KING ELVIS
CAROLE KING Vol.Ⅳ
キャロル・クライン・キング
現在82歳で存命👑
60年代、エルヴィスはキングと呼ばれていた。
他にもアメリカ・ミュージック・カルチャーに
偉大な功績で名前を残した王様の様な人もいた。
本名がキングと名の付く日本でもよく知られた人ちがいた。
42年ニューヨーク・マンハッタンのユダヤ人家族に生れた、色の白いえくぼにブルー・アイの可愛らしい4才の時、キャロルが絶対音感があることに母親が気が付いて譜面も読めた、それからはピアノで音楽に専念させて才能を伸ばしていった。
16才で本格的に音楽デビューして、当時シンガーソング・ライターの少女は殆どいなくて天才少女と早くも騒がれ間もなくジェリー・ゴフィンと結婚し、キャロルが作曲ジェリーが作詞して曲を作って自ら歌った。
59年には高校時代シンガーソングライターのニール・セダカが親友としてキャロルのことをカワイイ女の子と言って「オ~!キャロル」を作曲して自ら歌って大ヒットさせた、とてもスィートな曲で日本でもオールディズとしてヒットして今でもよく聞く。
キャロルは60~63年に20曲もチャート入りさせている、自分で歌ったり人に歌わせたりしている。十代のアルバイトをやっていた黒人の歌手でもない女の子リトル・エバに「ロコモーション」をデモ・テープだけのつもりだったが、とりあえずレコーディングしたところトンデモなくヒットしてしまう。立て続けに4人組黒人女の子グループのシュレルズで「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トウモロー」もビルボードHot100でNo.1。Doo-wopの名曲としてヒットして今でもよく聞く。自らのアルバムでも≪つづれ織り≫で(Tapestry)もアメリカ・日本でもよく売れた、ビルボード・アルバムチャート15週間No.1。(イッツ トゥー レイト)も自ら歌い、《wikipediaを検索乞う、数々の賞も数限りない》来日公演は五回。ミュージック以外に政治にも環境問題でもアメリカ民主党を熱烈に支持して活躍して、女なのにキングと言う名前で王様の様な聡明な天才ぶりを発揮していた。
エルヴィスのアルバム・ジャケットにあります、50,000,000 Elvis Fans Can t Be Wrong:Elvis`Gold Records,Vol. 2
直訳すると、 5000万人のエルヴィス・ファンは間違ってはいない とあるが日本人にはピンとこない。要訳すると 5000万人のエルヴィス・ファンは正しい判断をしている,(或いは)5000万人のフアンがもう、5000枚のレコード、アルバムを買い求めている。(この当時のデータがあるかも)。
1959年RCAビクターから発売されたエルヴィスの4枚目のコンピュレーション・アルバム(シングル・レコードをヒットしたものを後からまとめて1枚のアルバムにした。)
このアルバムは1959年のオリジナルから再販、曲数増やしたりの再々版、1984年にはRCAがエルヴィスで何と初めてコンパクト・ディスク(CD)発売したが、一旦撤回したが正式に売り出した。