静岡市のタミヤ歴史館を訪ねて、創業当初の浮沈(木製模型の金字塔を出したり、初のプラモがこけてしまったり…)を辿りましたですが、その続きになります。

 

一時は木製模型に回帰せざるをえなくなり、またその場しのぎ?に発泡スチロール製の模型を出したりもしたタミヤですけれど、いかにも安っぽい発泡スチロール製品であっても、キットを収める箱の意匠には手を抜かなかったのですかね、「模型の内容はともかく、ボックストップのイラストはすばらしい!」(展示解説より)てな評価があったりしたようで。例えば、こんな。

 

 

プラモデルの箱を飾るイラストは「ボックスアート」と言われたりもするようでして、「(昭和30年ごろからアメリカ製のキットが輸入され始めた)当時アメリカのメーカーのボックスは、イラストもとても新鮮で箱のデザインとともに、まさにボックスアートとして成り立ってい」たくらいであると。

 

これに触発されたタミヤとしては「正確な資料性」を箱絵に込めようと手抜き無しの方向を打ち出したようでありますね。そんな箱絵へのこだわりも一段と進化して、雌伏2年を経た1962年、遂にプラモデルでもって起死回生の一発を放つことになるのですなあ。

 

 

同社沿革にはただ「モーターライズ・プラスチックモデル戦車の第1号・1/35 パンサータンクを発売」と、さらり流してありますが、実際のところ、発売早々に追加注文が舞い込むような具合で「うはうは」だったのではないかと。箱絵にも気合が入っているようすが窺えるところでして、担当したのはかの!小松崎茂。兵器もさりながら空想科学小説(SFというよりこの言葉の方が馴染むような)的な挿絵を描かせたら天下一品の描き手になりますですね。

 

また、この製品の凄いところは「モーターライズ」とありますように、リモコンで動かせる点でもありましょう。こんなヒット商品からタミヤの快進撃が始まったのですなあ。ですが、いつまでも兵器(人気は根強いものがあるとしても)ばかりというわけにもいかず、培った動くプラモの技術でもって、登場させたのがこちら、「ミニ四駆」シリーズでございますよ。

 

 

同社沿革でも1982年7月のところに「のちに大ヒットシリーズとなるミニ四駆がフォード・レインジャー4×4を第1作としてスタート。」と、堂々と「大ヒット」と記してありますな。上の写真は何度か代替わりした後の発展形ミニ四駆ですけれど、続々とシリーズを発表するほどに盛り上がった「ミニ四駆」も近頃はちいとも耳にすることがなくなって…と思っていましたら、ミニ四駆のレース大会は今でも続いているのであったとは?!

 

今年も「ミニ四駆ジャパンカップ2025」の予選が各地で進行中であり、11月にはこのタミヤ本社のホールでチャンピオン決定戦が行われる運びであるとか。根強い人気があるのですなあ。個人的にはプラモ作りは遥か以前に遠のいた昔のことですので、近頃の動向は知らず、人気プラモの主流はガンプラ(発売はバンダイ)ばかりかと思っておりましたが。

 

てなことで、もっぱら懐かしさばかりで訪ねてしまったタミヤ歴史館。HPの案内に「要事前予約」とあったものですから段取りを踏んで出向いたところ、「予約して来てくださったからには、これを」と受付で、タミヤの二つ星マークが入ったクリアファイルがプレゼントされて…ということは、予約無しで行ってもよかったのか?と。まあ、かの二つ星クリアファイルのデザインに一瞬ながら懐かしさで心が震える感覚がありましたので、予約の甲斐はあったというものですけれどね。

 

 

ちなみに現在のタミヤでは、動きの技術を活かして、スケルトンタイプで動く仕組みが見えるような教育玩具も作っておるようで。ガラスケースの端に見えている「タミヤの工作ガイドブック」には「モノ作り体験で創造力と思考力を育む」とありますけれど、将来日本のモノ作りの担い手がここから生まれてくるのかもしれませんですね(と、さすがにタミヤのお話はこれでおしまい。次はまた違うお話で)。

 


 

で、またまた唐突ながら、「思い立ったが吉日」をなおのことひしと感じている頃合いだけに、またちょいと山歩きに出かけてまいります。先月の入笠山でヘタレたトレッキングシューズの代わりを調達しましたので、そのデビュー戦という次第。明日(9/18)はお休みで、明後日(9/19)にまたお目にかかれますよう、ではでは。