大野純司のブログ -27ページ目

フリートウッドマックとの出会い

女子大生が寮の近くのサンセット通を歩いていました。リムジンが彼女のそばで止まり、中にいた数人の若者から、道を聞かれました。道順を説明しても、なかなか理解してもらえません。良かったら、一緒に乗ってこの場所まで連れて行ってくれないかと言われ、彼女はリムジンに乗りました。

「私たち、フリートウッドマックなのよ。」

そう言われても、彼女にはピンときません。

「音楽は聞かないの。どんな曲が好き?」

「音楽は何でも好きですけど、忙しくて、聞く時間がありません。」

彼女は、ロサンジェルスのダウンタウンで、フルタイムで働き、大学もフルタイムで夜学に通っていましたので、確かに音楽を楽しむような時間はありませんでした。目的地に着き、彼女はリムジンを降り、そのまま寮に帰りました。

 

家内の親戚が久しぶりにカリフォルニアからハワイに遊びに来て、昔話にふけっていました。45年前、家内に、ブリティッシュ・ブルースロック3大バンドの一つと言われる全盛期のフリートウッドマックとこんな出会いがあったとは、私も初めて知りました。

出張先のサンフランシスコで、死にかけたセントルイスの二人のジョンと出会った

 私は毎年、IREM(全米不動産管理協会)の総会の通訳をしており、今年は、サンフランシスコでした。基調講演の講師は、セントルイス在住のジョン・オリーリー氏です。私は、大学院のころセントルイスに5年住み、長男もセントルイスで生まれましたので、親しみを感じました。特に、長男は、2歳でセントルイスを離れてから、今年の夏休みに35年ぶりに生まれ故郷を訪れることができましたので、一緒に行けなかった私も、懐かしい気持ちがしました。

ジョンは9歳の時に火遊びをしていて全身やけどし、体の80%が第三度熱傷を負いました。絶望的だと思われたのですが、助かって、今は有名な講演者になっています。彼は、野球少年だったそうですが、事故の翌朝、体中がはれ上がって目も開けられない状態だった時に、セントルイス・カーディナルズのアナウンサーとして全国的に有名だったジャック・バック氏が病院まで来てくれて、励ましてくれたそうです。私も当時は、12インチの白黒テレビを$50で買うまで、いつもラジオで彼の声を聴いていました。アナウンサーですが、野球の殿堂入りをしています。

消防署に通報してくれた近所のおばさんが友人に電話をし、男の子が大やけどを負って命が危ないので祈ってあげるように頼んだそうですが、その友達がまたその友だちに電話し、その友達がまたその友達に電話し、こうして電話を受けた4人目の友だちがそのお父さんに話し、お父さんがその晩バック氏に会ったときに、ジョンのことを話したのだそうです。彼は、退院するまでの5か月間、毎日のようにお見舞いに来てくれました。

退院後、バック氏は、当時有名だったカーディナルズの遊撃手、オジー・スミス選手のサイン入りのボールを送ってくれたそうです。私もよく覚えていますが、オズの魔法使いと呼ばれていた好守備の選手で、今は殿堂入りしています。カードが添えてあり、お礼の手紙を送ってくれたら、もう一つサイン入りのボールを送ると書いてありました。しかし、ジョンは、やけどで指を失い、文字が書けなかったのです。ご両親は、何とか鉛筆を持たせて書かせようとしましたが、文字が書けるようになったら学校に行かなければならなくなると思ったジョンは、ずっと拒否していたのです。

バック氏は、そのことを知って礼状を送るように言ったのです。この狙いは的中し、ジョンは礼状を書き送って、別の選手のサイン入りのボールをもらうことができました。これが何度も続き、60個ものボールを集めたそうです。ジョンは学校に通い始め、大学の卒業式には、ステージ4の肺がんで病んでいたバック氏も来てくれました。

基調講演後の挨拶をしたのは、その晩新会長に就任したシェリル・グレイさんで、涙を隠せませんでした。彼女は、6月に横浜で開かれたIREMジャパンの総会に来てくれましたが、最終日に、結腸癌だった35歳の娘さんの容態が急変しました。予定を早めて帰国しましたが、娘さんは助からなかったのです。英語で、Why me?という表現がありますが、通常、「なぜ自分がこんな目に」という意味です。ジョンさんは、「なぜ自分はこんなに幸福なのか」という意味に変えようという話をしましたが、シェリルさんはその話を聞きながら、娘さんのことを考えていたのでしょう。

就任式で、彼女は、娘さんがグリーン・ビルを普及させる夢をもっていたことを話し、IREMがそのために貢献できるよう、娘さんを記念する基金を作って、5万ドルの寄付をすると発表しました。多くの方々が賛同し、その場でたくさんの寄付が集まりました。

 

もう一人、セントルイスのジョン君との出会いがありました。私は飛行機に乗る時は寝ることが多いのですが、今回は、珍しくBreakthrough(突破口)という映画を見ました。実話に基づいた映画で、セントルイス郊外の14歳の少年の話です。彼のことは、ニュースで見たことがありましたので、興味を持ったのですが、ネットで調べたことも併せて、書きたいと思います。

凍ったセントルイス湖の上で遊んでいた彼は、氷が割れて落ちてしまい、駆け付けた消防士たちは、彼を見つけることができませんでした。消防士のトミーさんは、もう溺れてから15分もたっていたので、諦めかけていたのですが、誰かに「左に戻れ」と言われてもう一度探し、ジョン君を見つけることができました。後で分かったのですが、現場にいた人の中で、実際にトミーさんにそう言った人はいなかったそうです。

すぐに病院に運ばれ、27分間、心肺機能蘇生が施されましたが、事故から1時間近く経っており、ジョン君のクラスメートのお父さんだった担当医は、お母さんを病室に呼んで亡くなったことを告げ、死亡時刻を記録しようとしました。お母さんはその現実を受け入れることができず、息子の足を掴んで祈りました。その瞬間、心拍が戻ったのです。彼は、ヘリコプターでセントルイス市内の小児科の病院に運ばれました。そこには、水難事故の専門医がいたのです。

しかし、ジョン君は酸血症で、生きるためには最低6.8必要だとされるpH(水素指数)が6.6しかありませんでした。それでも、駆け付けて祈ってくれた牧師さんが、彼の好きなマイケル・ジョーダンとレブロン・ジェームスのことを聞くと、話すことのできない彼は、牧師の手を握り締めて答えてくれたのです。専門医から、仮に助かったとしても植物状態だと言われていたジョン君は、2週間後、元気に退院しました。今は、牧師になる勉強をしているそうです。

 

通常、モーティベーショナル・スピーカーは、いかに自分が努力したかという話をすることが多いのですが、オリーリー氏の場合、いかに多くの人が自分を助けてくれたかという話でした。溺れたジョン君も、自分にできることは何もありませんでした。最後に、ジョン君のクラスメートのお父さんであったスータラー医師が事故の晩残した記録を見つけましたので、訳しておきます。

「私は、自分の科学的装備一式をすべて使って治療介入を試みたが、成功の兆しは皆無だった。この世の全医療資源がこの少年のために使われたが、唯一の兆候は、若い命が我々の目前で消えていくという冷たい現実だけであった。

しかし、ジョンの母親が頼りにしていたのは、現代医療の介入ではなかった。…ジョンの母が神に祈るや否や、モニターはリズムよく打ち始め、股間と頸動脈で鼓動を感じることができた…。

私には、ジョン・スミスが、氷の下に落ちる前と同じ状態に戻れるかどうかは分からない。しかし、神に我々の想像以上のことができるということは知っている。ほんの数日であったとしても、神は我々に贈物をくださった。私は、奇蹟を目撃する特権に与った。

私は、母親に、息子さんがもうこの世にいないという悲しい知らせを告げる準備をしていた。彼女の神への信仰は、私より強かった。彼女は神を呼び求め、神は彼を生き返らせた。…聖霊があの部屋に来られ、少年の心臓を再起動させたのだ。」

夫婦喧嘩は犬も食わぬ

家内はケセラセラです。私は、他人のことはどうでもいいのですが、自分の身の回りのことは、自分の思い通りにならないと気が済まないタイプです。家内のような人と結婚したからこそ、この結婚がもう43年も続いているのだということはよく分かっていますが、それでも、思い通りに物事がうまく行かないと、イライラします。

今週、家内に車で送り迎えしてもらわなければならないことが2度ありました。月曜日の朝、セミナー会場まで送ってもらいました。12時過ぎに終わりそうだから迎えに来てと、会場からラインしたのですが、返事がありません。電話をしても出ません。家内はちょっと難聴なので、電話に気が付かないことが多いのです。

セミナーが終わってからやっと連絡がついたのですが、友だちをかなり遠い車のディーラーに連れて行ってあげたので、迎えに行けないというのです。何で私の都合を聞いてからにしてくれなかったのかと思いましたが、仕方なく、さっさとバスで帰ることにしました。ホノルルのバスは片道$2.75で、おつりはくれませんし、両替もしてくれません。小銭をちょうど$2.75持ち合わせていたので、これも神様の思し召しかと思い、気持ちも納まりました。

ところが、バスに乗ってから気が付いたのですが、朝送ってもらったときに、私が運転してそのまま車のカギを鍵穴に挿したままにしておいたので、家に入れないことに気が付きました。また家内に電話したところ、ちょうど用が終わったので、今から帰るとのこと。しかし、ずいぶん遠いので、家の前でかなり待たされるだろうと思いました。幸い、同居している息子の職場が歩いて行ける距離なので、息子からカギをもらって家に入ることができました。

その二日後、息子から、買わなければならないものがあるので、昼休みに車で連れて行って欲しいと言われました。私は、ちょうど12時にワイキキで短いミーティングがあったのですが、それは少々遅れてもいいので、家内が私と一緒に息子を迎えに行って、まず私をワイキキで降ろし、息子を買い物に連れて行ってから、また私を迎えに来て、それから息子を職場に送って家に帰る予定でした。

ところが、息子が家に忘れ物をしたというので、いったん家に戻ってから行くはめになりました。私は何も言いませんでしたが、実はもうこの時点でかなりイライラ。私が目的地に着いたときには、予定より30分以上も遅れており、もうそこには誰もいませんでした。これでは何のために来たのか分かりません。ミーティングは私がいなくても私以外は誰も困らないのですが、二日前のことがあったばかりでしたので、私はかなり怒っていました。

ちょっと待ってから、いつ頃迎えに来てくれるのか聞こうと思って家内に電話しても、いつものように出てくれません。息子に電話しても出ません。かなり待たされてから、家内から電話があり、息子を職場に送ったが、いつ迎えに来て欲しいのかと聞かれたのです。息子を職場に送る途中で私を迎えに来ることになっていただろうと言うと、自分ももしかしてそうじゃないかと思っていたとのこと。もう私の怒りは極限に達していました。

やっと迎えに来てくれて、車に乗った途端、口論が始まりました。もちろん始めたのは私です。家に着くまで断続的に続いたのですが、着いて車を降りたとき、大変なことに気が付きました。実はその日、息子のガールフレンドが家に来ていたのですが、彼女も行くというので、一緒に車に乗りました。息子の職場は家に近いので、私は、その子がてっきり彼の職場で降りて、息子からカギをもらって家に先に帰ったと思っていたのですが、何とまだ後ろの座席にいて、私たちの言い争いを傍聴しながら、ホノルル市内を連れ回されていたのです。随分嫌な思いをさせてしまい、醜態を見せつけてしまいました。彼女は全然気にしていないふりをしていましたが、これが私の将来の義理の親になるかもしれないと思うと、うんざりしたのではないかと思います。

私は、35年近く前に起きたことを思い出しました。家内と里の松山に住んでいた時のことです。家内は日本語クラスに通っていて、私がその送り迎えをしていました。ところが、ある日、母と叔母の用で1時間ほど遅れてしまい、迎えに行ったときにはもう誰もいませんでした。携帯などない時代ですので、どうしたのだろうと心配したのですが、家に帰ってみると、家内も帰っていました。4キロ近い道のりを、歩いて帰ったのです。驚いたことに、家内は、どうして迎えに来てくれなかったのかと聞くことさえしませんでした。怒ってもいません。何か理由があって来れなかったんだろうと、あっけらかんとしていました。この違いはいったい何なのでしょう。

ところで、この話はこれで終わりませんでした。さらに二日後、私は12時にまたワイキキに向かいました。今度は一人でしたので、問題ないはずです。ところが、駐車場の支払いの機械の調子が悪く、人が並んでいます。やっと私の番が来て支払おうとしたのですが、カードを読み取るところで、動かなくなりました。ほかの人も同じ問題があったそうで、現金で払っていました。私もそうしようと思って財布を見たところ、何と空っぽだったのです。

月曜日にバスに乗ったときはたっぷりお金が入っていたのに、前の晩、家内は、買い物をするために私のお金を全部持って行ったのです。友達に貸したお金を返してもらったばかりだったので、私としては珍しく大金が入っていたのですが、必要もないのにそれを根こそぎ持って行ってしまいました。もちろん、使ったのはその一部でしたが、残りを私の財布に戻すのを忘れていたのです。

ちょっと離れた駐車場に停めようと思えば停めることはできましたが、どうしても抜けられないアポがあり、それに間に合わなくなりそうだったので、私はまたもや諦めざるを得ませんでした。相当頭に来ていましたが、今度は喧嘩しないと心に決めて、家内には何が起きたか話すことさえしませんでした。しかし、心のイライラは続き、なかなか治まりません。

私のように影響力やリーダーシップのない人間は、自分の周りをコントロールすることができない替わりに、家庭内を支配しようとする傾向があります。いわゆる内弁慶です。お山の大将にはなれなくても、家庭では主でいたいわけです。聖書は、自分を神とすることが罪の根源であると教えています。自分が神だと思っている人はそう多くはいないと思いますが、何でも自分の思い通りにならないと気が済まないのであれば、それは自分を神とすることと同じだというわけです。

神に主導権を明け渡せば、こんなつまらないことでイライラすることはないと思うのですが、それがなかなかできないのです。私は、若いころ、何でも人に指図するような厚かましい人間で、どうせ指図通りにはしてくれないし、これは良くないと気が付いて、自分でも驚くほど変わることができたのですが、なぜ同じことが家庭ではできないのか、悩むところです。私は、外では勝てないとあきらめ、自分の家庭に堅固な砦を築いて、家庭と言う自分の小さな王国を守ろうとしているのでしょう。だから、家庭内で思い通りにならないことがあると、爆発してしまうのでしょう。仏教風に言えば、私はまだまだ悟りの境地にほど遠いということでしょうか。