回廊を行く――重複障害者の生活と意見 -32ページ目

最高裁への投稿

 あと4年で裁判員制度が実施され、誰でも裁判にかかわることになる可能性が出てきます。法律を読むと聴覚障害や言語障害が欠格事由にはなっていませんので、そういう障害をもつ人が選ばれることもあるでしょう。似た制度に検察審査会というのがあり、検事の裁量による不起訴や起訴猶予が不当であると訴えられたとき審査するのですが、以前は聴覚障害者が審査員になれなかったのが、数年前の改正でそういうことはなくなり、審査員になった実例もあります。具体的には知りませんが、手話通訳か要約筆記で参加したのだと思います。

 この裁判員について説明するためのドラマが作られたという新聞記事があり、それについて最高裁に投稿することにしました。事情は下を見てください。投稿した文面の大略です。

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前略失礼いたします。

 新聞を見ていましたら最高裁が裁判員制度の広報のため、六十分のドラマを制作したという記事がありました。それは是非見たいものだと思いましたが、私は聴覚障害者ですので、字幕版があればよいと考えました。裁判員の欠格事由として聴覚障害はないはずですので、聴覚障害者が選ばれた場合に備えても、このドラマとは限りませんが、字幕版によるものがぜひ必要です。すでに作成されているかどうかをうかがいたく思いますので、お返事をお願いいたします。

 なお、このことをメールでおたずねしようと最高裁のホームページを見たのですが、「アクセス情報」のところには住所と電話番号しか掲載されていませんでした。電話を使用できない者が存在することを考え、ファクス番号かメールアドレス、あるいはその双方を掲載してくださるようお願いします。

 他の公共機関にもこのように電話以外のアクセス手段を記載していないところは多いのですが、電話が利用できる人はそれでいいのでしょうが、聴覚障害者や言語障害者はそうはいきません。ファクスやメールの場合でもある程度そうですが、特に今回のように封書とした場合、住所氏名の個人情報を明らかにせざるを得ないことになりますが、電話ですとその辺が必ずしも要求されないわけで、情報を得る条件としてアンフェアだと存じます。これは、憲法や国際人権規約(B) (第19条の2)にも抵触するものではないでしょうか?

 この件につきまして、今後のご配慮をお願いいたします。

「問い合わせ」

ある方のブログに、属しておられるところの会議室スペースを、一般に貸し出してもよいということを書いておられました。それにコメントしたのですが、私が「情報保障」のテーマで書こうと思っていることのエッセンスですので、一部修正してここにも載せることにしました。今後同じようなことを繰り返すかもしれませんが、ご海容ください。

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△△ビル利用の問い合わせ先に、ファクス番号が出ていてとてもうれしく思いました。HPでも新聞広告でも「お問い合せは」と電話番号が載っているのはいくらでもありますが、ファクス番号やメールアドレスが載っているのは少ないからです。

聞こえる方は気軽に電話で問合せしていて、うらやましい限りですが、聞こえない者にはそれができません。

公共施設にはあらゆる人向けの問い合わせの手段が必須だと思うのですが、ないものも多く、ひどいのは障害者関係のイベントの問い合わせ先が電話だけというのもあります。

よく言うのですが、交通バリアフリー法やハートビル法で聴覚障害者がないがしろにされているのは、聴覚障害者側に問題やクレームがないのではなく、それの伝達手段がないからで、それを当局者は知って知らずか、「少ない」「ない」と解して、配慮しないのではないかと。

耳鳴り

 他にいろいろあるので障害に数える気にもなりませんが、私には耳鳴りがあります。普段はたいしたことはないですが、鳴り始めるとかなりすごい。でも、そもそもが聞こえないせいか、それでどうということはありません。始まったら、うるさいのはたしかですが、ことさらにじっと聞き入るような構えでいると、いつの間にか消えてしまいます。

 15年ほど前に脳に水が溜まって手術した、その回復期に始まったようです。耳鳴りが専門という耳鼻科医にも行きましたが、結局手の打ちようはありませんでした。その2、3年後に別件で入院した時、総合病院なので耳鼻科も受診して耳鳴りのことを話し、ついでに「聞き入る」ことにより退散させると言ったら、医師に「普通と逆だ」とあきれられ、「へそ曲がりのせいでしょう」と言っておきました。

 耳鳴りというと、生命にかかわらないせいかあまり研究されていないようです。これは肩こりとか、はげと同じでしょうか。でもアメリカには「全米耳鳴り協会 」というのがあり、イギリスなどにもあるようです。で、日本にもあるかと検索してみましたが、「耳鳴りのための患者団体というのは聞いたことがありませんが 」という、そのものズバリの記述を発見してしまいました。

 私の障害の一つの呼吸障害では常に酸素を吸っている必要がありますが、ともかく酸素を吸っていればすぐに生命が問題になることはない、ということか、酸素をボンベ等から鼻に入れるカニューレ の具合でかえって息苦しいようなこともあるのですが、鼻の形は千差万別だろうにオプションが少なく、鼻にチューブの先が入る装着部が外国人のサイズのままだとかで、先日初めて女性用があることを知って取り寄せ、いくらか調子がよくなっています。私の鼻は自分で思ってたより小さかったようです。

 最近は「酸素バー」というものが出現していて、ここでも鼻カニューラを使うようで、カラフルなのを見たこともありますが、この業種は「民営」ですからせいぜい競争して、いろいろと使い心地がよくて見た目もよいものを開発して欲しいものです。

 やっぱり、医療とか障害のことは、種々さまざまなリクエストやクレームを受けつけるところが欲しいですね。探せばあるでしょうが、探してあるのでは困るので、病院や医院や福祉事務所の類に行けば、こういうことの窓口がすぐにわかるというようにして欲しいものです。

 

マイノリティと法

 ハンセン病補償法にかかわる旧植民地ハンセン病訴訟で、同一の案件に台湾の原告と韓国の原告で正反対の判決が出た。裁判官は相互に独立して判断するのでこれはありうることで、内容についてはここでは触れないが、驚いたのは韓国の原告の請求を棄却した東京地裁第3部の論理構成である。

 

  25日の夕刊に載った判決要旨は新聞によって若干まとめ方が違うが、読売新聞によると「補償法の審議経過で韓国や台湾の入所者を補償の対象とした議論がな く、法が想定した補償費用700億円の積算根拠にも、これらの入所者数が含まれていないことから、『立法過程で、統治下の入所者は補償対象とならないとの 認識が前提にあった』」というのである。

 

 このように、審議過程での言及如何までが法解釈の理由とする論法が、どの程度まで行われているかはわからないが、障害者を初めとするマイノリティに対しては危険性をはらんだ論法であると思う。

 

  それは考えればわかることだが、マイノリティにかかわる問題は文字通りレア・ケースであるから、新しい法案の審議に当ってマイノリティに直接の関連をもっ た、障害者なら障害者関連の法律でなければ、担当官庁や議会関係に問題意識を持つ者がなく、障害者の権利について重大な問題をはらんだまま、それに触れら れることなしに成立することが少なくないからである。

 

 アメリカであれば多くの法にはアクセス委員会によって、交通・建築・通信の部門についてのチェックがあるなどのいわば安全装置があるが、日本ではそのようなものはない。すぐに適当な例をあげられないが、例えば著作権法に よれば著作物の点訳は許諾なしで行なえるが、音声訳、つまり録音図書化は点字図書館などの特定の機関以外は許諾がいる。そして点字図書館等の制作した録音 図書は、法律に「専ら視覚障害者向けの貸出しの用に供するために、」と明記されているので、視覚障害ではないが字を読むのが困難な、一部の学習障害者には 利用できない。法本来の趣旨から言えば、読字が困難な者への便宜として提供されるべきであったのに、著作権法成立の頃には学習障害について知られていな かったために、利用できる手段を取り上げられている形となっている。欧米では録音図書の利用者は視覚障害者より学習障害者の方が多いという事実があるにか かわらずである。

 

 また民法で公正証書による遺言について、遺言者が口頭で述べ、公証人がそれを聞き取って文書化し、それを読み聞かせて確認するという手順を第 969条で規定している期間が長かったので、聴覚障害者には公正証書による遺言は不可能であった。この規定は実は明治初期の制定当時少なくなかった非識字 者への対応として設けられたものであるが、一方で聴覚障害者というマイノリティの存在は失念され、1999年の改正まで放置された。

 

 より適当な例がまだあると思うが、以上のように法制定者の側の認識が貧困であると、マイノリティに困難をもたらすことになりがちである。法の審議の過程で指摘されていないものには、この法律の保護は及ばない、という論法の危険性を声を大にして言っておきたい。

 

クール・ビズ

 クール・ビズとは今更の話題ですが、この和製英語そのものというよりは、はやりものの意味について考えてみたいと思います。クール・ビズは官製の流行としては珍しい成功例だと思いますが、これはその内容というよりは、ネーミングと提唱者と実践者が揃ったことによる勝利でしょう。言葉としてすっきりしているし、提唱者の小池氏はあの世界では目立つ人だし、そして何よりも実践者の小泉氏にクール・ビズが似合った。

 これはかつての省エネルックを思い出せば歴然としています。1979年に石油危機に際して大平内閣の提唱した省エネルックは、その後も羽田氏によって省エネ・スーツと名を変えられながらか細く続いていますが、大平氏も羽田氏も新デザインのモデルとしてはミスキャストで、それが広まらなかったことの最大の原因でしょう。正直言ってデザインの方向としては省エネルックのほうが正統的です。旧幕時代に登城する時の扮装が裃をつけたものであったように、ネクタイははずしても何らかの上着的なものを用いるのが正装だからです。その意味で下着であるワイシャツが一番上というのはいただけない。

 しかし小泉氏にはそのワイシャツ姿が似合った。クール・ビスの創案者はそこまで見通していたのでしょうか。首相以外の大臣や党幹部で様になっていたのはわずかで、首相の手前上着も着られぬ腹の出た短躯を人目にさらすのを見るのは、気の毒というよりありませんでした。上着を取るならネクタイは残す、くらいの配慮はあってもよかったでしょう。

 そうです。クール・ビズの取入れにも勝ち組と負け組があった。そして小泉氏はほとんど一人勝ちでした。はやりものによって痛みを感じる者は少なくないのですが、そういう者の存在に勝ち組が意を払おうとしないことが多いのも、悲しいことですが現実です。

 ここで思い出すのは20年ほど前の通勤電車の中の光景で、私はつり革をもって立っていたのですが、目の前にドアに寄りかかっている50年配の男性が、せっせと手帳に字を書いているのが目に入りました。読む気もなく読んでいたら、「女性の皆様を不快な気持にさせたのでしたらまことに申し訳なく・・・」というような内容でした。当時ぼつぼつセクハラが問題になり始めていた頃でしたので、この男性が職場での何かの言動で告発され、謝罪文を差し出すことになったのだと想像されました。

 もちろん、これは想像ですのでとんでもない誤解である可能性は残りますが、その小柄な男性の、いかにもうだつの上がらない様子を見ると、ああ、新しい概念はまず弱い者を槍玉に挙げるのだなと、そのときに思ったものです。その男性は実際セクハラ行為を行ったのであるかも知れず、弱者だ槍玉だというのはふさわしくないかもしれませんが、敏腕で見かけもいい者がセクハラで責められるというケースは、少なくともその時代にはあまり聞いていません。ある組織で起こったセクハラ事件の場合は、セクハラの実行者は特殊技能を持っているせいか大した処罰は受けず、組織の幹部が責任を取るということもなく、結局中間管理職が貧乏くじを引いて左遷されるということになりました。セクハラの際のカウンセリング・システムが整備されていなかったのは幹部クラスの責任で、彼らにも何がしかのことがあってもよかったのですが、まあ、そんなものです。

 政治における「改革」も一種のはやりものです。小泉氏は改革に当っては痛みもあると言っていますが、最初に、そしてその後にも、痛みを受けるのは負け組が中心だということに気がついているでしょうか?

 

命名(2)

 前稿を書いているうちに思いついたのですが、法律の名前などにも名前をつけたらどうでしょうか? アメリカでは公式の法律名の他に通称を持つものが多く、訳してみると「合衆国法の通称 」というサイトもあります。これを見ると「補聴器互換性法」という具体的なものがある一方、法案作成の中心となった議員の名をつけたものも少なくありません。労働組合の活動を規制する「タフト・ハートレー法」などというのが代表的なものです。

 そうすると先日成立した郵政改革法は、正式名はわからないのですが、小泉・竹中法と呼ぶことにすれば、両氏の功績と責任は今後もいつまでも消えないものとなるでしょう。もうじき成立するという「障害者自立支援法」も、小泉・尾辻法ということにすれば、「自立」とか「支援」という体を表しているかあらわしていないかに戸惑うような言葉を使わないですみます。

 このような習慣があれば、1987年に国鉄が解体されたときの法案も「中曽根・橋本(竜太郎)法」と言われることになり、政治の何がしかが見えてきます。固有名詞がつけられることにより、関係者の責任を常に意識させるのみならず、「趨勢」ですまされそうな変化にも、個人の要素が大きかったことが認識されるのではないでしょうか?

 

命名

 中国の2度目の有人宇宙船は神舟6号というそうです。誰も言っていないようですが、共産主義の中国が「神」という字を使っているのに、違和感を感じた方はおられませんか? これを英語でどう訳しているかをYahooで検索してみたら、 God Vessel, Divine Ship, Magic Vessel, Devine Vesselといったのが出てきました。「神」の他に「神聖な」とか「魔法の」と訳しているようです。「神」を中型の漢和辞典で引くと、「宗教的信仰の対象物の総称;神秘的なもの;天の神;変化が極まりないこと」とありました。日本語の「神」とまったく同一ではありませんが、やはり唯物論とは対極にあるもののようです。

 

 アメリカはキリスト教の影響が強く、政治面でも力を持つほどだと言いますが、宇宙船の名前だとディスカヴァリーとかコロンビアとか、意外に大人しいというかまともです。それに対して中国が「神」という字を使うのはどういうわけかと思います。これに関して、はっきりとは覚えていませんが、毛沢東が晩年誰かに語った中に、「自分もまもなく死んで、天帝にまみえる」といった言葉があったような気がします。毛沢東も、超越的な存在があるということは否定し切れなかったのかどうか。欧米の場合共産主義はキリスト教のアンティテーゼであり、キリスト教と教会は否定すべきものであったのに対し、中国の場合宗教は否定したが主要な敵ではなかったので、民族的にしみ込んでいる「神」とか「天帝」という言葉も、何かの拍子に出てくるのではないかと、素人考えですがそう思います。

 

 宇宙開発における日本の命名はどうかというと、ちょうど今日の夕刊に、1990年に「ひてん・はごろも」という連結衛星を月に送ったことがあると出ていました。そして月周回衛星として「セレーネ」というのが計画されているそうです。「セレーネ」はギリシア神話の月の女神の名ですが、日本の衛星の名としてどうでしょうか。中国の月探査計画は「嫦娥計画」というそうです。「嫦娥」は中国神話で不老不死になったがゆえに月に住むようになった女性の名ですが、それならば日本にもかぐや姫の伝説がある。「かぐや姫計画」とか「竹取計画」という名を考えられなかったのは惜しいことです。

 

 あるいは、継続する計画であれば、石作、車持、阿部、大伴、石上といった、かぐや姫にいいよった男性の名を次々につければよいかもしれません。もっともこれでは、5回やって5回とも失敗になりますが。

 

 

私の障害

 「回廊を行く--重複障害者の生活と意見」というタイトルでブログを始めましたが、「はじめのことば 」で「どういう障害で、それによってどういう生活となっているかは、おいおい書かせていただきます。」と書いたきり、自分の障害としてはもっぱら呼吸障害のことだけを取り上げてきました。

 「重複」ですけれど、あまり障害名を並べ立てたのでは引かれてしまうのではないかと思ったからです。複数の障害がはっきりすると、正体がバレてしまうのではという危惧もちょっぴりあります。でも、続けて読んでくださる方がもしおられるなら、比較的詳しく書いている分野から、呼吸以外の障害も大体見当がついたのではないかと思います。

 メインの障害をはっきりさせておかないと書きにくいと感じ始めたので、この辺で「カムアウト」しておきます。私は八歳の頃に失聴した聴覚障害者です。ずっと健聴者社会にいたせいか発声にはほとんど支障はありませんが、聞く方は補聴器を使っても入るのは音だけで、言葉はわかりません。手話はほんの少しできるのみで、メインのコミュニケーション手段は筆談と読話です。

 こういう前提で今後も書いていこうと思います。よろしくお願いします。


ニーズに応じた改良を

 最近は使える物は親でも使えという考え方が、少し足りないのではないか。唐突かもしれませんが、障害者福祉に関してバリアフリーだユニバーサルデザインだと議論されるのを聞いて、私はそう思っています。

 一番気になるのはIT待ちみたいな傾向があることです。これはもっぱら身体障害ですが、いずれ技術の進歩で何とかなるというところがあります。あるいは技術の進歩を過信している。「情報保障(1)  」に書いたケースなど、その最たるものでしょう。メーカー関係者がこういうことができるというと、実地での使用などの検証をやらないで飛びつき、あまつさえその未検証のものを障害者に押し付けています。

 私の見るところITがもっとも有効に使われているのは視覚障害の領域で、ついで肢体障害でしょうか。内部障害は医療と密接ですから、ちょっと事情は違う でしょう。残る聴覚障害が難物で、音声認識は試みられていますが、発声の個人差の克服と、機械の耳に必要な音声のみを認識(カクテル・パーティ効果)させ るのが困難なところから、まだ実用化には至っていないようです。

 しかしすでに大きい進歩はある。携帯電話によるメールです。これは聴覚障害者にとって大きな福音で、これによって彼らは従来は不可能だった離れたところ にいる人との通信ができるようになっています。メール機能はおそらく聴覚障害者を意識して開発されたものではないでしょう。しかし、昔ベルが電話を発明し たのは夫人の聴覚障害に役立てるためだったといわれますが、結果として電話をとれないということを聴覚障害者の就職などの大きなバリアにしていたところ を、携帯によるメールは130年ぶりに電話の当初の目的を達成したと言えるでしょう。

 このように開発者の意図しなかった利用法はしばしばあるもので、福祉機器の開発者には既存技術から利用できるものを見つけ出すことにも力を注いで欲しい と思います。研究でも機器開発でも、いかにも「新しい」という印象を与えないとアピールしにくいという事情はあるでしょうが、そこは既存技術の利用による 成果を、障害当事者と共に説得力豊かに示すことで補うべきです。

 たとえば、電車や地下鉄やバスに駅名などを示す電光表示板が増えていますが、あれに事故や故障についての情報も出せるようにしたら、停車したまま動かないので戸惑っている聴覚障害者の助けになるでしょう。先日地震で帰宅の足が止まったときにつくづくそう思いました。

 呼吸障害でそう出歩くわけにはいかないので、以前何回か行った国際福祉機器展には残念ながら3年前から行っていないのですが、全体の傾向としてやはり新奇なものが多かったかどうか、見学された方に聞いて見たいものです。


痩せ我慢の説

 痩せるために我慢するのははやっても、痩せ我慢は時代遅れのようだ。再提出された郵政改革法案の採決で、前回は自民党にあって反対や棄権だった議員のうち、新党を結成した以外の人で反対したのはたしか一人きり。棄権欠席が二人。まったく同じ法案への賛否だから、一貫しておれば評価されただろうに痩せ我慢ができなかった。

 まだ残っている自民党籍に恋々としているためのようだが、いずれ除名され、再加入はありうるとしても当分その可能性はないから、一度反対と決めた態度を持続すれば、それだけでグレード・アップと私などは思うし、第一郵政改革法案反対を叫んだのに対し票を入れてくれた選挙民にどう申し訳するのだろう。支持し、票を入れたことで今後に差し支える人も多いだろうに。支持層の上澄みである自治体議員などには賛成に回ってくれて安堵した向きもあろうが、それ以外の人々は内心白けていると思う。

 えらく次元の低いことを言うようだが、私は人と会う約束はまずめったなことでは変更しないことにしていた。変更したら得があるとわかっていた時でも、極力それを避けた。会うことによりお互いに時間を提供しあうわけだが、その予定のためにいくつかのことをすでに犠牲にしているであろうからである。選挙候補者の公約はこういうこととは比べものにならないが、投票させることによって他を捨てさせるという意味では同じである。少なくとも、選挙直後の採決では痩せ我慢すべきだった。

 もっとも、痩せ我慢をしないのは元造反議員だけではない。小泉首相にしても、前回に参議院で否決された時、それが現段階での民意だと悟るべきだった。郵政が最重点という我意を痩せ我慢して、他の政策実現に力を入れるべきだった。それを参議院ならぬ、可決してくれた衆議院の解散という、いわば合格者を発表した後での再試験のような手段をとった。結果が当ったとは言え、これは政治でなく賭博に近い。さすがに血筋というべきか、自腹でやるなら留置場に入れられるくらいのものだが、堂々と公費で博打を行い、留置場ではなく首相官邸にいる。

 その小泉首相は改革に際しては痛みもあると公言する人である。政策実現に当たってはたしかに痛みもあろう。しかし経済統計の示すように、小泉政策は所得格差を増大させている(「急速に進行する二分極化」 )。これは高所得層には我慢させず、低所得層には我慢させるものではないだろうか。痩せ我慢であればまだ本人の意志も入るが、この場合の低所得層は一方的に我慢を強いられていることになる。

 衣食足れば礼節を知るという。小泉内閣も絶対多数を得た以上、以前の追い込まれたようなせっかちな政治を再考し、強権をふるえるところを痩せ我慢し、我慢を強いられている国民の状況を見てみるとよいと思う。