マンションにお住いの、犬のトイレの世話でお困りの方へ
前回のブログに書いたとおり、私たちは一か月前に分譲マンションに引っ越しました。このマンションはペット・フレンドリーで、小さなドッグパークがあり、パークの入り口には、犬の糞を取るためのバッグがおいてあって、至れり尽くせりです。消火栓まであるという凝りようで、消防士が間違えないようにするためか、通常の黄色ではなく、オレンジ色に塗ってあります。犬は確か色盲ですから分からないだろうし、分かったところで、偽物だからおしっこしないということはないでしょう。
ずっと前に書いたブログ「空気銃の弾だらけの犬」は、もう14歳になり、歳でおトイレが近くなったせいか、4時間おきくらいに13階からこのドッグパークに連れて行かなければならないということがわかりました。もしかしたらこれが当たり前なのかもしれませんが、今まで住んでいた家は、ペットドアがあり、いつでも好きなときに裏庭に出ることができましたので、そんなに頻繁におトイレに行っているということに気が付かなかったのです。家内は2年前に仕事を辞めましたから、大体いつも家にいて犬の世話をすることができますが、4時間以上家を空けることができないというのは、ちょっと大変です。
そんなある日、私たちはハウス・ウォーミング・パーティーをしました。引っ越し祝いのパーティーで、文字通りの意味は、家を温めるパーティーです。プールサイドのパーティー・エリアを予約し、20人ほどの人を招いて、バーベキューをしました。このマンションの仲介をしてくれた不動産屋さんも来てくれたのですが、彼女が鉢植えの花をお祝いに持ってきてくれました。花より団子の私には、花の名前すらわからないのですが、鉢は高さも直径も10センチくらいの小さなもので、花は高さ30センチくらいです。私は、それを頂いたとき台所にいましたので、台所のカウンターに置いたままにしておいたのですが、数日後、家内が何を思ったのか、ベランダの真ん中に置きました。ハワイではベランダのことをラナイと言いますが、なぜ真ん中に置いたかというと、このラナイ、小さいのですが、中央に排水溝があるからでしょう。
それにしても、ラナイの真ん中に鉢を置くというのはいくら何でも変じゃないかと私は思っていました。ラナイには、二つのベッドルームからもリビングからも出られるようになっており、それぞれアルミサッシのドアがあるのですが、私がベッドルームで仕事をしながら、もうそろそろ犬をドッグパークに連れていくころじゃないかと案じていたところ、なんと、犬がラナイに出て行って、この花におしっこするのを目撃したのです。
犬を一日に何回も散歩に連れて行かないと、マンションの室内でおしっこをしてしまってお困りの皆さん。どうぞ試してみてください。
ずっと前に書いたブログ「空気銃の弾だらけの犬」は、もう14歳になり、歳でおトイレが近くなったせいか、4時間おきくらいに13階からこのドッグパークに連れて行かなければならないということがわかりました。もしかしたらこれが当たり前なのかもしれませんが、今まで住んでいた家は、ペットドアがあり、いつでも好きなときに裏庭に出ることができましたので、そんなに頻繁におトイレに行っているということに気が付かなかったのです。家内は2年前に仕事を辞めましたから、大体いつも家にいて犬の世話をすることができますが、4時間以上家を空けることができないというのは、ちょっと大変です。
そんなある日、私たちはハウス・ウォーミング・パーティーをしました。引っ越し祝いのパーティーで、文字通りの意味は、家を温めるパーティーです。プールサイドのパーティー・エリアを予約し、20人ほどの人を招いて、バーベキューをしました。このマンションの仲介をしてくれた不動産屋さんも来てくれたのですが、彼女が鉢植えの花をお祝いに持ってきてくれました。花より団子の私には、花の名前すらわからないのですが、鉢は高さも直径も10センチくらいの小さなもので、花は高さ30センチくらいです。私は、それを頂いたとき台所にいましたので、台所のカウンターに置いたままにしておいたのですが、数日後、家内が何を思ったのか、ベランダの真ん中に置きました。ハワイではベランダのことをラナイと言いますが、なぜ真ん中に置いたかというと、このラナイ、小さいのですが、中央に排水溝があるからでしょう。
それにしても、ラナイの真ん中に鉢を置くというのはいくら何でも変じゃないかと私は思っていました。ラナイには、二つのベッドルームからもリビングからも出られるようになっており、それぞれアルミサッシのドアがあるのですが、私がベッドルームで仕事をしながら、もうそろそろ犬をドッグパークに連れていくころじゃないかと案じていたところ、なんと、犬がラナイに出て行って、この花におしっこするのを目撃したのです。
犬を一日に何回も散歩に連れて行かないと、マンションの室内でおしっこをしてしまってお困りの皆さん。どうぞ試してみてください。
息子とハワイのマンション購入

息子と購入したマンション
過去のブログ、「18人家族」や「18人家族の続き」等にも書きましたが、私たちが住んでいる家は、2002年の10月1日に買ったその日から、一日たりとも家族だけで住んだことがありません。日本人のホームステイや間貸し、あるいはホームレスになりそうなたくさんの人に住んでもらいました。一晩だけ泊まった人も入れると、この14年間で何百人という数になるでしょうし、長期滞在した人だけでも何十人かいると思います。その中には、私のブログの登場人物もたくさんいます。
「息子の16歳の友達がホームレスになった」ので住まわせてあげたこともあったし、日本で産むことを恥ずかしく思った未婚の母がうちに来て「我が家に赤ちゃんが産まれた」こともありました。「前科一犯のお母さん」が更生して娘さんと一緒に住んだこともありましたし、ホームステイしていた日本人高校生が奇跡的なめぐりあわせで「ハワイ・オペラ・シアター」で歌ったこともありました。「レイプの犠牲者」で対人恐怖症の女性もいれば、「強迫神経症が祝福?」だと言う人もいましたし、「ハーバード卒の日系人心理学者」もいました。
しかし、長男家族や三男も家を出て、今年になってからは、私たち夫婦と次男、そして間借りをしている次男の同僚の4人の生活が続いていました。神様が送ってくれる人に住んでもらいたいということで、今まで、貸部屋の宣伝をしたことはなかったのですが、それでも、空いた部屋はいつもすぐに埋まっていました。でも、この半年ほどは、お客さんが来ることはあっても、長期で滞在する人がおらず、寝室が三つも空いたままなのはどういうことなのだろうと、不思議に思っていたのです。
ところで、次男は以前からマンションを買いたいと話していたのですが、次男の給料では、まだ当分先の話だと思っていました。ところが、彼が、一緒に2LDKのマンションを買って、そこに3人で住まないかというのです。というわけで、言われるままに、3人でマンション探しを始めました。次男はいまだに運転免許証がないので、彼のダウンタウンの職場に近いところで探しました。いろいろと紆余曲折がありましたが、最終的に、築34年の40階建てのマンションにしました。13階の92平米の2LDKです。
今の家をどうするかは決めてなかったのですが、なにせ築60年の6LDKで250平米の家ですから、こんな大きな家を借りてくれる人はそう多くはいません。ところが、次男が働いているホームレス・シェルターから、家を貸してくれないかという話がありました。アメリカは、同じ手術をしても日本より入院期間がずっと短いのですが、ホームレスの人は、退院しても、すぐにホームレスの生活に戻れないので、完全に良くなるまで、数週間住むところが必要です。そうしないと、またすぐ病状が悪くなって、再入院ということにもなりかねません。また、何週間か規則正しく団体生活をして、それに慣れてくると、ホームレスの生活に戻らないで、シェルターに入りたいという人も出てくるそうです。うちのような大きくて部屋数の多い家は、最適だというのです。こうして、家の使い道も決まりました。
というわけで、今月の28日に晴れてこのマンションが私たちのものになるのですが、今まで私たちの家に間借りをしていた次男の同僚は、25日に叔母さんの家に引っ越しました。これでとうとう、14年間の記録が途絶えて、家族以外の人はいなくなりました。家を買う前の小さな3LDKのアパートに住んでいた時でさえ、ホームステイを頼まれることがありましたので、部屋数が多くて、便利のいい場所を選びました。本当にたくさんの人と住んで、善につけ悪しきにつけ、いろいろな思い出が詰まった場所ですが、私たちの人生の一つの章が終わったと言わんばかりに、とうとう誰もいなくなってしまいました。家族全員にとって、最も長く住んだ家ですので、感慨深いものがあります。
私たちの人生の次の章とは何なのでしょうか。私と家内は、長い間、年老いてきた私の両親のことが気がかりでした。私の兄はもう亡くなっているので、子供は私だけです。特に、1年半ほど前に父が亡くなってからは、松山で一人暮らしの母と過ごす時間が増えてきました。前々から、家内と、いっそのこと松山に引っ越そうかという話はしており、アメリカ人の家内の方が以前は乗り気だったのですが、話が現実的なってくると、さすがに家内も不安になってきたようです。引っ越してすぐ母が亡くなってしまうようなことがあると、またハワイに戻って来なければなりませんし、当分、私ができるだけ松山で過ごすことにしました。家内は、気が向いた時に来て、気が向いたときに帰れば、それでいいと思います。
息子が一緒にマンションを買って引っ越そうと言わなければ、たぶん私はいまだにこの広い家の居間にポツンと座って、なんで誰も人が来なくなったんだろうと、思い巡らしているでしょう。人生に節目があることは分かっていますが、今がその時だとは、なかなか気が付かないものです。気が付いていても、積極的に対処していくのは、簡単なことではありません。一向にそれに気付こうとしない私を見かねた神様は、きっと息子に入れ知恵したのでしょう。
誕生日に亡くなられた日系男性
4月2日土曜日、私は里の松山に帰省していました。高松のクライアントのうちに、花見と仕事で行くことになっていたのですが、2週間ほどこじらせていた風邪がぶり返し、花見の方は断ることにして、日曜日の晩に行くと伝えました。
ところが、日曜日の朝、たまたま日本に遊びに来ていたハワイの知り合いから電話がありました。彼の亡くなった先妻(数年前のブログ「奥さんが殺された!」参照)の弟さんが、ご両親と、これまた偶然松山に観光に来ていたのですが、早朝、脳出血で松山の病院に入院したので、通訳をしてあげてほしいというのです。私は、彼の亡くなった奥さんはよく知っていましたが、弟さんやご両親にはお会いしたことがありませんでした。
早速病院に駆けつけると、既に弟さんは脳死の状態でした。彼の血管に奇形があり、それが原因で出血したそうです。人工呼吸をしており、それを外すことは、病院のポリシーなのか法律なのかは知りませんが、自然に心臓が止まるまで、できないと言われました。日系人ですが、身長180センチほどの大柄で元気そうな青年で、心拍停止になるには、何週間もかかるかもしれないとのことでした。ご両親が、言葉の通じない外国で、息子さんが亡くなるまで、何週間も見てあげなければいけないというのは、とてつもなくつらいことだろうと思い、心が痛みました。
このご家族は、お母さんの先祖が高知出身なので、高知県に行く団体旅行に参加したそうですが、その途中で松山に泊まった日の晩、息子さんが突然倒れられたということでした。病院に近いホテルを探してあげて、そこに移ることにしましたが、翌日、月曜日の早朝、息子さんに何かがあると感じたご両親は、まだ朝の4時ころであったにもかかわらず病院に行き、「もう逝ってもいいよ」と息子さんに話しかけて間もなく、心臓が止まったそうです。私が病院に着いた時には、もう息子さんは亡くなっていました。若い方だし、長い間闘病生活をしたわけでもないので、本当に元気そうで、今にも目を覚まして起き上がってくるのではないかと思えるような笑みを浮かべていました。
私は、内心、早く亡くなって良かったのではないかと、ちょっと安堵したのですが、それからが大変でした。松山で火葬してからハワイにお骨を持ち帰るのであれば特に問題ないのですが、家族や親せきに息子の姿を見せたいという親心から、そのままご遺体を棺桶に入れてハワイに送りたいというのです。幸い、私の家のすぐ近くに、松山では一番大きな葬儀屋の支店があるので、まずはそこにご遺体を運びましたが、松山のような田舎では、外国人観光客がお亡くなりになるなどということはめったにないので、どのようしたらよいのか、だれも知らないのです。
というわけでいろいろなところに電話して、まずは大阪に空輸し、そこで、日本最大の葬儀屋の大阪支店に任せて、防腐処理をしてもらうことになりました。肝心の旅行社は、まったく当てになりませんでした。松山で通訳を探してくれるということでしたが、結局誰も来てくれず、私がつきっきりで対応しました。大阪には、旅行社の英語のできる方が来てくれるということでしたが、大きな葬儀屋で、外国人の対応にも慣れており、英語のできる方らいらっしゃるので、今更来てもらう必要はありませんでした。というわけで、松山空港でお別れし、私はその翌日ハワイに帰り、高松には結局行けませんでした。
もう一つ不思議なことがありました。この事件が起きる前日、私は、家内が去年、私と里帰りをしたときに読んで、実家に置いたままにしておいた本を読み終わったところでした。あるキリスト教の団体が出した薄い本で、悲しい出来事が起きた時にそれをどう受け止め、理解し、対処するべきかという内容の英語の本でした。その本は、ご両親に差し上げました。
お葬式は、ご家族や親せきに都合の良い日を選ばれたのではないかと思うのですが、亡くなってから一月以上も過ぎた、5月15日でした。その日は、動かせない予定が入っていたので、残念ながら行けないと伝えておいたのですが、動かせないはずの予定が、動かさなければいけないことになり、出席することができました。ご両親にご挨拶した時に、お二人がわっと泣き出して私をハグしてくださり、私も、何と言って慰めてあげていいのかわかりませんでした。
ちょっと不思議なことばかりが重なった出来事でした。松山のような田舎に外国人が観光に来て、たまたまそこで脳出血が起き、たまたま亡くなったご本人の義理の兄の友人である私が松山に帰省しており、本来なら仕事でいなかったはずなのに、風邪をこじらせてしまったおかげで、ご遺族の通訳をしてあげることができました。家内が実家に残しておいた本にしろ、偶然出席できることになったお葬式にしろ、一つ一つは大したことではありませんが、何から何まで、すべてがあらかじめ準備されていたような感じがします。もう一つ、どう理解していいのかわからない偶然がありました。入院なさった4月3日はお父様の誕生日、亡くなられた4月4日は、何とご本人の31歳の誕生日だったそうです。
ところが、日曜日の朝、たまたま日本に遊びに来ていたハワイの知り合いから電話がありました。彼の亡くなった先妻(数年前のブログ「奥さんが殺された!」参照)の弟さんが、ご両親と、これまた偶然松山に観光に来ていたのですが、早朝、脳出血で松山の病院に入院したので、通訳をしてあげてほしいというのです。私は、彼の亡くなった奥さんはよく知っていましたが、弟さんやご両親にはお会いしたことがありませんでした。
早速病院に駆けつけると、既に弟さんは脳死の状態でした。彼の血管に奇形があり、それが原因で出血したそうです。人工呼吸をしており、それを外すことは、病院のポリシーなのか法律なのかは知りませんが、自然に心臓が止まるまで、できないと言われました。日系人ですが、身長180センチほどの大柄で元気そうな青年で、心拍停止になるには、何週間もかかるかもしれないとのことでした。ご両親が、言葉の通じない外国で、息子さんが亡くなるまで、何週間も見てあげなければいけないというのは、とてつもなくつらいことだろうと思い、心が痛みました。
このご家族は、お母さんの先祖が高知出身なので、高知県に行く団体旅行に参加したそうですが、その途中で松山に泊まった日の晩、息子さんが突然倒れられたということでした。病院に近いホテルを探してあげて、そこに移ることにしましたが、翌日、月曜日の早朝、息子さんに何かがあると感じたご両親は、まだ朝の4時ころであったにもかかわらず病院に行き、「もう逝ってもいいよ」と息子さんに話しかけて間もなく、心臓が止まったそうです。私が病院に着いた時には、もう息子さんは亡くなっていました。若い方だし、長い間闘病生活をしたわけでもないので、本当に元気そうで、今にも目を覚まして起き上がってくるのではないかと思えるような笑みを浮かべていました。
私は、内心、早く亡くなって良かったのではないかと、ちょっと安堵したのですが、それからが大変でした。松山で火葬してからハワイにお骨を持ち帰るのであれば特に問題ないのですが、家族や親せきに息子の姿を見せたいという親心から、そのままご遺体を棺桶に入れてハワイに送りたいというのです。幸い、私の家のすぐ近くに、松山では一番大きな葬儀屋の支店があるので、まずはそこにご遺体を運びましたが、松山のような田舎では、外国人観光客がお亡くなりになるなどということはめったにないので、どのようしたらよいのか、だれも知らないのです。
というわけでいろいろなところに電話して、まずは大阪に空輸し、そこで、日本最大の葬儀屋の大阪支店に任せて、防腐処理をしてもらうことになりました。肝心の旅行社は、まったく当てになりませんでした。松山で通訳を探してくれるということでしたが、結局誰も来てくれず、私がつきっきりで対応しました。大阪には、旅行社の英語のできる方が来てくれるということでしたが、大きな葬儀屋で、外国人の対応にも慣れており、英語のできる方らいらっしゃるので、今更来てもらう必要はありませんでした。というわけで、松山空港でお別れし、私はその翌日ハワイに帰り、高松には結局行けませんでした。
もう一つ不思議なことがありました。この事件が起きる前日、私は、家内が去年、私と里帰りをしたときに読んで、実家に置いたままにしておいた本を読み終わったところでした。あるキリスト教の団体が出した薄い本で、悲しい出来事が起きた時にそれをどう受け止め、理解し、対処するべきかという内容の英語の本でした。その本は、ご両親に差し上げました。
お葬式は、ご家族や親せきに都合の良い日を選ばれたのではないかと思うのですが、亡くなってから一月以上も過ぎた、5月15日でした。その日は、動かせない予定が入っていたので、残念ながら行けないと伝えておいたのですが、動かせないはずの予定が、動かさなければいけないことになり、出席することができました。ご両親にご挨拶した時に、お二人がわっと泣き出して私をハグしてくださり、私も、何と言って慰めてあげていいのかわかりませんでした。
ちょっと不思議なことばかりが重なった出来事でした。松山のような田舎に外国人が観光に来て、たまたまそこで脳出血が起き、たまたま亡くなったご本人の義理の兄の友人である私が松山に帰省しており、本来なら仕事でいなかったはずなのに、風邪をこじらせてしまったおかげで、ご遺族の通訳をしてあげることができました。家内が実家に残しておいた本にしろ、偶然出席できることになったお葬式にしろ、一つ一つは大したことではありませんが、何から何まで、すべてがあらかじめ準備されていたような感じがします。もう一つ、どう理解していいのかわからない偶然がありました。入院なさった4月3日はお父様の誕生日、亡くなられた4月4日は、何とご本人の31歳の誕生日だったそうです。