大野純司のブログ -56ページ目

お父さんを亡くしたエイミー

 数年前、エイミーと言う若い白人の奥さんが教会に来ていました。ご主人は軍人で、海外の基地に配属されていましたので、一人暮らしでした。私たちの教会は、日本人や、日本に関係のある人がほとんどなのですが、たまたま教会員の一人と知り合って、うちの教会に来るようになったのです。でも、とても静かで、ほとんど人とも話をしないし、正直言うと、なぜうちの教会に来てるんだろうと思うくらいでした。

間もなくご主人が帰ってきて、エイミーも一緒にメインランドに戻りました。ところが、その後、時々メールが来るようになったのです。ハワイにいたときは、話しかけられたこともなかったし、こちらから話しかけてもあまり会話が続かなかったので、ちょっと意外でした。ある宣教団体に入って、日本に短期の宣教活動に行ったこともありましたが、あまり活発な人には見えなかったので、これも意外でした。ハワイにいたときは、そんなにフレンドリーには見えませんでしたが、実はそんなことはなかったのだなと思いました。

ところが、あるとき、お父さんが亡くなったというメールが来ました。悲しさをどうしてよいか分からないというのです。私も、何と言ってあげたらよいのかわかりませんでしたが、何か返事を書かないわけにはいきませんでした。

人を亡くしたときの私たちの心の痛みは、亡くなった人への愛情の証です。家族が亡くなっても悲しくないとしたら、それほど悲しいことはありません。私たちがこの地上で出会う人は、全員、必ず別れるときが来ます。生きている間に別れを告げることもあれば、その人が亡くなって別れを告げることもあります。そして、最後には自分がこの世を去り、残った人たち全員に別れを告げるのです。そのたびに心が痛む人ほど、人を深く愛している人です。それは美しいことです。

私は、悲しみに打ちひしがれていたエイミーが、心を開いて人に相談をしたことは、とても良いことだと思いました。当たり前のことに思えるかもしれませんが、悲しくて慰めを求めたエイミーの心の素直さとでも言ったらよいのでしょうか。その中に、エイミーの心の健全さとでも言うべきものを感じたのです。今は悲しんでいても、そしてそれは当然なのですが、時とともにそれが癒されて、またいつの日かエイミーの笑顔を見ることが出来るに違いないと言う安堵感を持つことができました。

その後、エイミーには新しい出会いがありました。赤ちゃんが生まれたのです。私は会ってはいないので、目で見ることは出来ませんでしたが、エイミーは笑みを浮かべていたに違いありません。

「ハワイ・オペラ・シアター」、その後の報告

 去年2月に、奇跡的と言ってもいいほどのことの成り行きで、ハワイ・オペラ・シアターで歌うことになったS君を紹介しました(http://ameblo.jp/junjiono/entry-10799498328.html )。今回はその続きです。このブログを読む前に、ぜひそちらの方を読んでください。
 オペラで歌って間もなく、彼は1年足らずのハワイでの高校生活を終えて、日本の高校に復学しました。それまで、ほとんど勉強していなかった彼の中に、オペラ歌手になりたいと言う希望が生まれたようです。日本に帰った頃は、センター試験に通るには全く手が届かない成績だったそうですが、人が変わったように勉強をし始め、何と、今年の3月に東京芸大に通りました。S君、おめでとう。また、奇跡が起きるのを待っています。

「我が家に赤ちゃんが生まれた」の続き

 2008年10月に書いたブログ「我が家に赤ちゃんが産まれた」のお母さんから、急にホノルルの短大のカフェテリアで開かれた宴会に招かれました。自分の体験談を話すので、来て欲しいと言うのです。ブログを読まなくてもわかるように、このお母さんのことを簡単に紹介しておきます。

 ある友人から、彼の知り合いの独身女性がハワイに1年ほど留学するので、アパートを見つけるまで、一ヶ月ほど泊めてあげて欲しいと言う依頼がありました。引き受けて、その方が来てから気がついたのですが、彼女は妊娠していたのです。相手の男性は、妊娠したことを知って、姿をくらましたそうです。この若いお母さんは、日本で産むことが恥ずかしくて、ハワイに留学して産むことを決心したのです。ホームステイ先で子供を生むわけにも行かないので、自分でアパートを見つけるつもりでいたのですが、良かったらうちにそのまま住んでくださいと言うことになり、出産のときは、家内が付き添いました。

  彼女は、そのときに、アロハ・プレグナンシー(妊娠)ケア&カウンセリング・センターと言うところで、いろいろとお世話になりました。これは、彼女のような状況にある女性を助けるためのキリスト教の団体です。出産後、彼女は日本でも同じような状況で苦しんでいる女性がたくさんいて、産みたくても恥とプレッシャーで堕胎してしまうことを悲しみ、日本でも同じような活動ができることを願っていました。

 それが実って、彼女はセンターの大阪支部を立ち上げました。と言っても、彼女一人でやっている本当に小さなボランティア活動なのですが、そこでカウンセリングを受けて子供を産むことにした女性の赤ちゃんの第一号が、この宴会の前日に産まれました。この宴会は、支部創立の祝賀会もかねたものだったのですが、私たち家族は、何も知らないで行って、ちょっと大きめのテーブルに座らされました。職場から直行して、まだユニフォーム姿だった家内が、「このテーブルだけちょっと他と違うんじゃない?」と不思議がっていましたが、今になって思うと、来賓席だったのかもしれません。

 ミス・ハワイのフラダンスが始まったところで、次男が、「カキ氷がある!」と言うので、三男も連れて、会場の後ろの方で列に並びました。花より団子とはよく言ったものです。カキ氷をもらって席に戻り、食べているうちにこの女性の話が始まりました。食べ終わって空になった紙コップを置いたとたん、彼女が私たちを紹介したので、宴会に来ていた人全員が私たちの方を向いて、拍手をしてくれました。本来ならば、立ってお辞儀でもするべきだったのでしょうが、全く予想していなかったことでしたので、恥ずかしい気持ちと、カキ氷を食べている最中でなくて良かったと言う妙な安堵感で、複雑な心境でした。

 アメリカでは、未だに妊娠中絶の是非が問われています。日本は、「歴史が長い」せいか、もう当たり前になっているようです。米国の中絶の合法化は1973年のことで、私が留学する前の年でした。私は、このことで政治運動をすることは、あまり好きではありません。命の大切さを政治で訴えることも大切ですが、実際に私たちの周りにある命を一つずつケアしていくことの方が、ずっと大切なことのように思えます。孫を産むことに一度は反対していたおばあちゃんが、娘さんの話を聞きながら涙ぐんでいたのが印象的でした。