回廊を行く――重複障害者の生活と意見 -31ページ目

計算書偽造

 風邪気味で気力が落ちたせいか、更新を一週間怠けていました。この一週間での大事件は一級建築士による構造計算書の偽造ですね。私が気になったのは民間の検査を逃れたというところで、だからやたらな「民営」は危ないと調べたら、民間でもやれるようになったのは1999年頃からで、昨今の「改革」よりはいくらか年期が入っていました。

 しかし国土交通省がはじめは「民間と民間の問題」と言いながら、あとで大臣が「国の認可も含まれているから、一概に民間だけでのこととは言えない」と訂正したように、このような事件でも国に一切の責任がないのでは、それこそ民営亡国になってしまいます。

 連想するのは障害者自立支援法が支援サービスは障害者が自分で金を払って買えという理念になっていることで、サービスについてトラブルがあった場合、民対民だから国や自治体は関与しない、なんてことにならないかということ。企業対企業であれば双方それなりの力を持って対抗できるかもしれませんが、障害者対福祉業者ではまずそうはいきませんから、やはり福祉は公の仕事ということは忘れないで欲しいものです。

 計算書偽造事件に戻ると、その偽造の結果でそのくらいのコストダウンになったんでしょうかね。いまのところその情報がありません。目下のところは元凶の一級建築士と、民間検査機関がもっぱら悪者になっていますが、コストダウンがはっきりしたものであれば、施工に当たった建設業者と建て主の開発業者も当然気がついたはずで、そこから、どこでコストを減らしたのかとチェックに進むのが普通じゃないでしょうか。建設業者なら、直接に鉄骨などの建材の量でおかしいなとなりそう。

 得てしてこの種のことには報道されて当然なのに無視される側面が残るもので、あの障害者自立支援法への反対が強かったのにマスコミにはあまり出なかったということもその一つですが、後出しでもいいからはきっちり報道して欲しいものです。
 

聞こえない者の不便(1)X線検査

 前にも書いたように聴覚障害者は「見てすぐにそれとわからぬ」障害の代表ですが、その不便さの中には本人が言わないと身近の人にもなかなか気づいてもらえないことがあります。参考までにいくつか書いてみます。


 病院に行くこと自体が聴覚障害者にとっては大きな問題なのですが、それを書くには独立の項目が必要なのでここでは棚上げとし、検診の時のX線検査を取り上げます。どこが不便なのかおわかりいただけるでしょうか?

 X線検査の際には被曝の問題もあるので、同じ部屋には誰も残りません。技師は離れたところから指示を出すので、聞こえないとどうしようもないのです。私の場合は肺の検査であれば息を止める必要があり、集団検査の時などは技師が別室に納まってドアをガチャンと閉めた時の響きから、被験者が出てくるまでの大体の時間を覚えておき、自分の時はその「ガチャン」から一呼吸おいてその大体の時間を想定して息を止め、実際には撮影が終わると技師が出てきて肩をたたいてくれる、というようにその都度工夫しました。

 実は十年以上前にある大病院に、X線検査で胸を当てるところの左上に小さなライトのつく装置がついており、「息を吐き出してください」「息を止めてください」「息をして結構です」といった説明がありました。これは進歩したものだと思って、それに従おうとしたのですが、どうにもテンポが合いません。数週間後また同じところに行ったら、もうその装置は取り外してありました。改良の余地はあると思っていたのですが、それが聴覚障害者を対象にしたものだったかどうかもわかりません。

 胃検査は2回ほどしか経験していませんが、身体の向きの変更もあり、どうやったかと思いますが覚えていません。それを今度NPO東京都中途失聴・難聴者協会 の斡旋で、モニター画面に説明や身体の向きを表示するというやり方で行なうということで、募集しているのを知りました。受診の予定はありませんが、こういうものがもっと頻繁にあるといいと思います。

聴覚障害者の外国語検定

 「耳が聞こえない」「口が聞けない」「目が見えない」などの障害を理由に一律に免許や資格を認めないという「欠格条項」を見直すため、医師法などを一括して改正する法律が2001年6月22日、 衆院本会議で可決、成立しています。「欠格条項」は一部ではまだ曖昧な形で残っており、また一方で民間で認可される資格についてはかならずしも明快になっ ていません。「民営化」によって資格認定も民間の組織に移行することがあるようですが、こういう場合に「欠格条項」が縮小している経緯についての申し送り があるかどうかは疑問で、このあたりは警戒が必要なようです。

 

 それとは別に以前から民間組織が認定している資格に実用外国語の検定があります。英検仏検独検 といったのがその代表です。これらにはいずれもヒアリングを含むので、聴覚障害者は受けにくいとされていましたが、英検の場合は障害当事者(聴覚障害者の英検を考える会 )の努力で、「聴く」部分、つまり一次試験のリスニングをビデオによる字幕テロップ (音声なし)で、「話す」部分、つまり二次試験の面接試験をフラッシュカードの提示及び筆記によって代替することになり、英検のホームページの問い合わせの欄にも触れられており、そこでは電話を使えない者に配慮してFAX番号も明記されています。

 一方でフランス語の方は、聴覚障害者の仏検問題を考える会 に対して、最初は該当受験者の机を前にするというような対応しか示されなかったのですが、1年以上の粘り強い交渉の結果、聞き取り・発音部分を除く得点によって評価することになったそうです。これは、100点満点で聞き取り・発音部分が20点とすれば、残りの80点分のうち70点を取れば70×100/80=87.5と評価するもののようで、いかにも間に合わせ的な印象は免れず、今後は適切な代替試験を考案してほしいものです。

 このように、障害者に関しては制度の改革と障害当事者の行動が、あざなった縄のようになって状況が進歩していくものだと思わされます。ただ、当事者として残念なのは、その歩みがいかにも遅いことです。私にしてももう十歳くらい若ければ挑戦したでしょうし、以前ですが資格は度外視して、ヒアリング以外の部分でどの位得点できるか、試してみようかと思ったこともあります。
 

 なお、これは余計なことかもし れませんが、上記の外国語試験が「実用」を目的としている以上、聞こえないものが無理に何かの代替試験を当てはめられるより、メールによるコミュニケー ションの能力を測ってもらえればどうかなと考えたことがあります。ニューヨークで日本人向きの下宿を探して契約するとか、ある美術品がどこの美術館にある かとか、こういった課題を一定時間内にウェブの検索とメールの交換でやり遂げる、といったものであれば、その実行は会話に匹敵する実用的な英語能力を示す ものだと思うのですが。

夢判断

 いつも見ているブログを読んだら、何かとんでもない状況になったことが書いてありましたが、ブログなどかけない状況で書いているなど、ちょっとつじつまが合わないと思ったら夢でした。でも、状況がいつも書かれていることと対応しているので、「夢」と告白されなければ、ひっかかったままだったかもしれません。


 その人はWEB上の夢占いを試みていて、その判断に同意しているのですが、同じものを私もやってみました。最近の夢はあまり覚えていないので、昔見た、象徴が山盛りの夢を入力したら、すぐに判断が出て、希望に満ちているとかでしたが、あの夢を見た頃はどうだったかな。


 私も一頃は夢判断というか、自分の夢の分析をよくやったものです。WEBなどない時代ですから、参考にしたのは次の4冊。宮城音弥『夢』H.エリス『夢の世界』E.フロム『夢の精神分析』S.フロイト『夢判断』 。どれも古典的なものだけあって、最初のもの以外同じ版で入手できますが、最後のものは完読できなかったかもしれません。


 それらを読んでいる間はやたらと夢を見ました。意味ありげな夢がそれまでより多かったのですが、後で前記の4冊か、あるいは他の本だったかで、「フロイトの本を読んでいる人はフロイト流の象徴で、ユンクの本を読んでいる人はユンク流の象徴で夢を見る」という記述を見つけて、はたと膝を打ったものです。夢を扱う本なら意味ありげな夢とそのシンボルが頻出するわけで、夢の中だからこそそういったものに影響されやすいのでしょう。


 ただ、前記のWEB上の夢占いは、まずその枠組みを知った上で占ってみたというのとは違いますが、いろんな理論を折衷してキーワードごとにシンボルを決め、それを並べて占いの結果として出すのでしょう。ちゃんとした文章で即座に出るのですから、えらいものだと感心しました。


 占いの結果が正しいかどうかはなんとも言えません。でも、夢にはまったく未経験なものごとは出現しません。未経験なものごとが出てくるようなことがあっても、経験済みのことがシンボライズされて出てくるのだと思います。そして、夢占いに頼りたいような問題がある場合には、いつもその問題について考えているものですが、そのうちに対応策のオプションがいくつか固まってくる。その中で、状況によって抑圧されていて、起きているときには意識の表層には浮かびにくい選択肢が、夢だから出てくるってのもあるでしょう。


 WEBの占いは即座に出てきたから、よくない結果があってもチェックする時間がないですね。その辺仕掛けがわからないですが、ネガティヴなシンボルは初めから入れておかないとかということもあるかもしれません。もう一度、何かひどい悪夢でも見たら試してみたいものです。


 

文化功労者

 今回の文化勲章受章者及び文化功労者の発表を見て、やたらと文化功労者が多いなと感じました。文化勲章5名に対して文化功労者は15名。昔は両方併せて10名程度だったはずと思い、例によっての人気取りで増やしたのかと、検索してみましたが文化功労者のリストは出てきません。そこで図書館で調べると、80年代の中ごろまでは文化勲章受章者と文化功労者が併せて発表されていて数は10人あまり。88年ごろから受章者と功労者が別リストになって、後者は10人あまりからすぐ15人になっています。つまり85年頃からは倍増です。

 「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。」という憲法上の規定があるので文化勲章受章者にはお金などは出せず、そこで文化功労者制度を設けて年金を出すことにし、文化勲章受章者は自動的に文化功労者とすることになっているのですが、現在の年金の額は350万円です。つまり合計10人が20人になることで、国庫の出費は3500万円増加。

 加えて受章者・功労者にはすでに学士院や芸術院の会員である人が多く、こちらの年金はどちらも250万円。これらがいわゆる「年金」であるかはわかりませんが、一般人が受ける年金と同じであれば重複受給はできませんね。もう一人長嶋氏がいますが、この方の家では銀座一の果物屋の数万円のメロンが、贈答の最低単位だと聞きますから、350万など大した意味はないでしょう。

 われながらケチな話だとは思います。しかし、このような額の予算を削減することの積み重ねが行なわれているのです。また、リストラで収入の道を絶たれる人はまだまだいるし、障害者自立支援法では障害者からサービスの代価を取ります。文化功労者の数を元に戻すとか、あるいは文化功労者年金は廃止すればどうか、とついつい考えてしまいました。

 非文化的な話で申し訳ありません。

「サイボーグ技術が人類を変える」

 11月5日(土)にNHKで「サイボーグ技術が人類を変える」というのが放送されました。あの立花隆し氏の取材だそうです。手足や感覚のみならずパーキンソン病や精神障害まで、電子的に補完ないし治療できるようになりつつというのテーマで、いくつもの実例の映像は圧倒的でした。これは今後論議を呼ぶことでしょうし、すでにかなりの規模の関連サイトが「NHKスペシャル補遺」 として作られています。

 障害者の視点からの感想は今後の反響も見た上でまた書きたいのですが、ここではまずその番組を見た直接の印象だけにしたいと思います。

 筋肉電流で義手や義足を操作するとか、あるいは電子的に感覚を補完することができるということは知っていましたが、パーキンソン病やうつ病を、脳深部の部位を電気的に刺激することによって治療するのはまったく初めての情報で、びっくりしました。同時に人間を操作することの可能性も見えてきて、不安も覚えました。一方でこれらの技術が多くの障害者にとって福音であることもたしかですが。

 アメリカでは脳研究に関する倫理委員会をすでに作っているそうですが、一方ではサイボーグの研究所が軍にあるそうで、その委員会がその研究所を実際に規制できるのかというと、きわめて疑問です。これはブッシュ政権の倫理性や軍部の巨大さと秘密性にもよりますが、新技術の「進歩」にブレーキをかけることがきわめて困難であることも理由です。

 はじめは成功と思われた新技術が、実は有害であった例があることも無視できません。その有名なものはポルトガルのモニスによるロボトミーで、脳の一部を切除することにより凶暴性をなくするというものでしたが、施術された患者はその後は凶暴性とともに前向きの意欲も喪失することがわかり、人権問題にもなりました。そのためノーベル賞まで貰ったこの手術法は、今ではおそらくどこででも行なわれていません。

 うつ病を電子的に「治療」することが患者の今後にどう影響するかしないのか、これは大きな問題です。その方法の開発者に対しては聞きにくかったのかもしれませんが、最初の手術例はいつか、その患者はいまどのような状態なのか、という程度の質問は、他ならぬ立花氏であれば発してほしかったものです。立花氏であればロボトミーの例は当然知っていたでしょうし。

 はじめにも書いたように新技術の具体的な映像は圧倒的だったのですから、それらに対する疑問も、具体的に提示すべきだったでしょう。番組の締めくくりとして総論的にメリット・デメリットを述べるのでは、先に出た具体的実例がどうしても勝ってしまうと思います。

 繰り返しますが、あの立花氏が正面から取り組んでいるというのに、バランス感覚がやや乏しいように見えたのは残念でした。

字が読めない

 字が読めないで恥ずかしいことがたまにあります。ただし漢字の知識はある方です。小学校の頃は漢字が読めなければ**(私の名)に聞けと先生に言われたほどで、聞こえないのによく読めるとはと不思議がられたほどです。本をたくさん読んでいたからですが、考えてみると当時の本は漢字も多かったけど振り仮名も多かった。

 で、今の私に読めない漢字は、そもそも読める人が少ない字なので、読めないといって恥ずかしがることはありません。では何故読めなくて恥ずかしいことがあるのか?

 実はROMとかHIVとかの、略語が読めないのです。この種の言葉はよく出てきますが、漢字と違ってはじめて出てくるときに読み仮名がつくわけではありません。先日HIVについて発言する必要があったのですが、休憩時間に「エッチアイヴイ」であって「ヒヴ」ではないことを確認しました。聞こえないとこういうとき不便です。

 高校生の頃はNATO(北大西洋条約機構)を「エヌエイティオー」と読み、「ナトー」と読むのだと笑われました。だからと言って、母音も入っているので「ヒヴ」かと思うとそうでもない。一方で国際保険機構のWHOがあり、これには「フー」と「ダブリュエッチオー」の二通りの読みがあるようですが、こういうのは例外でしょう。

 生存や生活が直接に不便というようなことではないのですが、健常者にはちょっと気づかぬ、聴覚障害者の不便の一つです。

 ところで、ROMは「ロム」なんでしょうか? それとも「アールオーエム」?
 

マスコミの責任

 10年以上前だったかでしたか『アエラ』誌が欧米の路面電車を取り上げたことがあります。あちらこちらの都市で今でも健在だというので、60-70年代のモータリゼーションの頃、外国特派員などが「路面電車は旧時代の遺物」的な記事を書き、外国事情に弱い一般の人は本気にしてしまった、と投書したところ掲載されて、「海外の例の紹介の仕方は難しい」と反省めいた編集部のコメントがついていました。

 これまであちこちに投稿して、掲載されたことは何回かありますが、文中にマスコミ批判めいたくだりがあるとまず必ず削られていました。上に書いたのにはマスコミ側の反省までついていて、きわめて珍しい例だったと覚えています。

 マスメディアで情報を発する人々は、ニュースの内容もさることながら、何をどう報道するかも常に考えて欲しいものです。もっとも情報の受け手にも問題があるので、路面電車時代遅れ論に影響された人たちの中には、本人がそれを利用しているのを忘れて、「路面電車は交通の邪魔者」と唱和していたのもいましたが。

 あまり関係のない枕だったかもしれませんが、障害者自立支援法が成立して、改めてこの法律についてほとんど何も知らないことに気づきました。ブログとMLから情報は入っていると思っていたのですが、マスコミでは情報が少なかったことが、遅まきながら調べているとわかってきました。大新聞とテレビの中でこの法律を継続的に追求していたのは、フジTV夜11時台のニュースJAPANの滝川クリステルさんだけだとあるブログにありましたが、これは本当のようです。

 法律の内容についてはもう一つわかっていませんので今回は触れませんが、報道量が少ないことだけで大きい問題です。一万人の障害者が国会を取り囲んで慎重審議を請願したということがろくに報じられていませんが、同じ日の何かの政治的集会は、参加人数がはるかに少ないのにあちこちで取り上げられたと言いますし、内容の問題点を包括的に論じたものも前記のフジのニュース以外はあまりないようです。

 折からの選挙で中心テーマにはならないまでも、重要な問題の一つとして候補者や政党に取り上げられるべきだったのに、もっぱら郵政「改革」と刺客騒動が報道を占拠しました。小泉氏の個人的恣意による解散と、単一テーマをかかげての選挙のやり方は、ここでも罪深い影響を残しています。それに乗ったマスコミもマスコミです。アスベストとか拉致の事件に比べても、障害者に関する法律の内容は障害者の生存と人権に関するという点で重大なのですが、最近のマスコミは「人権」問題は敬遠しているのでしょうか?

銀行リストラ

 金融庁の意向で銀行は支店と行員のリストラを図らなければならないそうで、この夏に私の利用する銀行からも支店の統合についての書状が来ました。現在の支店はすぐ近くで便利なのですが、そこは廃止し、業務は隣接支店で行うようになるということでした。

 そこまではわからぬでもなかったのですが、驚いたのはその統合先が、バス電車を乗り継いで行かねばならぬところだったことです。かかる時間はともかくとして、バス1本で行ける支店があるにもかかわらずです。

 これは本店の現場を知らない人が、地図上の直線距離で一番近いところを選んだとしか思えません。後で行員に聞くと、どうもそうらしい様子でした。偉くなる人は現場を知らないというのは通弊です。年金の振込先の変更も、自分で通知しなければならないというので、書式と切手・封筒を何組か貰わねばならないと文句を言ったら、さすがにそれは銀行側がやってくれることになりましたが、それでも自分でやらねばならない分がいくつか残ります。それに貸金庫を利用する場合には、新しい支店に行かねばなりません。さらに、書状には代替ATMについての情報がなく、ちょっとパニック状態になりかかったほどです。一応旧支店の跡地にできると、当該支店の行員から聞いたのは後になってからでした。

 私は聴覚と歩行に不自由なところがあるので、こういうことは大変困るわけです。電話で用を足すことはできず、乗り物の乗り換えもいろいろ厄介です。一方的な知らせ方にも問題があるし、せめて統合先を同じ銀行のいくらか行きやすい他の支店に取り替えようと思っても、そのための手続きは膨大だというので、ちょっと取り組めません。

 政府の高齢化社会対策には金融庁も参画しているはずですが、こういうことへの配慮はないのかなと思ったことでした。金融資産の多くを高齢者が所持しているとか言われるのに、こんなことでいいのでしょうか、と言いたいところです。「金融資産を有する高齢者」というのはちゃんと別途把握していて、それなりに特別に対応しているから、おたくなどは関係ない、と言われればそれまでですが。なお、別件ですが、郵政の「改革」の今後についても、同じような不安が否定できません。
 


女性・女系天皇

 小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議 」(座長・吉川弘之元東京大学長)は10月25日の会合で、皇位継承資格を女性皇族に拡大し、女性・女系天皇を認めることを全会一致で正式決定したそうである。皇族に男子が40年間生まれないことによる皇統の危機を、ひとまず回避したといえる。

 

 しかし引っかかることもある。その一つは、有識者会議に皇室の人が参加していないことである。皇族の身分にかかわることの決定は皇室会議 によって行なわれ、皇室会議の10人の議員は三権の代表と宮内庁長官、および皇族2名であり、皇室の予算や皇族の身分の変更などを扱う。しかるに皇位継承という、個々の皇族の身分よりはるかに重大な問題の審議をする「有識者会議」の10名のメンバーの中に、皇族はおろか皇族の代弁をするべき宮内庁の関係者も入っていないのはどうも解せない。

 

 問題が単に女性を天皇にするということだけでなく、女系で天皇を継承してよいかというものであったことは、寡聞にしてこれまで知らなかった。そういう伝統に関することを、天皇サイドの人を抜きにして学者と官僚で論じて、一応結論めいたものを出すとは、いくら法律問題の形をとっているとしても妥当であろうか?

 

 ものごとは当事者を抜きにしては決めるべきでないということは、ようやく国民共通の認識になってきていると思う。あの、障害者から収奪することによって財政負担を軽減しようとしているかのような障害者支援自立法でも、それを審議した社会保障審議会障害者部会 には数人の障害当事者がいた。もっとも、最終案の審議にあたって法文の点訳が間に合わないという失策があり、視覚障害の、とくに盲聾の委員がその場で法案の詳細まで吟味できたかは大いに疑問であるが、ともかく当事者を入れて審議したという形は、あのような法案の場合でもとらざるをえなかった。

 

 他のところでも書いたが、私は現在のところ天皇制に反対する気はない。今の日本で大統領制になれば、小泉氏とか石原氏の類が大統領になりかねないので、それに比べれば天皇の方がよほどよい。しかし天皇家の人が審議にかかわったとして、どういう発言をしたかは想像できないが、仮に女系は受け入れられないと主張したならば、それはそれでもよいのではないか。そしていつの日にか女性天皇が出現し、その後男系が絶えたならば、その時に天皇制も終焉を迎えたのだと受け入れればよい。ふざけるなとお叱りを受けるかもしれないが、この場合には尊厳死という言葉がぴったりであろう。