大野純司のブログ -24ページ目

米国の人種差別問題

 私の教団では、全米が11の教区に分けてあり、それぞれの教区が、地区に分けてあります。私が属している地区には、八つの教会があり、隔週の金曜日に牧師たちが集まって地区会をしています。以前は実際に集まっていたのですが、今はコロナの影響でズーム会議になりました。皆の近況などを報告し合うのですが、私は不動産の仕事のミーティングが毎週金曜日にあるので、30分ほど早く退席します。

 先週の金曜日、最近2回ほどお休みしていたJ牧師が参加しました。彼はフルタイムで仕事をしていますので、毎回必ず出席できるわけではありません。私は、彼の近況報告を聞く前に退席してしまったのですが、後で彼から全員にYoutubeのリンクが送られてきました。「T牧師(地区会リーダー)に頼まれたので送った。私はもう黙っていられない。」とだけ書いてありましたが、会の終りまで出席しなかった私には、何のことか分かりませんでした。

 J牧師は黒人です。ハワイは、黒人が少なく、その多くは軍人です。彼も軍関係の仕事をしています。Youtubeのリンクは、彼が自分の教会でした説教のビデオだったのですが、実のところ、私は、「黙っていられない」という、彼の怒りを表していると思われる言葉を見て、どういう話をしたのか、不安でした。黒人の牧師は独特の話し方で、情熱たっぷりですので、彼が話し始めたときは、どんな雷が落ちるのか、気が気でなかったのです。

 彼は、テキサス州のウェイコで生まれ育ったそうです。ダラス近郊です。幼いころから、人種差別を受けていたという言葉を聞いて、私はますますやきもきしてきました。ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが警察官に殺されてから、デモや暴動が絶えません。彼も、それに関して何か言うのだろうと思いました。

しかし、彼がもう黙ってはいられないというのは、私たちがよくニュースで聞くような黒人の不満ではありませんでした。聖書の「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」という言葉を引用して、白人に怒りをぶつけるのではなく、全てを神に任せてお互い赦し合うべきだと語ったのです。感動的でした。

 白人に対する厳しい言葉もありました。キング牧師の言葉らしいのですが、「我々が傷つくのは、我々を差別する人達よりも、それを見て見ぬ振りをする人だ」と言うのです。どの時代にも、どの人種にも、差別をする人はいるでしょう。そのような人に差別されるのは諦めがつくが、友や隣人に見て見ぬ振りをされるのは、もっと心が痛むというのです。

 多くの黒人が、アメリカには体制的な差別があると言います。私はそうは思っていませんでした。黒人を差別する法律や仕組みがアメリカにあるとは思ってなかったのです。大切なのは一人ひとりの意識であり、それが変えられれば、社会も変わると思うのです。一人一人が変わることが大切であるという考えは今も同じですし、J牧師も同じ意見でしょう。しかし、最近、思いもよらぬところに黒人を不利にする仕組みがあることに気付きました。

 私は不動産関係の仕事をしていますが、アメリカにゾーニングという規制があります。これは都市計画の建築規制で、規制嫌いのテキサスなど、一部を除いて、全米のほとんどの地域にあります。ハワイにもあり、例えば住宅地域にアパートを建てることはできません。特別な許可がない限り、多世帯住宅(いわゆる二戸一など)を建てることもできないのです。それだけではありません。地域によって、どれだけの面積につき1戸の家を建てることができるかが決まっています。一番小さなゾーニングでは3,500平方フィート(325平米)につき一戸、一番大きいものは20,000平方フィート(1858平米)につき一戸です。

 これと人種差別とどういう関係があるのかと思っていらっしゃるかもしれません。皆さんは、同じような広さの敷地に同じような大きさの住宅が立ち並んでいる米国の住宅街の写真や映像を見て、静観としてきれいだと思われたことがないでしょうか。日本にもそのような団地がないわけではありません。私が育った家も、規模こそ小さかったですが、県の建売住宅の団地でした。私の両親は、運良くくじが当たって、安く購入することができたわけです。ところが、後でアパートに建て替えた人もいれば、敷地を二つに仕切って2戸の狭い家を建てて売ってしまった人もいます。そういうことは、景観を損ない、近隣の不動産価値が下がるので、アメリカ人はとても嫌がるのです。

 私は、このような規制が貧しい人たちにどういう影響を与えるかなど、考えたこともありませんでした。家を買えない人は、アパート地区に住まなければなりません。アパートだからと言って必ずしも貧民街ということにはなりませんが、このような規制が裕福な人と貧乏な人を分離していることは確かです。それにより、公立学校の校区にも、大きな差が出るのです。家一軒建てるのに2万平方フィートも必要なところと言うのは、かなり田舎ですが、市街地から近い郊外で1万平方フィートも必要な場所と言うのは、まぎれもなく高級住宅地なのです。

 貧困から抜け出す最も効果的な方法は結婚だそうです。裕福な人と結婚するという意味ではなく、二人とも貧しくても、シングル・マザーやファーザーよりはずっとましだということです。その次が、犯罪だらけの貧民街から引っ越すことだそうです。しかし、このようなゾーニングで町が区分されていると、安全な地域は家賃が高く、そう簡単に良い地域に移ることはできないのです。

 逆に、黒人が近くに引っ越してくると、物件価値が下がることを恐れて、白人が引っ越します。こうしてスラム化が進むのです。逃げていく白人は、黒人を差別しているわけではありません。持家の資産価値が下がるのを恐れているだけです。これを体制的な人種差別と呼べるかどうかは別としても、ゾーニングのような規制は、ないほうがいいのではないかと考え直しています。今更なくしても、急に街並みが変わるということはないでしょうが。

ゾーニングによる人種隔離の促進は、法律の予期せぬ結果かもしれません。これ以外にも、黒人や貧困層を不当に不利にしている法律はあるでしょう。黒人を有利にする法律もありますが、過去の不当な扱いによる現状を矯正するためには、必要でしょう。しかし、何よりも必要なことは、J牧師が言うように、過去の失念の中に生きるのではなく、一人一人が前を向くよりほかないと思うのです。

アメリカ人はリーダーシップを強調し過ぎる?

 私は、通訳として様々なコンフェレンスに参加します。米国では、どのようなコンフェレンスに出席しても、リーダーシップの重要性が強調されることが多く、日本人参加者から、なぜですかと聞かれることがよくあります。特に基調講演などは、リーダーシップや、リーダーに必要な感情的知性に関するものが多いのです。

 DISC分析という性格の分析をご存知でしょうか。私も職場で2-3回受けたことがあり、受けるたびに上司が説明してくれますが、専門家による説明を聞いたことはありませんし、特に調べたわけでもありません。今日の話は私の独断と偏見ですので、ご了承ください。

 簡単に言うと、人間の性格には四つのタイプがあるというものです。Ddominanceで、支配とか優勢性とかいう意味です。Iinfluenceで、影響です。Ssubmissionあるいはsteadinessで、それぞれ従順と安定を意味しています。Ccomplianceあるいはconscientiousnessで、それぞれ順守と入念(細かい)を意味します。SCは統一されていませんが、どちらの言葉を選ぶかは、人によって違います。

 これをさらにわかりやすくするために、動物を使って説明することがよくあります。Dはライオンのように強い人、Iはカワウソのような楽しい人、Sはゴールデン・リトリーバーのように人を喜ばせる人、Cはビーバーのような完璧主義者です。概ねいいと思いますが、カワウソだけは誤解を招くと思います。楽しいひょうきん者だと説明されることがよくありますが、それはいただけません。確かに、人を笑わせたり、楽しませたりすることは、人に影響を与えることですが、それは、Iの人が与える影響の一つに過ぎないからです。

 この四つは、丸い円で描かれることがよくありますが、左上がD、右上がI、右下がS、左下がCです。これには理由があると思います。上にあるDIは、リーダーシップのある人で、influenceという言葉は影響力とか支配力と訳されることもあります。下の方はリーダーに追従する人、つまりフォロワーで、complianceは、submissionと同じように、従順と訳されることもあります。

 では、左右の違いは何でしょうか。左側は人よりも仕事を重視する人で、Dの人は、人をその気にさせることには興味がなく、自分が望んでいる結果さえ出してくれればそれでいいという人です。ワンマン社長タイプでしょうか。またCは、自分に与えられた仕事を細かく入念にする人で、会計士やコンピューター・プログラマーなどの専門職に多いと思います。どちらのタイプも、人間関係にはあまり興味がありません。

 右側はその反対で、人との関係を重視する人だと思います。Iは特定の結果を出すことよりも、人をその気にさせること、悪く言うと人を操ることが好きな人です。政治家やエンターテイナーに多いタイプでしょう。Sはリーダーに従順に従うことによって、自分の生活や人生が安定することを願うタイプです。これは、女性に多いと思います。社会的にも肉体的にも弱い女性は、相手を怒らせると大変なことになりかねませんので、従順になります。男尊女卑の社会で、女性が従順であるのと、同じ原理です。

 この分析の仕組みを説明すると、性格には、強さと弱さ(攻撃的と受動的)と、社交的であるかどうかという二つの主な要素があり、前者をY軸、後者をX軸で表して、この四象限ができるわけですので、たまたま4種類の性格があるわけではないと思います。仮に三つの要素があるとすれば「八象限(八分儀)」になるでしょう。実際、性格にはもっと多くの要素があると思いますが、上記の二つが主たるものであるという判断でしょう。

 簡単にまとめると、Dは広範囲のモノ、Iは広範囲の人、Sは身近な人、Cは身近なモノをコントロールしたいわけですが、アメリカ人がしきりに強調するリーダーがIであることは、疑いの余地がないと思います。人を支配して仕事をさせるのではなく、動機づけることができる人こそ、本当のリーダーだというわけです。そのためにはemotional intelligence(感情的知性)あるいはemotional quotient(感情指数)EQが必要だということなのですが、私は、これに少し疑問を感じます。

 この四つは、人間の性格を分析したものですが、性格は基本的に遺伝子で決まるそうです。一卵性双生児は、生まれてすぐ別々に育てられた場合でも、性格は酷似しています。もちろん、それは環境に左右されます。同じ顔かたちをしている一卵性双生児でも、一人は健康で、もう一人は幼児期に栄養を十分に取ることができなければ、体や脳が十分に発達しないのと同じです。幼児期の環境が著しく悪いと、体と同じように心も病気になります。

 人格と性格は異なります。人格とは、良きにつけ悪しきにつけ、本人の選択によって形作られるものです。一卵性双生児の一人が体を鍛え、もう一人がカウチポテトであれば、体形が異なるのと同じように、人格も自己管理や価値観によって異なるのです。人格と性格を区別することは至難の業ですが、人は人格には責任があり、性格には責任がありません。

 また、このトピックで大切なことは、性格に良し悪しはないということです。もちろん遺伝や環境の問題で、性格に異常をきたすことはありますが、その場合でも、それは本人の責任ではありませんので、善悪の問題にすることは避け、受容することが必要だと思います。

 そこで本題に戻りますが、Iの性格の人が他の人より優れているとか、みんなIのような人になれるように努力しようというのは、性格の多様性を否定することになりかねません。これら四つの性格は、全部、社会に必要なものです。いざというときにはDが必要です。人付き合いの下手なCさんも、そういう人がいなければ、社会はうまくいかないのです。米国の有名な会計事務所は、自閉症の大学生を求人するほどですが、それは、自閉症の人にCタイプの人が多いからです。

 ISは人間関係を重視しますので、好かれる性格であるかもしれませんが、良いあるいは善であるということはありません。Iの人は、人が自分の思い通りにならないと普通の人以上に憤慨します。また、詐欺師にはIが多いと思います。

 Sもゴールデン・リトリーバーのように皆に好かれますが、根底にある動機は自己防衛ですので、それが揺らぐと人を裏切ることが多く、いざというときには頼りになりません。動物の心理学を勉強した人から聞いた話ですが、犬が人間に対して良くしてくれる動機は、すべて利己的なものだそうです。良くしてくれるからと言って利他的ということにはなりません。

 ISの人が悪いと言いたいのではなく、どのような性格も、所詮そのレベルのもので、大切なのは人格だということです。肌の色や身長のように、遺伝子で決まるものに、善悪はないのです。

 人間関係が重要な職業においては、Iが求められても当然でしょう。そのような人を多く雇うことが必要であることは分かりますし、そのような仕事をしている人がEQを養おうとすることも当然です。すべての人が知性を開発するべきであるように、全ての人はEQを開発するべきです。

 ただ、IQは性格とは関係ありませんが、EQは関係があるのです。ですので、性格の多様性を理解しないでIを強調しすぎると、それ以外の性格の人を否定することになりかねませんので、気を付けるべきだというのが、分析の結果Cと出た私の意見です。

 

日本で在宅勤務ができない原因は縦社会

従業員40万という巨大企業の東京本社に勤めている私の友人は、コロナの緊急事態宣言で在宅勤務になったのはいいけれど、することがないそうです。久しぶりに職場に行ったら、千通以上のメールが届いていて、とても対応できないと言っていました。在宅が終わるころには何千通にもなっているだろうとのことです。職場のコンピューターは重すぎて持って帰れないし、家のコンピューターでは職場のメールがチェックできない。こんなことはアメリカではまさにアンビリーバボー。

私は、ある大会社の社長さんのお仕事をしたがあるのですが、彼は、ズームの存在を知らず、会社のミーティングはすべて、十何年も前に大金をつぎ込んでテレビ会議設備を取り付けた会議室に、集まってやっていたそうです。1万人近い従業員の中に、ズームのことを知っている人が一人もいないわけがありません。上に立つ人が、若い人の意見を聞くことがないので、知る機会がなかったのだと思います。王様が裸だと言える人がいないのです。

私が日本に住んでいた当時、アメリカ人の宣教師に日本語を教えていたことがあります。「友達」という言葉を教えてあげたら、早速近くにいた幼稚園くらいの年齢の男の子を呼び寄せ、お互いを指さして「友達」だと言って喜んでいました。何か変だと思って、はっと気付いたのですが、日本では、同年代の人でなければ友達とは呼ばないのです。職場でも、1年先に入った人は先輩、一年後なら後輩です。

米国では、多様性ということが良く強調されます。人種や性別の多様性も重要ですが、日本の在宅勤務が進まない理由は、世代の多様性の欠如がその大きな原因の一つだと思います。これは、職場に若い人がいるかどうかということではなく、彼らの意見や知識が活用されているかどうかということです。

しかし、最も大切なのは、考え方の多様性です。異なる世代、人種、性別の人たちがそろっていても、みんな同じことを考えているのであれば、多様性はありません。自分と違う考え方を受け入れるということは、今までと異なるアイデアを導入するということですから、必然的に変化を受け入れるということにつながります。根本的な問題は、日本人が変化を嫌うことではないかという気がします。今の時代、変化を嫌っていたのでは、生きのびることはできません。