息子のボスが新聞沙汰に
息子は、Institute for Human Services(社会福祉協会)というホノルルのキリスト教団体の、ホームレス・クリニックで働いています。協会のディレクターも、私の教団の会員です。彼の上司は、エリザベス・グレン(62)さんと言う看護婦さんで、2年前、ステージ3の乳がんになって、手術をしました。癌はもうよくなりましたが、再建手術はまだです。
最近、ハワイ島に住んでおられたお母さんがお亡くなりになり、それだけでもショックだったのですが、同時にもう一つ困ったことが起きてしまいました。薬物中毒の息子さんがお母さんと一緒に住んでいたのですが、相続のために家を売らなければならず、ホームレスになるかもしれないというのです。おまけに自転車で転げて指の骨を折り、その手術もしなければならなくなりました。
彼女は、部下の息子に、落ち込んでしまっていることを明かし、自分自身がホームレスになってしまいそうだから、祈って支えて欲しいというテキストを送ってきました。家族で彼女のために祈りましたが、彼女を励ましてくれたことが一つあります。
ホノルルには、スター・アドバタイザーという新聞があります。アメリカは地方紙が非常に多いのですが、アドバタイザーはハワイ一の新聞です。その新聞にHeroes Next Door(隣のヒーロー)というシリーズがあり、協会のディレクターが投稿して、グレンさんが紹介されたのです。かなり長い記事で、ネット版にはビデオもありますので、リンクをペーストしておきます。
「すべての人は神が作られ、どのような状況にあっても人間としての尊厳があり、神様から見れば尊いものであって、神は私たちがお互いに愛し合い、仕え合うことを願っていると、私は信じます。…私はこのシェルターで働くのが大好きです。私は医者ではありませんが、多くの人を助けることができます。…これは、看護とソーシャルワークを組み合わせたような仕事で、とても報われます。…私はホームレスの人と働くのが大好きなんです。」
私は、自分自身ホームレスのためのボランティア活動をしていますが、これほど報われない奉仕はないと考えることがよくあります。社会復帰できる人は少なく、ホームレスは増えるばかりです。路上での生活は大変ですが、助けてあげないほうが、ホームレスになる人が減るのではないかと考えることもあります。グレンさんの理屈抜きの受容には、頭が下がります。
彼女の落ち込み方はひどそうだったので、実は私もちょっと心配していました。でも、すぐに元気を取り戻したようです。グレンさんは、部屋の壁にかけてあるマザー・テレサの言葉を実行しているのでしょう。
「愛は、並外れていなければ純粋ではないと考えてはいけません。必要なのは、たゆまぬ愛です。」
タイでの8回目のボランティア活動
私は、タイのメーソットにある二つの孤児院に、ほぼ毎年、通常クリスマスの時期に行くようにいています。今年も家族その他の人たちと一緒に来て、今タイでこのブログを書いていますが、クリスマスも正月も、タイで過ごします。
孤児院の一つは女の子専用のセーフハウスで、現在、8人の少女が住んでおり、私もその一人のFちゃんのサポートをしています。教会の信徒さんが編んでくれたマフラーと手袋をクリスマスにプレゼントしました。少しサポートが減っており、今年は新しく女の子を受け入れることができませんでした。一人サポートするのにかかる費用は、月$100ほどです。数年前に買ってあげた洗濯機が壊れていたので、買ってあげました。
もう一つ、男女共用の孤児院があり、15人の子供たちが住んでいます。結構大きな建物なので、支援さえあれば、もっと多くの子供たちを助けることができますが、もともと建ててくれた米国の教会の宣教師が引退し、新しく寄付金を募ることが難しくなり、寄付を止める人はいても始めてくれる人がいないので、かなりの財政難が続いています。こちらも経費はセーフハウスとほぼ同じで、全部で月$1,600ほどですが、全然足りないので私たちの教会もその補填をしています。
2台あるポンプの片方が壊れて、2階に十分水が上がらなくなっていたので、新しく購入しました。また、ベッドのマットレスもずいぶん古くて破れているものが多かったので、新しいものに替えました。一緒に来たNさんは、子供たちにジャンパーを買ってあげました。
私が以前働いていたハワイの教会の信徒さんが、今、タイのチェンマイに住んでおり、人身売買の犠牲になっている子供たちを助け出し、保護する活動をしています。この施設は、かなり大きくて、聖書や英語などの教育や、職業訓練を提供しています。そのための費用は、半永久的に寄付を続けてもらうのではなく、ある程度まとまった額を寄付してもらい、それをもとに事業を始め、その収益で賄われています。
このようにすれば、メーソットの孤児院も寄付に頼らなくてよくなり、雇用も発生し、自分たちが稼いだお金で運営しますので、金銭的にも自分で責任を負うことになります。私もその方が良いと考え、できれば来年の春にでももう一度タイに来て、メーソットの牧師さんとチェンマイの施設を見学したいと思っています。
着いた日の晩、子供たち全員とケアテイカーの人たちを招いて、町一番のモールのフードコートで夕食をしました。このフードコートでは、お金を出してキャッシュカードのようなものをもらい、それで支払いをして、残った額は後で返してもらうようになっています。全員に150バーツ(545円)のカードをあげて、好きなものを食べてもらったのですが、使い切ってないカードは返してくれると思っていました。
ところが、食べ終わったら、みんな残金を自分でもらいに行ってモールのゲームセンターに直行。小さなゲームセンターを私たち34人がほぼ占領し、楽しい時を持ちました。最初は、おつりを返さないなんてけしからんと思ったのですが、食事をして帰るだけなら、これほど楽しい時を持つことはできなかったでしょう。
以前紹介したモン族の兄弟がずいぶん大きくなっており、特にお兄ちゃんがずいぶん背が高くなってイケメンになっていてびっくり。2年前に、買ってあげた冷蔵庫の両側に立ってもらって写真を撮ったので、比べて見てください。
2017年8月と2019年12月
お正月の週は、学校が休みで、子供たちは里帰りをします。親がいなくても、親戚はいるからです。しかし、Dちゃんだけは誰も迎えに来ることができなくて、セーフハウスに一人残されました。彼女はあまり社交的ではなく、一人でいることが多かったのですが、だいぶん心が開いてきたようで、毎日食事に誘ってあげました。和食のレストランに連れて行ってあげると、何とお寿司を注文して、しょうゆをつけないでおいしそうに食べていました。ずいぶん楽しそうにしていたので、ちょっと安心しました。
この地域は山岳地帯の少数民族が多く、まだ昔ながらの生活をしています。毎年クリスマスにそれらの村を一つ一つ訪ねて行って、人道支援をし、布教活動をしています。今年行ったのは、カレン族の村で、道なき道を5時間ほどドライブして、やっとたどり着きました。トラック10台分の物資を持って行ったのですが、かなり遠くから来てくれる人もいるので、私たちの分も含めた食料品も持って行かなければなりません。食事はタッパーに入れて配り、タッパーはそのまま持って帰ってもらいます。
メーソットの教会に、元薬剤師と、看護師がいるので、彼らが村人を一人ずつ問診して、必要な薬を渡していきます。子供たちは、カトリック教会が建ててくれた新しい村の小学校で勉強しますので、タイ語を話すことができますが、大人の多くはカレン語しか話せません。ですから、通訳をしながらの問診で、かなり時間がかかります。
私たちは泊まるところがないので、テントに二晩寝ました。息子は粗末な屋外ステージの下に寝ましたが、まるでホームレスです。夜はかなり寒くなり、私は4枚重ね着をして寝袋で寝ましたが、それでも寒かった。
小学校のステージでお話をするメーソット教会のジョン牧師と通訳
息子はその下で野宿
メーソットの教会が支援しているビルマ難民の小学校が、教会の近くにあります。数年前、韓国の教会が新しい校舎を建ててくれたとき、校庭の水溜りを埋めるためにトラック10台分の砂利を敷くのを手伝ったことがあります。今回行って見ると、校庭がコンクリートで舗装してありました。バンコクの教会が制服を寄付してくれ、メーソットの教会もカレン族に配って余ったものをプレゼントしました。
メーソットの旅も終わりに近づいて、何人かの親しい人と近くのレストランで夕食。このレストランは、国王の妹さんが時々来るそうで、とても豪華なわりには値段も安く、一人千円くらいで食事ができます。今年も楽しい時を持つことができました。寄付をしたい方、一緒に行って見たいという方は、ご連絡ください。
子育てしながら作成したシリア内戦ドキュメンタリー
アレッポの若い女性が、シリアの内戦中に生まれたサマちゃんを育てながら作成したドキュメンタリーを見ました。For Sama(サマのために)という作品ですが、米国のPBSという、NHK教育放送のような全米公共ネットワークで放映されたものです。日本からオンラインで見ることができるかどうかわかりませんが、一応リンクをペーストしておきます。時々英語の会話がありますが、ほとんどがシリア語で、英語の字幕付きです。
https://www.pbs.org/video/for-sama-5fq9qs/
英語の分からない人でも、内戦の様子は一目瞭然です。こんなに多くの血だらけのけが人や死体の映像を見たことはありません。爆撃の音の凄まじさも、今回初めて身をもって感じることができましたが、実際にその場にいた人が受ける衝撃とは、比べ物にならないでしょう。
作成者は、アレッポ大学の学生でしたが、内戦が始まり、安全な地域に避難しないでけが人の治療を続けた医師に恋して結婚し、サマちゃんが産まれました。自分のカメラでとらえた映像はもちろん、セキュリティー・カメラで捉えられた、病院に落ちた爆弾の爆発の映像なども使われています。アサド政権に協力したロシア空軍は、内戦勃発後、発見されないように移転した一つの病院以外、東アレッポのすべての病院を爆撃したのだそうです。
映像を見ながら思ったことは、戦争は何があっても避けなければいけないということでした。この思いが、典型的な日本人が考えそうな、現実的ではない甘いナイーブな考えであるかもしれないということは意識していましたが、目を覆いたくなるような惨事を見ながら、そう感じざるを得ませんでした。
しかし、見終えてからはっと気付いたことがありました。作者はそんなことが言いたくてこの映画を作ったのではない!彼女はアレッポに残って戦うことを選択したのです。もちろん彼女は一人の母親にすぎませんし、ご主人も医者であって、兵士ではありません。治療した多くの人は民間人だったと思いますが、反政府軍の兵士もいたのです。彼らも、命をかけて戦ったのです。
彼女は、大学時代はアサド政権を非難し、アラブの春がシリアにも訪れることを願って活動していたのです。「自由がないのなら、死んだほうがまし」という彼女の言葉は、ヨーロッパの王政から逃れて自由を求めてきた自由の国のアメリカ人も、よく口にする言葉です。独裁国家に征服されたことのない日本人には、理解が難しいのかもしれませんが、彼女がアレッポに残って戦い、この作品を作ったのは、作品名にある通り、それを娘のサマちゃんに伝えるためだと言います。
このサマちゃんがすごく可愛い。ものすごい爆撃音がしても、全然泣かないのです。生まれる前から聞き慣れていた音だからかもしれませんが、お母さんは、サマちゃんがそれを聞いても泣かないことが悲しいと言っています。
お母さんは、内戦の最中、いろいろな映像をソーシャル・メディアで発信し、多くの人が見てくれたらしいのですが、結局誰も何もしれくれなかったと嘆いていました。平和な日本やアメリカで、戦争は絶対にダメだなどと言っている私たちは、彼女から見ると偽善者なのかもしれません。





