信州・諏訪湖の湖畔に佇むサンリツ服部美術館。お目当ては同館所蔵の国宝茶碗だったわけですが、茶道具関係の展示室とは別室でやはり開館30周年記念(ということは少々気合の入った?)として、「絵の中の時間」という展示が行われていたのですね。国宝茶碗お目当てを脇へ措くなれば、こちらの展覧会の方が個人的には面白かったような気がしたものです。

 

時間は私たちの周りを常に流れ、過去から現在、現在から未来へのうつり変わりとして意識されています。目には見えないため非常にとらえにくいものですが、絵画には時刻や時間、永遠と刹那など時間に関する様々なものが表現されてきました。

同館HPの展示紹介にはこんなふうにありまして、そもそもある場面をキャンバスに固定する絵画にあって、時間という流れ去るものを表現するのは特殊なことのような気もするものですから、さまざまな表現には頭をひねったり、手前勝手な得心をしたりと、そのあたりが実に面白いわけなのですね。

 

最初のコーナーは「象徴としての時計」ということで、服部時計店と関わり深い同館らしいところから。絵画は場面をキャンバスに固定するてなことを申しましたが、時計という時を刻む機械を「時」の象徴として描き込む作戦は、そういえば古くから静物画などで採られておりましたなあ。ここではネーデルラント絵画の静物画あたりはコレクション外で近現代中心のせいか見当たらないものの、シャガールビュフェの作品が展示されていたですねえ。

 

興味深いのはビュフェの「振り子時計」という作品でして、場面の中に時の移ろいをイメージさせよう(つまりはメメント・モリに通ずるわけですが)とするのが描き込まれる時計の役割として、ここではむしろ時の静止が強調されているように感じたものなのですね。ビュフェによく見られる縦方向の線の多用が緊張感を生み、研ぎ澄まされた感覚、張り詰めた感覚が呼び覚まされて思わず息を詰めてしまう。静止のイメージにつながる由縁ですけれど、不思議なことに静止=静寂とはならない、ぞわぞわ感を併せ持つのがビュフェらしいところでしょうかね。

 

一方で、「時を留める」というコーナーは瞬間の固定が意識されたところでしょうけれど、これまた見ていて面白いのおと。なんとなれば、マリー・ローランサンの「チューリップのある静物」では花の美しさを描き残んがために描いているのであろうものの、作者の意図は量り兼ねるも、古来のヨーロッパ絵画の伝統を思い浮かべてしまうせいか、花には「やがて枯れていく予感」が漂ってしまうような。これも不思議ですよねえ。

 

そして最後のコーナーは「過ぎゆく時間」と題して、日本の洋画家作品を集めてありました。その中で目を止めたのは池袋モンパルナスの画家のひとり、春日部洋の「アクロポリス」でしょうか。古代ギリシアの遺した壮大なる廃墟とも言えるアクロポリスを写し取った点では、見た目そのままの現状がとどめられているわけですけれど、特段の技法やらテクニック、はたまた作者の何かしらの作為が(おそらく)無いにも関わらず、見る側としてはそこに過去から現在に至る長い時間を勝手に想起してしまうわけでして。

 

とまあ、展示点数は多くはないものの、そんなふうにして絵画作品を見る、と同時に見ながらあれこれと思い巡らす、それが展覧会のお楽しみでもありますですね。ああ、面白かった。