俳聖・松尾芭蕉がみちのくの旅の途次、「ここで十泊もしたんですよ」ということを誇り(?)にもしている山形県尾花沢。芭蕉滞在中の宿所となった養泉寺などを町なか散策がてら訪ねてみたわけですが、ところどころにある道標によれば、養泉寺のほど近く、尾花沢代官所跡という史跡があるということですので、ちと(パス待合所とは反対方向になります)寄り道を。ですが、たどり着いたところにあるのは、尾花沢小学校なのでありましたよ。
正面に見える石碑がいささか気になるところでしたですが、門の脇には「ご用のない方は校地内に立ち入らないでください」と大書した看板があるのはいずこの学校でも同様でありましょう。この場合の「ご用」というのは、小学校そのものに用があることを想定していることは言わずもがな。史跡の名残を求めてうろうろするのは本意にもとることで、あたりをきょろきょろしていては不審者と見紛う行為になりましょうから、即時撤退を決意したのでありました。
後知恵ですが、やはり明治になるまではこの地に尾花沢代官陣屋があったようで、その後に敷地には小学校が建てられたようで。ともあれ、あまり道草を食っておりますと、村山駅までのバスを逃し、ひいては東京まで帰り着けない事態になってもいけませんので、そろそろバス待合所へ戻ることに。
相変わらず町なかに人の往来は見られず、暑さばかりが厳しい、し~んとした中で歩みを進めていたわけですが、折しも件の小学校で下校時刻が到来したのでしょう、後ろの方から子どもたちの駆け足の音とともに賑々しいはしゃぎ声が聞こえてきたのでありますよ。戯れ、駆け回る子どもたちと、束の間、抜きつ抜かれつの状態になりまして、「こんなに子どもたちがいるんだから安泰だね」と余計なお世話の思い巡らしを。
さりながら、順々に家に帰り着いていくのか、子どもたちの声は小さくなり、やがては元の「し~ん」が還ってきた頃、バス待合所に到達したのでありますよ。こうなると、静まり返ったようすに先ほどの「安泰か」の思いを他所に、「さっきの子どもたちもやがては山形市や仙台、はたまた東京へと出て行ってしまうのであるかなあ…」とも思えてきたものでありました。
とまれ、待合所で待つことしばし、またまた「48ライナー」(仙台に直通しているのですよねえ…)に乗り込んで村山駅前で下車。ホテルに預けた荷物をピックアップして、いよいよ旅じまいにかかります。村山駅からは山形新幹線が東京まで通じていますので、これですい~っと帰れるわけながら、そも今回の山形行きはJALの中途半端に溜まったマイルを無駄にせんがため、片道を飛行機利用としておりましたので、取り敢えず向かうのは山形空港ということに。
村山駅前・山形空港間には「空港ライナー」というのが通っておりまして…といって、定時運行のバスではなくしてタクシー・チャーターなんですが、運賃800円とはあちこちのリムジンバスよりよほど安価ではありませんでしょうか。乗車時間は20分くらいですかね、「おいしい山形空港」に到着です。
いつの頃からか、各地の空港にあれこれ(妙な?)愛称が付くようになっていますけれど、山形空港の冠はずばり「おいしい」であると。文字通りにおいしい食べ物がたくさんあるということと共に、(山形空港HPによれば)「好ましい」、「見事だ」という意味があり、「食、景色、祭り、温泉などすべてがおいしい。」そんな思いを込めて、採用されたネーミングということで。同時に庄内空港の方も「おいしい庄内空港」となったようでありますよ。ところが…。
一方で、こちらは山形駅の東西自由通路で見かけた看板なのですね。「おいしい山形」を謳っているも、ここではひたすらに食に関するアピールのようです。「おいしい山形推進機構」HPでは『おいしい山形』を山形県農産物等統一キャッチフレーズとしているようす。空港の方と、微妙にかみ合っていないような気がしますですね。
ではありますが、ともかくおいしい、おいしいとアピールされている山形の食だけに、搭乗待ちの時間に最後の食事と空港レストランに入ったのでありました。が、夕刻で手じまい近いこともあり、結局のところ今回は芋煮にありつくことはできませなんだ。もっともこの日は日中、汗だくになって歩き廻った一日でしたので、ここはやはり山形名物の「冷たいラーメン」を。いわゆる冷やし中華とは全くの別ものですな。
昼に村山駅前で食した「冷たい肉うどん」以上の冷や冷や感であることは、丼の中にごろごろと氷が浮かんでいることからも推測されましたですが、さすがにひと目見た時には少々引き気味に(笑)。チャーシューの脂が郡の表面にへばりついていたりするところなど、いささか見目わろしとも。とはいうものの、食してみれば「これはあるな!」と大きく頷いてしまったりも。この旅ののち、本格的暑い暑い夏が続いたわけですが、その間に何度も「冷たいラーメン、食いたいねえ」などと思ったものなのでありますよ。
で、晩飯がわりにラーメン一杯ではちとさびしいので、おつまみ的に二品ほど。まず、鶏の唐揚げに見えるひと品は「麩の唐揚げ」なのですな。山形空港のある東根市に創業文久年間という麩づくりの老舗があるそうで、名物のようです。こう言ってはなんですが、普通にうまい!
で、もうひとつですが、この写真では「何?」としか思えないものの、半熟くんせい卵(のカラを剥いていない状態)なのでありますよ。「スモッち」という商品名で、これまた山形名物となっておると。これははっきりとうまい!でしたなあ。
てなふうにお腹を満たして屋上の展望デッキに出て見れば、遅延の告げられていた羽田からのフライトが到着。山形-東京便は子会社J-AIR運航のちいさめの機材、まあ、新幹線と完全競合して分の悪い路線でしょうからねえ。ともあれ、ほどなく機上の人となりまして、無事に羽田に戻ってまいりました。乗っている時間は55分ほど、あっという間のトワイライト・フライトなのでありましたよ。これにて、『紅花の山形路紀行』は全巻の読み終わりにございます。