聞こえないパフォーマー・もりおか見帆

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2014年以来、更新が止まっていたこのブログ。

数年ぶりに再開したのには、理由があります。

 

それは、過去に感じた「不燃焼」な想いを、

自分らしい表現に変えることで、

「これでいい」と心から思えるようになった経験を、

今度は私があなたに届けたいと決意したからです。


かつての私のように、

自信を持てず、

自分の言葉で語ることができずにいるあなたへ、

心で感じたことを表現するヒントを、

これから発信していきたいと思います。


「このままでいいのかな」


毎日同じことの繰り返しで、情熱を傾けられるものがなく、

心の中にモヤモヤとした燻りを感じている――。

 

今からおよそ9年前、

2016年の私は、まさにそんな「不燃焼状態」でした。


2007年から生け花を始めて9年が経っていましたが、

当時の私は仕事で息苦しさを感じ、

自分の本心を見失っているかのようでした。

 

聴覚障害関連の活動を縮小し、

仕事と家庭の両立に追われる日々。

 

会社では総務部に在籍し、

毎日変哲のない業務をこなすことに終始していました。

 

過去の写真を振り返ると、

実母と尾瀬へ、夫と軽井沢に行っている思い出が残っていますが、

それも心の中のモヤモヤを解消するには至りませんでした。


そんな日々の中で、私はこの作品を生けました。





この作品で先生から教わったのは、

手前のカークリコという葉の使い方です。

 

「まるで大地に根を張っているかのように、

2枚の葉で全体の流れを大きく受け止めてみましょう」

とおっしゃった先生の言葉が、今でも心に響いています。


当時の私は、目の前のことに必死で、

自分の内側にあるモヤモヤには無自覚でした。

しかし、この作品を生けながら、気づいたのです。



この大きなカークリコは、まるで私の「不燃焼状態」

そっと受け止めてくれる 器 のようだ、と。


自分が気づかないところで、

私を支え、包み込んでくれる存在が、いつもそこにある。

そう感じた時、心がじんわりと温かくなるのを感じました。


完璧な自分を目指す必要はありません。


たとえ心の中にモヤモヤがあっても、

立ち止まってしまうことがあっても、大丈夫です。

 

私たち一人ひとりを支え、

ありのままの自分を受け止めてくれる器のような存在は、

必ずどこかにあります。

 

大切なのは、それに気づくこと。

 

その気づきが、

自分を「これでいいんだ」

肯定する第一歩になります。


次回の投稿では、

この作品に使われているもう一つの花、

野ばらについてお話ししたいと思います。

 

この野ばらは特徴ある枝に実をつけ、

その姿はまるで自然が描いたアートのようです。

 

野ばらの持つ力強さと美しさには、

私自身の「不燃焼状態」を乗り越えるための

重要なメッセージが秘められていました。

 

次回では、

この野ばらを通じて得た気づきをシェアし、

あなたにも新たな視点をお届けできればと思います。

お楽しみに!
 

 

地域の中途失聴・難聴者協会の皆さま、

昨日の定期総会はお疲れさまでした。


今日は東京都でも

理事会&定期総会があります。


これまでの浅い経験に加え、

会員の意見を聞いたりいろんな考えが通過したりするかも。


頑張るという言葉は好きではないが、

原点に返ってマイペースに!もうひとふんばりしてきます。


(目黒自然教育園にて撮影)



「 余白に美を感じ、自然から学ぶ 」


【 本日の花材 】

 ・リョウブ
 ・ソリダコ
 ・カンパニュラ


リョウブは多くの葉をつけているため重たく見えてしまう。
バランスを考えながら葉を取り除くことで、あたかも風が入ってくるようなイメージにした。

その足下をピンクと紫のカンパニュラでまとめてみた。全体的に可愛く仕上がったと思う。

ソリダコ(右後方の花)はなくて良かったかも。


余白というのは対象となる部分を引き出すための演出効果であると考えている。
日本ではあえて描かない部分の構図または構成をどうするかが重要なところだと思う。


いけばなの世界では、刻々と変化する花の姿を見て学びを得るという考えがある。
花が多すぎると一輪一輪の花の移ろいを愛でることや余白の美を味わうことができないそう。


ここに日本人の美意識や哲学が凝縮されているのである。


4月5日(土)


今日はマリアの退院日。


12日ぶりの休日に、
生理痛も重なって…ダウン。


ゆっくり休養をとり、
夕方、純を連れて動物病院へ。


執刀医から診断について具体的な説明が。
血管にも障害が見られたとのこと。


血管…はて?


イメージしにくいが、
胆嚢は肝臓の真上に位置しており、
血管は肝臓から胆嚢へ循環している。


肝臓から血管が左右に分かれる。
そして角度90°で上に向かってぐるりと循環する仕組みになっている。


そこで、胆嚢に粘度の高く固い物質がいっぱい詰まり、
3cmも肥大化すれば…角度90°の部分がその重みのためにペコッと折れてしまう。

となると、血液が通らなくなり酸素を送れなくなるので、胆嚢が壊死することに。


ああ、なるほど。。


ともあれ、胆嚢はなくなっても大丈夫な臓器であること。


ただ、胆嚢を摘出したため、
外から取り入れる物(食べ物)の循環が変わるので、
身体が慣れるのに時間がかかるそう。


そして、お通じもゆるくなること。


もう一度、血液検査を受けることを勧められ、
1週間ぶりに退院ドキドキ


お台場へ行き、夜桜を堪能し、
行きつけのお店でマリアの退院を祝った。


こうして、、


慌ただしい年度末・年度初が終わったのである。








4月3日(木)


明日は用事があり行けないので、
今日もマリアとの面会に行った。


昨日とちがって、
マリアの目に輝きが戻り、ママはとても嬉しかった。


来週の土日には抜糸できるそう。
それまでトリミングはおあずけね。