バブル崩壊による『失われた10年』の要因は、デフレとバランスシートの調整(企業の過剰債務と銀行の不良債権問題)といわれています。私は後者のバランスシートの調整が主因だと思っています。
大蔵省(現財務省)の指導で、PKO(株価維持活動)を強いられた証券会社は、大口の顧客、主に金融法人(金法)や事業法人(事法)に株式売却を自粛するよう要請しました。しかし、ご存知のとおり、株価は小口の売りでも買い手がいないと下がるのです。
もう一度、ブラック・マンデーに話を戻します。ブラック・マンデーの時もそうでした。前日(1987年10月19日)、ニューヨークの株が暴落しました。ニューヨーク市場では、出来高を伴って株価が下がりました。一方、翌日の東京市場、同じく大きく下げましたが、出来高は少なかったのです。この時も、大蔵省がPKOの指導を発令していたのです。だから、買いも少なかったが、売りが少なかった。でも、このときは、バブルの初期で日本経済のファンダメンタルズも良好だったのです。六ヶ月でブラック・マンデー前の高値を更新できたのもそのためです。
バブル崩壊時も同様、事法などは株を売りたいと売り注文を証券会社に出していましたが、証券会社は大蔵省の指導に従って、売らせませんでした。しかし、前述したとおり、小口の売りでどんどん日経平均は下がり続けました。
この大蔵省の指導で何が起きたかというと、売りたいときに売れなかった事法が文句を言い出したのです。大蔵省の指導したPKOは完全に失敗しました。
事法は、「あの時、売らせてくれていたら、損失はここまで大きくならずに済んだのに、どうしてくれるんだ」と、証券会社に怒鳴り込んだのです。
証券会社は、大蔵省に相談しました。「指導に従って、売りを自粛してもらったら、顧客の事法からクレームが出ているのですが、どうしましょう?」。
大蔵省は一言、「問題を大きくしないようにしてくれ」。
証券会社は、この大蔵省の一言で、主な大手事法に損失補てんをしたわけです。
もしも、バブル崩壊時に大蔵省がPKOの指導をせずに、売りたい人に、好きなように売らせていれば、証券会社は損失補てんせずに済んだし、バランスシートの調整もアメリカのように2年弱とは言いませんが、もっと早くバランスシートの調整は完了していたと思います。もしかしたら『失われた5年』くらいで済んでいたかもしれません。
このときに証券会社は、自己資金で損失補てんをしました。しかし、これが株主に対する背任行為だということで制裁を受けました。
しかし、自己資金でなく顧客のお金を使って損失補てんをしていた金融機関があります。このことは、公にはなっていません。また、機会があったら書こうかなあ・・・。
バブル崩壊による『失われた10年』の要因は、バランスシートの調整が主因。バランスシートの調整を遅らせたのが、大蔵省の指導(PKO)です。株式も不動産も、市場に委ねるべきでした。