大野純司のブログ -29ページ目

神と多元的宇宙:どちらがより大きな信仰の飛躍か

 サンディエゴ・カリフォルニア州立大学のブライアン・キーティング物理学教授は、神の存在について分かりやすく以下のように述べています。すこし要約しながら、訳してみました。

 

 私たちは、そしてそのほかすべてのものは、どのようにして存在するようになったのでしょうか。生命は、どのようにして生まれたのでしょうか。太陽フレア、宇宙線、飛び交う小惑星など、宇宙は過酷な場所です。私たちが存在できる可能性は桁外れに小さいのです。私は天文物理学者ですので、宇宙を見て、なぜこれらのものが存在するようになったのかを説明するがのが、私の仕事です。

 信仰を持っている人には答があります。神です。地球の太陽からの距離、原子の大きさなど、何千もの事柄が、私たちが存在できるように完璧に調整されているように思われます。多くの人は、この設計には設計士が必要だと考えます。しかし、純粋に科学的な観点から見ると、信仰者には大きな問題があります。その確かな証拠を提示することはできないということです。全米科学アカデミー会員の7割以上は無神論者だと自称していますが、驚くには及びません。

 しかし、彼らにも大きな問題があります。神がいないのであれば、彼らはどのように宇宙、地球、人間の良心など、すべてのものの存在をどのように説明するのでしょうか。彼らには答があります。それは、今、科学者の間で流行っているのですが、多元的宇宙と呼ばれます。多くの科学者によると、私たちの住んでいる宇宙だけが宇宙ではないのです。宇宙は、一つや二つではなく、無限に存在するのです。

 138億年前に、ビッグバンがあり、得体の知れないすごく小さなものが爆発し、宇宙が生まれました。それがどのようにして起きたか、なぜ起きたかはわかりませんが、とにかく起きたのです。ビッグバンの直後、宇宙は急激に拡大しました。宇宙学者は、これを宇宙のインフレーションと呼んでいます。宇宙の拡大に伴い、他の宇宙が生まれて、それぞれ独自の特性を持つ宇宙として独立します。このようにして、数個ではなく、無限の宇宙が生まれたのです。

 暑すぎる宇宙もあれば、寒すぎる宇宙もあるでしょう。しかし、無限にあれば、ちょうどいいものができるはずです。つまり、十分な数の宇宙があれば、人間が偶然生まれてもおかしくないというわけです。実際、多元的宇宙論者は、全ての起こり得ることはどこかの宇宙で起こると主張しています。ちょっと、サイエンス・フィクションのようですが、ノーベル賞を受賞したスティーブン・ワインバーグや、有名な宇宙学者であるスティーブン・ホーキンズ、また彼らを指示する多くの学者たちは、そう信じているのです。

 しかし、もっと驚くべきことがあります。彼らは、この説を証明する証拠が何一つないにもかかわらず、そう信じているのです。考えても見てください。ほかの宇宙を見ることはできないのです。つまり、多くの科学者は、証明されていないどころか、将来証明される可能性があるとは思えない理論を信じているのです。

 著名な物理学者であるポール・デイビーズ(アリゾナ州立大学理論物理学者)はこう述べています。「私たちが見ることのできる宇宙の特異な特徴を説明するために目に見えない宇宙の無限性を引き合いに出すのは、目に見えない創造主を引き合いに出すのと同じだ。多元的宇宙論は科学的な言葉で着飾られているが、本質的に、同じ信仰の飛躍を必要とする。」

イギリスの批評家、ギルバート・キース・チェスターソン(1874-1936)の言葉を借りると、「人は、神を信じなくなると、何も信じなくなるのではなく、何でも信じるようになる」のです。多元的宇宙論者に関しても、これは全くその通りです。証拠がないという理由で神の存在を否定する科学者たちは、包括的で曖昧で反証不可能な説を信じているのです。神が宇宙を創造したと信じる人たちは、少なくともそう信じる理由が信仰であることを率直に認めています。しかし、多元的宇宙を信じている人たちは、無限なものに対する信仰を持っていながら、それを認めていないのです。果たして、どちらの飛躍の方が大きいのでしょうか。

7回目のタイ、ボランティアの旅

毎年、普段は年末年始に、家族や教会その他のメンバーでタイにボランティア旅行に行っています。去年の年末は忙しかったので、他のメンバーはその時期に行きましたが、私と家内だけは3月に行きました。私たちがサポートしている女の子が高校を卒業するので、その卒業式に合わせて行くことにしたのです。養護施設が二つあり、一つは女の子専用(セーフハウス)で、こちらは空いている部屋がないので、私たちはいつものように男女兼用の施設に泊めてもらいました。

日曜日の朝、礼拝に出るために教会に行ったところ、一人の小学生の女の子が、顔を合わせるたびに大きな声でハローと挨拶してくれます。タイの子供たちは、恥ずかしがり屋の子が多く、大声で、しかも英語で挨拶してくれる子など、今まで会ったことがありません。どこの子だろうと思っていたのですが、その後セーフハウスに行ったところ、何と彼女がそこにいたのです。

セーフハウスはあまり大きくはなく、12人の女の子が住んでいます。ほぼ毎年行っていますので、もちろん全員の顔は覚えているのですが、この子だけはあまりにも印象が変わっていたので、思い出せなかったのです。私が前回行ったのは1年半前ですが、そのとき、この子とこの子のお姉さんは、施設に入ったばかりでした。お父さんが亡くなり、お母さん一人で育てられないので、最初はバンコクの施設に入っていたそうですが、この田舎のメーソットの施設に移ってきたばかりでした。当時は、とても暗い雰囲気で、ぬいぐるみをめちゃくちゃにしてしまうようなこともあったそうですが、この1年半でこんなに明るくなって、驚きです。

何度も大声で挨拶してくれたCちゃん

もう一つ印象に残ったのは、1年半前のブログで紹介した兄妹です。二人は少数民族のモン族の出身で、モン族では、一人の男性が4人の女性と結婚することができるそうです。この二人は、ご両親とも亡くなっていたのですが、別のお母さんに育てられていました。妹が小学校に入るときに、この施設に入ったのです。当時は、特に妹の方はとてもやんちゃで、私はよく鬼ごっこの鬼役をさせられました。

しかし、今回は、二人とも随分おとなしくなっていました。少しお兄ちゃん、お姉ちゃんになって、人見知りするようになったのでしょう。お兄ちゃんは、元々体格が良かったのですが、ますます頼もしくなって、何も言われなくても自主的に進んでやる良い子に育っていました。男女兼用の施設は、食事などは一緒にしますが、寝るのは別棟で、男の子用の建物の前には、直径10メートル以上もある池があります。ある日、彼はその中に入って行って、岸にうっそうと生えていた草木をなたで切り、上級生に助けてもらって岸の上に引き上げていました。特にそうする必要はないのですが、随分きれいになりました。

後ろ側がお兄ちゃん。その後ろはすでに引き上げた雑草の山。

ある日、ちょっと感動的なシーンを目撃しました。この二人は、いつも長く並べたテーブルの中ほどに向かい合って座って、食事をしています。テーブルの上に置いたお兄ちゃんの手に、妹の手がゆっくりと伸びていきます。手をつなごうとしているのです。私たちに見られていると気付いた彼女は、さっと手を引いてしまいました。

S君は、この養護施設を卒業し、大学を出ました。タイは徴兵制で、もうすぐ6か月の兵役があるのですが、それまでこの施設に住みながら、子供たちの世話を助けています。タイ人には珍しく色白で、とてもハムサムです。その彼が気を利かせて、妹の手を取り、お兄ちゃんと手をつながせました。照れる二人。微笑ましい兄弟です。

左が妹さん。来学期から3年生。他に小学生がいないので、ちょっと寂しいかも。

今年は、高校を卒業して施設を出る子が3人もいます。また、中学を卒業する子も多く、そのほとんどがそれを機会に里に戻ることになりました。二つの養護施設にいる28人中9人が施設を出ることになったのです。家庭の受け入れ態勢が整ったということですので、決して悪いことではありませんが、ちゃんと高校に行くのだろうかという心配はあります。

それに伴い、来年度(8月)から何名新しく受け入れるかを決めなければなりません。以前は、家族親戚と直接話して決めていたのですが、軍が政権を取ってから養護施設の規制が厳しくなり、最近は、政府に人数を伝えるだけで、誰が入るかは政府が決めるようになったそうです。しかし、寄付で成り立っていますので、予算を建てて、何名受け入れるか決めるのは困難です。特に男女兼用の施設は寄付が不安定で、年末に息子たちが行った時も、今回も、差し当たって必要な寄付をしましたが、定期的にこの養護施設をサポートしたい方がいらっしゃったら、ご連絡ください。現在16名住んでいますが、全経費が月6万バーツ、約21万円必要です。建物は大きいので、寄付さえあれば、人数を増やすことは可能です。

しつけの基本は楽しみの遅延

 アメリカで、どのような子供が将来成功するか、追跡調査をしたしたそうです。いろいろな実験をして、それらに子供たちがどう対応したかを記録します。何十年か経ってその子たちがどうなったかを調べ、成功したと言える人たちがそれぞれの実験にどういう反応をしたかを調べるのです。特定の実験に特定の反応を示した人が多いほど、それが成功のカギだと言えるわけです。例えば、成功した人のほとんどが子供の時に注射されても泣かなかったとしましょう。また、泣いた子たちはほとんどみな将来成功していなかったとしましょう。だとすると、痛みを我慢できることが成功のカギだということになります。

こうして出た結果は、マシュマロを使ったある簡単な実験でした。試験官が子供と二人だけで部屋に入り、テーブルを挟んで向かい合って座ります。マシュマロを一つ子供に与え、ちょっと部屋を出るけど、帰ってくるまでマシュマロを食べないでいたら、もう一つ上げると約束して、出ていきます。しばらくして部屋に戻り、マシュマロを食べずに待っていたら、パスです。この簡単なテストにパスした子が、将来最も成功する可能性が高いそうです。

普通、頭の良い子、あるいは頑張れる子が成功すると思うでしょう。明るい子、物事をポジティブに考えられる子、誰とでも仲良くできる子、よく気が付く子なども、候補に上がりそうです。でも実際は、将来のために今我慢できるかどうか、つまり楽しみを遅らせることができるかどうかが、成功のために最も大切だということです。

ちなみに、しつけという言葉は、英語ではdisciplineです。しかし、この言葉は日本語のしつけとはちょっと違います。これは、子供にのみ使われる言葉ではなく、大人に対しても使われるのです。また、日本語のしつけというのは、大人が子供に対してするものですので、自分が自分に対してする場合は使われませんが、英語では、むしろ自制や自己管理という意味で使われることが多いです。食べたくでも我慢する。まさに自制心ですね。子供が楽しみの遅延によって将来成功するのであれば、大人にも同じことが言えそうです。