「京阪淀川紀行」が終って「また次の旅で…」などと言いつつ、未だ「紅花の山形路紀行」は最後まで至っておりませなんだ。こちらの方は今少しお付き合いのほどを。
山形を訪ねるとあって、川好き船好きとしては楽しみしていた三難所舟下りが(文字通り?)お流れとなりましたですが、このまま最上川の姿を間近に見ることなしに済まされようか…という思いがふつふつと。
そんなときに思い出したのが、天童で宿泊したホテルの方(天童そばの店に案内してくれた人)が「ここ、いいですよ。最上川を望むテラスもありますし」と案内してくれていた美術館。天童市内の観光施設ならいざ知らず、村山市にある美術館まで紹介してくれたのは、蕎麦屋から車で送ってもらった際に出羽桜美術館で降ろしてもらって、「おそらくはこのお客さん、美術好きであるか」と想像されたからでもありましょう。
予めプランニング段階で村山市に「最上川美術館」という施設があるとは気付いておりましたが、交通不便(何せ公共交通機関頼みですので)とほぼ見送りとしていた次第。さりながら、村山を訪ねてみれば観光客向けに「ワンコインタクシー」なるサービスが提供されておると。
駅満から乗る分には客待ちのタクシーが数台いるわけですが、出かけた先から戻るときには「どうすれば…?」と駅の観光案内所で尋ねてみますと、「タクシー会社に電話して呼んでください」ということなのですな。つまり迎車料金無しで、随時迎えに来てくれるとは、走っていても本数の至って少ないバス路線よりもよほど使い勝手がいいではありませんか(ただし、村山駅を含むいくつかの観光施設の間を相互に行き来する以外は使えませんが)。
ということで、最上徳内記念館からいったん駅前に戻り、タクシーですぃ~っと、しかし結構な山中へと導かれて最上川美術館へ。おそらくはバスでも500円の運賃では行けないであろう距離を走った先に、美術館はありました。
「山形県の母なる川「最上川」をこよなく愛した洋画家真下慶治画伯(故人)の貴重な作品群を展示しています」と村山市の観光ガイドに記されているだけに、最上川の情景をさまざまに見られる場所なわけですね。
ところで、まずは入館料(300円)をお支払いして…と受付に立ち寄りますと、「建築関係の方ですか」というお尋ねが。そんなふうな風体に見えたのかどうかはともかくも、どうやらこの美術館、展示作品はもちろんながら、建物の方をこそ訪ねてくる方もおられるようで。
地元(山形県村山市楯岡)出身の建築家・髙宮眞介の設計によるこの建物、「最上川を眼下に望む高台に位置し、なだらかな丘陵と杉林を背景に、周りの景観に溶け込む建築」(同館HP)で、「木造(村山市産材)の可能性を追求した先駆的工法」(同)などであることから、第13回「公共建築賞」を受賞しているそうな。確かに個性的な建物で、木材の多様ぶりから安直に「隈研吾であるか…?」とも思っていましたが…。
ともあれ、訪ねた時(7/4)には「真下慶治 画家の生涯 最上川Ⅱ-人々の暮らし-」というタイトルで展示が行われておりましたですよ(会期は9/3で終了)。開館20周年と画家の生誕110年を記念した展覧会シリーズであるそうな。
真下慶治は、1914年(大正3年)山形県最上郡戸沢村津谷に生れた洋画家です。ある雪の日、鮭川との合流点(岩花付近)で雄大な冬の最上川風景と出会い魅せられてから生涯をかけて母なる最上川を描き続けました。そして、1993年(平成5年)「冬の河畔~絶筆~」を病室で描き上げ、一水会に出品した1週間後の9月8日、白血病のため79歳の生涯を終えました。(同展解説より)
正しく最上川の画家として生涯を送った人のようで、山形県を貫流する最上川を描いただけに、山形県民にとっては国民的(県民的?)画家というべきなのかも。ただ、最上川を描いてなお「何処の風景、自然にも潜んでいる普遍の美-力(造化の妙とでもいうか)を同時に表せたらと念じている」と自ら書き残しているあたり、単なる郷土風景のスケッチではないのであるなとしみじみと。
写実的であるところから制作地点の特定は可能なようで、見る人によっては「ああ、あの場所の景色ね」という見方もできましょう。さりながら、先ほど引用した画家本人の言葉に従えば、より普遍的にあたかも「川のある日本の原風景」のようにとらえることもできますな。その点では大阪の山王美術館で見かけたルノワールの言葉をも思い出したりするところでありますよ。
とまあ、最上川の描かれた景色を愛でてきたわけですが、未だ最上川の実物にはお目にかかっておらない。つうことで、美術館からも見下ろせるという最上川の姿、さらには思い余って?河畔まで足を運んでみた…というお話へと続けてまいることにいたしましょう。