離婚裁判の日に夫が脳溢血
もう10年以上も前のことですが、アメリカ人のご主人との離婚訴訟の通訳を、ある日本人の女性から頼まれたことがありました。この女性は、ハワイ生活も長く、かなり英語もできましたので、最初だけ助けてあげて、そのあとは通訳の助けなしに訴訟を続けました。一度、ご主人ともお会いしたことがあり、奥さんに対する苦情を長々と聞かされたこともありました。奥さんがご主人の悪口を言うことはあまりありませんでしたが、奥さんは熱心なクリスチャンで、ご主人は熱心な無神論者という組み合わせも、二人の結婚生活がうまく行かなかった一つの理由だったようです。
ご主人の苦情を聞いていると、それもそうだと思うのですが、奥さんの話を聞いていると、彼女の言い分もなかなか説得力があります。結婚というものは、二人の不完全な人間が営むものですから、なかなかうまく行かないこともあります。奥さんは何とか離婚を避けたかったのですが、これ以上結婚生活を続ける望みは見つかりそうにありませんでした。私は、通訳を頼まれたのか、牧師としてカウンセリングを頼まれたのかよくわからないような状況の中で、短期間ではありましたが、訴訟のお手伝いをさせていただきました。
アメリカの離婚訴訟は、かなり大変で、何年もかかることがよくあります。二人が離婚の条件に関して和解できればいいのですが、財産や子供の親権、扶養権などの取り合いになると、なかなか決着がつきません。このお二人の訴訟もかなり長引いたようで、最終的な裁判は、私が関わるのを止めてから、かなり後のことだったようです。私自身、お二人のことはすっかり忘れていました。
ところが、先日、ある教会に日曜日のお話を頼まれて行ったところ、そこにこの奥さんが来ていたのです。この奥さんは、その教会に通っているわけではないのですが、私がこの教会で話をすることを紹介していたごく短い日本語の新聞広告を見て、もしかして訴訟を始めた時に通訳してくれた牧師さんではないかと思い出し、来てみたのだそうです。お見かけした時、どこかで見たことのある顔だなと思ったのですが、声をかけられて、すぐに思い出しました。そして、あれからどうなったかを、話してくれたのです。
裁判の日、ご主人は来なかったそうです。几帳面なご主人ですので、裁判をすっぽかすような人ではありませんし、そもそも、欠席裁判は、彼にとって非常に不利になります。不思議に思った奥さんは、ご主人に電話をしましたが、だれも出ません。彼の居場所を知っていそうな人に連絡を取って、ご主人が、裁判の当日に脳溢血で倒れてしまったことを知ったのです。このまま裁判をすれば、望んでいた子供たちの親権と扶養権が取れる、と彼女は思いました。しかし、裁判官に何を望むかと聞かれた彼女は、離婚しないでご主人のお世話をすることに決めたのです。
ご主人は、今でもリハビリを続けていらっしゃるそうですが、いまだに普通の生活をすることはできないそうです。あれだけいがみ合っていたご主人の面倒をこれから一生み続けるなんて、すごい決断をしたものだと、私は、感動したというよりも、驚いてしまいました。
このお二人の離婚訴訟の主な理由は、性格の不一致でした。ご主人も、一度お会いしておしゃべりした時に、奥さんの性格について、いろいろと悪口を言っておられました。私は、このお二人と、特にご主人の方は、それほど深く話す機会がありませんでしたので、お二人の性格については、それほど良くはわかりませんでしたが、ご主人の話が全くの間違いであるということはないでしょう。
私も、良い性格だなどとは言われたことがありません。母にはお前はロボットのような人間だとか言われるし、飄々としているとか、周りのことに気が付かないとか言われます。社交的でないことは確かです。でも、性格というものは、なかなか治りませんし、少しずつ改善されることはあったとしても、根本的に変わることはないでしょう。
しかし、一緒にいて楽しい良い性格の人でも、この人はいざというときには頼りにできないという人もいます。私にもそういう友人がいました。何人かの親しくしていた仲間がいたのですが、彼はその中でも人気者で、とても人当たりのいい人でした。でも、なぜかこの人はいざというときにはさっといなくなってしまいそうな気がしていたのです。実際、彼にとってちょっと都合の悪いことが起きた時、私たちの仲間に大切なことを隠して、彼は去っていきました。
そういう人もいれば、一緒にいてちっとも楽しくない人でも、もし戦友として戦うのなら、こんな人と一緒に戦いたいという人もいます。人を裏切らない、見捨てない人です。私は、今更自分のこの性格を根本的に変えることは無理だとしても、この奥さんのように、自分と離婚しようとしている夫でさえも見捨てないような、そんな人になりたいなと思いました。
(この話は、ご本人のプライバシーを考慮して、事実が脚色されている部分があります。)
ご主人の苦情を聞いていると、それもそうだと思うのですが、奥さんの話を聞いていると、彼女の言い分もなかなか説得力があります。結婚というものは、二人の不完全な人間が営むものですから、なかなかうまく行かないこともあります。奥さんは何とか離婚を避けたかったのですが、これ以上結婚生活を続ける望みは見つかりそうにありませんでした。私は、通訳を頼まれたのか、牧師としてカウンセリングを頼まれたのかよくわからないような状況の中で、短期間ではありましたが、訴訟のお手伝いをさせていただきました。
アメリカの離婚訴訟は、かなり大変で、何年もかかることがよくあります。二人が離婚の条件に関して和解できればいいのですが、財産や子供の親権、扶養権などの取り合いになると、なかなか決着がつきません。このお二人の訴訟もかなり長引いたようで、最終的な裁判は、私が関わるのを止めてから、かなり後のことだったようです。私自身、お二人のことはすっかり忘れていました。
ところが、先日、ある教会に日曜日のお話を頼まれて行ったところ、そこにこの奥さんが来ていたのです。この奥さんは、その教会に通っているわけではないのですが、私がこの教会で話をすることを紹介していたごく短い日本語の新聞広告を見て、もしかして訴訟を始めた時に通訳してくれた牧師さんではないかと思い出し、来てみたのだそうです。お見かけした時、どこかで見たことのある顔だなと思ったのですが、声をかけられて、すぐに思い出しました。そして、あれからどうなったかを、話してくれたのです。
裁判の日、ご主人は来なかったそうです。几帳面なご主人ですので、裁判をすっぽかすような人ではありませんし、そもそも、欠席裁判は、彼にとって非常に不利になります。不思議に思った奥さんは、ご主人に電話をしましたが、だれも出ません。彼の居場所を知っていそうな人に連絡を取って、ご主人が、裁判の当日に脳溢血で倒れてしまったことを知ったのです。このまま裁判をすれば、望んでいた子供たちの親権と扶養権が取れる、と彼女は思いました。しかし、裁判官に何を望むかと聞かれた彼女は、離婚しないでご主人のお世話をすることに決めたのです。
ご主人は、今でもリハビリを続けていらっしゃるそうですが、いまだに普通の生活をすることはできないそうです。あれだけいがみ合っていたご主人の面倒をこれから一生み続けるなんて、すごい決断をしたものだと、私は、感動したというよりも、驚いてしまいました。
このお二人の離婚訴訟の主な理由は、性格の不一致でした。ご主人も、一度お会いしておしゃべりした時に、奥さんの性格について、いろいろと悪口を言っておられました。私は、このお二人と、特にご主人の方は、それほど深く話す機会がありませんでしたので、お二人の性格については、それほど良くはわかりませんでしたが、ご主人の話が全くの間違いであるということはないでしょう。
私も、良い性格だなどとは言われたことがありません。母にはお前はロボットのような人間だとか言われるし、飄々としているとか、周りのことに気が付かないとか言われます。社交的でないことは確かです。でも、性格というものは、なかなか治りませんし、少しずつ改善されることはあったとしても、根本的に変わることはないでしょう。
しかし、一緒にいて楽しい良い性格の人でも、この人はいざというときには頼りにできないという人もいます。私にもそういう友人がいました。何人かの親しくしていた仲間がいたのですが、彼はその中でも人気者で、とても人当たりのいい人でした。でも、なぜかこの人はいざというときにはさっといなくなってしまいそうな気がしていたのです。実際、彼にとってちょっと都合の悪いことが起きた時、私たちの仲間に大切なことを隠して、彼は去っていきました。
そういう人もいれば、一緒にいてちっとも楽しくない人でも、もし戦友として戦うのなら、こんな人と一緒に戦いたいという人もいます。人を裏切らない、見捨てない人です。私は、今更自分のこの性格を根本的に変えることは無理だとしても、この奥さんのように、自分と離婚しようとしている夫でさえも見捨てないような、そんな人になりたいなと思いました。
(この話は、ご本人のプライバシーを考慮して、事実が脚色されている部分があります。)
亡くなった孤児の誕生日
3月10日は、去年12月8日に亡くなったタイのセーフハウスのTさんの誕生日でした。FBから彼女のお誕生日をお祝いしてあげましょうというメッセージが来たときは、複雑な心境でした。天国に行ったTさんに、15歳の誕生日のお祝いのメッセージを送ったところで何になる、という気持ちや、60の親父がそんなおセンチなことするのはみっともないなどという気持ちが、複雑に入り混じっていました。
とにかくクリックだけでもと思ってしてみると、みんなから多くの誕生日のメッセージが彼女に送られていました。私たちと一緒に何度もタイに行ったNさんは、ちょうど今仕事を辞めて新しい仕事が始まる前なので、その一か月ほどの時間を使って、セーフハウスで女の子たちと一緒に生活しています。彼女も加わって、セーフハウスの子供たちは、Tさんのためにバースデーケーキまで買ってお祝いをしていました。
嬉しかった。天国との距離感が短くなった一日でした。
とにかくクリックだけでもと思ってしてみると、みんなから多くの誕生日のメッセージが彼女に送られていました。私たちと一緒に何度もタイに行ったNさんは、ちょうど今仕事を辞めて新しい仕事が始まる前なので、その一か月ほどの時間を使って、セーフハウスで女の子たちと一緒に生活しています。彼女も加わって、セーフハウスの子供たちは、Tさんのためにバースデーケーキまで買ってお祝いをしていました。
嬉しかった。天国との距離感が短くなった一日でした。
茶道と聖餐式
日本の文化には、とても美しく意味深い伝統、茶道があります。日本の茶道とキリスト教の聖餐式に深い関係があると考える学者は、少なくありません。
フランシスコ・ザビエルは、1549年にカトリックの宣教活動を始めました。1587年には、20万人もの信徒がいたと伝えられています。茶道を始めた千利休(1522-1591)は、彼の人生の最後の10年間、つまりキリシタンが急激に増えていた時期に茶道を完成しました。Tea in Japan(日本の茶、Paul H. Varley著)は、利休の7人の弟子の中の5人がキリシタンであったと述べています。
1587年、豊臣秀吉は、キリスト教国が日本を植民地化しようとしているという情報を入手しました。秀吉は、キリシタンがそれらの国々と関係を持っていると疑い、迫害が始まったのです。
その後2世紀半にわたり、キリシタンは迫害されました。このことはご存じない方が多いと思いますが、実は日本のキリシタン迫害は、世界史の中でも最も激しいものであったと言われています。通常、迫害は逆効果になることが多いのです。殉教をもいとわないクリスチャンの姿に人々は心を打たれ、信徒になる人が増えるのです。クリスチャン人口が1億人を超えると言われる中国などもその良い例です。しかし、日本の迫害は徹底したもので、20万人近いキリシタンが殉教したと言われています。見せしめではなく、まさに皆殺しで、日本は迫害が成功した数少ない国の一つとなったのです。
フロイス宣教師(1532-1597)によると、迫害が始まる前から、宣教師たちは、キリシタンの茶室でよく聖餐式をしていたそうです。迫害が始まった後も、キリシタンたちが、茶会の振りをして聖餐式をしていたという多くの証拠があるそうです。これは、NHKや民放でも、何度か取り上げられています。例えば、先にパンやお菓子を食べること、器の拭き方や布のたたみ方、それを高く上げたり回したりすることなどです。
キリシタンが、命を懸けて、茶会に見せかけて聖餐式をした理由は何でしょうか。聖餐式とは、キリストの死を象徴しています。パンはキリストの体、ぶどう酒は血のシンボルです。キリストは、本来ならば私たちが受けなければいけない人類すべての罪の罰を、ご自分が身代わりになって受けるために、十字架で死にました。それによって、救いが可能になったのです。聖餐式は、その死を記念する儀式なのです。
千利休が秀吉に切腹を命じられた理由には、いろいろな説がありますが、もしかしたら、キリスト教と関係があったのかもしれません。もう45年も前のことですが、高校の日本史の授業で、キリスト教が当時の日本に広がった一つの理由として、教会では武士も農民もなく、皆が平等だったからだという話を聞いた覚えがあります。利休は、茶室を平等な場とするために、入り口をたいへん低くし、へりくだってその場に入るようにしたそうです。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイによる福音書7章13-14節)
フランシスコ・ザビエルは、1549年にカトリックの宣教活動を始めました。1587年には、20万人もの信徒がいたと伝えられています。茶道を始めた千利休(1522-1591)は、彼の人生の最後の10年間、つまりキリシタンが急激に増えていた時期に茶道を完成しました。Tea in Japan(日本の茶、Paul H. Varley著)は、利休の7人の弟子の中の5人がキリシタンであったと述べています。
1587年、豊臣秀吉は、キリスト教国が日本を植民地化しようとしているという情報を入手しました。秀吉は、キリシタンがそれらの国々と関係を持っていると疑い、迫害が始まったのです。
その後2世紀半にわたり、キリシタンは迫害されました。このことはご存じない方が多いと思いますが、実は日本のキリシタン迫害は、世界史の中でも最も激しいものであったと言われています。通常、迫害は逆効果になることが多いのです。殉教をもいとわないクリスチャンの姿に人々は心を打たれ、信徒になる人が増えるのです。クリスチャン人口が1億人を超えると言われる中国などもその良い例です。しかし、日本の迫害は徹底したもので、20万人近いキリシタンが殉教したと言われています。見せしめではなく、まさに皆殺しで、日本は迫害が成功した数少ない国の一つとなったのです。
フロイス宣教師(1532-1597)によると、迫害が始まる前から、宣教師たちは、キリシタンの茶室でよく聖餐式をしていたそうです。迫害が始まった後も、キリシタンたちが、茶会の振りをして聖餐式をしていたという多くの証拠があるそうです。これは、NHKや民放でも、何度か取り上げられています。例えば、先にパンやお菓子を食べること、器の拭き方や布のたたみ方、それを高く上げたり回したりすることなどです。
キリシタンが、命を懸けて、茶会に見せかけて聖餐式をした理由は何でしょうか。聖餐式とは、キリストの死を象徴しています。パンはキリストの体、ぶどう酒は血のシンボルです。キリストは、本来ならば私たちが受けなければいけない人類すべての罪の罰を、ご自分が身代わりになって受けるために、十字架で死にました。それによって、救いが可能になったのです。聖餐式は、その死を記念する儀式なのです。
千利休が秀吉に切腹を命じられた理由には、いろいろな説がありますが、もしかしたら、キリスト教と関係があったのかもしれません。もう45年も前のことですが、高校の日本史の授業で、キリスト教が当時の日本に広がった一つの理由として、教会では武士も農民もなく、皆が平等だったからだという話を聞いた覚えがあります。利休は、茶室を平等な場とするために、入り口をたいへん低くし、へりくだってその場に入るようにしたそうです。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイによる福音書7章13-14節)