少し前に行った故郷高知のとあるお店。

 

人気のお店で、行ったときは満員の上、待っているお客さんも多く数十分待たされた後、やっと店内に入ることができた。

 

注文して出てきたのが、この重に入ったこんな感じのメニューである。

 

 

それが何か分かりますかというか、答えが画像の中に映り込んでいるから考えることもないのだが、子どものころからこの食材が大好きなのである。

 

就職してたまに帰省した時など、祖母と父と母が私の好きなこの食材を買ってきてくれるものだから、晩飯に3匹食べたこともたまにあった。

 

高知でも有名なこのお店は

 うなぎ処福

 高知県南国市久礼田432-1

であり、地元では知らない人はいないかもしれない。

 

 

いつ食べても大好きな味で、有名店で食べればなんといっても外側がパリッと焼かれて、内側の柔らかさとのコントラストが最高である。

 

牛でも豚でも鶏でも鰻でもなく、人に生まれたことに感謝していただいた。

 

 

                        ・・・おの・・・

私が若いころ、先輩に連れて行ってもらったお店に

 ニューミュンヘン

というビアホールがあった。

 

 

私が生まれ育った高知にもビアガーデンはあったが、広い空間で生ビールを中心に楽しむビアホールというのはこのお店が初めてであり、雰囲気もよく、なんといっても生ビールの美味しさは居酒屋なんかの物と一線を画していた。

 

 

ミュンヘンというくらいなのでドイツのビアホールがコンセプトになっているのであろう、制服というか衣装をまとった大勢の従業員がいて、目を合わせればこちらに来てくれて注文できるのはクオリティーを感じるサービスである。

 

 

ビールも、普通のビールや黒ビール、ハーフなビールもあり、大きなジョッキに入れて持ってきてくれる、一口飲めば笑顔になれる魅力的な味わいのビールである。

 

定番のから揚げは、いつの時代に口に入れても、期待した味わいがそこにあり、料理全般を控えめに表現すれば、何を食べても美味しくない物がないというのが正直なところだ。

 

 

 

 

なんやかんやで南大使館に限らずニューミュンヘンには年に何度かお世話になり続けて40年以上が過ぎた。

 

 

いつからこんなお店があるのだろうと、沿革を調べてみれば

 昭和33年 ニューミュンヘン株式会社設立

 昭和39年 神戸三宮に神戸大使館オープン

 昭和41年 大阪曽根崎に北大使館オープン

 昭和46年 大阪千日前に南大使館オープン

とか書かれていたので、会社自体は私が生まれる前からあるようだ。

 

たまに楽しみで行かせていただいているが、いつまでもこの店で美味しいビールが飲めるよう健康に注意して過ごしていきたいものである。

 

 

                        ・・・おの・・・

カフェではなくて、しぶい喫茶店でモーニングでも食べようと適当に検索していると、西成区にかなりしぶい喫茶店を見つけたので行ってみた。

 

店先は真新しいとは真逆の歴史や伝統みたいな雰囲気を醸し出しており、中に入って内装を見れば、これまた歴伝を感じる使い込まれたものが使われているのだが、こういった店にありがちな雑然さはそれほど感じられずきれいに掃除されている。

 

 

何を頼もうかとメニューを見て驚いた。

 

トーストのモーニングは350円で、それ以外のモーニングも400円という、どうなんだろう私の経験的には昭和60年くらいの価格ではなかろうか。

 

 

同僚はサンドイッチの、私はホットドッグのモーニングをホットコーヒーで頼んでしばらく待てば、ごくごく普通のモーニングが置かれて、見た目は完全に合格点で600円取られたとしても高いとは感じない水準である。

 

コーヒーを飲んでみれば、普通に出てくる喫茶店のレギュラーコーヒーよりは1,2割香ばしい感じだ。

 

 

ホットドックはごくスタンダードではあるものの、大いにありだと感じる。

 

サラダやヨーグルトも何の不満もなく、トータルで価格を考えれば二重丸の合格点であった。

 

 

2人掛けのテーブルが6~7席、4人掛けのテーブルが4~5席ある広い店内で、次々とお客さんが出入りし、皆さん常連なのであろうご機嫌で出入りしているのが地元密着とでもいうのだろうか愛されている店の証である。

 

店の名はEDEN(エデン)で、所在地が

 大阪市西成区花園北2丁目10−6

となり、我が家からは遠いものの、近くなら絶対に通ってしまうお店であった。

 

 

                          ・・・おの・・・

転勤族なので数多くの転勤があり、子どもが小さいころは家族全員で暮らしていたが、子どもがある程度大きくなってからは、通えなければ単身赴任となる。

 

私は2010年に初めて単身赴任となり、家族のいない社宅の生活にも1週間ほどで慣れ、

 仕事 自炊 食べる 寝る

みたいな生活となった。

 

外食も惣菜も利用はするものの、やはり作った料理を暖かいうちにリラックスできる環境で食べられる自炊が魅力的で、料理のサイトを参考にしながらいろいろ作り、気に入ったものはパソコンに保存してリピートさせていただいている。

 

料理といえないレベルではあるものの、最も簡単で結構癖になる料理が

 肉うどん

である。

 

そもそも、立ち食い蕎麦屋で食べた肉うどんが美味しくて、家で作ってみれば同じようなものができたので、多めに作って小分けにして冷凍して使いたいときに出汁に入れて利用している。

 

 

レシピは

 材料  牛肉 100g 、玉ねぎ(肉の半分程度)

 調味料 酒 大さじ1杯、砂糖 大さじ2杯、薄口しょうゆ 大さじ2杯

を全部鍋に入れて肉に火が通る5分程度煮ればタネは出来上がり。

 

うどんのお出汁を自作できるレベルにないので、既成の出汁にタネを入れて一緒に温めて、暖かいうどんにかけてネギをかければ、じわっとした甘みが口やお腹に広がる肉うどんの完成だ。

 

今日は休みなので朝から食べたが、冷凍のタネがあって、お湯が沸いてからならまな板を使わない上にカップ麺を作るくらいのスピードで食べられる。

 

寒い冬の到来もそう遠くないだろうし、寒い冬こそ一層美味しく感じる肉うどんを紹介させていただいた。

 

 

                        ・・・おの・・・

記事も思いつかないが、ゲームと人生といえば大袈裟であるものの、私の成長とゲームの進化を重ね合わせてみた。

 

 

私のテレビゲームデビューは、今考えれば物凄く単純なピンポンゲームで、小学校高学年か中学校の頃流行り友人とよくやったものである。

 

 

高校の頃、お馴染みのインベーダーゲームが大ブームとなり、これは家ではなくゲーセンでやりまくって結構注ぎ込んだ記憶がある。

 

 

そしてそして、任天堂を大ブレークさせたファミコンを購入し、馬鹿みたいに毎日やってたのが20歳くらいだった。

 

その後、プレステやスイッチなど様々なゲーム機が登場し、競争が激化するのに合わせて、映像のクオリティも飛躍的に向上し驚かされた。

 

そんなこんなの私のゲームの歴史なんだが、最も時間を使ったゲームが、どうだろう30歳くらいの時にハマった桃太郎電鉄であった。

 

 

コンピュータ相手ではなく、人が相手で欲望とか駆け引きがあったのが麻雀にも似た刺激で、何百年やったのか思い出しようもない。

 

これからもゲーム機もソフトも進化をただけるのだろう。

 

桃電を超えるゲームに出会いたいものだ。

 

                        ・・・おの・・・