朝早めにクアラルンプールから移動してマラッカをあちこち歩いて廻りましたですが、この日最後の立ち寄りポイントへ。休館日の関係から、どうしてもこの日に覗いておかねばと思ったのが、マラッカ海洋博物館でありまして。実に目を引く博物館の姿かたち、まあ、船そのものですのでねえ。
船の名はフローラ・デ・ラ・マール号、ポルトガルからやってきて、マラッカ王国を占領したアルフォンソ・デ・アルブケルケ(英語読みすると、アルバカーキとなって、米国ニューメキシコ州の都市名となりますが、こちらはスペインの関係である由)が乗船していた船ということですが、あいにくと実物はスマトラ島沖で1511年に沈没してしまったそうな。その原寸大レプリカの内部を展示スペースにしておるということなのでありますよ。
余談ながら、先に宮城県石巻市で見たサン・ファン・バウティスタ号は紆余曲折を経て、残念ながら1/4スケールになってしまったものの、やはり原寸大で実際に館内に乗り込めるというのは大きな集客ポイントにもなろうかと。こちらが(津波被害などは無いものの)維持できているということは、石巻の宮城県慶長使節船ミュージアムよりも来場者が多いのであるか?と思いかけましたが、マラッカの町自体が世界遺産とあっては石巻と比べることは詮無い話であったかとも。
ともあれ、外に掲示されたマレー語・英語併記の案内によりますと、「ポルトガルのガレオン船を象った博物館の館内では、7つの区分によるマラッカの海事関係の歴史を紹介している」ということで。ここに言う7つの区分というのは、次のとおりです。
- 14世紀~1511年 いわゆるマラッカ王国の時代
- 1511年~1641年 ポルトガル支配の時代
- 1641年~1795年 オランダ支配の時代
- 1795年~1941年 英国支配の時代
- 1941年~1945年 日本支配の時代
- 1945年~1957年 英国による再支配の時代
- 1957年~ マレーシア独立後の時代
これだけ見ても苦難の歴史が偲ばれようというものですが、日本の統治は一時ながらも、先日放送されたカラー版「映像の世紀」ではお隣、インドネシアの少年少女に日の丸の小旗を両手に持たせ、日本語の歌を歌って踊らせる場面が出てきてましたので、マレー半島側でもこれと差の無い日本語押し付け教育なども行ったのであろうと。いやはやです。
話がまた逸れかけたところで中へ…というところで、ひとつ誤解無きように申しておかねばりませんのが、お天気のこと。一番上の写真をご覧になりますと、晴れ渡る青空の下に入館したかのようですが、これはマラッカ到着早々、マラッカタワーからババ・ニョニャ・ヘリテージ博物館へと向かう昼前段階で撮影していたものなのですな。すでに時計の針はたっぷりと進んでおったのでして…。
マラッカ川の岸辺に設けられた博物館、というより船の上に上がってみますと、一転にわかに搔き曇りといった雰囲気が。これが実はこの後の鑑賞の妨げになったりもするものですから、ちと注釈を施した次第です。
もとより館内は、目立つ外観のランドマークなだけに結構な入場者がおり、家族連れが多いこともあって子供たちが走り回っている状況では、落ち着いて展示を眺めやることもままらず…。加えて、先ほど触れたお天気のようすが悪化の一途を辿って、再び甲板に出てみればこれ、このとおりに。
この後ほどなくバケツをひっくり返したような土砂降りとなりまして、甲板にいた人たちはもんどりうって船室内になだれ込む、実際に航海で嵐に襲われたような状況に立ち至り、もはや是非も無し…と退散を決め込んだのでありました。
幸いにもというか、用意周到にも当方は傘を持参しておりましたので、いち早い退散の決断ができたわけですが、これはクアラルンプール停滞中、毎日夕方頃にスコール(尋常な雨ではありません)に祟られている町の姿を眺めやっていたことから得た知恵でありますよ。
と、内容には大いに興味のある博物館であったものの、あえなく退散となったのは些か残念でしたが、もう一つだけ触れておきましょうかね。
海洋博物館として復元された元のポルトガル船フローラ・デ・ラ・マール号はマラッカで得た(略奪した)財宝などを積んで出港するも、スマトラ島沖で(つまりはまだマラッカ海峡から出ないうちに?)沈没してしまった…とは先にも触れましたですね。ただ、この部分の英文解説には「by the will of God」という言葉が添えられていたのですなあ。「神の御意思により」船は沈んだのであると。
大航海時代のポルトガル(スペインもですが)の海外進出はカトリック布教とセットになっていて、船の帆にも大きく十字が描かれている。つまりは、キリスト教を背負って出張ってきているのですよね。その船を沈没させる神の意思とは?になりますが、ここはマレーシアだけにイスラムの神が財宝の持ち出しに待ったをかけたということであったかと、遅まきながら気付かされたのでありましたよ。
ちなみに、雨に降りこめられ、ほうほうの体でホテルにたどり着いてみれば、窓外では町全体をもやあっと雨の煙幕が覆っているのでありました。
三寒四温、というには気温の上がり下がりが大きく、春が近づいてきているのかと思えば雪が降ったりも。昨日、一昨日は本当に寒さが募ったものですから、思い立ってさほど遠からぬ温泉につかりに行ってくることに。ですので明日(3/7)はお休みを頂戴いたしまして、また明後日(3/8)予定でお目に掛かれますよう。ではでは。