大野純司のブログ -49ページ目

次男がタイの土地を買ってあげた

 最近家族でタイに2回ほど行きましたが、タイ語も話せない私たちが1週間や2週間タイに行ってボランティアをしたところで、大したことはできません。一番大きな目的は、タイの教会や孤児院を助けることではなく、参加者たちが、如何に自分たちが恵まれているかを知り、恵まれていない人たちのために何かをして行くということを学ぶことです。前回のブログでは、長男の嫁が少数民族のラフ族の女の子たちと仲良くなったことを書きましたが、彼女は、タイに行ってから、お金に対する考え方などがずいぶん変わってきたと思います。自分たちだけが楽な生活をすることを求めていたのではいけないと感じたのでしょう。

 今回の旅行は、結局私と家内と次男しか行けなかったのですが、人数が少なかった分、深い人間関係を持つことができました。ある日、セーフハウス(人身売買の被害者になる恐れのある女の子たちの孤児院)のペンキ塗りをしていたところ、教会の牧師さんとセーフハウスの隣の小さなお菓子屋さん夫婦が、かなり大きな声で話をしていました。次男は、何か口論をしていると思ったらしく、何を話していたのか牧師に聞きました。

 牧師は、セーフハウスの裏の土地を半分借りて、農作物を作り、子供たちの食料の足しにしていたのですが、地主がその土地を売ることにしたので、貸してもらえなくなり、困っていました。地主に買わないかと言われたらしいのですが、全部はいらないし、教会には買うお金がありません。ところが、隣のお菓子屋さんが、自分たちが半分買うから、教会が残りの半分を買わないかと話を持ちかけてきたのです。しかし、それでも教会にはそのお金はありませんでした。

 ところが、先月、地主が他の人に売ってしまいそうなので、どうにか早く買えるように祈って欲しいというメールが来ました。田舎の町の、半分水浸しになったような汚い土地ですので、大した値段ではありません。私が全額払ってあげようと思えば、払える金額でしたが、私にはほかの考えがありました。一緒に行った次男に相談したのです。

 彼は、すでにセーフハウスの女の子の生活費1年分を寄付していました。牧師さんが、両親のいない12歳の女の子がいて、セーフハウスに入れて上げればいいのだが、もう12人も入っていて、教会にはその予算がないと家内に話したのですが、家内はその子の話を聞いてかわいそうに思い、彼女のサポートをして上げることにしたのです。すると、次男も、じゃあ自分もと言って、色が黒いというだけの理由で親に嫌われ、学校に行かせてもらえなかった少女をサポートすることにしました。

 私は、彼の中に、犠牲を払って人を助ける気持ちが芽生えていたことを知っていましたので、土地購入の件を彼に相談しました。すると彼は、自分が三分の一、私が三分の一、残りを地元の教会に出してもらったらどうかと言う発案をしました。早速、牧師さんにメールして、三分の一は出せるかと聞いたところ、それなら大丈夫だということでしたので、銀行に行って送金しました。親として、これほど子供のことを誇らしく思えることはありません。

 次男はホームレス・シェルターで働いているのですが、その直後、彼が担当しているプログラムでお金が余ることは分かりました。予算を組んだ人が、あまり数字に強い人ではなかったようなのですが、このプログラムには、予算の何割かを人件費に使わなければいけないという条件がついていたのです。そこで、次男は、思いがけないボーナスをもらうことになりました。その金額は、彼がタイに送った額とほぼ同じで、ほぼ全額戻ってきたわけです。それだけではなく、このプログラムは来年度も続くので、来年は一時的に昇給することになりました。その額は、今年もらうことになったボーナスよりもずっと多いとのことです。

 「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカによる福音書638節)

借金だらけの叔母

 私の母方の叔母は、若いころはとてもきれいな人だったらしく、スカウトされて、プロダクションの人が祖母のところに来て、娘さんを事務所に入れないかと勧誘されたこともあったそうです。市内のある農家に嫁いだのですが、その周辺は開発が急速に進み、ご主人も、まだ若いころ農地を手放して、大金を手にしました。


 しかし、彼はそのお金をお酒や博打につぎ込んでしまって、二人は瞬く間に一文無しになり、夫婦は離婚しました。叔母は、一人で3人の子供たちを育てることになったのです。 まだまだ若いうちは、市内の有名なナイトクラブで働いていましたが、そんなところでいつまでも働けるわけではありません。だんだんとお金に困るようになり、親戚中の人たちにお金を借りるようになりましたが、もちろん返すことはありませんでした。皆に嫌われ、最後にはホームレスのような生活にまで落ちぶれたそうです。

 

 その叔母が、がんである病院に入院しました。同室に、母の教会の方も入院していました。教会のスタッフの方がその方のお見舞いに行った時、叔母は、二人が教会の話をするのを聞いて、母が行っている教会だと言うことを思い出し、そのスタッフの方に声をかけました。スタッフの方は、叔母に伝道し、叔母は神を信じて、病床で洗礼を受けたのです。


 そのスタッフから母に連絡があり、会ってみる気はないかと聞かれました。正直、母にはその勇気はありませんでした。あそこまで自分や親戚たちに迷惑をかけた妹と、今さらどう接していいか分からなかったのでしょう。ところが、ちょうどその時私が帰省していましたので、私が行くならついて行ってもいいと言われ、私はもちろん行くと答えました。もう10年くらい前のことです。


 叔母の名前の書いてある4人部屋の病室に入ったところ、叔母らしき人は見当たりませんでした。部屋を移ったのか、もしかしたらもう亡くなったのかもしれないと思って部屋を出ようとしたところ、あの昔懐かしい叔母の声が私の呼ぶのが聞こえました。振り返ってみた叔母の姿は、あまりにも変わり果てていて、見つけることができなかったのも当然でした。


 体は痩せこけていましたが、心は本当に満ち足りていて、今が一番幸せだと言っていました。もういつ亡くなるか分からないと言う体なのに、あんなにすがすがしい笑顔を見ることができて、私も感動しました。その日は3人でお祈りして別れ、私がハワイに帰って間もなく、亡くなったそうです。5人兄弟の末っ子で、みんなに敬遠された叔母でしたが、神様は叔母をこよなく愛し、亡くなる直前に奇蹟を起こしてくれました。

夫婦そろってお医者さんの宣教師

 私たちが教会を始める準備をしていたころ、まだ数人の礼拝に、ある日系人女性が参加していました。彼女は、2年間日本の教会でボランティア活動をして帰って来たばかりの若い女性で、間もなくアイオワ州の大学の医学部に入りました。なんでそんな遠い田舎まで行くのだろうと思っていたのですが、そこで思わぬ出会いがありました。同じ医学部にいたカリフォルニア出身の日系人男性と知り合い、二人は結婚しました。


 アメリカ人は、日本人ほど親に頼りませんので、自分で学生ローンを借りて大学に行く人が多く、大学卒業生の借金は平均2百万円以上だそうです。うちの息子たちのように、親に出してもらっている人もいますから、ローンを借りた人だけの平均はもっと高いはずですし、ましてや医学部ともなると、1000万を超える人も珍しくはありません。


 二人がどれほど借金をしていたかは知りませんが、医者として働きながらそれを返済し、完済して間もなく、宣教師としてカンボジアに行きました。もう10年前のことです。彼らは、ハワイに里帰りするたびに私たちの教会を訪れてくれるのですが、今回、タイに行くついでに、お隣のカンボジアにも行って、彼らを訪ねることにしました。

 

 当初は、医療宣教師として行ったのですが、今は医療には携わっておらず、特に貧しい人々の間で、普通の宣教師として働いています。カンボジアは、タイに出稼ぎに行く人がいるほど、貧しい国です。医者夫婦がそんなところに行くなんて、何かもったいない気がしますが、それは価値観の問題でしょう。キリストは、神の国とは宝の隠された畑のようなものだと言うたとえ話をしました。その畑に宝が埋められていると言うことを知ったら、だれでも、全財産を払ってでも、その畑を買うでしょう。


 この夫婦は、二人とも医者なのですから、そのままアメリカに住んでいれば、普通の医者よりもずっと豊かな生活ができたでしょう。それを犠牲にして貧しい国に行ったのは偉いと思うでしょう。確かにそうですが、神に仕えることによって隠された宝を得ることができるのであれば、それは当然かもしれません。その永遠の宝が大切だと思うか、それとも現生の宝が大切だと思うか、その価値観の違いによって、私たちの決断が決まるのであり、そのような決断を重ねることによって立派な人間になっていくことはあっても、最初から立派な人間だからそのような決断ができたわけではないのです。この宝は本当に大切で、裕福な生活をしながらそれを追求するのではなく、すべてを捨ててでも、求めるだけの価値のあるものでした。あなたは、幸せを、間違ったところに求めてはいませんか。