先日『武田勝頼-日本に隠れなき弓取』展@山梨県立博物館のことを書きましたときに、長篠合戦後に勝頼が採った戦略として自らの陣営を立て直す中、「安芸毛利氏・伊予河野氏とも同盟」てなことにさらりと触れましたですな。ですが、安芸の毛利に見当はついても、伊予の河野には「はて?」と。そんなふうに思っていた矢先だけに、その伊予河野氏を扱った歴史小説を手に取ってみた次第。今村翔吾『海を破る者』という一冊でありますよ。

 

 

伊予河野氏を扱うとはいうものの、武田勝頼と盟約を結ぶといった戦国の世からは遥かに昔の鎌倉時代、折しも元寇の脅威にさらされていた頃のお話なのですな、本書は。四国は伊予の地に古くからある豪族という河野氏、どうやら西国の地にありながらも源平合戦では早くから源氏に与したことで、鎌倉幕府の当初は有力御家人の地位にあったそうな。

 

ですが、承久の乱で反幕府勢力に肩入れしたことから没落、その後には同族内の争いが絶えず、本書の主人公・河野六郎通有の時代に些かの復権はあるものの、断続的に内紛が起こってしまったようで。家運を盛り立てるに至らず…となれば、勝頼にとって恃むに足る相手ではもはやなかったのかも。

 

しばらく前に読んだ和田竜『村上海賊の娘』は、織田信長の本願寺攻めに関わる村上水軍の話でしたけれど、村上水軍自体、古くは伊予河野氏の傘下にあったところが、すでに本願寺攻めの時代、村上水軍の大勢は毛利の側に傾いて、「河野には昔の恩義はあるけれど…」的な存在になっておったような。戦国時代として思い浮かぶあれこれの局面でも、およそ河野の名前が挙がることは無く、従って「伊予河野?はて?」てなふうになってしまったもおるのでありましょうね。

 

ともあれ、物語は元寇の再来、弘安の役に水軍を率いて臨む六郎通有を主人公に、河野復権につながる働きを語るのでして、上の画像にも見える「日本史上最大の危機である元寇、没落御家人が御家復興のために立つ」という勇ましい文言からも、元寇を描いた物語と映ろうかと思いますが、実は元寇を描いて元寇の話では無いとも言えようかと。肝心なのは先の惹句の下に添えられた「なぜ人と人は争わなければならないのか?」でありましょう。

 

元寇という以上に、河野通有を扱ったこのお話、元々情報量の少ない(?)河野氏だけに、作者の想像による大々的な虚構で成り立っているものと思いますが、歴史の中の大事件などはまさにその時にどういう
ことが起こったのか…といったことを語る歴史小説の枠をはみ出すものになってもいるような。確かにベースは元寇を背景とはしているものの。

 

「なぜ人と人は争わなければならないのか?」

今でこそかかる疑問は誰しも考えるものでしょうけれど、これを直ちに歴史叙述の中に織り込むのは現代感覚以外のなにものでもないのでしょうねえ。鎌倉時代に生きていた武士たちが同じような感覚を抱くということを自然に受け止めるとすれば、歴史を見誤ることにもなろうかと。

 

あたかも先年の大河ドラマ『どうする家康』で築山殿が大和平構想を展開するあたりを思い出したりしましたけれど、これも定説的に信じられていることがあるだけに大きな戸惑いが起こったわけながら、伊予河野にはそうした予備知識がおよそない分、自由に話を作れたのでもありましょう。

 

ネタバレを避けるとすれば、「元軍はなぜ攻めてくるのか」、「高麗はなぜ元軍に加担せねばならないのか」、「日本はなぜこれを迎え撃つということにならざるをえないのか」、そうした思いを主人公の通有が抱いて従来に臨む、またそんな思いを抱くことになったそれまでを描いているとだけは言えましょうか。

 

要するに、極めて素朴に言ってしまうと「なぜ皆、仲良く暮らせないのであるか」というところになってしまって、いつの世も世の中そんなに単純でも簡単でもないとなってしまいましょうか。それにしても、この「なぜ」を忘れてはいけんですよねえ。

 

通有が「なぜ」を形成する背景には、モンゴル帝国拡大の犠牲となった地域で奴隷として売り買いを繰り返されて日本の伊予に流れ着き、通有に拾われる二人の人物が大きく関わりますけれど、そのうちのひとりがいわゆる「タタールのくびき」の犠牲者たるルーシ人なのですよね。

 

当時のルーシはウクライナもロシアも含んでいたわけですが、そんな地域が今では敵味方に分かれて戦闘が繰り返されている。やはり「なぜ」の疑問は普遍的なものでありますよね。

 

この小説の初出は『別冊文藝春秋』への連載で、2020年3月号から始まったそうですから、ロシアがウクライナに全面的な侵攻を開始する以前ですけれど、戦闘が止まない今読んで考えるところの多いものとなっているのは奇縁ともいえましょうか。

 

鎌倉時代、河野氏、元寇という歴史的な切り口で読めるものとなっている(主人公・通有と『蒙古襲来絵詞』を作らせたことで知られる竹崎季長の絡みとか、河野一族であるという一遍上人との)一方で、それを背景にして本当に語りたかったのはやはり「なぜ」の部分、歴史物語の衣でもって語るのは過去ばかりでないということになりましょうね。