静岡市にあります模型メーカー・株式会社タミヤの「タミヤ歴史館」を訪ねて、旅の振り返りというよりは子供の頃の思い出話のようになってしまっておりますが、歴史館の展示からタミヤ苦闘の歴史?を見ておくことにしようかと。

 

以前立ち寄った静岡ホビースクエアでの説明を思い出してみれば、「(ホビーのまち静岡は)歴史的にも戦前の木製模型作り以来のものであ」るということになるわけでして、そう考えますとタミヤはむしろ後発組ということになるのかも。

 

 

現在の模型メーカーに至る会社の設立は戦後の1946年であったと言いますし、元々の業種としては製材業、「一般建築材の加工販売を目的」(同社HP沿革)であったそうですから。それが模型メーカーへと転身する(しなければならなくなった)理由には、1951年に火災で工場が全焼したことがあるようで。木製模型はすでに手掛け始めていたとはいえ、工場の焼失で大きな建材でなくして小さな木製模型専業へと切り替えざるをえなかったようです。

 

 

 

 

当初作られていた木製模型はこのあたりですかね。いずれも「あったねえ!」という懐かしの品々でもあろうかと。いかにもな子供の玩具然とした姿かたちですけれど、これが5年も経ちますとリアルさの再現性で勝負するようになっていくようすが見えますですね。

 

 

当時は船舶模型に力を入れていたのでしょう、しかも時代相なのですかねえ、戦艦の模型が人気を呼んでいたようで、1959年には1/200スケールの戦艦武蔵が発売されますが、これは「木製艦船模型の金字塔」(自称?)とも言われたようで。

 

 

さりながら、1950年代後半の時期、アメリカから入ってきたプラモデルに市場の目は注がれるようになっていたようで、想像するに成型のしやすさとそれに伴う再現性の高さ、加えておそらくは(初期投資はともかくとして)安価で提供できる点がメリットとなって、木製模型メーカーはプラモ製造へと向かうことに。タミヤも同様に、ですな。

 

 

木製模型の金字塔とまで言われた戦艦武蔵をリリースしていたタミヤだけに、同社初となるプラモには満を持して?戦艦大和で勝負をかけたのが1960年だそうで。ですが、黒歴史的な述懐を展示解説から引用しますと、こんなことになります。

1960年、…やっと発売日のメドが立ってきました。ところが発売直前になり、思わぬ事態が起こりました。私たちより一足先に「戦艦武蔵」が発売されたのです。…いちばんあわてたのは、私たちが予定していた小売価格より、はるかに安いことでした。結果は惨敗でした。…

社運を賭けたプラモ参入戦で惨敗を喫したタミヤ、新たな勝負を掛けたくとも資金不足となり、よもやの「木製模型への苦渋の大回顧」を迫られることに。

 

 

その頃の製品も展示にありましたですが、「う~む、おもちゃっぽい…」という印象が。でもって、プラモデル製作が無理ならば、別素材でとばかりに発泡スチロール製の模型キットも発売したそうですが、見るからに残念感が漂うというか。安価だったので、子供にはそこそこ売れたそうではありますが…。

 

 

てな具合に苦しい経営の続き時期があったわけですが、今でもタミヤは世界的な模型メーカーとして知られておるというからには、後に飛躍が待っているということになりますですね。プラモデルの話が長くなって恐縮ですが、次にその飛躍のほどを辿ってタミヤ歴史館探訪を締めくくろうと思っておりますよ。