ページをめくりながら、ちょいと前に見た映画『デリシュ』やら、もそっと前の『めぐり逢う朝』やらを思い出しておりました。時代的に後者はぴたりと来るところですが、前者はフランス革命前夜ですので、もはやモーツァルトの時代かと思えばちと当たってもおりませんが…。ともあれ、少しずつ少しずつ読んでいたのが『古楽夜話』という一冊でありました。

 

 

タイトルに「古楽を楽しむための60のエピソード」と添えてありますように、古楽、すなわち西洋音楽史の中でバロック以前の音楽に親しんでもらおうという紹介本なのですな。その類ですぐさま思い浮かぶのは皆川達夫著『ルネサンス・バロック名曲名盤100』でしょうか。座右に置いて、聴く音楽の幅として古い方へ古い方へ向かってみる際のガイドブックとなった一冊ですけれど、紹介する音盤などの情報もすっかり古くなったでしょうから、音楽之友社としても改めて…ということですかね。もっとも、新しく録音されたものが一概に心に残る演奏であるとは限らないわけですけれど。

 

『名曲名盤100』の方はその名のとおりに、最終的には好演奏を収めた音盤を紹介することにありましたですが、『古楽夜話』の方でも音盤紹介はあるものの、どちらかといえば、60のエピソードそれぞれにひとりの作曲家を、あるいはその作曲家と取り巻く人たちとの関わりを紹介することで、興味喚起を図っておるようす。はてさてどんなエピソードが…というあたりは本書にあたってもらうのがよろしいかと思いますが、(畑違いながら)画家にも、例えばカラヴァッジョのように破天荒な人生を送った人がいたように、作曲家の方でも負けず劣らず逸話には絶えることがないわけでして、ま、そこらへんを垣間見るだけでも興味深いところかと。

 

ですが、面白い面白いとどんどん進んではすぐに読み終わってしまうくらいの取っつきやすさが身上の紹介本ながら、各編で紹介される楽曲、それそのものでなくとも紹介された作曲家の作品、そのあたりを聴いてみたくなってくるわけですな。そういう本ですしね。ですので、折にふれては長らく自宅の棚に置きっぱなしになっていたCDを取り出しては聴きながら…なんつうこともしばし。少しずつ少しずつ読み進めたという由縁でありますよ。

「古楽は面白そうだけれど、音楽史の勉強のようでどうも堅苦しい」、「どれを聴いても同じように聴こえてしまう」、「歴史小説やエッセイはよく読むし、古い絵画にも関心はあるけれど、音楽に結びつかない」。そうした音楽ファンに向けて、古楽をもっとリアルな生きたものとして紹介。

版元HPの内容紹介にはこんなふうにありまして、「どれを聴いても同じように聴こえてしまう」というのは古楽のみならず、クラシック音楽を聴くときによくある話でありまして、長年一緒に読響の演奏会に出かけている友人にしても「モーツァルトはどれを聴いても同じように聴こえて…」と今でも言いますしね。この点、お堅いクラシック音楽教信者(?)の方なれば、「音楽に向き合う真剣さが足りない」てなふうに言われてしまうかも。要するに集中して聴いてないだろ的に。まあ、何度も聴いて馴染みがあるどうかの問題でもあろうかと思うのですけれど、ひとつの切り口は先日聴いた「レクチャー&コンサート」@あきる野市のように「曲の中に富士山を見つける」という手もありますね。

 

また、冒頭で古楽と映画のイメージの結びつきに触れましたように、映画から入る手もありましょう。映像との結びつきができるのであれば、上の引用に「古い絵画にも関心はあるけれど…」とある点でむしろ絵画とも結びつけやすくなってくるような。取り分け、ネーデルラント絵画の静物画には楽器がよく描き込まれておりますし。そういえば、今でもオランダは古楽演奏者を輩出する楽都でもありますな。

 

とまあ、『古楽夜話』を読み終えたところであれこれの問わず語りになっておりますが、個人的には広く浅く音楽を聴いていった結果として、古楽の豊穣にも触れるところとなったわけですが、こうした本を通じて日々のお楽しみの幅が広がって行く方もおられようなあと思ったものでありますよ。