Brack Music The Lgend Ⅱ
Nat‶king"Cole(ナット‶キング″コール) ‶キング″はアメリカで愛称を冠した名前が 定着した。
それだけ愛されていたにもかかわらず、1919年生まれで1964年に人気が不動のものになって、絶頂期の その矢先に45才で急死してしまった。
先ずはとても音楽一家で、父親はパブテスト協会の牧師でゴスペルも歌っていた、母親はゴスペルのオルガン奏者で 当然にコールは 小さいうちから 母親からピアノを習って、アッという間に天才ぶりを発揮し、大人になって、 本格的にJazz ピアニストになり、ナット‶キング″トリオというJazzトリオのブームの 先駆けを作った。 それまではピアニストに専念してボーカル・シンガーではなかった。、
ある時、人に勧められて、ピアノの弾き語りをしたところ、艶のある美声と、やさしく歌う 素晴らしさで、誰もが癒された。
トリオからソロにも転向してJazzのフル・オーケストラで、ジャズ、ブルース、ポップス、バラード、ラテン、クリスマス・ソング、スクリーン・ミュージック、又日本でのコマーシャル・ソング。 なんでも歌いこなす天才的 ブラック ミュージック ボーカリストとして、とにかく やさしい歌声は世界中のファンをとりこにした。
数多くのレパートリーがあり、およそ300曲も歌いこなした
L-O-V-E
Star Dust (スターダスト)
(Get Your Kicks On) RUTE 66 (ルート 66)
Too Young (トウー ヤング)
Nature Boy(ネイーチャー ボ-イ)
Qisath Qisath Qisath (キサス キサス キサス)
多くのCrismas Song (クリスマス ソング) 等々
アメリカでも日本でも 多くの歌手にカバーされたり、他のスター・シンガーのリスペクトをあつめた。 とにかく日本人にとっても わかり易く、優しい歌い方で、日本に何回もく来るほど 大の親日家だった。日本では親しみを込めて、‶ナッキンコール″と呼ばれてレコードもよく売れた。東京赤坂の高級キャバレーの「ニューラテン クオーター」で有名なデイナーショーを催うして、録画放送そしてレコーデイングして大ヒットした。
又美空ひばりも大フアンで コールの追悼「ナット キング コールをしのんで ひばりジャズを歌う」をレコーデイングした。
そしてナッキンコールは、L-O-V-E を、日本語でレコーデイングもした。 これ程、日本を愛してくれたのに、なぜアメリカでは生まれ故郷のアラバマ州では、一時期 いわれない追放の処分までされたとは・・・・。 何という ひどいことをするのか・・・・。実は70年代までアラバマ州では、数多くの黒人差別事件を起こしていて、正に悪名の名高いことで有名な、アメリカ南部の州だったのだ。 日本ではこんなやさしい紳士的なミュージシャンは、いなかった、といってもいいのに、・・・・。