
10種競技金メダリストのブライアン・クレイさんは私の教会の信徒さんだった
家内はハワイ州立図書館のメンバーです。以前は図書館に行って紙の本を借りていたのですが、最近はデジタルブックばかりになりました。日本でも使えるのではないかと言われて、家内のアカウントを使ってオーディオブックを借りたところ、何かほかのことをしながら聞けるので、非常に便利だと言うことを発見しました。
先日、また母の介護のため、松山に戻ってきたのですが、途中、機内でWiFiに繋がっていなくても聞けるので、大変便利です。今回は、北京オリンピック10種競技金メダリスト、ハワイ出身の日系人ブライアン・クレイさんが書いたRedemption(贖罪)と言う本を聞くことができました。
クレイさんはお母さんが日本生まれの日本人で、お父さんは黒人です。小学生の時にご両親が離婚し、怒りに満ちた毎日を過ごしていました。毎日のように喧嘩ばかりして、そのまま大人になっていたら間違いなく刑務所に入っていただろうとのことです。そんな中、彼に心の安らぎを与えてくれたのが、教会でした。
彼のお母さんがクリスチャンになり、その後、ホープチャペル・カネオヘと言う大きな教会に通うようになったそうです。実は、この教会は、私が1990年にハワイに引っ越して間もなく副牧師として雇われた教会で、1995年までそこで働きました。
クレイさんは1980年生まれですので、私が働いていたのは小学校高学年から中学の多感な時期です。1.500人くらいの信徒さんがいる大きな教会ですので、彼のことは全く知りませんでしたが、この本を読んで初めて同じ教会に通っていたことを知りました。
彼に影響を与えたのは、リチャード・エインズワースと言う中高生専門の若い牧師さんでした。黒人で、とても静かな人でしたが、トラブルばかり起こすクレイさんを責めることなく、お父さんのようによく遊んでくれたそうです。
彼はその激しい気性をスポーツに向け、NCAA(米国大学競技協会)の幾つかの有名校から奨学金のオファーが来るようになりました。しかし、お母さんは、キリスト教の大学に入れたいと思い、NAIA(全米大学運動選手協会)と言う格下の団体に属するAPU(アズサ・パシフィック大学)を勧めたのです。
これも驚きでした。私は、ロサンジェルスにある私の教団の神学校を卒業しました。その後、大学院に進みたかったのですが、当時、私が卒業した大学はレベルが低く、そんな私を入れてくれるのはロサンジェルス郊外のAPUくらいしかなかったのです。彼がAPUの後輩だったと言うことも、今回この本を読んで初めて知りました。
彼は、スポーツ面だけでなく、精神的な支えにもなってくれた良いコーチ陣に恵まれ、何よりも、将来の伴侶となるサラさんと巡り合うことができました。しかし、NCAAの大学に行かなかったことでなかなか注目されず、卒業後はスポンサーも見つからなかったそうです。自分で企業を回って、サポートをしてもらいました。こうして、10種競技選手としては小柄ですが、アテネオリンピックで銀、北京で金メダルを取ることができたのです。
彼の人生の転機は、大学3年生の時でした。それまで、教会に通ってはいましたが、自分中心の生活でした。「炎のランナー」のエリック・リデルのように、人生を神に捧げる決心をしたきっかけは、とても信仰熱心だったサラさんとの出会いだったそうです。こうして彼は、第一に神、第二に家族、第三に10種競技と言う優先順位を確立したのです。
10種競技は二日間で10の競技をします。朝5時頃に起きて、競技が夜10時頃終わり、身体検査などを終えてホテルに帰って、寝るのは夜中の2時頃。3時間の睡眠時間で二日目に臨みます。非常に精神的にタフで、けがをして棄権できたらどれだけ楽かと思うことがしばしばだそうです。
そんな時に神が彼に語られた言葉が、「お前はベストを尽くせ。後は私に任せろ。」でした。北京でも、最後の1500メートルを走りさえすれば金メダル確実と言う所まで行っておきながら、精神的にも肉体的にも極限に達していたそうです。
その時に彼を助けてくれたのが、もう年齢的にピークを越え、メダルに手が届かないことが確定していた元金メダリストでした。彼は1500メートルを棄権するつもりだったのですが、クレイさんを励ますために、一緒に走ってくれたのです。
ところで、「贖罪」と言うこの本の題は、聞き慣れない言葉です。「贖い」または「救済」とも訳されますが、彼が若い時に数々の罪を犯したのにもかかわらず、神が救ってくださったと言うことを意味しているのでしょう。
「贖」と言う漢字には貝偏があり、貝殻は、昔お金として使われていました。「買」と言う漢字もその一部です。神が人の罪の罰を代わりに支払うことによって、贖ってくれたと言う意味です。奴隷の持ち主にお金を払うことによって解放してもらうときに使う言葉でもあります。
現在、彼は、基金を作って、特に父親のいない子供たちの支援に力を入れています。自分にとって、ご両親の離婚が大きな精神的打撃になったことが、その動機だそうです。特に黒人は、3人に2人が独身のお母さんに生まれてきますので、それが大きな社会問題になっています。リチャードのように、自分が父親代わりになれることを願っているのでしょう。
大進化:1.ダーウィンの死
今回のブログは、かなり長いものになりますので、何回かに分けたいと思います。今日は、ダーウィンの大進化論を疑問視する科学者が増えていると言う話です。進化のレベルには小(ミクロ)進化と大(マクロ)進化の2つの主要な側面があります。大進化は、生物種の長期的な進化や大規模な変化を指す用語です。
進化論に関する考え方を大きく三つに分けたいと思います。一つは伝統的な進化論で、他と区別するためにダーウィニズム、またそれを信じる学者をダーウィニストと呼ぶことにします。
もう一つは、地球の歴史を通して、より複雑な種が出現してきたことは確かだが、ダーウィニズムでは説明できないとするものです。彼らの多くは、進化したこと自体は認めますが、ダーウィニズムのメカニズムを疑問視しています。これを、ダーウィニズムに反対する進化論者と呼ぶことにしましょう。
最後がID(インテリジェント・デザイン)で、詳しくは化学進化のブログをお読みください。簡単に説明すると、大進化は、宇宙の始まりや微調整、生命の起源などと同様に、本質的に知性や意図を必要とするものであり、自然には起こりえないと言う概念です。
イギリス最大で、世界的にもトップクラスの英国自然史博物館は、1981年、百周年を迎え、記念として、ダーウィンの進化論に関する新しい展示を公開しました。パンフレットにはこう書いてありました。「自然淘汰による進化の概念は厳密には科学的ではないと言えます。なぜなら、それは実地経験主義的な実証ではなく、論理的な帰納法によって確立されてきたからです。」
ダーウィニズムは、一つの説であり、疑いの余地のないものではないと言うスタンスです。ある記者によると、博物館では、以下のような講義がなされていたと報告されています。
「『適者生存』は空虚な言葉です。…自然淘汰の概念を信じるべきかどうかを問うことは、意味がありません。なぜなら、それは一連の前提条件の必然的な論理結果であるからです。…進化が起こったと受け入れたとしても、もちろんそれは明確ではありませんが、その概念が真実であることを証明することはできません。ただ、それが偽であることが証明されていないだけです。将来的にはより優れた理論に置き換えられる可能性があります。」
博物館の一般的な来館者がこんな文章や講義を理解できるのかちょっと疑問ですが、要は、英国自然史博物館のような有名な博物館でも、ダーウィニズムを疑問視していると言うことです。
国際的な科学ジャーナルであるネイチャーは、「サウス・ケンジントン(博物館の住所)でのダーウィンの死」と言う論説を載せました。博物館のスタッフ以外の学者がこの展示をしたのではないかと非難したのです。博物館の学者たちが、「もし」進化論が真実なら、などと言うわけがないと言うのです。
博物館の22名の生物学者は、ネイチャーが進化論を事実として展示するよう推奨していることに憤慨しました。「より良い説が明日発表されれば、進化論は見捨てられるだろう」と反論したのです。ネイチャーの論説とそれに対する博物館の反論はその後数カ月続きました。ネイチャーの編集部は、遅まきながら、ダーウィニズムを疑問視する科学者が、彼らが思っていた以上に増えていたことに気付かされたのです。
そこで、より中立的立場を取って、「ダーウィンの進化論はどこまで真実なのか」と題した記事を載せました。しかし、この記事は、逆にダーウィニストを憤慨させてしまったのです。
そこで、今度はダーウィニストをなだめるために、「進化論には実地経験主義的な実証がないわけではなく、(ダーウィニズムのような)形而上学的説が必ずしも悪いと言うわけでもない」とコメントしました。このとりとめのないエッセイは、「一般人の多くは進化論に対して懐疑的であり、博物館はこの論争に光を当てるべきだ」と記し、この騒ぎを鎮めようと試みたのです。
しかし、ネイチャーのこの記事は、ダーウィニズムが、信仰的とも言える形而上的理論によって成り立っていることを認めています。また、一部の学者がダーウィニズムを疑う根拠について、博物館は一般人にもっと教育をするべきだとも解釈できます。ダーウィニストをなだめるどころか、ますます怒らせてしまったのです。その後も論争は続きましたが、最終的に博物館がプレッシャーに屈して、展示の大幅な変更を余儀なくされました。
同年、博物館の古生物学者コーリン・パターソン博士は、アメリカ自然史博物館での講義で、創造論も進化論も、科学的には空虚な概念であり、信仰に基づいていると述べています。
創造論が空虚である理由は、実際に神がどう宇宙や生物を作ったのか、そのメカニズムについて何も述べていないので、科学的ではないと言うものです。しかし、パターソン氏は、進化論のメカニズムも証明されておらず、同じだと言うのです。ちなみに、IDは、進化には本質的に知性が必要だと言う説で、その知性は神でも宇宙人でもいいのですが、メカニズムについて何も述べていないと言う点では創造論と同じです。
ダーウィニズムの代替案を模索する学会はもう何十年も前から開かれていますが、最近の有名な会議をご紹介しましょう。
2016年、由緒あるイギリスの王立学会は、ダーウィニズムに替わる大(マクロ)進化論の必要性を唱える学者を集め、「進化生物学の新トレンド」と題する学会を開きました。しかし、特筆するべき発表はなく、ハフィングトン・ポストも、「なぜ皆の時間と金を無駄にしたのか」と酷評しています。
プレゼンターを何人かご紹介しましょう。プレゼンターはすべてダーウィニズムに反対する進化論者であり、ID学者ではありません。また、ここで引用した記述は、必ずしもこの学会での講義内容ではありません。
開催者の一人、オックスフォード大学のデニス・ノーブル教授は、ダーウィニズムは死んだと述べた故リン・マーギュリス博士の言葉を引用し、ダーウィニズムは改善を必要としているのではなく、それにとって替わるものが必要だと述べています。
「淘汰には革新的能力はないので、既存のものを廃絶あるいは維持することしかできない。したがって、形態学的進化の生成と秩序化は、進化論にはない。」(ゲルト・ミューラー博士)
「進化が、ダーウィンが述べたような、微細な変化の多くの積み重ねによって進行するという説と明確に一致する証拠は、ほとんどない。一方で、突発的に起きるという明確な証拠は存在する。」(シカゴ大学ジェームズ・シャピロ教授)
このような例を挙げるときりがありませんので、このくらいにしておきますが、次回は、これらの疑惑の根拠について、簡単に話したいと思います。
武漢の女性の波乱万丈人生
私はハワイの教会でボランティアですが牧師をしています。家の教会と言って、せいぜい10人程度で、増えると株分けするという形で増殖していきます。私たちの教会は日本人が多く、その多くが日本に帰りますので、ハワイではなく日本で増えました。私はそれらの教会のまとめ役のようなものですが、大してすることもないので、ボランティアで済むのです。
しかし、松山で母の介護をするようになり、ハワイの自分の教会に参加できなくなりました。当時はコロナの真っ只中で、どこの教会もオンラインで礼拝していたので、私もそうしましたが、いつまでもズームでやっているわけにはいきません。
私の教団のハワイ教区牧師はキモさんと言う日本生まれのハーフです。教区牧師と言うのは、自分の教会はないが、教区の牧師たちの牧師、つまり牧師たちを世話する仕事です。
彼も自宅近くの教会に通っていますが、ただ礼拝に参加するだけで他に特にすることもなかったので、私たち同様、家の教会を始めたいと思うようになりました。去年、私がどのように始めたか知りたいということで、相談を受けたのです。他にも始めたいという人が何人かおり、それらの教会のネットワークを作りたいということでしたので、私の家の教会もそれに合流することにしたのです。と言うわけで、私もハワイに帰ると彼の家の教会に通うようになりました。
ある日曜日、キモさんの知り合いで、中国に宣教師として行ったダイアンさんが、中国でクリスチャンになった若い女性と一緒に礼拝に来てくれ、その女性の話を聞くことができました。リウフイフイさんと言いますが、アリアと言う英語名を使っています。興味深い話でしたので、共有したいと思います。
彼女は、コロナですっかり有名になった武漢からそう遠くない村で生まれ育ちました。中国は、当時一人っ子政策でしたが、田舎では施行されていなかったそうです。アリアさんの兄弟は、姉と双子の妹がいましたが、中国では、社会的にも法律的にも男の子がいた方が有利なので、お父さんと彼の母親は、女の子しか生まれなかったことを、アリアさんのお母さんのせいにしていました。
お婆さんは、まだ幼いアリアさんと双子の妹を何度も殺そうとしたそうです。冬のある晩、母親に気付かれないように二人を外に連れ出し、雪の中に置き去りにしたそうですが、お母さんが気づき、助けに来てくれたそうです。肥溜めに落とされて、近所の人に助けられたこともあったとか。一度は、林の中に置き去りにされて、野良犬の餌食になる所でしたが、お母さんに発見されるまで、洞穴に隠れて助かったこともあったそうです。
その後、弟が生まれましたが、三姉妹の艱難は続きます。お姉さんは歳が一歳しか離れていなかったそうですが、遠い中学校の寮に3人も入れるお金がなかったのです。そのため、テストで一番良い成績を取った子だけが行かせてもらえることになりました。
妹は当日体調を壊してテストを受けませんでした。姉たちに遠慮しただけかもしれません。お姉さんは99点、アリアさんは100点満点でした。お姉さんは、自分も中学に行かせてほしいと懇願したそうですが、その願いは聞かれませんでした。お姉さんと妹は武漢の工場で毎日10時間、立ちっぱなしの厳しい労働生活を強いられました。
寮は夜10時が消灯でしたが、アリアさんはその後もトイレで電気をつけて勉強しました。中国では左手で文字を書くことが許されていないらしく、左利きのアリアさんは苦労したそうです。学校に行けなかった二人の姉妹の分も勉強し、非常に良い成績でしたが、大学受験で落ちてしまったのです。
実家でその報告をしたとき、お父さんはテーブルの上に除草剤を置いて、飲んで自殺しろと命じたそうです。お母さんも、死体を入れる袋を持ってきて、早くしなさいと促したそうですが、他に入れてくれる大学があれば、一生両親の面倒を見るからと約束して、許されたそうです。
幸い、別の大学に入学でき、祖国が嫌いで、外国に憧れていたアリアさんは、英語を専攻しました。アメリカ人が経営していたレストランでアルバイトするようになったのですが、それが、ダイアンさんが経営するアロハ・レストランでした。人気メニューはロコモコだったそうです。
ダイアンさんは、アリアさんのことをよく褒めたそうです。奇麗だとか、立派だとか、今まで言われたことのなかったアリアさんは、なぜダイアンさんはこんなにいい人なのか、不思議に思うようになりました。
彼女がクリスチャンであることを知ったアリアさんは、キリスト教のことをもっと知りたいと言ったところ、ダイアンさんは聖書をくれたそうです。しかし、読んでもさっぱり分からず、眠くなるばかり。ある晩、アリアさんは、「イエス様、あなたが本当にいらっしゃるのなら、姿を見せてください」と祈って寝たそうです。
その晩、まぶしい光が現れ、夢ではないかと思った左利きのアリアさんは、左手で右手をつねってみました。確かに痛い。夢ではないと気づいたアリアさんの前に、5人の天使が現れたそうです。真ん中に立っていた天使が、「恐れることはない。神はあなたを愛しておられる」とだけ告げて、彼らは立ち去りました。翌朝ルームメイトに聞いても、彼女たちは何も知りませんでした。
アリアさんは、自分が愛されているのだから、自分も人を愛なければいけないと思い、母に電話して、I love youと生まれて初めて言ったそうです。長い沈黙の向こうで、お母さんがすすり泣く声が聞こえてきました。お正月に帰省して、家に入っていきなり、お父さんに抱きつきました。お父さんは困惑した様子だったそうですが、今まで視線を合わせることさえなかったお父さんとのしこりが、一気に溶け始めました。
アリアさんの兄弟は、全員クリスチャンになったそうで、弟さんもアロハ・レストランで働いたそうです。ご両親は改宗したわけではありませんが、いつもダイアンさんは元気かと聞いてくれるそうです。アリアさんも、二人の面倒を見るという約束を果たすことができ、お父さんは生まれて初めて自家用車を持つことができました。
その後アリアさんは、ある宣教師夫婦の赤ちゃんのベビーシッターをするようになりました。生命尊重団体で活動するようになり、中絶を検討していた女性や夫婦の相談相手になって、159人の胎児の命を救うことができたそうです。それがきっかけで、赤ちゃんを産んだこともない彼女が、子育て相談に乗ったり、夫婦のカウンセリングをしたりするようになりました。ベビーシッターの経験が役に立ったのでしょう。
アリアさんが通っていた教会は、600人ほどの信徒さんがいる地下教会でした。ここ数年、迫害が厳しくなり、教会堂が壊されたり、クリスチャンが刑務所に入れられたりすることが増えたそうです。アリアさんの教会にも、刑務所から出られない牧師さんがいるそうです。中国政府としては、習近平以外のものに忠誠を誓う人がいたのでは困るということなのでしょう。
政府の意向とは裏腹に、信じるなと言われれば人は余計に興味を持つようになります。彼女の話では、中国では約10人に一人がクリスチャンだそうです。もう10年以上前、日本の有名な週刊誌に、中国のクリスチャンが1億人に達したという記事が大きく載っていましたが、それに近い数です。また、タイムズ誌の北京支局長を務めたデイビッド・エイクマン著Jesus in Beijing(2003年)にも、同様の記述があります。
以前は全員集まって礼拝をしていたのですが、迫害でそれができなくなり、今は私たち同様、隠れて家で教会をしているそうです。一か所10人程度で、現在62か所あります。アリアさんは、月末、迫害の待つ中国に帰られました。
