大野純司のブログ -42ページ目

孤児院はないほうがいい?

日本に来たIさん
日本に遊びに来たIさん

 
 今月も、先月に続いて、タイで起きたことをまとめて書きたいと思います。Tサンが亡くなり、サポートの必要が無くなりましたので、もう一人、誰かほかの子をサポートすることにしました。Tさんの大の仲良しだったIさんをサポートしていた方が、仕事を解雇されてサポートを続けることができなくなったと聞きましたので、Iさんをサポートすることにしました。
 Iさんは、TさんやFさんほどかわいそうな状況ではないのですが、Iさんのような身の上の子は、タイには多いと聞いています。タイでは、再婚する場合、連れ子が嫌がられ、特に女の子の場合は、義父から性的虐待を受けることも多いので、子供は、祖父母に預けられることが多いのだそうです。Iさんの場合は、山村の祖父母に預けられました。ところが、祖父母は、町に野菜を売りに行って何日も帰ってこない、という生活をしています。このような少数民族の山村では、人身売買の犯罪組織が子供たちをさらって行くこともあるので、セーフハウスに入れられたわけです。
 しかし、本人は、必ずしもそのような犯罪組織の怖さを実感しているわけではなく、もう中学生の年頃ですから、自分のことは自分でできるし、セーフハウスなどに入る必要はないと思っているのかもしれません。また、祖父母に預けられたことも、タイではそれが普通なので、親に捨てられたという被害者意識も、あまりなさそうです。TさんやFさんなどの悲惨な状況の中にいた子は、セーフハウスに入れたことを感謝しているようですが、Iさんは、なぜ自分がそこに入れられたのか、分かっていないかもしれません。
 タイから帰って間もなく、それを象徴するような出来事がおきました。お父さんが、Iさんを日本旅行に連れて行くというのです。何かの懸賞で、日本旅行が当たったというのですが、どうも話の内容に一貫性がなく、つじつまが合いません。暑いタイから真冬の日本に行って大丈夫だろうかと心配していたのですが、FBの写真を見ていると、家族で楽しんでいるようです。お父さんは貧しいわけでもないのに、Iさんを放棄して、セーフハウスでの生活費も出していないので、ばつが悪くて旅行が当たったと言っているのではないかと勘繰りたくなります。というわけで、Iさんには、ほかの孤児たちに見られるような陰りはないのですが、私としては、複雑な心境です。

ウクレレをもらってご機嫌のFさん
ウクレレをプレゼントしたFさん

 もうひとり2年前から次男がサポートしているFさんは、ずいぶん明るくなりました。前回来たときは、話しかけても、何かしてあげても、あまり反応のない暗い子でしたが、今回はよく微笑んでくれました。クリスマスにウクレレが欲しいということだったので、ハワイならいいウクレレがたくさんありますが、家族のように一緒に買い物に行きたいと思い、メーソットでオープンしたばかりのモールに買いに行きました。本場のハワイに比べ、質はよくないですが、良さそうなものを選んであげました。
 FBでは、かなり前から友達になっていたのですが、ほとんど何もアップしていませんでした。しかし、2か月くらい前から、少しずつ、写真をアップしたり、友達の写真にコメントしたりするようになりました。そういう私もFBはほとんど使わないのですが、私たちが帰った後、家族や友人がアップした私の20枚近くの写真に、かたっぱしから「いいね」をしてくれました。また、ほかのセーフハウスの子供たちとFBで冗談を言い合ったり、お互いからかいあったりし始めて、驚くほど明るくなりました。
 アメリカ人宣教師のMさんとFBでチャットをしていたら、今子供たちがうちに遊びに来ているからビデオ通話をしないかと言われ、Mさんに通訳になってもらってFさんとも話しました。2カ月後の誕生日に何か買ってあげようと思うんだけど、スマホはどう?と聞いたところ、すごく喜んでくれました。Mさんには、FさんとI さんの誕生日のために、余分なお金を渡しておいたのですが、Fさんは待ちきれなかったようで、さっそくMさんたちと買いに行って、2か月早いプレゼントを買ってもらったようです。


次男、タイ3回目のNさんとお友達のMさん、Mちゃん
次男、タイ3度目のNさんとそのお友達のMさん、孤児院のMちゃん

 前回もそうでしたが、今回も孤児院に寝泊まりました。セーフハウスは女の子だけ10人いますが、孤児院は女の子13人と男の子4人です。今回は、みんなを連れて、オープンしたばかりのモールのフードコートで食事をしたり、ゲームをしたり、通学用の靴を買ってあげたり、魚を捕りに行ったりする時間があったので、ずいぶん仲良くなることができました。私たちは大晦日の朝メーソットを出たのですが、孤児たちの多くは、お正月を親族たちと過ごすために、30日に里帰りをしました。
 彼らを見送ろうとしていた時のことです。一番年下の二人の女の子の一人が、別れ際に、次男に彼女の指輪をくれました。次男の指にはめてみると、次男にも大きすぎるような指輪です。そんな大きな指輪を買うわけはないし、合いもしない指輪をくれる人もいないでしょうから、どのようにして手に入れたのかはわかりませんが、彼女にとってはせいいっぱいの愛情表現だったのでしょう。それでも物足りなかったらしく、びりびりに裂けているバッグの中から、きれいに包んだ箱を出して、次男に渡しました。里の親戚に上げるつもりで買ったものではないかと心配したのですが、後で開けてみるとTシャツでした。サイズも合いましたから、最初から次男に上げるつもりで買っておいたのかもしれません。
 もう一人のMちゃんは、私たちに、画用紙に書いたカードを渡してくれました。開いてみると、気を付けて帰ってくださいというメッセージのほかに、絵がかいてあります。真ん中にお父さんとお母さん。ちょっと本物より若いですが、私と家内の絵です。その右に若い男の子。これは次男だと思いますが、今回の旅行中28になった次男は、小柄でベビーフェイスなので、ずっと若く見え、Mちゃんのお兄さんという感じです。そして左に小さな女の子。これがMちゃんに違いありません。
 私は孤児たちを助けているにもかかわらず、実は孤児院を作ることには反対です。孤児院は必要悪です。と言うと、両親を失う、あるいは捨てられる子がいるから、その悪から救済するための手段として孤児院が必要だ、という意味に解釈されるかもしれません。しかし私が言いたいのはそういう意味ではないのです。
 メーソットの教会に、Pさんという若い女性がいます。とても明るい、素晴らしい女性で、もうすぐ大学を優秀な成績で卒業します。実は彼女も孤児なのですが、貧しい未亡人に引き取られて、育てられました。二人は、今でも親子のように一緒に生活しています。お父さんこそいなかったものの、彼女にはかけがえのない育ての母がいます。孤児たちを育ててくれる人たちがたくさんいれば、孤児院など必要ないのです。
 Institutionという言葉がありますが、機関とか施設を意味します。その動詞はinstitutionalizeで、組織化する、あるいは施設に入れるという意味です。後者の場合、通常、精神病患者を入院させる、犯罪者を刑務所に入れる、老人を養老院に入れることなどの意味で使われます。そのような人たちは、国勢調査の時、世帯に住んでいないので、世帯人口の中には入りません。このinstitutionalizeという言葉は、お気づきのように、あまりいい意味では使われないことが多いのですが、孤児を孤児院に入れる場合にも使われるのです。
 孤児院というものを作ったのは、たぶんキリスト教会が最初だと思いますが、私は、クリスチャンとして、決してそれを誇りには思っていません。それは、ある意味、孤児たちを家族の一員のように育てることのできなかったクリスチャンのコミュニティーの必要悪だと思うのです。故郷に向かうトラックの荷台から、私たちに投げキスを浴びせてやまないMちゃんが本当に欲しいのは、孤児院ではなく、家族なのです。

タイの14歳の孤児の死

Tさん(左)とFさん
亡くなったTさん(左)とFさん

  私は、大晦日の晩、バンコクのスワンナプーム空港のラウンジで、このブログを書いています。今回で4回目のタイ旅行は、私たち家族とその仲間の年中行事になってしまいました。今回の参加者は6人で、うち3人は一足先に帰り、私は、先ほどハワイに帰る家内と次男を見送って、これから日本に帰省するところです。
 去年のブログ「タイでの出来事」で、Tさんのことについて書きました。私たちがタイの孤児院でサポートしている子の一人です。Tさんの誕生日は、もう一人サポートしているFさんの誕生日にとても近く、二人は同い年なのですが、今年の14歳の誕生日に、二人に何をプレゼントしようかと迷っていました。タイでは、色白であることがとても大切にされるそうなのですが、Fさんは、ご両親が色白なのに、娘の色が黒いという理由で虐待されたそうです。またTさんは、よくフェイスブックにプリクラのような写真をアップしているので、写真館でおめかししたフォーマルな写真を撮ってもらうことにしました。Fさんに、色白でなくても自分の美しさを知ってもらいたかったのです。
 というわけで、宣教師の人に頼んで、連れて行ってもらったのですが、たぶん生まれて初めて金色に輝く民族衣装を着て、きれいにお化粧をしてもらった二人は、本当に喜んでくれたそうです。私は、我ながらいいアイデアだったと得意になって、いろんな人にその写真を見せびらかしていました。
 ところがこの夏、Tさんが頭痛を訴え、右半身に感覚がなくて、動かせなくなったのです。市で唯一の病院で見たもらったところ、脳嚢胞の可能性があると言われました。タイでは、地方には良い病院がなく、大病になった場合はバンコクやチャンマイの大きな病院に行くことが多いのですが、動かさない方がいいと言われ、この病院で手術を受けることになりました。手術の後長いリハビリをしても、普通の生活ができるようになる可能性は50%くらいしかないという診断でした。
 まず大部屋に入院したのですが、デング熱の患者さんがたくさんいるだけでなく、手術後は冷房の効いた部屋のほうがいいと医者に言われ、ICUを出たら、大部屋に戻らないで個室に入ることができるよう、早速送金をしました。一カ月くらいは入院するだろうということでした。教会や孤児院の仲間たちだけでなく、ほかの孤児たちをサポートしている方たちもこぞってTさんのために祈りました。手術は大成功に終わり、記憶も失うことなく、右半身の感覚も戻って来ました。これならすぐに退院できると思っていたら、また大変なことになりました。恐れていた内出血が起きたのです。同時に入院していた人の中で、5人の患者さんが似たような脳の手術を受けたらしいのですが、4人は亡くなり、一人は全身不随で、植物状態になりました。そんな中で不安な毎日を過ごしたことと思いますが、Tさんは何とか内出血も治まって、無事に予定より早く退院することができました。
 しかし、喜んでいたのは束の間で、バンコクに送った生体検査の結果が、退院した数日後、送られてきました。結果は、ステージ2か3の癌で、既に転移しているかもしれないということでしたが、本人には知らせないようにと医者から指示されました。チャンマイの病院に3か月に一度行って、これから長い闘病生活が始まるということでした。
 私は本当にショックでした。こんな薄幸な子が、なぜこれ以上苦しまなければならないのか、神様に聞きたい気持ちでした。しかし、苦難はそれだけではありませんでした。11月末にまたチェンマイの病院に行ったところ、後1-2年の命だと宣告されたのです。Tさんは、痛みを覚えながらもとてもポジティブで、元気に神に感謝し続けていたそうです。
 チェンマイから帰った後、Tさんは、孤児院のあるメーソットから30分ほどの故郷の村に帰省し、親戚やお友達と数日過ごしたそうです。ところが、孤児院に戻って間もなく、また頭痛がひどくなり、1-2年の命と言われてからほんの数日後、12月8日の朝、帰らぬ人となったのです。

 その週の土曜日、12月12日の午後、私たちのハワイの家に、十人近くの地元の高校生たちが集まってきました。ミッション系の高校のジャパニーズ・クラブの部員たちです。その中には、数名の日本から来た留学生たちが混じっていましたが、日本人留学生たちはクリスチャンではなく、部活なのでついて来ただけ、というのが正直なところでしょう。
 彼らからクリスマスについていろいろ聞かれて答えたのですが、最後の質問は、クリスマスになぜプレゼントをするのか、というものでした。聖ニコラスがサンタクロースの元祖で、その辺からギフト交換が始まったのだが、本当に盛んになったのはかなり最近の話で、クリスマスの商業化が最大の原因だという話をしてから、Tさんの話を始めました。アメリカでは、日本のバレンタインの義理チョコのように、知っている人全員にギフトをあげなければいけないような風潮があるけれども、そんなプレゼントではなく、本当に価値ある、人生を変えるようなギフトをプレゼントするようにしましょうという話の中で、私たちがTさんの生活費をサポートしていたこと、そのTさんがつい最近亡くなったことを話したのです。
 ところが、それまで溜まっていた涙が一挙に堰を切ったように流れてきて、話を続けること自体が困難な状況になってしまいました。何とか話し終えて、そのあとみんなで家内が作ったカレーを食べたのですが、私はいったん自分の部屋に戻って、涙を拭かなければなりませんでした。60の大人が高校生の前で泣いてしまった恥ずかしさもありましたが、それ以上に、自分の不甲斐なさに怒りと落胆を感じました。
 というのは、私の話の結論はそんなことではなかったはずなのです。クリスマスの一番のギフトは、神がその御子キリストを私たちに送ってくださったことです。完璧な人間など、一人もいません。死後、神の前に立って、私は天国に入るだけの価値のある良い人間だと誇らしげに言える人がいるでしょうか。あるいは、罪の償いは十分にしたので、天国に入れるべきだと言える人がいるでしょうか。神は、全人類が負わなければいけない罪をご自分で背負って死ぬために、人として生まれて来られたのです。
 このクリスマスの一番肝心な話をする前に泣き出してしまうとは、何と情けないことでしょう。既にタイに行く日程も決まっており、山岳地帯の少数民族であるカレン族の人たちに布教する予定が決まっていた私は、Tさんの死をおセンチな話で終わらせてしまったことを反省し、カレン族の人たちにもTさんの死について話をし、彼女が死を恐れず、神を信じて感謝しながら、安らかに召されたこと話そうと心に決めました。

 いよいよその日がやってきました。ミャンマーとの国境の町メーソットにある私たちの教団の教会員や、その他の協力者たち、総勢35名ほどが、数台の四駆トラックに分乗しました。救援物資や食料などは、すでに大きなトラック3台分ほど届けてあります。教会を出発し、約2時間後、坂が急になってきたところで先頭の車が登れなくなってしまいました。確かに急ではありますが、登れないほどの坂ではないし、よほど重い荷物を積んでいるのかなと思って、私もトラックを降りて見に行きました。エンジンからかなりの煙が出ており、オイルが燃えている臭いが鼻を突きました。私は車のことはほとんど知りませんが、学生時代によく乗っていたポンコツ車の症状は見慣れていますので、エンジンの圧縮能力が低下しているということはすぐにわかりました。
 そこで、トラックの前部にロープを繋いで10人ほどで引っ張り、後ろから5-6人で押してみました。うまくいったのですが、一つ計算に入れていなかったことは、人間はすぐに疲れてしまうという点です。20メートルほど引っ張ったところで、あきらめることにし、路肩に止めて、荷物と人をほかのトラックに分配しました。私は、引っ張り始めた時は子供のころの運動会の綱引きを思い出して喜んでいましたが、くたばるのに1分とかかりませんでした。
 やっとたどり着いたのは、この地域の学校です。学校の周辺には家はありませんが、小高い丘の上からあたりを見渡すと、周りの山々のいたるところに、小さな集落が散在しているのが見えます。それらの集落から、全部で600人ほどのカレン人が集まってきました。まずはみんなに整理番号を渡して、教会の看護婦さんが問診をします。これには通訳が必要です。学校がまだなかった時代に育った大人の人たちは、タイ語が話せないからです。問診に基づいて薬を処方し、次のテーブルに行って山と積み上げた薬の中から処方された薬をもらい、その次のテーブルで薬の使い方を説明してもらって、最後に、パン、ジュース、手袋、サンダル、たらい、ござなどのプレゼントをします。ここが、タイ語もカレン語もしゃべれない私たちの出番です。ほかにも、ソックス、毛布、古着のジャンパーなどを配りました。私たちは暑くてたまらないのですが、彼らにとっては一応冬で、どう見ても30度くらいの気温だと思うのですが、ジャンパーを着ている人がいるのです。
 夜はみんなに集まってもらって、クリスマスの話をしました。私の出番です。私は、話が上手ではないから、自分でやってくれと、最初から地元の牧師さんに言っておいたのですが、なぜかいつもこういう場面で話をするように頼まれるのです。しかも、私が英語で話して、それをタイ人がタイ語に訳し、それをまたカレン人がカレン語に訳すので、まるで伝言ゲームのようなものです。とにかく、今度は泣かないで話をすることができました。
 もう一つ大切なことを付け足しておかなければなりません。私は、今回タイに来て初めて、Tさんもカレン人だったということを知りました。去年の8月初めて会って、その後何回かFBでチャットをしたことがあるのですが、グーグル翻訳を使っても、彼女の言っていることが全く分からないことがよくありました。私は、グーグル翻訳なんて使い物にならないと思っていたのですが、そうではなく、Tさんにとって、タイ語は第二言語で、正確なタイ語が書けないから、ちゃんと訳せなかったのです。
 私は、この亡くなった14歳の孤児が、同じカレン族の人たちにどんなメッセージを伝えたいと思っていただろうかを考えました。ミャンマーのカレン族はクリスチャンが多いのですが、タイのカレン族は、アニミズム(精霊信仰)で、すべてのものに霊があると信じ恐れています。Tさんは、神を信じれば、そのような霊も死も恐れることなく、生贄をささげる必要もないと、同じ民族の仲間に伝えたかったのではないかと思い、そう語りました。
 カレン人はまじめな民族で、集まっている数百人の半分くらいは子供たちですが、ずいぶん静かに熱心に話を聞いてくれました。そのあとメーソットの教会の牧師さんが短く私の話をフォローしてくれて、半分くらいの人たちが改宗しました。

 山から下りて、私たちはTさんのお墓参りをしました。私は、心の中で、カレン族の山村で起きたことについてTさんに報告しました。Tさんが亡くなったことは悲しいけれど、神は、生前の彼女の素直な信仰の証を無駄にすることはありませんでした。Tさんもきっと、この山村での三日間の出来事を、私たちと一緒に喜んでくれているに違いありません。

 「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。…神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道の書3章1-8、11節)

 なかなか意思の疎通ができないせいか、Tさんからチャットお誘いが来ることは1年ほど途絶えていました。ところが、11月になって、二度ほど来たのです。学校に行けないので、孤児院に一人残されて、よほど退屈していたのでしょう。最後のチャットは、「あなたは私を救ってくれました」から始まりました。もちろん私には彼女を救うことはできませんが、手術のために、貧しい彼女から見ればかなりの金額を送ったので、そのように感謝してくれたのかもしれません。1-2年と聞いていたので、まだ少なくとも一度は会えると思っていたのですが、それはなりませんでした。会うことはできませんでしたが、時々意味の通じないチャットだけでも、亡くなる前にできたことは幸いでした。私には、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることはできません。しかし、すでに天国に行ったTさんは、見きわめているでしょう。いや、もうそんなこと、どうでもよくなっているのかもしれません。

不思議な漢字

  「ぎ足」の「ぎ」という字がどんな漢字だったか覚えていらっしゃいますか。本物の足を真似たものだから「擬足」、あるいは偽物の足だから「偽足」だと思う方も多いかもしれませんが、実は「義足」と書くのです。「義」という漢字はもちろん正しいという意味ですが、模「擬」で「偽」物の足がなぜ正しいのでしょう。実は、「義」という漢字には「代わり」という意味があるのだそうです。そして、この「代わり」という意味は、実に見事にキリスト教の「義」という意味を表しています。
 聖書は、「義人」はいない、すべては罪人だと言っているのですが、これは、相対的に見てどれほどすばらしい人であっても、全く何も悪いことをしたことのない人などいないと言うことなのです。死後、神の前に立って、「私は善人だから、あるいは私は十分に自分で罪の償いをしたから、神様、あなたは私を天国に入れる義務がある」と威張って言える人はいないと思いますが、どうでしょうか。どんなにきれいな水でも、その中に小さなごみが入っていれば、あなたはそれを飲むでしょうか。ごみが全くない人など、いないのです。
 しかし、神は、私たちの罪の罰を、全て自分が身代わりになって、負ってくれました。神ご自身が、人間の姿をとって、イエス・キリストとして生まれ、全人類の罪の代価を自分が負って、十字架で死んだのです。彼は殺されましたが、仕方なく殺されたのではありません。殺されるために生まれてきたのです。ちなみに、映画化された「ナルニア国物語」で、自分を犠牲にして裏切った少年を助けたライオンは、キリストを象徴しています。つまり、キリストが人類の身代わりになって十字架で死んだことになぞらえているのです。
 ところで、この「義」という漢字は、「我」の上に「羊」と書きます。これも実によくキリスト教の「義」を表しています。ご存知の方も多いと思いますが、キリストは、「神の子羊」と呼ばれました。なぜキリストが羊なのでしょうか。それは、旧約聖書で、羊が生贄として使われていたからです。日本の神の中には、「触らぬ神にたたりなし」と言う諺にあるように、あらぶる神、つまり怖い神様がたくさんいます。生贄は、そのような神をなだめるために供えるものです。しかし、旧約聖書の生贄は、ちょっと違います。
 よく、西洋は罪の文化、日本は恥の文化と言いますが、聖書の生贄は、罪(法律を犯すことだけでなく、心の中の欲、つまり仏教の言葉を使うと煩悩も含めた全て)の清算のためです。どういう意味か説明しましょう。聖書は、罪と言うものを重大に考えます。私たちの罪の結果起こることの多くは、いくら謝っても、またいくら弁償しようとしても、それで本当に元に戻るようなものではありません。日本語の「すみません」と言う言葉は、文字通り、それではすまないと言う意味です。もちろん私たちは赦し合うべきで、キリストも、人を赦さない者は自分も赦されないとまで言っています。しかし、だからと言って、私たちの罪過は、軽く考えるべきものではありません。そこで、その代償として、旧約聖書の時代は、動物、特に羊を生贄として供えたのです。つまり、本来ならば、自分が罰を受けなければならないけれど、動物を自分の象徴的な身代わりにしたのです。神の機嫌をとるためではありませんでした。
 しかし、神ご自身であるキリストが私たち人類すべての罪を負って私たちの身代わりになって死んでくれたので、もう羊の生贄を捧げる必要はなくなったのです。私たちの罪は、この羊によって覆われました。だから、「我」の上に「羊」ではないでしょうか。
 私が持っている現代漢語例解辞典には、こう書いてあります。「生贄の羊に刃をあてる際の、礼にかなった行いの意を表すか。」疑問形で終わっているということは、どうやら学者の皆さんも、どうしてこんな漢字ができたのか、はっきりとは分からないようですね。また、この説明では、どうして「代わり」という意味ができたのかわかりません。中国にも、聖書と同じ考え方があったのかもしれません。