レストランに初めて行ったこと、メニューがみんな高くて、二人とも一番安い牛タンのスパゲティーしか注文できなかったこと、パンやスープを食べ過ぎて、肝心のスパゲティーが出てきたときにはおなかがいっぱいになっていたこと、私が黒いコートをプレゼントしたら、家内が高価すぎると言って受け取るのを躊躇したこと(本当は安物)、翌年の冬、家内がそれを着て日本に行って結婚式を挙げたことなど、決して記憶力が良いとは言えない家内が詳しいことまで覚えていたので、ちょっと驚きました。

 二人で昔話をすると、話が食い違うことが多くて、みんなによく笑われるのですが、昔の事を聞いても、覚えてないと言う返事の方が多くなる日が来るのかもしれません。プナも、当時まだ9歳の子供だった三男が欲しいと言うので、動物愛護協会に行ってもらってきたときにはまだ生後6ヶ月でしたが、今はもう10歳の老犬です。長男は1年前に結婚しましたので、私たちがおじいちゃんとおばあちゃんになる日も、そう遠くはありません。昔の思い出を二人で語り合えなくなったら、きっと寂しいでしょうが、でもまだまだ大丈夫そうです。少し安心しました。

次男がホームレスシェルターで就職

私の次男は、去年の夏ハワイ大学を卒業した後、ずっと仕事が見つからず、ホノルルのダウンタウンの近くのホームレス・シェルターで毎日ボランティアをしていました。今までに、200ヶ所ほど仕事の申し込みをしたと思いますが、いくつか面接を受けただけで、全く何の手ごたえもありませんでした。

シェルターでボランティアをするようになった理由はいくつかあります。以前うちにホームステイしていたハワイ大学の博士課程の生徒さんが、大学で働いていたのですが、仕事の関係でシェルターに行くことがよくありました。彼が、シェルターで働くことを次男に勧めてくれたのです。また、次男の親友のお母さんが、シェルターのディレクターと同じ教会に通っていて、仲が良かったので、次男のことをディレクターに紹介してくれました。ディレクターは、すぐには雇えないので、ボランティアをすることを勧めたのです。それが去年の夏のことでしたが、とうとう今年、正月明けからパートで働くことになりました。週20時間で、臨時雇いですが、保険などの福利厚生は全部あります。給料も、パートの仕事としては、悪くありません。

仕事の条件も大切ではありますが、それよりももっと嬉しいことは、社会学を専攻し、将来ソーシャルワークの勉強をすることも考えていた息子にとって、シェルターの仕事は、とてもやりがいのある仕事だと言うことです。上司もとてもいい人で、ボランティアの仕事が遅くなったときは、よく家まで息子を送ってくれました。仕事柄、教会関係の人が多く、働いている人の8割くらいはクリスチャンだそうです。

仕事が始まる前々日、お祝いだと言って、息子がスーパーで夕食を買ってきてくれました。逆じゃないかと思いましたが、おいしくいただきました。この厳しい不況の時代、果たしてどうなるのだろうかと心配していましたが、これで一安心です。私も、シェルターでボランティアしようかと思っている今日この頃です。