さてと、入笠山に登った翌日、当初の想定では(ほとんどゴンドラリフトで登ってしまうのだからと)なめてかかっていただけに、も少し霧ヶ峰あたりで山歩きをしちゃおかなくらいに思っておったのでありますよ。

 

実際のところは運動不足をこじらせている身体はまことに正直なもので、ぜいぜい状態に陥ったというのは先にも触れたとおりでありまして。ただ、落ち着いてしまえば体力的には「まだ行ける!」感を抱いたところながら如何せん、靴がおしゃかになっており…。

 

草原歩きとはいえハイク途中で足元不如意になるのは避けねばと、何とも残念ながら霧ヶ峰はまた別に機会に。で、その代わりと言ってはなんですが、久しぶりに井戸尻考古館を訪ねてみるか…ということに。以前にも立ち寄ったことはありますけれど、折しも先日再放送されたEテレ『美の壺』の「縄文 美の1万年」の中で、紹介されていたりもしたもので。

 

 

ただ、この資料館はかなり地味なんですよねえ。入口からしてすでに気配を醸しておりましょう。屋外ににしても近辺が「史跡公園」とされているわりには、竪穴住居の復元が一棟だけぽつんと置かれているだけでして、お寂し感は否めないような…。

 

 

ただそうは言いましても、井戸尻遺跡は「縄文時代にも(狩猟採集ばかりでなしに)農耕が行われていた!」という「縄文農耕論」発祥の地でありますし、「(縄文)中期中葉の最盛期の土器は、土器形式で藤内式や井戸尻式と呼ばれる」(wikipedia)くらいの存在感あるものなのですな。ともあれ、館内に戻りましょう。

 

 

先の『美の壺』では、縄文土器の文様の読み解きに関わって井戸尻遺跡が紹介されたわけですが、この考古館の展示でも独特な解説が示されておりますよ。いくつか振り返っておくとしましょうかね。

 

 

こちらは井戸尻遺跡群のひとつ、九兵衛尾根遺跡から出土した深鉢の文様を拓本にしたものですけれど、「みづち文」と見立てられておるようで。で、以下は「みづち文」の解説文になります。

なにか正体のしれない、一対の怪異な水棲動物。…山椒魚とか魚類、または龍の属とみられる。ともかく、そうした要素が混合した想像的な水棲動物にはちがいないので、古語で「みづち」と称するのが似合う。
…この種の土器図像は、天地の始まりや洪水の神話に由来すると考えられる。…古代中国の神話伝説の鯀(こん)は息壌(そくじょう・いきづくつち)という増殖する土くれを天帝のもとから盗み、(鯀の)子の禹はそれを用いて洪水を治める。その鯀、禹の原像は水棲動物だと目されている。大地の素となる土くれが原初の海底からもたらされるという神話は、太平洋沿岸に広く分布する。

ちと引用が長くなりましたですが、縄文土器の文様が込められた大陸由来の神話と関わる、そして、治水を司る細長い形の水棲生物とは後々の日本の神話・伝承でも龍とか蛇とかとなって連綿と語り伝えられることになる。源泉はここにあったということになるのでありましょうか。

 

 

こちらの深鉢では側面にみづち文が見えておりますが、正面の図像はといえば、ちょいと前にNHK「土曜ドラマ」で放送された『地震のあとで』の最終話に出てきた「かえるくん」を思い出させるような。こうした「蛙ないし半人半蛙(はんじんはんあ)像およびこれらに類する文様は(縄文土器に)きわめて豊富で、土器図像の基本をなしている」(展示解説)そうなのでありますよ。

 

ヒトには必ず訪れる「死」を受け容れるに際して、「再生」へのあこがれというか、期待というか、そういうところを月の満ち欠けとか、潮の満ち引きかとかに見出して、昔々の人々は月、水などを神話形成の重要要素にしていったようでありますね。

 

そうした関わりから、「ヒキガエルは、月面の凸凹と同じいぼいぼを身に負っている。(出産というひとつの再生形態につながる)女性の整理は月と不思議な暗合で通ずる一方、赤ん坊の肢体のさまは蛙のそれによく似ている」(展示解説)ということになりまして、神話形成と土器文様の関わりにも影響してくるようで。

 

かつて山梨県立考古博物館で見た展示物をはじめ、縄文土器には出産をイメージしたような形がたくさん現れてきている。水、月、出産、そしてさらに蛙や龍・蛇といったあたりが複合的に絡んで縄文人の精神イメージが記録されているわけですが、それがさらに後々の神話や伝承にもつながってきているのですなあ。展示室に入る前には気付かなかったものの入口脇にはこんな説明板が掲げられておりましたですよ。

 

縄文の人たちは、神話や儀礼以前に生命の生誕を探求するなかで、母胎の中で行われている受胎してから誕生するまでのプロセスが、生命が海で誕生し、魚類が海から陸にあがって両生類、爬虫類、哺乳類の段階を経て人類となる過程と二重になってメタモルフォーゼしていることを認知していました...魚の時期を経て誕生する人間も動物も、さらには鉱物までもが胎芽期の生命体とイコールである、同等であるというアニミズムの思想の根幹に関わる表現だ。 田中基「諏訪学」

そして、もうひとつにはこのような。

 

記紀の神話は、二十世紀も前から、縄文中期から続いてきている...火の誕生というものを契機として、この世に死というものがもたらされる...(イザナミは)火の神の直前に、オオゲツヒメという神を生む。この神の殺された体から、作物が誕生する。そこには、作物の起源が語られている。 小林公明「甦る高原の縄文王国」

やっぱり縄文人は、ステレオタイプないわゆる原始人の像とは全く異なって、むしろ今よりのイメージで捉えるべきなのでありましょう。日本神話といえば、稲作との関係から弥生以降のつながりは想像していましたけれど、さらに縄文からであったのでしたか…。

誰が決めたか?往年の三大傑作マンガという括りがあるようで。人それぞれの思い浮かぶところはまちまちでしょうけれど、たましん美術館の解説にあった「往年の三大傑作マンガ」をそのまま、すぐさま思い浮かべる方はかなり減っているのではなかろうかと。何しろ、一にのらくろ、二に冒険ダン吉、三にタンク・タンクローであるとは。個人的に絵が浮かぶのはのらくろしかありません。

 

ということで、名前だけは知っていたものの、「はたしてどんなキャラクターなんだろうかいね」と出かけてみたのが、東京・立川にありますたましん美術館で開催中の「生誕130年 阪本牙城 タンク・タンクロー展」なのでありました。

 

 

五日市の出身ということで多摩ゆかりの作家・阪本牙城が1934年(昭和9年)、講談社刊『幼年倶楽部』に連載を開始、大好評を博したのが『タンク・タンクロー』であったということですが、大きな砲弾のような球形の体つきなのでしたか。イメージではてっきりタンク(戦車)に乗った主人公かと思いましたが、いわばロボットの類であるようで。

 

それだけに「日本SF漫画の元祖」とも言われるようですが、どんなところがSFであるとか申しますれば、フライヤーに曰く、かようなことであると…。

丸い鉄球の胴体に、8つの丸い窓。その窓から刀やピストル、大砲、翼などを出して自由に飛び回り、ワルモノをやっつけるタンクローは、スーパーヒーローとして戦前の子どもたちに絶大な人気を誇りました。

そりゃあ、何でも自由自在に強力アイテムを繰り出すとなれば、子どもたちにはさぞ人気となりましょうけれど、SF的にはそこにほとんど理屈はありませんですね。後世の子どもたちがドラえもんに夢中になったような感覚でありましょうかね。ドラえもんもおよそSFとまでは言われませんし。

 

余談ながら、フライヤーの右上の吹き出しに「ゆかい、つうかい、おもしろい!」とあるキャッチは、ドラえもん同様、藤子不二雄が生み出した『怪物くん』の主題歌に出てきた「愉快、痛快、奇々怪々」を思い出させたりも。年代的に藤子の二人はタンク・タンクローを幼少期に読んでいた可能性はありそうですけれど、はて…。

 

ところで、当然のことながらキャラクター設定には、時代感というものが大きく反映しておりますなあ。フライヤーを見ても分かりますが、タンクローは頭にちょんまげを乗せているという。取り出すアイテムも敵を倒すためとはいえ、なんとも戦時色を感じさせるものではなかろうかと。昭和初期の世相が偲ばれますですね。

 

そんなタンクロー、戦前の人気が高かっただけに戦後にも再登場することになります。これまた時局を反映してか、ちょんまげはシルクハットの中に隠して描かれるようになり、元々手には日本刀を持っていたところがステッキに代えられて。GHQによってチャンバラバラバラの時代劇映画が禁止されたりしましたから、作者として当然の処置とも言えましょうけれど、実際には作者自身の心境の変化もあったようで。

 

 

それは、作者自身が戦時下の満洲に赴いて、「奉仕隊漫画現地報告」なる記事を「満洲新聞」に掲載する役割を担ったりする中、戦争というものをつぶさに見て、感じるところも多かったのであろうと。1946年に再度タンクローは世に登場するものの、1952年に作られた最終話では、宿敵黒カブトに対してタンクローがかけた最後の言葉が「いのちをムダにするな」であったとは。

 

 

さらに作品として実を結ぶことはなかったにせよ、1953年頃に想を練っていた案には「原爆を研究する光だ博士による、世界中の原爆を消す大発明」が盛り込まれていたそうな。残されたノートのスケッチで分かるそうなのでありますよ。

 

でもって、戦後は取り分け水墨画を描いていたようで。水墨画は満洲からの帰国時から描き始めたとなれば、やはり何かしら思うところありとは考えてしまいますですねえ。

 

 

とまあ、入笠山の山中にあって靴底剥離というトラブルに見舞われつつも無事に下山したわけですが、取り敢えずは慢性的な運動不足ながらも山頂踏破(とは大袈裟ですが)という目的を達し、あいにくの雲だらけで自慢の眺望はきかず…というだけで終わらせては、入笠山の名折れともなりましょう。

 

この山は「四季折々の花々や手つかずの自然を満喫できる自然の宝庫」(富士見パノラマHP)とも言われるだけに、下山途中で(常に足元を気遣いながらも)そこらじゅうに見られる花々を愛でてきたことにも触れておかないといけませんですね。ただ季節は違えど、6月のすずらんの季節にも同様にその時季の花を愛でる記録を残しておりますので、ちと今回は趣向を変えることにいたしましょうかね。

 

 

例えばこんな…と思いましたが、お花畑にあって蜻蛉との組み合わせではちと情趣に欠ける気も。やはりひらひら舞い飛ぶ蝶が花にとまった瞬間を狙うべきであるかと。ですが、蝶々もひらひらなどと侮れない。思いのほか飛ぶ速度は速く、止まっても落ち着いておらないのですなあ…。

 

 

 

 

 

それぞれ蝶々との根競べのような沈黙のにらみ合いを経た成果ですけれど、せいぜいこのくらいですかねえ。花も蝶ももそっと種類はあったと思いますですが。もともと、さほどに昆虫好き、蝶々好きというわけではありませんが、最後に挙げたアサギマダラは素敵ですよねえ、ちともったいぶりましたが、こちらが個人的ベストショットになりましょう。

 

 

色合いがシックな上に胸元あたりに覗かせる水玉模様、何ともジェントルないでたちではなかろうかと、かねがね思っていたところでして、実際にひらひらを目の当たりにしますとなんとも言えず満ち足りた気持ちになったりも。

 

以前訪ねた「オオムラサキセンター」なる施設の展示解説によりますれば、日本の国蝶を選定するにあたってはアサギマダラも候補に挙がっていたそうな。さりながら、最終的にはオオムラサキに決定する過程の早い段階でアサギマダラは脱落を余儀なくされたというのですね。

 

理由としては「高い山にしかいないので、一般の人にはなじみがない」というもの。ま、オオムラサキにしても都会住まいの者には馴染みがないわけですけれど、まあ、国蝶などという大層なレッテルはともかくも、高い山に登ってこそそのジェントルな姿を目にすることができることをこそ幸いなるかなと思うべきかもしれませんですね。

 

ということで、山頂の眺めはお預けだったものの、「アサギマダラを見てきたよ」というお話なのでありました。下りのゴンドラリフトに乗るあたりから見ても、やっぱり八ヶ岳には雲がかかっておりましたですよ。

 

こういってはなんですけれど、「絵に描いたような」いい話でしたなあ。ユニセフが参画しているからでもありましょうね。『丘の上の本屋さん』というイタリア映画でありました。

 

イタリアの風光明媚な丘陵地帯を見下ろす丘の上の小さな古書店。店主リベロは、ある日、店の外で本を眺める移民の少年エシエンに声を掛け、好奇心旺盛なエシエンを気に入ってコミックから長編大作まで次々と店の本を貸し与えていく。リベロが語る読書の素晴らしさに熱心に耳を傾けるエシエン。感想を語り合ううちに、いつしか2人は友情で結ばれていく…。

本作公式HPのストーリー紹介に頼れば、こんな感じのお話ですな。とっかかりは漫画ですけれど、どうやら活字ばかりの本をも厭わず興味を示すエシエンは、将来の本好き候補生。今はただ貸すばかりながら、将来的には店の常連さんになってくれるのでは…なんつう商売っ気は一切無しの店主リベロなのでありましたよ。

 

だいたい古書店の店主というのは、店をして自らのブックワールドを展開していて、いわばその世界に浸っているところもある。商売ではあるも、たくさん売るということ、たくさん稼ぐということとは、ちと次元の異なる世界にいる人たちなようにも思えるところです。昨年読んだ鹿島茂『パリの本屋さん』を思い出したりもしますですねえ。

 

ともすると「偏屈な人なんじゃね…」と思ったりするも、本作では「訪れる風変りな客たちを温かく迎え入れるリベロの店は街のちょっとしたオアシス的な存在でもある」(公式HP)と、善良なる人らしさ全開なのですな。そんな店先でリベロに出会ったエシエンは幸運以外のなにものでもなろうかと。

 

本を貸してくれるだけでも親切といえましょうに、次々に貸し与える本は段階的に読書の楽しみを培うであろうと同時に、子どもながらいろいろなことを考える示唆が籠っているですから。エシエンにとってリベロは単に親切なおじさんというのみならず、メンターとも言える存在ではなかろうかと。それも、互いがそういう関係だといったことを意識せずにやりとりしているのが、実に微笑ましいわけで。

 

ちょいと前に立ち寄った「JICA地球ひろば」の展示では、紛争やテロ、貧困に苛まれる子供たちには食糧はもちろん、教育も行き届かないようすが解説されていたわけですが、教育の点でいえば高邁な考えに基づくカリキュラムを実践する「学校」という形が仮に無くとも、エシエンに対するリベロのようなメンターがいて、過去の知の蓄積である書物があれば、人間としての思考はかなり育まれることになるような気がしたものです。

 

もちろん、最先端の科学分野にまで至る教授がなされるわけではないという点で公平さを欠くとしても、少なくとも長い歴史の中で人間が積み重ねて来た叡智を吸収していけるのではなかろうかと。

 

おそらくは小学校4~5年生かなというくらいのエシエンに対して、課題と言っては大袈裟ですが、「次にはこれを読むといい」と言ってリベロが渡す本は、相手が子供だからという容赦はないのですな。ただ、分からなくても良いとして、考えることを促す。無い者ねだりを承知で言えば、こういう教師と巡り合った子供の将来はとてもとても楽しみではありませんか。

 

ユニセフと言えば、「なんだかやたらに募金を募っておるようであるな…」という印象でもあり、現実にそれだけ何等かの支援を必要とする子供たちいるのも事実でしょうけれど、募金で集まったお金の使いみちはどんなふうになっておりましょうかね。ちと気になってきましたですよ。広告費や人件費に結構かかっているでしょうねえ…。

若い頃にはよく山歩きに出かけていたものの近頃はさっぱりで、入笠山(の山頂まで)に登ったのは久しぶりの山歩きということに…と申したですが、直近ではどうだったかなと思い出してみますと、どうやら3年前の2022年5月、丹沢手前の低山以来ということになるようで。もっともこの時のピークは標高284mですので、その名に恥じぬ?低山ハイクだったわけですが…。

 

ともあれ、その後にも山歩きに出かけるつもりがなかったわけではないものの、山へ出かけるのに俄かに急浮上してきた問題がありますですね。入笠山でも然りでしたけれど。

 

 

「熊出没注意」。

昔から山登りの際には、熊との遭遇に注意を払う必要があるとはされていましたけれど、昨今のようにその危険性がクローズアップされることはなかったのですよね。まあ、山中ならずとも、里山のきわというか、ともすると山林に近い住宅地にまで熊が現れ、しかも人的被害が生じていることが日々報じられるような状況に至ろうとは、思ってもみないことでありました。

 

ですので、「君子危うきに近寄らず」てなことを言い訳にして、運動不足解消をも目した山歩きからとおざかり、なおのこと運動不足をこじらせて現在に至っておるわけです。が、このほど思い立ったのは「入笠山なら、人が結構多いから熊も遠慮するのではないかいね」という楽観視にも背中を押されたという。

 

事前に周辺の熊目撃情報を検索してみますと、全く出ていないではないものの、メインとなる登山ルート上ではおよそ見かけられていないことを見てとり、「いざ!」となったのではありました…が、やはり山で熊に出くわす可能性はもはや常識段階に入ったのであるか、登山目的然とした姿の方々はほぼほぼザックに熊鈴を取り付けていたようでありましたよ。

 

そんな気付きはすでにゴンドラリフトで上にあがってしまった後でしたので、「どうしたものか…」(要するに熊鈴を装備していない…)と思いましたが、予想通りに頂上を目指す人たちがそこそこいる中、他の人の鈴の音の恩恵にあやかって進むことにしたのですな。

 

そうは言っても、登っていくにつれてスピードは人それぞれにまちまちで、気付けば前に後にも人影は無く、鈴の音も聞こえてこなくなる瞬間が何度も生じてしまい、「まずいかも…」と思ったりも。鈴に代わるものとしては、ラジオを鳴らしながら歩く、歌を歌いながら歩くなどといった対処法もあるようながら、この時は登りで息が上がり(恥ずかしながら)ぜいぜい言っており、このぜいぜい息を吐いたり吸ったりする音を殊更大きくして進んでいったものでありました。

 

おそらく登山者の間ではもはや熊鈴持参は必須なのでしょう。それだけに、持たずに山に入って何事かあったら、それこそ自己責任として叩かれるような雰囲気にもなっているのであろうかと。

 

てな話をしてきますと、入笠山の山頂からの下りに際して「トラブルが…」と申したことは、果たして熊との遭遇であったか?!と思われてしまうかもですが、幸いにして第三酒接近遭遇のようなことはありませなんだ。では、トラブルとは何であるとなれば、これなのでして…。

 

 

靴底がもげておるのがご覧いただけましょうや。やっぱり靴の安物買い(確か1万円しない価格だったのではないかと)はやめておくべきでありましたよ。

 

頂上から下り始めて間もなく、なんだかぺっこんぺっこんするなあと思えば、この始末。かろうじて前方は剥がれておらないものの、全部そっくり取れてしまってはさらに山道を歩きにくい。仕方なく、だましだまし下ったという次第なのでありました。こんな道で靴の不具合はしんどいものでありましたよ。

 

 

ということで、教訓。本格的な登山でもないし…的なエクスキューズは全く戯言にしか過ぎず、高かろうが低かろうが、いったん山へ入るにあたっては装備に気をいけませんですね。そのうちに、もそっとしっかりした登山靴と、そして熊鈴を買いに専門店に出向こうと考えておるのでありました。