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家内のお母さんの自殺

家内と付き合い始めて1年もたたない頃の話ですが、家内のお母さんが急に亡くなりました。夫の浮気を苦にした自殺でした。家内のご両親は離婚して、お母さんは長距離トラックの運転手と再婚しました。嫉妬心の強いお母さんで、ご主人が長い旅先で浮気をするのではないかと懸念し、ご主人の運転するトラックに一緒に乗って、当時まだ高校生だった家内と弟をおいて、家を出てしまったのです。クリスチャンになったばかりだった家内は、教会の牧師さんの家にお世話になり、高校を卒業して間もなく、ロサンジェルスの聖書学校に入学して、私と知り合ったわけです。

サクラメントに住んでいたお母さんがピストル自殺をしたとき、家内は、お葬式には出ましたが、お墓の場所は確認しないで戻ってきました。その後、帰省することは何度かありましたが、お墓参りをすることはありませんでした。慕っていたのに自分を見捨てたお母さんへの複雑な気持ちを整理することができなかったのかもしれません。結局、初めてお墓参りをしたのは、お母さんが亡くなってから10年近く後のことでした。その頃、私たちは、日本に引っ越すことになり、家内は、またいつ戻って来ることができるかどうかもわからない故郷を訪ねました。私たちは、2歳になったばかりの長男を連れて、お墓参りに行くことにしたのです。

墓地の事務所に行って、お墓の場所を聞いたのですが、ネームプレートも何もないと言われ、がっかりしました。西洋には、自殺をした方のお墓にはプレートをつけないという文化があると聞いたことがあります。行ってみたところ、確かに周りのお墓にはプレートがありましたが、お母さんのお墓には何もなく、一見まだ空いているお墓のような感じでした。家内は、お母さんが亡くなった当時、フルタイムで働きながらフルタイムで大学に通っていたのですが、安い月給の半分を埋葬費用として継父に渡したにもかかわらず、ちゃんと埋葬してくれなかった継父に憤慨していました。

ところで、私の方は、不謹慎な話ですが、おトイレに行きたくて困っていました。でも、どこにも見つからないのです。仕方なく、アメリカでは顰蹙を買うどころでは済まされない、もしかしたら軽犯罪かもしれないと思うのですが、ほかに誰もいないのを見計らって、車の陰で立ち小便をするしか方法がありませんでした。開けた二つのドアの間でこっそりやりましたので、誰にも気づかれなかったと思います。

 ところが一難去って、また一難。今度は息子が大量の下痢気味のうんちをして、大声で泣き始めました。家内は、お母さんのお墓の前に立ちすくんだまま、怒涛のように涙を流しています。その邪魔をするわけにもいかないので、私がおしめを換えました。本来なら、悲しんでいる家内に優しく声をかけてあげる場面なのですが、人生、何事もそううまくはいかないものです。

 あれからもうすぐ30年が経とうとしています。以前、牧師さんの家でお世話になった家内が、今は、身を寄せるところない人を、何人もこの家でお世話しました。その中には住む所のない高校生もいました。とても悲しくて、とても滑稽なお墓参りでしたが、今ではみんなで大笑いできるいい思い出になりました。

苦労した子ほどかわいい

 当然のことながら、人は、何かのために苦労すればするほど、それに対する思い入れも強くなります。同じように、親は、子供のために苦労すればするほどかわいいものです。今、私の周りに、長男の嫁を含め、妊娠している女性が何人もいます。その中の一人は高齢出産で、もう一か月以上入院をしています。病気がちのお婆ちゃんが実家で長男の世話をし、お父さんは、病院のお母さんと遠い実家のお婆ちゃんの所を行ったり来たりと言う、大変な毎日です。長男の嫁もつわりがひどく、時々仕事を休んでいます。

 もし赤ちゃんが妊娠した翌朝、ポッと簡単に生まれてきたら、きっと両親は命の大切さや赤ちゃんに対する愛情も、それほど感じないでしょう。家内も、二度目の妊娠は子宮外妊娠で、手術をして胎児を出さなければなりませんでしたが、そんなに簡単に赤ちゃんが産めるものなら、それほど悲しむこともなかったでしょう。人間ほど出産や育児が大変な動物は、ほかにはないでしょう。その大変さが、子供への愛情になるのだと思います。

 しかし、この心理があまり健全でない形で表れることもあります。どんなに傷つけられても別れることができない愛人を持っている人や、男性に貢ぐ女性などが、そのよい例です。例えば、妻子のいる男性とお付き合いしている女性は、結婚できない苦しみが返って愛情を掻き立ててしまいます。ギャンブルをする人が、負けているときに、今やめたら損した分が戻ってこないと思って、どんどん深みに入っていくように、この人のためにここまで苦労したのだから、今さら諦められないという心理が働くようです。

 私たちは、みな周りの人に苦労や迷惑をかけながら生活をしています。それを負い合ってこそ、家族や友人関係は成り立って行きますし、それによって愛情も深まっていきますが、自分がなぜ苦労を耐えているのか、それを問いただしてみることも必要かもしれません。

女子バレー全日本チームの通訳(をほとんどしなくて済んだ話)

試合の様子、ほとんど宣伝できなくて、観客が少ないのが残念

大野純司のブログ-試合の様子、観客が少ないのが残念

 友人から、女子バレーの全日本チームがハワイに来るので、その通訳をしてくれと頼まれました。ハワイはバレーが盛んなので、何か大きな団体が全日本チームを呼んだのだろうと思いつつ、OKしました。ホノルルの名門校で、高校生向けにバレーのワークショップをして、その後、紅白戦をしました。全日本チームは、カリフォルニアに全米チームのバレーのトレーニングセンターができたので、そこで全米チームと練習試合をして、その帰りだったのですが、予定が決まったのが直前だったので、ほとんど宣伝することができませんでした。そのためか、ワークショップは25名ほど、紅白試合を見に来た人も、百人程度でした。

 チームのアシスタントコーチが元全米チームのアシスタントコーチだった人で、英語が堪能で、結局私の通訳はほとんど必要ありませんでした。ワークショップでは、参加者を4人ずつの六つのグループに分け、それぞれのグループに全日本チームのプレヤーが二人ずつ入って6人のチームを作って練習すると言う、子供たちにとっては夢のようなワークショップでした。試合の後も、みんなで写真を取って、和気あいあいとした時間を過ごしました。私はその後彼らと食事に行ったところ、たまたま全米男子チームのエース・アタッカーで、ハワイ出身のクレー・スタンリー選手がそのレストランに食事に来ていました。来週、結婚するので、ハワイに帰省してるんだ、と言うことでした。

 驚いたのは、全日本チームをハワイに呼んだのが、ハワイのバレー関係の団体ではなく、私に通訳を頼んだ友人夫婦だったと言うことです。この夫婦は、二人の娘さんがバレーをしていますが、特別上手だと言うわけではありません。日本のママさんバレーのチームがハワイに来た時にその世話をし、日本バレーボール協会のお偉いさんと知り合いになったそうです。それがきっかけで、今回チームがカリフォルニアに行った後、ハワイに来ないかと誘ったところ、急きょ決まったと言うわけです。25人の選手とスタッフのお世話を、ほとんどこの二人だけでやったのです。

  この夫婦は、非常に世話好きで、一度大みそかのパーティーに誘われて行ってみたら、そう広くもない家に30人くらいの人が来ていて、ごった返していました。人との関係を築くことによって、どれだけ大きなことができるか、驚きと感心の体験でした。選手たちも、また来たいと言ってました。