「日本死ね」のブログ炎上で待機児童問題が国会で取り上げられ、マスコミの後押しもあって社会問題となりました。与野党ともに待機児の解消には保育士確保が必要として、給与改善を掲げています。確かに、待遇改善は歓迎すべきことでしょうけれども、人材不足は医療や介護現場も同じで、短兵急に給与を引き上げしても人材を確保することは至難です。ここ数年、待機児童解消のために大都市部を中心に相当な認可保育所が新設されてきましたが、待機児は増えるこそすれ、一向に減少していませんが、その要因は、国の子ども・子育て政策の転換によって保育所の入所基準が緩和されたことにあります。当初、政策転換の主眼は「子どもの育ちを支援する」ということにおかれ、親の就労支援施設の性格が強い保育所と幼児教育施設である幼稚園を一体化させ、保護者の就労に関わりなく、子どもの年齢に応じた育ちの支援を実施するとするものでした。ところが、霞ヶ関の既得権益争い(厚生労働省と文部科学省)と政権交代のドタバタによって『子ども・子育て政策の転換』はダッチロールし、制度がほとんど変わらない中で保育所の入所基準だけが緩和され、少子化による就労人口の不足を女性の活躍で補うとする政府方針もあって、本来、幼稚園に入園する子どもたちまで保育時間の長い保育所に流れているのが実態です。保育所は平成22年の保育指針改定によって親の就労支援施設から子どもの育ちを支援する施設に変貌しており、保育士に求められるスキルが飛躍的に高くなったことによるストレスが、短期間での離職につながっている面は否定できず、施設の増設や給与の改定で待機児童の解消ができるとは思えないのですが・・・。
JFしまねの理事で平田地区運営委員長の佐藤英則さんが3月26日に急逝され、3月28日午前11時から葬儀が執り行われました。昭和24年7月生まれの佐藤さんは、初夏から初秋にかけての素潜りでのサザエ・アワビ猟が名人級と称されるほどの現役バリバリの漁師でした。
出雲市美保町は斐川一畑大社線から集落に通ずる道路脇一帯にソメイヨシノが植えられており、間もなく盛りを迎えますが、桜木の下に停まる「北浜地区安全パトロール隊」のステッカーが貼られた紫色の軽トラックを目の当たりにすると、車上からやさしい眼差しで地域の子やお年寄りを見守る佐藤さんの姿が目に浮かび、寂寥感が深まります。
佐藤さんの生き様は吉田松陰が遺した「至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり。誠ならずして未だ能く動かす者はあらざるなり」とする言葉の通り、まごころを尽くして人に、物事に向き合う姿勢が周囲の信頼と衆目を集めた、まさに「至誠の人」と呼ぶに相応しいものでした。いつも、丁寧で、穏やかな口調の言葉ながら、島根半島西部地域の漁村や漁業の行く末や漁港の整備のこと、塩津の小学校のこと、シカの駆除のこと、荒廃が進んできた山林のこと等々、「何とかしたい」という強く、一途な意志が感じられました。
ここに、今日までのご高誼に深く感謝するとともに忽然として愛する美保の海の上から旅立たれた佐藤さんのご冥福をお祈りいたします。合掌
3月27日、出雲市立佐香小学校の閉校式が執り行われ、140年余の歴史にピリオドがうたれました。佐香小学校は、明治7年4月創立の小伊津小学校、同7月の坂浦小学校、明治10年12月の三津小学校の3校が明治38年4月に統合されて創設され、今日までに5092名の卒業生を送り出してきましたが、高齢化と少子化によって近年とみに児童数が急減し、今年4月に隣接する久多美小学校と統合「さくら小学校」として新たな歩みをスタートすることになりました。閉校式で挨拶した出雲市の長岡市長は「晴天の日には隠岐の島々が望める風光明媚な佐香小閉校は時代の流れとは言え感慨深いものがあるが、児童が新しい環境になじめるよう最大限の配慮を行う」などと挨拶しました。式典には3月18日に卒業した児童を含めた38名全員が顔を揃え、卒業生の地域住民や行政関係者や旧職員など300人を超える人々が参席しまし た。式典終了後には卒業生で組織する記念事業実行委員会(土江宣行会長)、によって記念碑の序幕やさよならパーティが開催され、卒業生の「さよならメッセージ」の放映や児童によるミュージカルの披露などがあり、別れを惜しみました。