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日々、徒然なるままあるがまま。


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3月19日から25日まで高松の実家に帰省した。

木造の古い家は四国でも寒いので、
年末年始には帰らず
子どもの春休みと夏休みに帰るのが恒例。

帰りの寝台特急「サンライズ瀬戸」のチケットは1ヵ月前から
父が取ってくれて、めずらしく予定をたててた旅なんだけど、
西に逃げたのかと思ったと何人かの友人には言われた。

確かに福島原発から700キロを越えた四国では
放射能騒ぎとかはわりと他人事のような感じだったな。

世界地図で見るとあんなに近いのにね。

母は、上の子が私のお腹にいて里帰りしているときに突然死。

その後父は一人っきりで人生を謳歌している。
フルマラソン走ったり、海外旅行したり。
『ローマ人の物語』を読破し、4月4日にはローマに旅立つ予定。

一方私は、行ける時には無理しても行ってしまおうというのが帰省の原動力。

突然誰かを失ったことがある人にはこの思いわかってくれるかな。

実家では、ホント申し訳ないくらい上げ膳据え膳。

家事に追われている私を慰労してやろう
というのが父の思惑なんだけど。

ごめんなさい。普段もそんなにがんぱってませーん。

でも、せっかくだから甘えることにしている。
朝のお味噌汁もたらこスパゲティもブルーチーズ入りのサラダも
ちらし寿司も絶品なのだ。

いつになく長居した帰省だったけど、
娘待望の寝台特急でバイバイ。

楽しみにしてたのに、娘は熱を出しちゃって残念。

いつまで続くかなこの帰省。

子どもたちも大きくなったしね。


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 サラダに入れてくれたブルーチーズ


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  21時26分高松発、翌日6時44分横浜着


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 シングルツインの個室。朝日がキレイだった






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3月22日23日、愛媛県松山市の道後温泉界隈へ取材に行きました。

高校、大学と過ごしたこの場所は特別な思い入れがあるところ。
仲良しの友人Cちゃんのはからいで、とっても有意義な滞在でした。

初日は
道後温泉の外観の写真を撮り、
「夢かたり」で地元食材を使った会席ランチを食べ、
皇室御用達の老舗旅館「ふなや」におじゃましました。

肌寒かったのであちこちにある無料の足湯で
ちょっと一息。
Cちゃんはわざわざタオルを取りに帰ってくれた。

実はCちゃん、道後商店街にある銘菓「六時屋」の美人若奥さん。
すっかり道後の主(?!)となったCちゃんにはお世話になりました。

いよかんソフトクリームはおいしかったよ!
アイスもなか(¥100)も捨てがたかったけど。

2日目は
「坂の上の雲ミュージアム」でお話を伺い、
「山の手ガーデンプレイス」でランチ。

近くに住んでる弟一家と高校時代からの悪友Mちゃんも一緒に。

突然「今晩泊めて~」と言われた弟のお嫁さんは、
ひえ~と思ったか、またかと思ったか・・・

いずれにしても、松山の人はみんなのんびりほんわかで
あったかいです。

今度はもっとゆっくり滞在したい。
来る時は前もって知らせてね
という友人たちの言葉を忘れずに。


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   「夢かたり」の会席ランチ

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「六時屋」道後店のいよかんソフトクリーム

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  市内電車¥150。坊ちゃん電車¥300

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懐かしの彼が作ってくれたカクテル











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3月16日、「ちろりや」というコーヒー豆屋さんにパンを持って行きました。

「ちろりや」さんは、コーヒーの他に紅茶やフェアトレードのチョコ、
雑貨なども売っている楽しいお店で、
2週間に1度ジュリアンロードのパンを置いてくれています。

地震(もしくは停電)の影響で、なぜか近所のお店にパンがなくなり、
「たくさん焼いてくださーい」
と言われたので、たくさん焼きました。

でも、内容はいつもと同じ白パンとクルミ・レーズン入りの
自家製酵母パン。

さっそく買ってくれたお店近くの友達から
メールが入ったのはうれしかったな。

今、お店にものがなかったり、停電したりすることは
私にとってはどうでもいいことであったりします。

多くの若い人たちも実はそうだったりするんじゃないかな。

ホントはこんな物がありすぎて便利すぎる生活は
いらなかったのかもしれない。

ちょっとくらい不便な方が人間やる気がでるのかも。

今回のことでいろんなことを考えすぎて
私はまだ体が日常に戻れないでいます。

それでも、みんながいろいろ考えているうちは
マシなのです。

一番怖いのは、
1年経ってみたら何事もなかったかのように
日常が営まれているのではないか・・・

ということ。

テレビを消してパソコンのスイッチを切ると
少なくとも私の生活は以前と変わりません。

そうやってみんなが、今回のいろいろなことを
忘れてしまうのがとっても心配です。

報道されていることは今現在でも現実のほんの一部だし、
今後震災や原発に関する報道は確実に減っていきます。

でも、それは今回の事実がなくなったということでは
ありません。

それを忘れないでいたいし、長い目でみた今後のあり方を
前向きに考えないといけないなぁと思っています。

そういうもやもやにさいなまれている人がいたら
ぜひ、思いを分かち合いたいな。







~その2からのつづき~

ろうそくの灯りでお好み焼きを食べていたら、
21時ごろ電気がつきました。

ケータイを充電して東京駅で夜を明かす予定の
息子に連絡。

電話は通じなかったけど、
心もとないながらメールのやりとりはできるもよう。

深夜には都心の地下鉄は一部動き出したものの
ウチまでは帰れそうになく
東京フォーラムの廊下で一晩すごすことになりました。

ま、甘っちょろい高校生には良い経験でしょ。
人助けしてね。

とまぁ一連のそれが落ち着き、
3月15日の本日、ウチの日常にはそれほど困ったことは
ありません。

お店も開いてるんだか、閉まってるんだか
だけど、飽食の時代、物あふれの時代
まぁ、しばらくはないないづくしを味わってしまおう・・・
などとのんびりかまえています。

それでも、通勤に電車を使わないといけない人たち、
個人商店の人たちや仕事が滞って生活に支障が出る
人たちは、これからどうなるのか不安だろうなと思います。

原発反対、文明社会反対と、主張するだけならある意味簡単だけど、
じゃあもろもろの問題をどういう風にもっていくのかを
考えないと、自分本位の単なる感情論の押しつけになるだけで
全くの解決にならないだろうなぁ。

昨日、原子力関係で働いていたという年上の友人から
電話がかかってきました。

これからの日本を考える「大人」の一人として、
私も真面目に考えていきたいと思っています。


~ひとまずおわり~




~その1からのつづき~

車を運転しての帰り道でも揺れました。

橋の上でゆらんゆらんと揺れたときには
落ちるなら渡ってからにして~
と思いました。

ラジオからは
「○時○分津波到達予定です。海辺の方は避難してください」
のひっきりなしの放送。

それなりに渋滞したので、時間はかかりましたが、
無事ウチに到着。

信号は1個をのぞき、全部消えていました。

ウチはもともと散らかってるので、地震のせいだか
何だかよくわからなかったけど、
物が落ちたりはしてなかったような感じ。

水は出るし、ガスもOK。

停電はしばらく続きそうだなぁ。

度重なるサバイバルキャンプの経験から、
食料よりも灯りというのは身にしみているので、

まずはキャンプ用のランタンを探し、
懐中電灯とろうそくも。

暗くなってもつまづかないように
足の踏み場もないリビング(地震のせいではない)を片づける。

電源のいらない灯油のストーブにしたのはこの日のため。

寒いのは苦手だからね。

暗いなかでお好み焼きを作ったら、
水を入れすぎてもんじゃのようなお好み焼きになった。

娘愛用のヘッドランプ借りたんだけど。

でも、キャンドルナイトのお好み焼きはいつも以上においしかった。

食後、どうしても灯りのない町並みを見たかったので、

気乗りのしない娘を連れて高台へ。

でも、車のライトはついているし、
どうやら隣町は停電してないようで、
真っ暗ってことはなかった。

それでも、星がとってもきれい。
ハワイ島のマウナロアで見た星空みたいでした。


つづく