難聴のプロセス 38

201731日に突発性難聴を再発して仕事を辞めてから、5ヵ月間も、遊んでいました。

 毎日パソコン三昧。パソコンに溜まりまくっていたデータを整理して、DVDに保存してスッキリさせることに精を出していました。

 パソコンに向かって現実逃避していた感じ。

 5ヵ月間の、辛かった日々。

ちょうど、実家に引っ越して両親と同居を始めたばかりの頃で、かわいい息子たちと離れて暮らしていて淋しくてたまらないし、実家暮らしは気を遣って窮屈で居心地が悪いのです。なんて贅沢でバチ当たりなこと言う! 

いい年した大人なのに、年老いた両親に経済的にお世話になっている負い目、ニートと言う年齢でもないし、情けないったらありゃしない。

傾聴こそが私の役目だと思って、一生懸命集音器や補聴器で母のお喋りに付き合っているうちに、聴力はどんどん悪化していきました。

聞こえなくなったので、母の話が聞けなくなりました。

でも、逆かもしれない? 母の話を聞きたくないから、聞こえなくなったと、心理学的に言うとそうなるかも?

 

それはそうと、せめて国民保険料と国民年金料だけでも自分で働いたお金で支払わなければと思い、再就職したいと考えていました。

それでハローワークには4月から通い始めていたのですが、内心すぐに就職するつもりはありませんでした。おっと、これは口にしてはいけない。ここだけの話。ハローワークで雇用保険の給付金を貰うためには、今すぐに就職できる状態でなければいけないのです。

すぐに就職できないからこそ、給付金が欲しいんじゃないかー! 

と思うのですが、そうじゃない。就職する意志がない人には、給付金は出されないのです。

 私の希望職種は介護職なので、健聴だったらすぐ、明日にでも採用されてしまうでしょう。でも、何しろこの耳です。面接で落ちることは想像に難くない。

 だから、まず障害者認定して貰って補聴器を給付金で買って、それから就職しようと計画していました。

 

 ハローワーク通いは、失業中の身には、一種の張りをもたらします。ハローワークに行くと言えば、後ろめたさを抱かずに堂々と出かけられるし。

 ハローワークとセットになっている思い出は、IKEAです。よく帰りにIKEAに寄り道して遊んで帰ったのです。

 IKEAって、ディズニーランドのイッツアスモールワールドに似た面白さがあると思わない? 歩いていて場面が次々に切り替わっていくところが。

 中間地点にあるレストランで昼食にします。普段一人でレストランに入る勇気はないけど、ここは難聴でも大丈夫。

 そして母にお土産にスウェ―デンのジンジャークッキーを買って帰ると、おいしいと喜んでくれるので、いつも買って帰ります。

 

 障害者手帳が交付されると、ハローワークの障害者登録をして、障害者用の窓口になります。

それまでの間は一般の方に行っていたので、聞こえなくて苦労していました。

 その時のエピソードの一つがこれ。

「昨日、ハローワークに行ってきました。でも、待っている時に名前を呼ばれても聞こえなくて困るので、聞こえないと書いた紙を、書類に添えて出しました。それが、白い紙ではなく、ピンクの紙にして正解でした。なぜなら、職員の持っている紙の色を見て、次は私の番だとわかることができたからです」

 これは、手話講習会で私が手話で話したことです。

 でも、一般の(上から目線の)窓口と違って、障害者用の窓口の職員はとても親切でした。

 

 手帳も交付されたし補聴器も買ったし、そろそろ本気で就職活動しなければなあ~と思った時は、もう7月末になっていました。

 あ~、働きたくないなあ~、暑いし~。

 怠け心にドップリ浸かっている毎日。でも、ずっと家にいるのもストレスになるし、かといってフルタイムで働いたら同居した意味がなくなるし、家庭と両立できる程度に働きに行こう。

 まず履歴書を書かなくちゃ。

 10年前に北海道から出てきて就職活動をした時には、まだ履歴書はB5サイズの手書きが主流でした。でも今や、時代が変わって、パソコンで作っても良くなっていたのです。字がヘタな私には打って付け。それでパソコンでテンプレートをダウンロードしてワードにコピペしてA4で作成しました。

 そしてハローワークに行って、パソコンで求人検察をしてみると、障害者枠で検索すると、ない! 介護なのに、ない!

 試しに一般で検索してみると、あり過ぎる! 条件をうんと絞っても20件くらい出てきて、よりどりみどり。

 有料老人ホームで8年間のスキルと介護福祉士国家資格もあると言ったら、もう明日から来てくださいってなること間違いなしです。

 でも、難聴です…。

 前の職場では、本社の方針で難聴だと身体介助はさせて貰えませんでした。もし事故があった時に、関係なくても、耳が聞こえなかったせいだと家族からクレームになる恐れがあるから、と言われたのです。

(だから難聴だとバレないように、聞こえてるフリをして働いていました。もっとも、聞こえてるフリができるくらいだから、今よりずっと聞こえてたのよね)

私は障害者枠でしか働けないんだと、思い込んでいました。

でも、障害者枠っていうけど、障害者にもいろいろあるのに、なんで一括りにするのかなあ~? 障害者を募集している所は、障害者にいったい何を求めているのか?

もし障害者枠で介護施設に採用されたとしても、掃除とリネン交換だけしかさせて貰えないかもしれないし、だったら別に介護施設じゃなくてもいいんじゃない?

もう全然違う職種でもいいかな~? とも思いましたが、違う仕事を一から覚え直す勇気が湧いてきません。

同じ障害者でも、聴覚障害者はパラリンピックに出られないくらい健常者に近いし、だから聴覚障害には1級もないし、そう考えると、聴覚障害者なら一般枠もアリなのではないか?

難聴者だと、コミュニケーションを取るのが難しいと思われるだろうけど、耳が聞こえてても、コミュニケーションが全然取れない人っているでしょう?

それに、NHK「ろうを生きる、難聴を生きる」を見て驚いたことには、耳が聞こえない医者がいる事実でした。生死に関わる医療現場なのに、聞こえなくても医者ができるとは!

それだったら、介護だってやっても良いのでは!?

そう思って、試しに4件くらい求人票をプリントアウトして、障害者窓口で相談してみました。ダメ元で。前に一般窓口で相談した時には、障害者枠じゃないと紹介できないと断られたことがあるので。

ところが今度の障害者窓口の人は違いました。

「これだけ補聴器で会話ができるのなら、大丈夫でしょう」

 と言われて、紹介して貰えることになったのです。でも、一般枠だけど私が難聴だということをちゃんと先方に伝えて、それでも良いかどうかを確認して欲しいと希望を出しました。

 その結果、早速明後日と明々後日に、2件面接に行くことが決まったのです。

 急展開です!

 まさかこんなに早く面接の日が決まるとは!

 まあ、行ってみてダメならダメでいいやあ~、と気楽に行くことにしました。

 あっ、しまった、夏用就活スーツ持ってない、どうしよう…。

 つづく

 

   

 

これらは私がチョイスした、或る日のイケアのランチメニューです。

どうでもいいけど撮ってあったので載せてみました。